外遊②

 王都を出て十日。

 もうすぐリコリス男爵領に入る。

 リコリス男爵領はネルンボ川の中流で小さな支流との合流点にある小さな山村。車窓の景色から畑が多く農業が盛んでそれなりの裕福さが伺える領地。

 王妃と王子の外遊ということもあり多くの領で歓待を受けたが、リコリス男爵領は訪れる領地の中では最も小さなところ。

 これまでの過剰な歓待とは打って変わってひっそりと出迎えてくれた。


「このような小さな領にまでご来訪いただき、無上の喜びにございます。我が領地は特産など無い故、ご満足いただけるか存じかねますが、何卒、ご容赦いただければと思います」


 白髪が目立つ赤い髪の男性はルッツ・リコリスと名乗った。

 頭を深く下げるこの初老の領主。

 リコリス男爵領を訪れたのは俺の希望があったからである。

 ベローネの祖父が納めるこの領地は、数少ない土地持ちの男爵家。

 本来なら省かれそうなものだけど、俺が希望したことであっさりと決まったのは、ピオニア王国は小さな男爵家でも国の管理化にあるのだという示す良い機会でもあったのだろう。

 そして、彼の後ろには俺のお目当ての人物──リディア・アマリリスの姿が。

 彼女はベローネの実母。

 ベローネに引けをとらない毛量の緋色の髪は彼女の姿を若々しく見せていた。

 それにしても、デカい。

 ルッツの妻と思しき女性の姿も見えるが、ご夫人も素晴らしいものをお持ちで──。


「こちらこそ、急でしたから、それにとてもお美しい景色に心が打たれる思いです。本日はよろしくお願いいたします」


 ヌリア母様が胸に手を当てて目を伏せた。

 リコリス領は河川の中流の山村。

 北から伸びるネルンボ川本流の河岸沿いに村が形成されていた。

 その川とそれを渡るアーチ橋が特徴的で、それが村を美しく見せている。

 村に入ったときは、その橋と橋の向こうに見える白い頂の峰々に息を飲むほど。

 領主の館は橋を渡った先にあり、領主が案内しようとしているのはその手前にあった真新しい建物だろう。


「では、ご案内させていただきましょう。本日のためにご用意させていただきました」


 そう言ってルッツは真新しい建物の方向に足先を向けた。

 それにしても、素晴らしい身のこなし。

 かなりの歳を重ねているように見えるけれど、身体の芯にブレがない。

 しなやかな足取りはベローネとよく似ていた。

 ルッツが先導して歩き始めると、彼の妻がヌリア母様に「ご案内させて頂きます」と近寄る。

 続いて、緋色の髪の女性が俺の傍に歩いてくると、丁寧に頭を下げて「リディア・アマリリスです。ご案内させていただきます」と俺の斜め前に一度った。


「あの、ベローネのお母様ですよね。学園でご一緒させていただいておりまして……」

「ベローネがお世話になっているのは伺っておりました。ご迷惑をおかけしていると思います。何卒、ご容赦いただければと存じております」

「容赦だなんて……とんでもない。ベローネにはいつも負かされてますが、ベローネのおかげでとても良い鍛錬を重ねておりまして、迷惑どころか、私の方こそ感謝しきれてもしきれないほどです」

「それは、それほどまでにお褒め頂き、母親ながら大変光栄に存じます」


 どことなく声のトーンが低いリディア。

 赤い瞳に陰りがあるのは、何か自信を失っているようにも見えた。

 しかし、リディア・アマリリスという女性もルッツに引けを取らないほどの流麗な動作をして見せている。

 本が好きでよく読んでいるというから文学系なのかと思ったけど、ルッツには感じられない魔力の揺らぎを彼女は内に秘めていた。

 とはいえ、時間は有限。それも明日の昼前にはここを出てしまうのだ。

 リディアには聞きたいことが山程ある。


「リディア様はご本をよく読まれるとベローネから伺っておりまして……それでここには珍しい本があるとベローネから聞いていて、私も本を読むのが好きなので気になっておりました」

「そういうことでしたら、後ほどご案内させていただきましょうか?」

「ぜひとも! お願いいたします」


 リディアの了承を得られたのなら、ヌリア母様にもお伺いを立てなければならない。


「ヌリア母様、リディア様に書庫を案内させていただけるそうなのですが、のちほど、リディア様とご一緒させていただいて宜しいでしょうか?」

「承知したわ。楽しんでらっしゃい。ベローネの生家も気になっていたんでしょう?」


 ヌリア母様は俺とベローネが共に王国騎士団で訓練を受けていて、友人として親しい間柄ということを伝えてある。

 そうでないと、この旅程でリコリス領に留まることはできなかった。

 しかし、ここにはベローネは居ない。彼女は父親の命により、アマリリス領に帰っている。

 俺が王子で彼女は妾腹とは言え辺境伯家の長女。友人としてって言ってるけれど異性である以上ベローネを俺に迎えさせたいという思いもあるのだろう。

 俺にはエウフェミアという婚約者がいるし、それは当面覆らないけれど、それでも側妻としてでも娶らせられれば王家との繋がりが出来てアマリリス家が懇意に扱われることを狙っているんじゃないか。

 ともあれ、俺はベローネとそんな仲になるつもりはないし、まだ、十二歳の男児でそこまで成長していないのだ。

 そんなわけで、ヌリア母様の許しを得たので、ルッツの案内が終わったら早速行くことにしよう。


「では、この案内のあとにご一緒いただいてもよろしいでしょうか?」


 リディアに伝えると「承知いたしました」と嫋やかな笑みを見せてくれた。

 俺の斜め後ろについてきている彼女の、あまりの色香の強さに心臓がドクンと跳ねる。

 なんだろうか……。この圧倒される人妻感。一見、優しい笑顔に見えるのだが、心を鷲掴みする赤い瞳。

 笑顔や瞳に影があり、それが何とも言えない物憂げで、心が強く揺さぶられた。

 これはいけない──俺は邪念を振り払って前を向き直した。

 目線は進行方向を向いている。けれど、耳は彼女の足音を意識してる。

 周囲にはリコリス村の住人が居て騒々しいと言うのに、彼女の一挙手一投足以外に耳に入らない。


「では、私が護衛として同行いたしましょう」


 ヌリア母様にイリスが俺の護衛に名乗り出ていたのだが俺は上の空だった。

 それから、少し歩くと、ルッツが立ち止まる。

 真新しい建物で、広さもそれなりにある。

 大きな馬車を数台停められるスペースが確保されていた。


「本日はこちらの館を用意させていただきました。それでは中をご案内しましょう」


 ルッツの言葉に続いて彼の妻のレリア・リコリスが「どうぞ、お入りくださいませ」と館の扉を開けて入館を促した。

 準備期間が少なかったからおそらく元からあった建物を改築したのだろうことは予測はしていたけれど、調度品の類はそれほどのものではないし、造りも豪華とは言い難い。だけど、屋内の木の香りがスーッと胸に入り込んで落ち着きをもたらしてくれる。

 それと、一つだけ決定的なものがあった。


「とても、明るいわね。王城でも建物の中でこれほど明るくはなりませんわ」


 照明だった。

 この世界の照明は魔道具。

 そして、ピオニア王国内の照明器具は悲惨なものだった。

 薄暗くて本を読めない。

 そんなレベルの明るさしか出せないものを高級品として扱っているのだ。


「この照明は我が家に古くから伝わっているものでして、普段は我が家で使用しているのですが、本日のためにこちらにその一部を取り付けさせていただきました」


 古い魔道具──というルッツの言葉で合点がいく。

 リコリス家はお師匠様がマトリカライア王国で王太子の婚約者として過ごしていた頃から伝わる千年以上も続く家系。

 もしかしたら、その辺りもリコリス家の蔵書に伝わっているのかも知れない。

 それを思うと居ても立っても居られない──そんな落ち着きのない王子がここに爆誕。


「これほどの照明──王城にも欲しいわね」

「申し訳ございません。いつまで動くかもわからないので、言え確かなものでないものですので、このような動作の保証ができないものを献上するのは憚られます」

「そうですか……それは仕方ありませんね」


 魔法文明が衰退し、高度な魔道具の保守技術は失われている。

 それは古代の魔道具が伝わっているリコリス家でも同様だった。

 いつ壊れるかわからないものを献上するわけにはいかないと固辞したルッツの言葉をヌリア母様は受け入れるしか無い。

 それから館内を案内されて宿泊する部屋を紹介された。

 俺とヌリア母様は別々である。

 俺にこの部屋の説明をするのはリディア。護衛としてイリスが一緒にいるが、イリスは終始笑顔だった。

 しかしこの部屋、調度品の類は皆無で質素なのだがベッドは超一級品。

 腰を下ろした瞬間に沈み込む感触と反発して浮き上がる感覚に思わず「なにこれ」と声が漏れた。

 背中を倒して寝そべってみるが、俺の私室のベッドよりも寝心地が良い。


「このベッド、すごいですね」

「はい。こちらはリコリス村にしかない製法で製造したベッドにございます」


 リディアが答えた。


「私の部屋に欲しいくらいです」

「ご所望でしたら、献上品として手配いたしましょうか? きっと我が領の職人も張り切ってお作りさせていただけるでしょう」

「いえ、献上品となるときっと私のところには来ませんから、いつか、購入させて欲しいくらいです」


 このベッドがほしい──と、思っても俺が自由に金を使えるのは十五歳になってから。

 十五歳になった王族は予算がつくので、そこから従者や必要な物品を買えるようになる。

 言い方を変えれば十五歳になれば自分で行動して自分で金を稼ぐことだってできる。

 ついでに王位継承権を放棄して婚約破棄もきっと十五歳になればできるはずだ。

 なにせ俺は詠唱魔法を使えない無能扱いだからね。

 寝そべるベッドから見上げる天井に未来の予想図を描く。

 俺の傍らにお師匠様は居てくれるだろう。

 きっと、このリコリスにある蔵書のことも気にかけているんじゃないか。

 それを思い出したら、やはり居ても立っても居られない。

 俺はベッドから起き上がって、リディアの前に向き合う。

 改めて正面から見ると──なるほど、これは、辺境伯閣下が権力を使ってでもモノにしたがった理由を理解する。

 まず、毛量のある赤い髪に赤い瞳。目が合うと心が掴まれて目が離せない。とても魅力のある女性だ。

 背は高くないが、いや、高くないが故に目立つ乳房が凄まじい。

 爆乳どころではない。超乳とでも表現するべきか。奇形とまでいかない大きなおっぱいは男でも女でも目が釘付けになるだろう。

 それをあえて隠さずに胸を強調するデザインの装いも素晴らしい。

 敢えて言うなら彼女もある意味魔女である。

 ハッと我に帰り、俺は好奇心を満たしに行くことを選ぶ。


「リディア様。部屋をご紹介いただいたばかりで恐れ入りますが、蔵書を拝見させていただきたく──」

「そうでしたね。では、ご案内いたしましょう」


 リディアはそう言って俺を先導する。

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