アマリリスの戦姫③

 お師匠様の屋敷に戻った俺とエウフェミアは言葉を発することなくソファーに腰を下ろしてお師匠様を待つ。

 静まり返る密室で待つことしばらく──。


──長い。


 時間を持て余した俺は五指に異なる属性の魔法を待機させる。

 五属性までは難なく発現できる。

 きっとここに待機する魔法に魔力を流すことでより強大な魔法が発生する。

 けど、それをしたらただでは済まない。

 お師匠様の屋敷どころかこの辺一帯がとんでもないことになるだろう。

 そんなことを考えながら六属性めとなる魔法の発現を試みる。

 体温が急激に上がり額に汗が滲む。

 額からたらりと流れる汗のひとしずく。

 膝にぽたりと垂れ落ちると魔法が霧散した。


──ふぅ……。


 ため息をつく。

 その様子をひとときも目を離さずに見ていたエウフェミア。

 彼女の顔を見ると真剣な眼差しを俺に向けていた。


「その魔法……どのようにされてるのかしら?」


 目が合って、エウフェミアが恐る恐る俺に訊く。


「無詠唱のこと? それとも輻輳魔法のこと?」

「どちらもです」

「先にどちらを知りたい?」

「輻輳魔法というのは同時に魔法を使うことだったわね?」

「そうです」

「それって詠唱する魔法では出来ないのでしょう?」


 エウフェミアはどうやら行き詰まってるのか、俺から何かしらのヒントを得ようとしている──と、そう感じられた。

 俺が頷くと、


「でしたら無詠唱魔法をどのようにされているのか教えてくださる? 可能でしたら……で、良いのですけど」


 おずおずとした態度でエウフェミアは俺に教えを願う。


「わかりました。ですが、先にお伺いしたいのですが──」


 お師匠様がエウフェミアに何を教えてるのかを確認する。

 この世界の魔法は何もないところから何かを発生させることは出来ない。

 俺(朔哉)の知識にある異世界とちょっと違う。いや、彼の記憶の[呪われた永遠のエレジー]での魔法の扱いとかなり異なる。

 俺(サクヤ)が気に入ってよく読んでいるアステレイシア先史魔法書の最初の一節にこのような記述がある。


──何故、我らは大地の上で生きているのか。

  何故、水が湧くのか。

  何故、風は吹くのか。

  何故、火は燃えるのか。

  昼は明るく、夜は暗い。

  この世界は探求に満ちている──


 魔法に対する考えはマトリカライア王国時代にも引き継がれていた。

 現在の大陸では途絶えてしまったけれど、魔法による世界の探求はこの魔法書を読む者に大きな影響を与えることだろう。

 魔法書には、その場に存在しないものは創り出すことができないと書かれている。

 では、詠唱魔法では何故、詠唱するだけで何でも出来てしまうのか。

 詠唱式が触媒を自動的に収集するからだとお師匠様は言う。

 詠唱を省略するには詠唱式と魔法が自然現象に干渉するメカニズムを理解する必要がある。

 エウフェミアは術式と魔法の関わりまでは理解できているはずだと主張する。

 しかし、そこから先が分からないと俺に嘆く。

 この世界の魔法は思っていたよりも科学してる。

 この世界だから──と、言うよりも、まだ十歳だからそんなことわかるはずがない。

 俺(サクヤ)だって俺(朔哉)の記憶がなければ全く分からなかった。

 無詠唱魔法とは魔力と魔素を使った世界への探求。それが自然への干渉となって魔法と呼ばれる現象に発展する。

 詠唱魔法が使えない俺はお手軽に魔法を発動できないから、そういった考えにならなかったというのもあるけれど、俺(朔哉)の言葉を借りるならば『現在の魔法は家電製品』なのだと言える。

 だから、俺はアステレイシア先史魔法書に倣って──


「ボクが読むこの本にはこう書かれています──」


 魔法書の冒頭を言葉にした。


◇◇◇


 ファストトラベルでベローネの部屋に移動したベローネと白の魔女ブラン・ジャスマイン。

 ブランがファストトラベルの境界を閉じると、ベローネは頭を下げる。


「本日はありがとうございました。残念ながらブラン様の師事に与れませんでしたが、とても勉強になりました。これを糧に今後の研鑽に励みたいと思います」


 魔力を開放したサクヤに全く刃が立たなかったベローネは、ブランとの約束通りブランに弟子入りすることを諦めた。

 それでも、自身のよりも強いサクヤ・ピオニアという存在が、ベローネの新しい目標となる。


「──ところで明日だけど……」

「明日? 何かあるんですか? わたし、サクヤ殿下に負けちゃいましたからブラン様に教わることはないのかと」

「いいや、サクヤ殿下とともに武芸に励んでもらいたくてね。キミは既に自身の型を持っているからわたくしの教えは必要ない。だけど、励む相手は必要だろう?」

「それでは……」

「わたくしは口を出さないが、ベローネ様にはサクヤ殿下の修行に付き合ってもらいたいと考えているんだ」

「それって、ブラン様の弟子のためにわたしが利用されるってことですよね?」

「そうとも言うね。でも、キミにとっても悪いことじゃないと思うんだ。強くなりたいと思っているのならね」

「それは確かにそうですけど……」

「なら、良いだろう?」


 ベローネは当て馬にされるのだと心の中で狼狽する。

 しかし、それでも、週末のたびにサクヤと剣を交えられるのは吝かではないと考えた。

 わたしはどうしたいんだろう。

 ベローネは思い悩む。

 当て馬にされて利用されたくないし、でも、強くなりたい。

 そうしてぐるぐると巡らせていたらブランが口を開く。


「それに、上級ダンジョンでのレベリングにも付き合うよ。きっとキミはそれであっという間にサクヤ殿下を超える強さを身につけられる。それからのことは考えてやっても良い。無論、そうなったときは、わたくしの剣技ではベローネ様に敵わなくなってるだろうけれどね」


 ブランは武芸を得意としていない。だから当然、レベルの差が縮まればベローネの武芸が上回ると予測がつく。

 それはサクヤにも同じで、サクヤが惜しげもなく魔法を連発するのならばベローネは手も足も出ずに負けるだろう。

 だけど、そのことはあえて言葉にしなかった。


「わたし、そこまで強くなれるんでしょうか?」

「ああ、なれるよ。ベローネ様ならね」


 ベローネは地下書庫でのサクヤの横顔を思い出す。

 同じ年の男の子が隣で真剣に本を読んでいる。

 手の上で幾つもの魔法を転がしながら──それはまるで自分の母親のようで、懐かしくもあった。

 幼い頃に、ベローネは母親の傍らで好き勝手に絵本を読んで好き勝手に遊んだ。

 サクヤにはその頃と同じで、それを許してくれそうな空気があり、ベローネはそれを好ましく感じている。

 ブランの弟子になりたい──という気持ちはさることながら、それと同じくらい、サクヤと一緒に過ごしてみたいという欲を今のベローネは胸の内に秘めていた。

 いくら辺境伯家の娘とは言え、母親が男爵家で、しかも、最近は塞ぎがちで実家のリコリス領で過ごす時間が増えていることからベローネへの風当たりが強い。

 それを公爵家のご令嬢でサクヤの婚約者であるエウフェミアの態度でさらに痛感した。

 だが、ここでブランがサクヤとの時間を取り持ってくれるのならば、エウフェミアの介入はそれほど気にならないのではないかと考えた。


「わかりました。ブラン様の言葉に従って、サクヤ殿下と修行させていただきたいです」


 ベローネは答える。

 ならば、わたしはサクヤ殿下と一緒に強くなれば良いんだ──と。


「ありがとう。それで、明日、ベローネ様が修行されたというダンジョンに連れて行ってほしいんだ」

「え? 明日ですか? 何も準備してないですよ?」


 ベローネから応諾を得たブランの次のプランである。

 ブランはエウフェミアのレベリングをまだ重ねたいと考えていた。

 そこにちょうど良いレベルのベローネが現れて、どこでレベルを上げていたのかを確認したがった。


「準備はわたくしのほうでするよ。帰りの心配だって要らない。今日だってこうしてすぐに帰って来られただろう?」


 ブランはそう言ってファストトラベルを開く。

 繋いだ先はピオニア王国のはるか北にある魔女の森の先のブランの家。

 ベローネを説得するために出しただけだったので境界を渡らずにファストトラベルをキャンセル。


「それでしたら確かに一日で帰って来られるけど……」


 もう断る理由はない。

 それにブランとふたりでダンジョンに行く──強い者に憧れる傾向があるベローネにとっては魅力の高い提案だった。


「でも、そういうことならわかりました。明日、ブラン様に付き合います」


 ベローネは王都ラクティフローラの南方にある上級ダンジョン──乱れ咲く花の楽園に行くことを了承。


「ん。では、明日の朝、ここに直接迎えに来るよ」


 ブランはそう言って再びファストトラベルを使い、今度は境界を跨いで王都の屋敷に移動した。


◇◇◇


 お師匠様の屋敷のリビングでエウフェミアとソファーに知りを並べて魔法談義をして数十分。

 突然、ファストトラベルの境界が現れた。

 このファストトラベルというのはなぜか魔力が全く感じられない。

 だから気配を察することができないのだ。


「待たせたね」


 境界を跨いでリビングに現れたお師匠様。

 ラスボスの魔女とは思えない麗しく美しい声色がリビングに広がった。


「ずいぶんと長かったですね」


 俺が訊くとお師匠様はニヤリと笑む。

 大人の女性の微笑は色香に満ちていた。


「少しベローネ様とお話をしてたんだ」


 お師匠様はそう言って俺の隣に腰を下ろす。

 暑い夏にお師匠様のひんやりした素肌が気持ち良い。


「明日は休みにしようと思う。それからエウフェミア様は来週、わたくしとダンジョンに行ってパワーレベリングを予定したい。アウグスト様に許可をもらおうと思うけど、エウフェミア様は良いかな?」


 俺の隣に座ったお師匠様が俺を飛び越してエウフェミアに言う。

 ダンジョンか──どこのダンジョンだろう。


「場所は王都の南に半日ほど先の迷宮。四百年ほど前に出来た割と有名な場所らしい」


 俺はお師匠様の言葉でピンと来た。

 場所はきっと、乱れ咲く花の楽園という名の上級ダンジョン。

 サクヤルートに突入するストーリーでサクヤがヒロインのパーティーに加わるイベントが発生する。

 とは言ってもピオニア王立フロスガーデン学園高等部の三年生に進級してからのことだ。

 その頃にはサクヤ以外の攻略対象は全て攻略済みで、どのエンディングに進むか選べる状況だったはず。

 そう。そこでサクヤを攻略対象として進めることでヒロインの逆ハーレムエンドが待っている。

 ともあれ、それはまだまだ先のことだし、今回、呼ばれたのはエウフェミア。

 俺は関係ない。でも、乱れ咲く花の楽園を選ぶというのはなかなか良いセンスだ。

 魔法攻撃が効果的なそのダンジョン。エウフェミアのパワーレベリングにはもってこいの場所と言える。

 それに何らかの事故があったとしても、このダンジョンは冒険者が多く助けの手が必ずあるはず。

 良い選択だと感心していたら、エウフェミアは満更でもない様子でお師匠様に了承の言葉を返す。


「わかりました。私はブラン様に従いますので、お父様の許可をいただけましたらダンジョンに参りましょう」

「ん。では、早速許可をもらうことにしよう。エウフェミア様、家まで送るよ」


 二人はソファーを立って「サクヤ殿下。エウフェミア様を送るから、待っていてくれ」とお師匠様が言葉を残してすぐにリビングから出ていった。

 一人取り残された俺は指先に魔法を発動させて時間をやり過ごす。

 三十分は戻らないからね。


──乱れ咲く花の楽園


 それにしても……と、俺(朔哉)の記憶を掘り起こす。

 真っ白なジャスミンと薄紫色のラベンダーが咲き乱れる一室でサクヤはヒロインと何度目かの邂逅を果たす。

 物憂げで儚い空気を纏ったサクヤのカットシーンが印象的だった。

 ヒロインが彼への庇護欲を駆り立てる描写があったけど、何だか裏がありそうな気がしないでもない。

 まあ、そこで彼女と出会ったことで俺(サクヤ)は逆ハーレムエンドに向かって邁進するわけだ。

 俺(サクヤ)には俺(朔哉)の記憶があり、当然、俺(朔哉)の記憶があることで得た価値観がある。

 一人の女性を何人もの男で囲って組んず解れつなんて想像するに耐え難い。

 それにサクヤルートのトゥルーエンドは俺にとって悲惨なもので、お師匠様もエウフェミアも俺の手によって命を絶たれることになる。

 そんなことは絶対にしたくないし、そうなる状況は是が非でも避けたい。

 だから俺は声を大にしてこう言える。


 乙女ゲームの攻略対象イケメンキャラに転生したけど逆ハーレムエンドは絶対に嫌なんです──と。

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