外遊④

 ベローナは何人もの男性と関係を持ち、多くの子を産んだ。

 子が宿ると時間を持て余したベローナは、人伝に本を集め地下室に蔵書する。

 本が好きだったお師匠様に影響されたベローナもよく本を読んだらしい。

 本が好きだったからなのか、子育てを終えてからの余生で、ベローナは人生を振り返り、書に綴った。

 それが、この自伝書。

 ベローナはその後、自分によく似た娘にリコリス家を継がせている。

 また、彼女の子孫が興した領地の一つがアストロンと書かれていた。現在のアマリリス辺境伯領の領都アストロンのことだろう。

 本はまだ半分も読んでいないが、区切りの良いところで本から意識を離すと、リディアが俺の名前を呼んでいることに気が付いた。


「サクヤ殿下。お食事の用意ができましたので、館にご案内いたします」


 随分と距離が近いのは俺が本に没頭するあまりリディアの声に反応しなかった所為か。


「あ、はい……ありがとう……ございます。何度もすみません」


 申し訳無さに居たたまれなくて、つい、吃ってしまう。


「その本、良かったらお持ちください。明日、出発前にお返しいただければ宜しいので」


 リディアは俺が開いていた本を見て気を遣ってくれたらしい。

 そういうことならありがたくお借りして今日の夜は本を読んで過ごすことにしよう。


「ありがとうございます。それでは本日はこの本をお借りしますね」


 本を借りられたので、しおりを挟んで本を閉じ、リコリスの領城から持ち出した。

 再び、俺はイリスを傍に従わせてリディアの後ろを歩く。

 地下室から上がる階段。それから、食事が用意されている館まで、目が離せない。

 前世の俺は女性をそういう目で見ることはなかったというのに、どうして、今生ではこうまで女性に対して駆り立てるものが湧き上がるのか不思議で仕方がない。


 食事はリコリス領が飼育している鶏の料理が中心。

 ルッツ・リコリスがヌリア母様と俺の歓待をする最中、彼の妻のレリア・リコリスと長男のロディ・リコリスがせわしなく給仕に勤しんでいた。

 料理の説明を受けながら、少しずつ口に運ぶ。

 シンプルな味付けで、どれも食べやすい。

 俺をこの食堂まで連れてきてくれたリディアは裏方にまわり、食事の盛り付けなどを手伝っているそうだ。

 この食事も下味は全てリディアの手によるものらしく、仕上げはレリアが行ったとルッツは言う。

 スパイスやハーブ、塩で味付けをして焼いた鶏肉を食べると俺は思う。


──唐揚げが食べたい。

──フライドチキンが食べたい。


 この世界は乙女ゲームの中だからかもなのしれないけれど、俗に言う茶色い料理というものが極めて少ない。

 彩り豊かな食卓は見栄えは良いけれど、がっつり食べたいときに物足りない。

 ピザとかパスタとかは良いんだけど、ラーメンや蕎麦みたいな麺が食べたいとか、米が恋しいと思うこともあった。

 それを思い起こさせるほど、出された鶏肉が美味しい。

 お師匠様もこういう茶色が多い料理をしないから、ここで食べた料理は本当に幸せ。

 今、俺(朔哉)の舌が俺(サクヤ)に宿ったのだ。

 俺は白いご飯が食べたいと憂いながら、皮がパリパリと音がする香草焼きを味わった。


 食事が終わるとヌリア母様は従者とイリスを従えて一緒に部屋に戻り、俺はリディアの案内で部屋に戻る。

 部屋に戻ったらイリスも食事だろう。だから俺もヌリア母様も部屋に留まることになる。

 そんなことを考えながら、また、リディアの尻を眺めながら部屋に向かう。


「お食事は殿下のお口にお合いいたしましたでしょうか?」


 部屋に入ってからリディアは俺に訊く。

 リディアは友達の母親だけど、この世界の母親は若い。

 思春期を迎える俺には若干刺激のある容姿の持ち主だからか、ふたりきりという状況に俺は緊張していた。


「は、はい。とても、美味しかったです。また、食べたいと思ったほどでした」


 王城ではああいった料理は滅多にでない。

 なるべく茶色が少なくなる工夫が凝らされるからだ。

 また食べたいというのは俺の本心。


「殿下のお口にあったようで安心いたしました。当家は貧しく使用人などおりませんから、ヌリア王妃殿下やサクヤ殿下に満足いただけるか不安でしたから……」

「そうだったんですね。俺としてはあんなに美味しい肉料理は滅多に食べられないのでとても満足でした」


 そう伝えたら、リディアは嬉しそうにはにかむ。

 まだ三十路にも届かない彼女の笑顔はとても可愛らしい。

 前世の俺だったら間違いなくストライクゾーンど真ん中。

 今の俺ではだいぶ年上だし、出戻りしてるとは言え彼女は辺境伯の側妻という既婚者で、ベローネの母親である。


「ありがとうございます。殿下のお気にいただけて光栄に存じます」


 そして、褒めると照れる性格なのか。それとも緊張して照れ隠ししているのか。

 良い年のお姉さんが──とは思わない。

 俺には前世の記憶があるからね。


「それでは私はこれで一旦、お暇いたしますが、ご入用がございましたら何なりとお申し付けくださいませ」


 リディアは丁寧にカーテシーをして頭を下げると「ごゆっくりお過ごしくださいませ」と言葉を残して部屋から出ていった。

 一人になった俺は、王都の私室よりも明るいこの部屋で、リディアから借りた本の続きを読むことにする。


 本をしばらく読み進めていたら、裏庭からカンカンと木剣がぶつかる音がする。

 興味が唆られて窓から外を見たら、ルッツとイリスが打ち合っていた。

 何か話しながら手合わせをしていたようだけど。

 ルッツは魔力を使わない。イリスは魔力を動かしながら木剣を振る。

 初老ながらルッツは引き締まった体躯で筋肉質だということは見て取れるが、それ以上に身のこなしが素晴らしい。

 近衛騎士団に見せてやりたいところだと思いながら見ていたけど、同行の騎士たちもルッツとイリスの手合わせを観戦していて、その中に近衛騎士もいる。

 ルッツは左腕に小盾を装着して、右手は木剣を構えている。

 対するイリスは左手に円盾を構えて右手に木剣。

 イリスは猛攻をしかけるが、ルッツは少ないステップでイリスの剣戟をひらりひらりとかわしていく。


「やああっ!!」


 イリスは声を発して魔力をお腹に溜め込み体中に魔力を渦巻いて爆発させる。

 身体が一気に強化されてルッツを木剣で襲った。

 イリスの鋭い剣戟をルッツは小盾で軽くいなすと、イリスの足にちょこんと足を軽く伸ばす。すると、イリスはバランスを崩して転げそうになった。

 身体を立て直そうとしたが、その寸でで、今度は小盾でイリスの身体をトンと小さく押す。

 イリスはくるんと回転して仰向けになって地面に寝そべる形になった。

 それからルッツはゆっくりと木剣の先をイリスの喉元に伸ばす。

 勝負あった。

 あのイリスが手も足も出ない。

 ルッツがこれほどのものとは思いも寄らなかった。

 これで魔力を全く感じさせないんだから相当の実力だということだろう。

 上には上がいる。ゲームの世界とは言え世の中は広いものだ。

 ルッツがイリスに手を伸ばしたところで、後方からノックの音が聞こえた。


「サクヤ殿下、湯浴みの準備ができましたので、ご案内いたします」


 お風呂の時間らしい。

 どうぞと入室を促すと、入ってきたのはリディアだった。


「ありがとうございます。母様はもう湯浴みなされたのです?」

「いいえ、王妃殿下はイリスの稽古を拝見なさるそうで先にサクヤ殿下を湯浴みに案内するよう仰せつかってまいりました」


 なるほど。王妃の御前試合という余興をやっていたのか。

 俺は本を読んでいるからお呼ばれしなかったのだと、付け足されたけれど。


「そうでしたか。わかりました。では、湯浴みに参ります」


 俺はリディアの後ろについていく。


 風呂は王城のように豪華なもの……ではなく、木で組まれた浴槽である。

 良い香りでとても落ち着く。

 王城では味わうことのできない木の香り漂う浴室。

 願わくば、ゆっくりとこの空間を楽しみたかった。


 入浴を済ませて部屋に戻り、しばらく本を読んでいたら、呼び出しがかかる。


「サクヤ殿下、ヌリア王妃殿下がお呼びでございます」


 イリスが俺を呼びに来た。

 部屋には俺の世話役のリディアもいる。


「リディア様。俺は母様のところに行って参ります」

「承知いたしました。では、私はこちらでお待ちしておりますので、ごゆっくりなさいませ」


 リディアに送り出されて俺はイリスと一緒にヌリア母様の部屋に向かった。

 部屋に入ると、ヌリア母様は風呂上がりで紅潮した素肌の手入れを従者に施されている。

 化粧をしていないすっぴんのヌリア母様。

 この世界の女性は皆、美人である。特に王妃に迎えられるほどのヌリア母様はすっぴんでも優雅だ。


「いらっしゃい。こちらのお風呂、とても良かったわ。サクヤも良かったんじゃないかしら?」


 香り高い木製の浴槽で身体を温めたヌリア母様は艷やかな表情でお風呂の感想を求める。

 俺はお風呂の間、それどころじゃなかったけれど、お風呂は本当に良いものだと思えた。


「はい。木で作られた浴槽というものは初めてでしたが、とても良いものですね」

「そうでしょう? 浴槽だけじゃなく、浴室も、こちらと同じく木にしてもらいたいものね」


 木のお風呂というのはリラックス効果があるのか、前世でいう檜風呂ほどでないにしろ、王城の風呂よりも心が落ち着き疲れが癒される。

 城の浴室にも木の浴室と浴槽がほしい。

 それはヌリア母様も同意見だったようで、俺が言うまでもなかった。


「さ、それはさておいて、明日からの予定を伝えるわ。こちらにいらっしゃい」


 ヌリア母様はそう言って二人がけの椅子の空いてる席をぽんぽんと手で叩く。

 そこに座ると、ヌリア母様は俺の頭に手を回して抱き寄せるとくんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

 王城を出てから、毎日の日課となっていた。


「明日の朝にはここを出て、アルストロメリア子爵領まで馬車を進めるの。アルストロメリアには──」


 そうやって毎日、滞在する予定の領地の説明を受けて領地の特徴など教わっている。

 対面したときに俺が無礼を働かないようにするためだろう。

 俺はまだ子どもで、王都の外のことなんてわからないし、同じ王侯貴族であっても、身分が遠ければ、その家のことなんて知る由もない。

 とはいえ、こうしてヌリア母様から教わっていると、ヌリア母様は忙しい時間を割いて滞在する領地についての情報を事前に調べていたのだと察することができた。

 これは俺に対する教育のひとつなのだろう。

 前もって知っておけば、どのように接するべきなのか、何を見て何を聞くべきなのかを用意しておくことができる。

 きっと、準備するために多くの人間が関わっているはずだ。

 ヌリア母様はきっと、俺にそういった事を伝えたがっているんじゃないか。

 それが俺に対する──王位を継ぐ俺への教えなのだろう。


 次に訪れるアルストロメリアはリコリスからアマリリスの中継地点で、他領とアマリリスを繋ぐ要所。

 宿場町として発展し、リコリスから川を下って流される木材を一時滞留する場所となっていた。

 リコリスは林業が盛んで、このアルストロメリアで滞留する木材を近隣の領地に卸しているのだそうだ。

 領地の人口は一万二千人ほど。この辺り一帯は王都から離れた僻地だから一万人を超えれば大きな町ということになるだろう。

 さらに西のアマリリス領は七万人が住む大きな領地で、農業の他に、ダンジョン攻略を生業とする冒険者で賑わうダンジョン都市でもある。

 アルストロメリア領を経由して数日のうちにアマリリス領入りする予定となっていた。

 そうした説明を受けて、ヌリア母様の部屋を俺は出る。


「リコリスからアルストロメリアはそれほど離れていないから朝はゆっくりして良いわよ」


 部屋を出る直前にヌリア母様の言葉に「わかりました」と返したが、ヌリア母様は本を読むと思っていたようだ。

 リディアから借りた本は寝る前に読み切るつもり。

 明日の朝は、ルッツと手合わせをしてみたい。

 敵わないのは分かっていても、身体強化を使わずにあれほどの強さ。

 俺より強い奴に会いに行く──そういう気概が俺にもあったらしい。

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