外遊⑥
ヌリア母様の尋問は夜通し続いた。
気が付いたら空が白んでいて、もはや徹夜と変わらない。
「ごめんなさいね。サクヤのお話を聞いていたらつい、もっと知りたくなってしまって、無理をさせてしまったわ」
と、ヌリア母様は朝方になって謝ってきたけど、彼女も俺と同じく寝ずの番を過ごしたようなものだ。
俺に付き添ったイリスもそうだし、ヌリア母様の侍女のコロネ・フラグランも同様。
ヌリア母様は「柄にもなく大人気なかったことをお詫びします」とイリスとコロネにも謝罪していた。
アルストロメリア領を出発するまで、なんとか眠気を凌いで、馬車では四人でうつらうつらとしながらアマリリス領アストロン市を目指した。
そんなわけで、徹夜で付き合ったイリスは車内でコロネの隣に座っている。
落ち着かないだろうけれど、ヌリア母様は車内での仮眠を許可した。
俺も徹夜明けの睡魔には耐えられず、馬車が出て数分で眠りに落ちる。
アルストロメリアを出てアマリリス領アストロン市へと向かう馬車。
順調に進んではいたが、一日ではたどり着けず、途中の宿場町の宿屋に今夜は泊まる。
「今夜はサクヤと私は同じ部屋で泊まるの」
ダンジョンが多いアマリリス領にあって近隣にダンジョンがないこの小さな宿場町。
アストロンとアルストロメリアを繋ぐ町だけあってチラホラと行商らしき者は見えるが、全体的にこじんまりとした静かな村だった。
この宿場町はカメリア子爵家が代官として代々働いている。
領城も小さく城というより小さな砦。部屋がないため、宿屋に泊まることになった。
だが、その宿は部屋数が少なく、俺とヌリア母様で二部屋を使うわけにもいかないということで広い部屋を一室、借りる。
そこで出てきたヌリア母様の言葉である。
同じ部屋だけど、ちゃんと扉で仕切られた部屋だから同じ部屋ということはない。
豪商が利用するというこの部屋は寝室が四つほどあり、ここに俺とヌリア母様、ヌリア母様専属の従者であるコロネ、それと俺とヌリア母様の護衛としてイリスが使用する。
その他、同行の護衛の騎士たちはこの宿屋の空き室や他の宿を手配した。
「それにしても、アルストロメリアからアストロンまで、距離が少しあると伺っていたけど、予想より進めなかったわね」
柔らかいソファーに座り、コロネが煎れたお茶を啜るヌリア母様。
「申し訳ございません。ここまでの悪天候を予期できておりませんでした」
イリスが謝罪。
「今回は天候にも恵まれませんでしたし、馬や騎士たちに無理をさせるわけにも行かないでしょう?」
というのもアルストロメリアを出てから急激に気温が下がり、冷たい雨に襲われた。
俺とヌリア母様は馬車の中で雨を凌いだが、騎士たちは冷たい雨を浴びて体が冷え切った。
魔法で何とか体温を維持したが、魔力には限度がある。
そこで、途中の宿場町で急遽、宿泊する運びとなった。
「はっ。お気遣い痛み入ります。アストロンには使いを送りまして、到着が一日伸びると伝えております」
「今日のところはゆっくり休みましょう。あなたも体が冷えて疲れたでしょう? 湯浴みを手配しますから部屋に下がって良いわ」
ヌリア母様の言葉にイリスは「感謝いたします」と遠慮せずに部屋に戻る。
彼女も冷え切って唇が紫色に染まっていたほど。相当の魔力を使ったこともあって疲労の色が濃い。
湯浴みの手配はコロネが行い、俺はヌリア母様と二人きりに。
「さあ、私たちも湯浴みの準備をしましょうか──」
雨に当たっていないとは言え、馬車の中も気温が低かったから体が冷えている。
宿もそれほど暖かくないから温まりたい。
湯浴みという言葉は今の俺には非常に強い言葉になった。
そう、落ち着いてお風呂に入れたら、それで良かったのだが。
ともあれ、そんなこんなで湯浴みで体は温まった。
「便利ね。魔法ってこんな使い方もできるのね」
湯浴みを終えて濡れた体を冷やさないように、温かい風を魔法で作って室内に循環させる。
ヌリア母様だけじゃなく、イリスやコロネの髪の毛も俺が魔法で乾かした。
それが、この言葉。
「サクヤの魔法は凄いわね。私が今まで教わったどの魔法よりも素晴らしいわ」
詠唱魔法では生活に使える魔法が無いわけではない。
光属性魔法で明かりを作ることもできるし、火を起こすことだってできる。
でも、それは詠唱式という形があって行うもので詠唱式が伝わっていない類の魔法は使えない。
俺の魔法は太古の昔、マトリカライア王国があった時代のものや、さらにその前のアステレイシア先史時代の魔法。
この魔法は火属性と風属性魔法を織り交ぜた複合属性魔法。現代魔法にはいくつもの属性を同時に扱う複雑な詠唱式は存在しない。
お師匠様のおかげで魔法の強弱のコツを掴んだこともあり、こういった便利な使い方ができるようになっていた。
「お役に立てて何よりです」
そう返すとヌリア母様が「サクヤは王族なのだから、優しいのは良いけれど──」と何故か説教じみた言葉が帰ってきた。
「時々、サクヤの視線が気になるのよね。だからその優しさはそういうことなのかしら──と勘ぐってしまうの。イリスもコロネもそう思わないかしら? もし、そういう意図がある優しさだったら──ねぇ?」
俺の意識に反して視線が時々ある箇所に吸い込まれてしまうのは自覚しているから居た堪れない。
ヌリア母様はイリスとコロネに同意を求めて、そうだとしたらどうするのかと訊く。
「今のサクヤ殿下になら何もかも許してしまうでしょう」
「私は未婚ですし、ヌリア王妃殿下に使える身ですが、サクヤ殿下がお求めになられてヌリア王妃殿下の許しが得られるのであれば吝かではございません」
イリスとコロネは揃って言う。
これはなんていう………。いや、みなまで言うまい。
「俺はまだ子どもですから」
と、そう返すだけで精一杯だった。
ヌリア母様はからかいがすぎる。
言葉の節々には挑発じみた単語が散見するし、俺を試しているのかもしれないな。
前世の記憶を手繰り寄せて、俺はそう結論づけた。
脱線したこの会話も、食事までだった。
食後は魔法談義である。
ヌリア母様は「私も昔は、魔法が得意だったのよ」と俺に魔法を見せてくれた。
幼い頃から様々な教育を受けて、その中でも魔法が好きだったというヌリア母様。
父上に見初められてからは王室に入っても恥ずかしくない教育を──ということで魔法を学ぶことを禁じられた。
そんなヌリア母様と同じくして、エウフェミアの母親のイングリートも魔法を学ぶことができなかったらしい。
ヌリア母様はイングリートの妹。それでイングリートのほうが若干、魔法が多く使えるらしいけれど、今では見る影すらないとか……。
俺が目の前で魔法を使ったことで火がついたのか、いくつかの魔法を思い出しながら詠唱式を口ずさんで俺に見せている。
「褒めても何も出ないわ。惨めなものね。女は年齢を重ねるごとに劣っていくというのに、魔法でもできればもう少し自分に自信が持てたかもしれないわ」
それから愚痴めいた言葉がヌリア母様の発した。
すべて父上が悪い──と、そこに帰結するような言葉のよう。
居た堪れなくて言葉を返しにくい。
だから俺は「そうですね」と相槌を打つくらいしかできなかった。
何故かイリスとコロネがヌリア母様に共感している。
──娶るなら最後まで責任を持て。
彼女たちからは、そう言いたげに見えた。
要するに、若い女を囲ったからとそれまで囲っていた女性たちを無碍にするなということだろう。
なるほど。女性を大事に扱わないとこういうところで言われてしまうのか。
「ところで、私にもサクヤのように詠唱をしないで魔法を使うことってできるのかしら?」
居た堪れない会話が一段落するとヌリア母様は今度は魔法のことを聞き始めた。
現在のこの世界では魔法と言えば詠唱魔法。王侯貴族として生まれたからには何かしらの詠唱魔法ができなければ平民同然として扱われることがある。
俺はまさに詠唱魔法が使えない無能と知られており、一部からの評価が著しく低い。
しかし、俺には詠唱を伴わない古代の魔法を使うことができる。
そして、それは、それほど難しくはない。
「俺が使う魔法は難しくないので、コツさえ掴めば使えるようになります」
ヌリア母様にそう返してから、光属性魔法で光を発生させる。
詠唱せずに微弱な威力で周囲を軽く照らすだけ。
これだけでも便利なものなのだ。
俺が発した光を見てヌリア母様は興味津々の様子。
「ということは私もできるということね。でしたらサクヤの魔法を私に教えて欲しいわ」
教えるくらいなら──と、ヌリア母様の言葉に応えて魔法を教えることにした。
ヌリア母様は筋が良い。
さすが何れ黒の魔女に至るエウフェミアの叔母とも言うべきか。
もともと魔法に対する素養があり、いくつかの魔法を扱えていたのだそうだ。
フロスガーデン学園に通っていた頃も、成績が良い優等生だという。
父上に娶られるかたちで途中退学してしまったものの数々の魔法を使いこなすエリート候補だったらしい。
ヌリア母様は「お姉様も魔法が得意だったのよ」と俺が魔法を教えてる合間に教えてくれた。
なるほど、エウフェミアの実母だけのことはある。
ヌリア母様は基本四属性と言われる火属性、土属性、風属性、水属性の魔法が詠唱魔法で使える。
それを披露してもらった上で俺はそれぞれの初級魔法を無詠唱で使えるコツを教えた。
この場の女性たち──イリスとコロネにも俺の魔法を教えてみると、やはり、彼女たちの覚えは良く、簡単なものは直ぐに覚える。
「こんなに簡単なことだったの?」
初めて無詠唱魔法に成功したヌリア母様は嬉しそうに表情を緩め、イリスやコロネも「私にもできた! 凄い!」などと声を漏らしていた。
それで、俺はふと思う。
──エウフェミアが使えるから、もしかして……。
闇属性魔法をヌリア母様に教えてみることにした。
フラウェル大陸の現代では光属性魔法と闇属性魔法に関する情報が少ない。
光属性魔法においては一部の騎士や聖女が扱う神聖な魔法として扱われており、王国騎士団に入団した者で魔法が使える者に光属性魔法を扱うための試験を行う。
この外遊の護衛として同行する騎士に光属性魔法を使うものがいるのはそういった理由があった。
しかし、闇属性魔法は更に特殊なもので、悪魔が使う魔法として忌避の対象となっている。
そのため伝承に乏しく情報がほとんどない。
そこで俺はヌリア母様に闇属性魔法の簡単な詠唱式を一つ教えることにした。
「ヌリア母様、このような魔法があるんです。詠唱は──」
ヌリア母様が詠唱を復唱すると魔法は直ぐに発動する。
微弱な重力を発生させる小さな漆黒の球体。
「何なのです──これは……!?」
ヌリア母様は初めて見た魔法に驚いた。
闇属性魔法そのものはそれほど強力なものではない。
でも、使い慣れると使い勝手が良い。
この世界の闇属性魔法は重力に近いものだった。
「これは闇属性魔法です。わかりやすいように光を吸収する球体が出現するものですが、魔法そのものにはそれほどの効果はありません」
ヌリア母様に説明する横でイリスとコロネも詠唱を復唱していたが、彼女たちには発動できず。
闇属性魔法を扱うためのスキルをヌリア母様が有していたのだろうことはこれで明らか。
しかし──。
「や……闇属性って………悪魔の魔法…………」
ヌリア母様は慄いた。
「悪いものではありません。とても使いやすい魔法です」
「で、でも……私……そんな…………」
私が悪魔だとでも言うの?
まるでそう思い込んだかのようにヌリア母様の表情は青褪めた。
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