外遊③

 リディアは部屋の扉を開けると「どうぞ」と通す。俺が扉を通過すると静かに扉を締めて俺の先導を続けた。

 先を歩くリディアの背中を眺めながら後ろについて歩く。

 歩く度にしなる腰から臀部、太もものラインが女性の色香を漂わせていた。

 何という馥郁たる豊穣の化身。

 前から見ても後ろから見ても捉えて離さない魅力の持ち主──それが、ベローネの母、リディア・アマリリスという女性だった。

 そのしなやかな身のこなしは武芸にも通じるもののように思える。

 館を出ると「では、我が家をご案内いたします」と領主の家にある書庫を目指した。

 その途中、彼女に訊く。


「リディア様は武芸を嗜んでいらっしゃったんでしょうか?」


 俺の問いに答えたのはリディアではなく、俺の護衛として隣を歩くイリスだった。


「お姉さまは私よりも強いのよ。でも、あまり剣を持たないの」


 なんと、イリスはリディアを〝お姉さま〟という。

 ということは知り合いだったのか。


「イリスさんとリディア様はお知り合いなんですか?」

「そうよ。サクヤ殿下も知ってると思うけど、私の家はリコリス家と同じアマリリス家を寄り親としてるの」


 周囲には三人しかいないから、砕けた言葉になっている。

 リコリス村におけるロイヤルフィーバーは一時休止か。


「もう、私は剣を握らないから。イリスだって知ってるでしょ?」

「でも、サラシを教えたじゃないですか」

「サラシはとても嬉しかったけれど、サラシでは抑えきれなかったし、それに窮屈なんだもの」


 そう言ってゆさゆさ揺れる乳房を持ち上げるリディアさん。

 俺には前世の記憶があるから、若干それに引っ張られた女性観を持っている。とはいえ、目の前のリディアは目の毒──もとい、保養。大変に眼福なもの。

 ここは乙女ゲームの世界だと言うのに、目の前の事象はエロゲーに通ずるものである。

 俺(サクヤ)の教育上、よろしくないものが目の前で繰り広げられた。

 これでは女性を侍らす父上と変わらないじゃないか──と、悪態をついて自制心を取り戻す。

 それにしても、ベローネの胸は同じ十二歳とは思えないものをお持ちだったが、母親は更に上を行く猛者。

 リディアが剣に励んでいたのは今の俺の年ぐらいまでらしい。

 胸が邪魔で剣が振りにくくなって諦めたそうだ。

 それでも、リディアの強さを知っていたイリスはリディアから剣を学んだ。

 その剣をベローネに教えているという。


「お父様はもっと強いんだから、お父様に教われば良かったのに」


 リディアは常々そう思っていたそうだ。


「あの頃のルッツ様はお忙しかったでしょう?」


 当時のルッツはまだ領主ではなくアマリリス領兵の指南役として働いていて忙しかったらしい。


「そう言えばそうだったわね。私はリコリスで過ごすことが多かったからお父様が忙しくしていらっしゃったというのがわからなかったわ」


 それでも、寄り子の集まりでアマリリス領の領都アストロンでも年の四分の一ほどは生活をしていたようで、領地のない宮廷貴族のラエヴィガータ家の娘は自分と似た境遇のリディアに出会い、彼女の強さを知って憧れた。

 こうしてイリスの昔話を聞けて、イリスの少女みたいな表情を見られて心が和む。

 それ以上にリディアの色香はヤバかったが……。


 リコリス家の書庫は家の地下室にあった。

 お師匠様の家とよく似た地下室。

 明かりが入らないというのに魔道具で照らされて昼間のような明るさだ。


「こちらになります。大陸の言葉とは違う言葉で書かれているので、娘から殿下はご拝読なさると伺っておりますが、それでも読むのは難しいとは言いますか──失礼とは存じておりますが、書物の内容をご理解いただけるとは俄に信じがたくて……」

「いえ、大丈夫です。ここにある本は読んでも良いものですか?」

「はい。どの本も、ご自由にどうぞ」


 リディアの言葉を聞いて俺は自由気ままに本を漁る。

 魔導書もあるけど、ここには武芸の指南書が多い。武芸における魔力の使い方が細やかに書かれているものがあった。

 属性魔法の武芸への取り入れ方など、興味を引くものも多く。


──アステル聖騎士指南書


 というものもあった。

 パラパラと開くと神聖魔法──光属性魔法の剣技への応用などが書かれている。

 それから、もうひとつ、ひっそりと目立たない場所に面白い本があった。


──姫騎士物語


 主人公はベローナ・アストロン。

 アステル神教国の第一皇女として生まれた彼女は戦女神の恩恵を授かった。

 ベローナは幼い頃から聖騎士団で武芸を学び、あらゆる武器の使い手となる。

 女性ながら十二歳にしてアステル神教国で最も強い聖騎士という評価でアステル最強の姫騎士とまで称された。

 もう少し読みたい──。

 俺は姫騎士物語を持ってリディアに聞いた。


「この本をお借りさせていただいても良いですか? 明日、お返ししますので……」

「あ……その本は私も読みました。この本を読んで娘をベローネと名付けさせてもらったんですよ」


 どうやらリディアも読んだ本らしい。

 彼女は嬉しそうにしながら俺の手元の本に目線を落とす。

 伏せた目が何とも艶めかしい……。


「読まれるのでしたらどうぞ、お返しいただければそれで宜しいので……。それよりも、殿下、この本の言語をご理解なさってらっしゃるので?」


 女性にしては少しばかり低いトーンの声色が彼女の色気を増長する。

 ドギマギしながら答える。俺は彼女を直視できなくなっていた。


「は……はい。この本は読めます。他の本も特に分からない単語などはありませんでしたよ」


 俺の言葉にリディアは興味を持ったのか……それとも同志として親近感を抱いたのか、目線が俺の顔に向けられる。

 身長差は数センチメートルほど。

 彼女は嫋やかに唇を動かして言葉を紡ぐ。


「まあ、私、この本を読めるまでとても苦労しましたけれど、殿下もお時間を要しませんでしたか?」

「私も古い大陸語を覚えるまではわかりませんでしたが、今は更に古い大陸語まで読めますね」

「では、殿下もこういった本をお持ちでいらっしゃるのでしょうか?」

「私のものではありませんが、ここにはない魔導書ならよく読んでいます。ここは武芸の指南書が多くてとても新鮮です」


 何とか平常心を装って言葉を交わす。

 相手は遥かに年上の女性で、俺はまだ子どもだと言うのに、どうしてこう心を揺さぶられるんだろうか。

 真っ直ぐに向けられたリディアの目を直視できずにいると、彼女は口の端を緩やかに吊り上げて目を細める。


「それは興味が唆られます。どんなものなのか読んでみたいわね」


 リディアは古い言語の本を読める同志として返してくれた。

 ならば、俺も平常心を保ち、同志として応じなければならない。


「私がこのような本を読めるようになったのは、私の教育係として働いてくれるブランという女性の教えがあったからです。もし、ここにある本以外にも目を通されてみたいということでしたらブランに聞いてみましょう」

「殿下にお誘いいただけて大変嬉しいのですが、男爵家の生まれの私としては身に余ることですので、応じて宜しいのかどうか返答に困ってしまいます」


 ここでリディアと会話をしていることを念頭におくべきだったのかもしれない。

 この外遊で訪れたリコリス家は男爵家。

 その一人娘は辺境伯に気に入られてアマリリス家が娶りベローネを生ませた。

 本来ならその後、アマリリス領で暮らし続けるだろうと考えられるのに、リディアはここにいる。

 おそらくは、やはり身分──ということか。

 例えば王城に務める宮廷貴族はその多くが子爵家より高い家格の出の者ばかり。

 男爵家の人間が王城に居るということは余程のことが無い限りありえない。

 本来なら王族にお目にかかることができない貴族なのだ。

 だと言うのにルッツもリディアも物怖じせずに接してくれているのはベローネとの血の繋がりを感じさせるものだった。

 それでも、大人になればそれだけでは済まないのだろう。

 リディアがアマリリス家に嫁ぎ、リコリス家に出戻っているということは辺境伯家での生活がうまく行かなかったということ。

 その原因が家格のせいなのかもしれない。

 もし、その推測が正しければ、アマリリス家との繋がりがあるのに王族とはいえ異性からの誘いに乗るのは難しい。

 女性同士なら問題ないんじゃないか。だったら、王国内での身分が曖昧なお師匠様と会わせて二人の間でやり取りをしてもらえば良い。


「お気を遣わせてすみません。そういうことでしたら、私の従者に──私にこういった本を教えてくれた人にリディア様を紹介しても良いですか?」

「それでしたら……お断りし続けるのも気が引けますし……」


 代案は渋々了承してもらえそうだ。もうひと押ししても良いだろうけれど、今日のところはここまでにしておこう。


「ありがとうございます。では、後日、私の使いとしてお送りしますので、そのときはお願いいたします」


 俺の言葉にリディアは「……承知いたしました」と胸に手を当てて頭を下げる。

 まだ、本を読みたい俺は「本の続きを読ませていただきますね」と伝えて読書に没頭。

 リディアは俺を視界に納めつつ椅子に座って本を読み始めた。


──ベローナの自伝書


 彼女の直筆らしいその自伝書は当時の出来事などが綴られていた。

 これを手にとったとき、リディアは「殿下がお持ちでいらっしゃるその本は、当家の初代当主、ベローナが自ら執筆した自伝書のようです。私も何度か繰り返して読みましたが、非常に興味深いものでした。殿下がご拝読されたあとに、感想を伺ってみたいものです」と俺に言う。

 自伝書の始まりにはこう書かれていた。


 この大陸には三人の賢人あり。

 一人は聖女──北にフルール・オリセー・ジャスマイン。

 一人は賢者──名の知れないその者はこの大陸のどこかにいると聞いているが一度も会うことはなかった。

 一人は……僭越ながら、私、ベローナ・アストロン──ベローナ・リリー・リコリスとされている。

 大陸を襲った未曾有の危機に北は聖女が対応したという。

 南はアステル神教国が総力を投じて悪魔によって穢された堕天使と対峙した。

 これは後世に禍根を残すものであり、私はこれを書に認め、子孫への言伝としよう。

 こう言っては無責任だけど、願わくば、私の代で叶わなかった真の平和を取り戻して欲しい。


 自伝書はベローナの人柄がよく表れていた。

 彼女の書にはお師匠様の名前がちらほらと出る。

 どうやらベローナとお師匠様は既知の仲のようだった。

 さすが千年の時を生きる魔女である。

 しかし、ベローナの自伝ではあるタイミングからお師匠様の名前が出てこなくなった。

 ベローナはアステル神教国の教皇の長女として育ち、聖女として名をはせていたお師匠様はマトリカライア王国の公爵家のご令嬢。

 お師匠様はマトリカライア王国の王太子の婚約者で、ベローナがマトリカライア王国を訪問した際に同世代の女の子ということもあって親しくなったらしい。

 初対面のときにこんなやり取りがあったと自伝に残されていた。


「わー、すごくお綺麗……」


 まだ、十歳にも満たない年齢で初対面を果たしたベローナとお師匠様。

 そのときにベローナはお師匠様の可愛さに胸が踊り思わず心の声が漏れたそうだ。


「お褒めに与り光栄にございます。ベローナ殿下もとても可愛らしくて羨ましいくらいよ」


 そうして綺麗な所作でカーテシーをお師匠様がベローナに見せると、その優雅さにベローナは目が奪われた。


「私、フルール様ほどの綺麗なカーテシーができないの……憧れるわ」


 ベローナは幼少期からがさつなところがあり、魔法や行儀作法を学ぶよりも身体を動かしてるときのほうが好きで、行儀作法はとくにサボりがちだったらしい。

 それで、フルールとの出会いで行儀作法にも真剣に取り組むようになったのだが。


「ベローナ様の身のこなしは私にはできない素晴らしいものです。武芸の類では右に出るものはいらっしゃらないのでは? きっとそちらのほうの才能に恵まれてるように存じます。武芸を極めたらきっとベローナ殿下は素晴らしい所作を身につけられることでしょう」


 お師匠様はベローナにやんわりとそう伝えた。

 ベローナには魔法や行儀作法よりも武芸のほうがずっと向いている。

 お師匠様の言葉に気を良くしたベローナは、それから武芸に専念した。

 すると、お師匠様の言葉のとおり、武芸の練度が高まれば高まるほど、神聖魔法が冴え、行儀作法も上達する。

 武芸の成長がベローナを高みに引き上げた格好となった。

 それから、年月を経てお師匠様との親交を深め、お師匠様は大陸を代表する聖女へと、ベローナは大陸無双の剣士に至る。

 ベローナの自伝を読み進めると、ラクティフローラ地下水道の先にある高難易度ダンジョンの名前が書かれていた。


──追憶の涙 ティアーズ・オブ・レミニセンス


 激戦を制したが、失ったものは大きく……。

 神教国はもはや国の体を保つのは難しい。

 犠牲になったお父様に変わり教皇についたお兄様に私は報奨を賜った。

 それは左腕を失った私を神教国から追いやるためのものでもある。

 私はもう、この国に留まるつもりはない。

 リコリスの姓を賜った私は皇都を離れ誰も居ない土地を探した。


 そうして、この地にたどり着いたらしい。

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