ラクティフローラ地下水道③
エウフェミアを送り届けたお師匠様が戻ってくるや──
「サクヤ殿下はエウフェミア様にあまり快く思われていないようだね」
──と、言い出した。
あの、俺、本を読んでるんですけど……なんて言ったって聞きやしない。
お師匠様はこう見えて意外と世話焼きのおばさんなのだ。
「ボク、王国では詠唱魔法を使えない無能ですから仕方ありません」
「それな……どうにかならないかと考えたけれど世界に根付いた常識を覆すのは難しい。助けになれなくて申し訳なく思うよ」
お師匠様は俺の傍に椅子を持ってきて腰を下ろして座ると申し訳無さそうな顔をする。
「けど、社会がキミを拒むのならわたくしがキミの従者としての責務を全うすると誓うよ」
お師匠様は俺を殿下と呼ぶけれどたまにこうしてキミ呼ばわりする。
心理的に距離が近く感じられてサクヤ殿下と呼ばれるときよりも愛情が感じられた。
「お気遣いありがとうございます。でも、お師匠様の貴重なお時間をいただくことになってもよろしいのです?」
「くっくっく。サクヤ殿下は小さい頃に結婚するって言ってくれたじゃないか。あれはあれでわたくしも嬉しく感じたんだから、そのお返しとでもさせてくれ」
そう言って俺の黒歴史を掘り起こしながら優しい笑顔を向けてくれるお師匠様。
俺は過去の発言を思い返して恥ずかしくなるけれど、今も変わらず俺はお師匠様のことが大好きだ。
「そんなに昔のことを掘り起こさないでくださいよー。でも、ありがとうございます。これでお師匠様にも見放されたらボクは一人ぼっちになりそうですから」
「そうかな。わたくしはキミがもし王族から追放されたとしても慕ってついてくるものはいるから気に病むことはないよ」
「本当にそうですかね?」
「ああ、それはわたくしが保証するよ」
「じゃあ、ボクが大人になったら本当に結婚してくれます?」
「くっくっく。それとこれとは話は別だよ。それにサクヤ殿下にはエウフェミア様がいるだろう?」
「ボクがぼっちになるときはエウフェミア様からも見放されてますから、そのときは婚約破棄されてるでしょうし問題ないと思いますよ」
「なら、そのときが来たら考えてあげるよ」
お師匠様はそう言って何故か口元に笑みを見せた。
「それにしてもまだ言うのか……」
お師匠様の小さな声が俺の耳に届いていた。
「そう言えば殿下がわたくしに初めて結婚をせがんだ頃だったな。サクヤ殿下が一人でダンジョンに行ったのは」
「ああ、アムリタの輝水を取りに行ったときのですか」
「それだけど、あれがアムリタの輝水だと知ってて行ったのか?」
お師匠様が俺の黒歴史から連想して思い出したのか、俺がラクティフローラ地下水道に単独で潜ったことを言葉にしたせいで、俺はつい、アムリタの輝水の名を出してしまった。
母上が倒れて意識を失ったとき、お師匠様が居なくなりそうだったし、お師匠様を追いかけるつもりだったけど母上が治ればお師匠様は居なくならないと思い至り、アムリタの輝水を手に入れれば良いのだと考えてレベル不相応を承知でラクティフローラ地下水道に潜り込んだ。
お師匠様はこのことを言ったのだろう。
「ぐ、偶然ですよ」
「そうか……そういうことにしておくよ」
以前も口を割らなかったからか、お師匠様の追求は極めて緩やかだった。
「そこは魔物のレベルは高いのだろうか?」
「今のボクだと階位素子が吸収されない程度です」
「では、そこにエウフェミア様を連れていけないだろうか? 彼女が権能を使いこなすには少しばかりレベルが足りない。そこでパワーレベリングを行いたいんだが男子のサクヤ殿下と違って一日で行って帰ることができる場所じゃないと難しい。それに、この森の先の悪魔や魔獣たちを相手にしても良いんだが万が一のことが起きたら死んでしまうからな」
なるほど。
ここから廃都へ続く森林地帯に出現する悪魔や魔獣はレベルが高い。
パワーレベリングしていないエウフェミアのレベルは間違いなく1。きっと悪魔が一声発するだけで致死的なダメージを食らう。
それではパワーレベリングにならないのでもう少し手頃なダンジョンを──ということだろう。
そうだったら中級ダンジョンのラクティフローラ地下水道でのパワーレベリングを行うというのは一理ある。
「わかりました。エウフェミア様の了承が得られましたら、そのダンジョンに案内します」
「ん。助かるよ。では、明日、エウフェミア様とアウグスト様の了承を得られたら次の週末に潜ることにしよう」
「はい。ですが、あのダンジョンはとても広いので一日で一階層しか探索できませんよ」
「ああ、それで構わない。レベル20くらいまで上がれば良いからね」
「そういうことなら大丈夫でしょう」
エウフェミアのレベリングか──。
しばらくダンジョンに潜っていなかったから本当に久しぶりのダンジョン探索。
それはそれで楽しみかもしれない。
それから──。
エウフェミアの了承を得て、その週のうちにお師匠様はアウグストに許可をもらい、エウフェミアのパワーレベリングが決まった。
俺とお師匠様とエウフェミアの三人で。
先週と同じく、俺はお師匠様に起こされてからお師匠様の邸宅に移動して、婚約者を待った。
頃合いを見計らってお師匠様は門庭まで出る。馬車で来るエウフェミアを出迎えるために。
「おはようございます。サクヤ殿下」
リビングに入ってきたエウフェミアがローブ姿でカーテシーを見せてきた。
白と淡い紫色が基調の配色で膝丈ほどの長いローブに身を包んでいた。
中はパンツスタイル──のはずがショートパンツである。
生足が出ていた。
腰にショートステッキを携帯しているのも見える。
さながら魔道士見習いと言ったところか。
「おはようございます。エウフェミア様。今日はローブ姿なんですね。初めて見ますがとても良くお似合いです」
「ありがとうございます。お父様が用意してくださったんです。本日はどうぞよろしくおねがいたします」
エウフェミアはローブをつまんで頭を下げた。
「殿下は足元と腰にお持ちの剣がとてもご立派で……」
足に履いてるのは以前、ラクティフローラ地下水道でゲットしたミスリルのすね当てと靴──ゲームではライト・ミスリル・サバトンと呼ばれていてミスリル装備でも軽鎧シリーズに該当するものだ。
入手した当時はちょうどよかったけど今もちょうど良い。
ダンジョンで入手した装備品はサイズが自動調整されるようだ。
腰の後ろに付けているのはミスリルショートソード。これもラクティフローラ地下水道で手に入れたものだ。
お師匠様の邸宅に来るまでの間で俺の装備品がミスリル製であることを悟られてはマズいのでできる限りコートで隠してきたつもりだった。
「お褒めいただき、ありがとうございます」
あまり多くを話したくないのでエウフェミアが言い切る前に褒めてもらった礼を返す。
先週からエウフェミアも一緒にお師匠様から教えをいただいてるけれど、どう見ても俺は詠唱魔法を使えない無能者ということを気にしている様子で、俺はエウフェミアと親しくならないと心に誓ったばかり。
だから返答も何もかも、余所余所しさを感じさせる対応をとってしまう。
その後、言葉を繋げられず口を噤んでいたらお師匠様から今日の説明が始まった。
「今日は事前に説明していたとおり、エウフェミア様のパワーレベリングを行う」
お師匠様も今日は冒険向けの出で立ちでお尻と太ももの曲線美が光るパンツスタイル。
俺(朔哉)にとって好ましい装いだ。
前世に引っ張られる俺(サクヤ)にとってもお師匠様はかっこよくて魅力的。
早く大人になりたい──というのはやはり色んな意味でお師匠様に近付きたいという想いがあるからだ。
お師匠様は説明を続け──。
「場所は王都から非常に近いらしいがサクヤ殿下しか知らないので殿下の案内で迷宮に入る。エウフェミア様のレベルは1。サクヤ殿下が言うには適正レベルは32ということだが、わたくしとサクヤ殿下が居れば問題ないだろう。魔物はわたくしとサクヤ殿下で瀕死にするからトドメはエウフェミア様がさしてくれ」
簡単な説明だけで、それを聞いたエウフェミアは「はい」と頷く。
「では、サクヤ殿下、よろしく頼む」
お師匠様の言葉に俺も「はい」と頷いた。
お師匠様の屋敷から歩いて十数分。
リリウム教キャンディダム教院の教会前に到着。
「この裏手の古井戸が入り口になります」
敷地内ではなく、教会を囲った塀の裏。
教会は外壁沿いに位置していて、塀と外壁の間の狭い隙間を通り抜ける。
ゲームでは隠し通路のこの場所。序盤からも入れるけれど一桁台では一撃で即死する。
「こんなところにダンジョンがあったのか……」
お師匠様が小さく言葉を発する。
千年を生きる魔女だというからきっとこの当たりの地理をある程度把握してるはず。
それでも気が付かないのだから彼女にとって盲点だったということか。
「私も教会には何度か足を運んでいるというのにこんなところに道があるなんて知らなかったわ」
エウフェミアも同じで貴族の子女だからアウグストやイングリートと一緒に何度も足を運んでるのだろう。
ちなみに俺は教会付近に来たのはあのときが初めて。
王城には聖堂があるし、必要な時に司祭が来る。だから教会に行く必要がなかった。
「とにかく、時間が限られてますし行きましょう」
ゲームと違って隠し通路に入ったからと言ってすぐに古井戸に出るわけではない。
広い教会の敷地なので五十メートル以上の狭い細道を通過。
通り抜けた先には少しだけ広い草むらに隠れてひっそりと入り口を覗かせる古井戸。
「ここが入り口です。ボクは入ったことがあるので、このまま入ります」
一番小さい俺が率先して古井戸に入る。
壁を手足で押して井戸の底に下りる俺。
迷宮への入り口──扉を開いて上を見上げたらエウフェミアがお師匠様に抱かれて飛翔しながらゆっくりと下りてきた。
「まったくキミは。下から女性を見上げてはいけないよ」
珍しくお師匠様に怒られる。
「今日はスカートじゃないし大丈夫かなって思ったんです」
「それでもだ」
井戸の底の地面に降り立ったお師匠様がエウフェミアを下ろしたら、俺の頭をワシャワシャと撫でた。
「で、これがダンジョンの入り口か……」
「はい。そうです」
井戸の底にある普通の扉。
鍵はかかっておらず誰にでも開けられる。
「では、行こう」
お師匠様の言葉を合図に俺は扉を開いてダンジョンに入った。
お師匠様とエウフェミアも俺に続いて扉を跨ぐ。
お師匠様は平然としているけど、エウフェミアは鼻を塞いだ。
ここも臭いのだ。
それでも、ガーデンバーネットよりはずっとマシ。
「ここがラクティフローラ地下水道というところです。一階層はスライム系が多く魔核の色の反属性魔法でトドメを簡単にさせます」
母上のためにアムリタの輝水を取りに来た時、俺はこの一階層でレベルを上げた。
そうでなければ十階層まで行けないと思っていたから。
「スライム系は物理攻撃が聞かないし、触れると腐ったり衣服が溶けたりする。エウフェミア様に危害がいかないようにするけれど気をつけておいてくれ」
「はい。わかりました」
お師匠様とエウフェミアの間で言葉を交わしていた。
今日のレベル上げはここ、ラクティフローラ地下水道の一階層で行う。
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