アマリリスの戦姫②

 ベローネと勝負の午後──。

 昼食を済ませると俺はいつものように地下室で書物を漁る。

 最近のお気に入りはアステレイシア先史魔法書。

 マトリカライア王国時代よりも更に古い魔法を扱った魔導書。

 言語や文字がマトリカライア王国時代のものと異なっていて、マトリカライア王国時代に装丁し直されたものだと読み進めるうちに気がついたという代物。

 この本はお師匠様でも読めないらしく、先史時代の言語を今更覚えるつもりもないお師匠様が地下書庫の奥の片隅にしまい込んでいたもの。

 それを椅子に座って読んでいる隣でベローネは横から盗み読みしていた。


「そんなのよく読めるよね。うちのおじいちゃんの家にもそういう本がいっぱいあるけど、わたしにはさっぱりで」

「え? これと同じ本があるってこと?」

「うん。ここにある本と同じ本が何冊かあったし………」


 ベローネの口から出てきた言葉に俺は驚いた。

 マトリカライア王国時代の書物を持ってる家がある──それも、現在もなお続く家に保管されているのだという。


「あ、この本はわたしも読んだことあるよ。絵が多くてよく読んでたんだよね。言葉はさっぱりだけどさ」


 そう言って手にとったのはエウフェミアが最近よく読んでる本だ。

 魔導書の一つでサルでもわかる生活魔法初級編という題名である。

 文字が少ないのでエウフェミアは理解しやすそうだった──とはいっても、彼女はまだ一度も無詠唱魔法を成功させたことがない。

 お師匠様の教えで詠唱式の改編や改ざんなど術式への介入の仕方を学んでいるところらしく、曰く、術式への理解が深くなければ詠唱を省略するのは難しいということで、先に術式への理解を深める講義を受けているらしい。

 そういった内容と似たような本がベローネの祖父の家には数多く死蔵されているという。


「ここにある本はとても古い本ばかりなんです。それがあるということは古くから続く家なんですね」

「わたしん家じゃなくて、おじいちゃんのところだけどね。おじいちゃんもあまり詳しく聞いていないって言ってたけどとても古くからある土地だって言ってたわ」


 そんな古い本が伝わっている家ならお師匠様が知っているんじゃないのか?

 と、疑問が湧く。あとで聞いてみるか。


「では、ベローネの家は由緒正しい家柄なんだね」

「家柄っていってもおじいちゃん家は男爵家だし、お母さんだってお父様の妾でしかないからね。学園に入れたのだってわたしに剣の才能があったからだし。だからおじいちゃん家は古いけど由緒正しいってわけじゃないんだ」


 ベローネに剣を教えたのはイリス・ラエヴィガータという王国騎士団で第一小隊を率いる軍曹。

 その彼女がベローネの父親に許可を取って学園への入学を勧めたのだとか。

 だったらさぞ肩身が狭い思いで生きてきたのだろうと赤髪の少女を見ていたら──


「でもね、お兄ちゃんたちが良くしてくれたから、ダンジョンに行けたっていうのもあるし……。お父様は厳しかったけど、こうして学園に通わせてもらってるから感謝してるんだ」


──と、ベローネは笑顔を見せた。

 どうやら現状にはとても満足しているようだ。

 アマリリス家は正妻との間に二男一女を設け、二人の妾に男子を一人、女子を一人をそれぞれに産ませている。

 三人の異母兄と二歳年下の異母妹──というのがベローネの兄妹構成。

 で、幼少期からお転婆だったベローネは三人の兄とダンジョンに行ったりとたいそう仲が良く、寄り子で伯爵家の娘のイリスからベローネと三人の兄は武芸を教わっていた。

 そんな背景をベローネは俺に打ち明け。


「──で、お兄ちゃんたちはイリスお姉さまにフラれて今はそれぞれ婚約者ができたけど、家督を継げないお兄ちゃんは、うちで働くんじゃなくて王宮勤めの騎士になりたいって王国の騎士団に入団しちゃってね。最初はイリスお姉さまを追いかけたのかと思ってたらサクヤ殿下の名前をよく聞くようになってさ。それで殿下のことが気になってた」


 そう言葉を繋いだ。

 厳しい父親の下で育った五人の子どもたちは母親を違えど強い結束で結ばれている。

 ベローネの言葉の節々でそう感じられた。

 とはいえ、三人の兄がイリスに求婚してフラれたって、年齢だって離れてるだろうし、いくら武芸を教わったからって結婚相手にならないだろう。

 何かがあったに違いない。


「兄妹の仲が良くて羨ましいよ」


 前世の俺(朔哉)は一人っ子だったし、今の俺(サクヤ)はとても仲が良かったはずのスタンリーやシミオンは、いつからか俺との距離を置いて関わりが薄いし、だけど二人の妹は病的なまでのブラコンでスキあらば付き纏ってくる。

 ベローネの兄弟構成と似通っているのにベローネ兄弟ほどの強い結束なんて全く感じられない。

 心から羨ましいと感じられるほどに、彼女が育った環境の良さが伺えた。


「ふふっ……自慢のお兄ちゃんたちだよ。妹もとっても可愛いの」


 まあ、羨ましい話だよ。本当に。

 俺の二人の妹もそれはとてもとても可愛いんだけどね。

 それにしても、ベローネの祖父の家か……。


「お祖父様のお名前を聞いても良いかな?」

「リコリスだよ。お祖父ちゃんはルッツ・リコリス」

「リコリスか……聞いたことがないな」

「領地持ちだけど小さい男爵領だからね。税の納付をうちで請けてるから王都にまで名前が届いてないんじゃない?」


 確かに。あったとしても目録としてどこかに保管されてるだけか。

 男爵家だったら土地持ちだとしても王都に出てくることはない。

 いや、土地持ちならなおのこと──。


「あ、でもね。お祖父ちゃんの家はこの地図に載ってるよ」


 エウフェミアが良く本を読んでいるその場所に、大陸地図が置いてあった。

 王都の南西の方向にあるアマリリス辺境伯領。その北に隣接するのがリコリス男爵領。

 マトリカライア王国時代の大陸地図のその場所は、


──アストロン


 と、書かれていた。

 しかし、ベローネに話を聞けば既に伝承は途絶えていて詳しいことはわからずにいた。

 だが、ベローネという名は母親のリディア・アマリリスがベローナ・アストロンにあやかってつけたらしい。


「お母さんはこういう本を読めるんだ。わたしにも教えてくれたけどちんぷんかんぷんでさー」


 つまり、ベローネの母親──リディアはここにある本を読める。

 是非、お会いしてみたい。

 とはいえ、俺が個人で遠出するなんてことは当然できない。

 それが許されたとしても俺が十二歳の誕生日を迎えてからでないと許可が下りない。

 それでも


「それは是非、お会いして話をしてみたいね」


 俺は古い言語を知る人間としてリディアと会ってみたいと言葉を吐く。

 王族の俺が男爵家の令嬢で辺境伯の妾に会えるわけがなく、ベローネは困った顔を俺に見せた。


「わたしは良いけど、お母さんもお父様もお断りしそう……」

「そうなんだよなー……」

「わたしだって、学園で同級生でなければ殿下とこうして話すことなんてムリだし」


 それはご尤もなことで……。

 しかもただ話したいわけじゃない。

 リコリス男爵領に訪問した上でリディアと話したいのだ。

 王族を迎える準備なんて不可能なリコリス男爵領でリディアとマトリカライア時代の言語について語り合う。

 それが俺の立場では決して叶うことがないのは自明の理。


「今日、俺が王族として生まれて、これほど呪ったことはないよ……」


 それでも全く手段が無いわけじゃない。

 それは目の前にいるベローネを俺のお手つきにしてしまえば良いのだ。

 王族としての地位を利用して──である。

 けど、そんなことをしたらエウフェミアが怒るだろうな。

 まだ正式に王太子になったわけでなし、そもそも女の子に手出しできるほど俺の身体は成長していない。

 そんな状況で妾がほしいなんて言えるはずがなく……。


「身分の差というのはもどかしいね。お母さんもそれでとても苦労してるしさー」


 俺の横では俺の言葉に返すベローネがため息をついて背もたれに背を預けて伸びをする。


「悩んでも仕方ない……本を読もう。ベローネも読むと良いよ。わかると世界が広がるぞ」


 俺は再び魔導書に没頭しようと開くと、ベローネはこういった。


「殿下もお母さんみたいなこと言って……わたし、読めないんだから仕方ないでしょー」


 ベローネはマトリカライア王国時代の大陸語を覚えるつもりは全くない。

 代わりに絵の多い本を見つけて、その絵を楽しむことにしたらしい。


 アステレイシア先史魔法書に耽っていても、不思議と視線を感じることはない。

 ベローネが魔法に興味を示さないというのもあるからか、手持ち無沙汰の俺の指先にいくつもの属性を持つ魔力を宿して小さな魔法を顕現させていても、彼女は俺を気に留める様子がなく。

 全く気にしていないのかいえば、それも違っていて、彼女は本を開いて読みながら柔らかい眼差しで俺を見ることがあった。

 居心地が良い。

 そう感じ始めていた矢先。


「あら、随分と仲の良いご様子で──」


 エウフェミアの声が地下書庫に反響した。


「あ、ああッ! ごめんなさい。申し訳ございませんッ!! わたしが悪いんです」


 俺の隣に座っていたベローネが椅子から転げ落ちて平伏する。

 まるで平民が貴族に諂うみたいに。


「お直りなさい。私は貴女に謝罪を求めているわけではありません」


 エウフェミアの言葉に素直に従うことができず、ベローネは頭を下げたまま。

 こういうときに頭を上げると逆に不敬とされることがある。

 だからベローネは椅子から転げたときに乱れた衣服を正して平服は解かず。


「サクヤ殿下も王族なのですから、相応に振る舞うべきでしょう。今は良いとしても多少は心掛けてほしいわね」


 ベローネは辺境伯家の娘として学園に通っているものの、彼女が妾の子で辺境伯家の娘として扱われないことが多い。

 エウフェミアはベローネに対して、ベローネが辺境伯家で受ける扱いと同様に振る舞うことを選んだ。

 ベローネもそれを知っているから平伏という態度で接してる。

 真面目で正義感が強いエウフェミアだから、言い訳をしても聞かないだろう。


「それは済まなかった。で、もう終わったのかい?」

「ええ。今日はこれで終わり。それで呼びに来たのよ」

「そうか。それはありがとう。では、上に行くよ」


 俺とエウフェミアが一階に戻り、それから、申し訳無さそうにベローネも一階に上がってきた。

 一階のリビングに戻ると、お師匠様はベローネを見つけると彼女を呼び──


「サクヤ殿下はエウフェミア様と一緒に戻っていてくれ。わたくしはベローネ様を送ってから王都の屋敷に戻るよ」


 そう言ってお師匠様はファストトラベルを開く。

 境界の向こうにはとてもメルヘンチックなお部屋が見えた。


「ああああああああーーーーーーッ! どうして部屋が見えるのーーーー!?」


 ベローネはファストトラベルに飛び込んだ。

 お師匠様はベローネがファストトラベルを越えたことを確認して「では、屋敷で落ち合おう」と境界をまたいだ。

 お師匠様がファストトラベルを閉じたのを見届けたエウフェミアが


「それではわたくしたちも戻りましょう」


 と、ファストトラベルを発動。

 彼女ももうずいぶんと慣れた様子。


「では、お先に」

「はい。どうぞ」


 ファストトラベルを使えない俺はエウフェミアが創り出した境界を跨いで越えた。

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