悪役令嬢⑩

 突然、外で爆発音がして家が揺れた。

 家の中で行儀作法をブランから習っていたエウフェミアは心臓が跳ねた。


「何の音?」

「何があったッ!!」


 エウフェミアもブランも爆発音の方向に顔を向けるが家の中からでは様子を伺うことができず。


「様子を見てくる。サクヤ殿下が心配だ」

「私も行きます」


 外から聞こえた轟音にブランは即座に席を立ち、外へと急いだ。

 北向きの玄関から外に出て、音が聞こえた方向だと思われる西側が見える位置に移動。

 そこにはサクヤが作った更地で敷物を敷いて仰向けに寝そべり、魔導書を読みながら魔法を発動させていたサクヤの姿が見えた。


「サクヤ殿下ッ!」


 ブランは何事もなかった様子に安堵したが、それでも、異常な轟音でサクヤが心配で思わず彼の名を叫んだ。


◇◇◇


「お師匠様。どうしたんです?」


 俺に駆け寄ってきたお師匠様の表情が尋常じゃない。

 いったい何事かと俺は思った。


「無事だったか……良かった」


 お師匠様は俺の傍らまで来て敷物の上に尻をつく。

 お師匠様の女の子座りなんて初めて見た。

 お師匠様の向こうにはエウフェミアの姿もある。

 彼女は冷めた眼差して『王子のくせに、そんなだらしなく寝そべって本を読むなんて』とでも言いたそうな顔をしてた。

 お師匠様はまだ心配そうな顔をしてるというのに。


「先程、凄まじい音がしたけど、サクヤ殿下は大丈夫なのか? それとも、サクヤ殿下が何かをしたのか?」

「あ、はい。このアステレイシア先史魔法書を参考に魔法の練習をしてたんです」


 どうやら、俺が魔法で作成した花火のようなものの音に驚いて家から飛び出してきたらしい。

 そう言えば魔法では花火が打ちあがるときにする音みたいなのはしない。

 この魔法では土属性魔法で火薬に似せた性質を持つように魔素を形成して炸裂する。火属性魔法で点火して土属性魔法で作った火薬のようなものに着火させて炎色反応を起こしながら爆発するということを再現したもの。

 前世の知識をちょっとだけ織り交ぜたものだった。

 参考にした魔法書をお師匠様に見せると──


「これは先史時代の魔法書か……良く読めるね。わたくしも何とか読めるけれど……」


 お師匠様は鑑定スキルを使いながら魔法書に目を通す。


「そうか。爆裂系の魔法ならわたくしも使うけれど、これはそれを応用して威力よりも炸裂音を大きくするための魔法なのか……」

「そうです。音を響かせる──おそらく、周囲に何かを知らせるための魔法だと思うんですが、その魔法に少し手を加えて炎色反応という物質が燃えるときの性質を土属性魔法で擬似的に再現したものを試してたんです」


 俺はたいしたものじゃないと思い込み、魔力を練りはじめてお師匠様に花火を見せようと「そんなに難しいものじゃないんで、もう一度やりますね」と再び魔法を発動。

 この魔法で作る花火の残念なところは曲導を付けられないので笛や銀笛の音や演出がないことだろう。

 俺のイメージではヒュンっと花火が打ち上がるんだけど、実際は無音。


「そろそろですので上を見てください」


 お師匠様とエウフェミアに花火が上がったことを知らせる。

 ほどよい大きさ──先程の三尺玉程度の大きさの花火を擬似的に形成した魔法が炸裂した。


──ドーーーーーーンッ!


 外は快晴だから、光るのはほんの少しだけ。

 夜ならもっと鮮明に輝くことだろう。

 子どもで王子の俺じゃあ夜の外を出歩くのは無理な話。

 だから今はこれで我慢する。


「おおっ!」

「──ッ!!」


 お師匠様は魔法に感動し、エウフェミアは耳を塞いで目をギュッとキツく閉じた。

 花火の音って子どもの身体にはかなり響くんだよな。

 俺(朔哉)が小さい頃、花火を見るのは好きだったけど、花火の音で心臓がビックリして鼓動が止まっっちゃうんじゃないかと不安になった覚えがある。


「綺麗だ……」


 空に広がった花火が散り森は元の静寂に戻ると、その余韻でお師匠様が呟く。


「そうか……魔法にはこういう使い方もあったのか」


 お師匠様にとって魔法は生活の役に立つ魔法と人を癒やしたり傷つけたりするものが中心。

 娯楽のための魔法なんて存在しなかった。

 これは現代のピオニア王国だけでなく、お師匠様が生まれた時代でもそうだったのだろう。

 俺が読んでいるアステレイシア先史魔法書は更に数千年も前の魔導書。

 防護処理が施されていて劣化することなく読めるレベルを保てているが記述されている文字はマトリカライア王国のものと似ているが異なるもの。

 お師匠様も先史時代の言語を読めるらしいけど、娯楽のために魔法を使うということを理解できなかったらしい。


「見て楽しむためだけのものですが、夜ならもっと映えると思います」

「数多の色に輝くのなら、さぞ綺麗だろうね」

「はい。これを魔道具にできれば、その魔法書には号砲という魔道具があると書かれているのでそれを応用すればできそうだとは思ったんですがボクでは難しくて──」

「そういうことなら空いた時間にいくつか試作してみるよ。サクヤ殿下がその魔法を詳しく教えてくれるのならね」

「もちろんです」


 お師匠様には気に入ってもらえたようだ。

 良い魔法だと思いながら自画自賛。

 その傍らではエウフェミアが胸に手を当てて息を落ち着かせようとしていた。


◇◇◇


 昼下がりの午後──。

 エウフェミアはブランと一緒にピオニア王国に戻っていた。

 王都ラクティフローラにあるブランの屋敷にエウフェミアの迎えがちょうど来たところ。

 エウフェミアはデルフィニー家の送迎があるため、時間の融通が利かない。


「おかえりなさい。ユフィ。初日の教えはいかがでしたか?」


 エウフェミアがデルフィニー家に帰ると母親のイングリートが訊いた。


「とても素晴らしい体験でした。おそらく他国の王族の前でも恥じない作法が身につくと思えるほどです」

「それは良かったわ。ヌリアからブラン様はとても品が良く作法は王族以上のものがあるから是非にと進められたけれど、ブラン様の申し出を受けてよかったみたいね」

「はい。ブラン様からしか教われない魔法もたくさんございましたから──」


 エウフェミアはブランから教わった作法や魔法だけでなく、婚約者となった無能者に対しても考えを改めるきっかけにもなっている。


「サクヤ殿下とはいかがでした?」


 イングリートの問いに


「人伝に訊いたサクヤ殿下とは違ったものでした。長い間、ブラン様から学ばれて研鑽を積んでいたようで、大変素晴らしい男性だと思えました」


 と、胸に手を当ててエウフェミアは答えた。

 あのとき、心臓が跳ねて鼓動が早まった瞬間からエウフェミアはサクヤから目が離せずにいたし、あの素っ頓狂な表情が頭から離れない。

 あんな無能者なんかに──と、思っても理屈ではないのだとエウフェミアは思った。

 認めるべきところは認めなければならない。

 サクヤの知見の広さ、深さに感銘はしている。しかし、魔法が使えない無能者という事実は変わりない。

 幼い頃に城内を連れて回ってくれたサクヤの今も変わりない性格をエウフェミアは好意的に捉えていた。


「ところでお父様はいらっしゃらないのです?」

「アウグスト様はペラルゴニー家からのお客様が来てらして歓談中よ」


 そう言って一呼吸して、イングリートは続ける。


「私はこれからヌリアに会いに行くけれど、せっかくだからユフィもいらっしゃい」


 家に帰って間もないエウフェミアだが、早々に登城することになった。


 ヌリアの私室──。

 エウフェミアはイングリートと彼女の従者とともに訪問した。


「お姉様、いらっしゃい。ユフィも今日はおいかがでしたか?」


 ヌリアが笑顔で出迎える。

 部屋にはヌリアとエウフェミアの一歳年下でヌリアにとっては長男のスタンリー・ピオニアもいた。

 ピオニア王国の第二王子で魔法を使うことに没頭する男児。

 今日は初級ダンジョンのガーデンバーネットに行って帰ってきたばかり。ゴブリンの臭いを取るために綺麗に洗浄されたあとだというのは見るからにわかる。


「ヌリアは今日も元気そうね。ネレアはまた?」

「ええ、ユフィが来るって知ったら自室に戻って行ってしまったわ」

「そう。いつものことながらだけど、それは残念ね」


 ネレアはエウフェミアを嫌っていた。

 同じ理由でネレアはスタンリーとも距離を置いている。

 ネレアはサクヤに対しては極度のブラコンを発揮。そのため、ヌリアの私室でサクヤを無能者と罵るスタンリーを嫌い、スタンリーに同調するエウフェミアを敵と見做していた。

 だというのに、サクヤとエウフェミアが婚約を結び、将来、結婚するということにひどく憤慨している。


『いつか絶対にその婚約をぶち壊してやるッ!』


 ネレアは心の中で息巻いて周囲に味方を形成しつつある。

 エウフェミアは血縁者のネレアと親しくなりたいとずっと努めていたのに、ネレアはエウフェミアに心を一向に開かない。

 特にここ数年は口を利いてもらえないほど。

 当初は悔しくて泣いたエウフェミアだったが現在は悔しさはあっても、仲良くしたいという気持ちが強くても、これ以上嫌われないように彼女の思うままに接することにしていた。


「ユフィお姉ちゃん。今日も五階層まで行けたよ」


 スタンリーが嬉しそうにエウフェミアに話しかける。


「それはおめでとう。スタンリーは頑張ってるのね」

「それはそうさ。オレ、どこかの無能者と違って魔法で何でもできるからさ」


 スタンリーはサクヤの前では良い弟として振る舞っているが心の底ではサクヤを嫌っていた。

 何も出来ない無能者──と、そう思っているからだ。

 スタンリーはソフロニオ・ペラルゴニーと異母弟のシミオン・スタンリーと共にガーデンバーネットでパワーレベリングを繰り返していた。


「スタンリーは魔法が得意だものね。踏破はできたのかしら?」

「今日は最後まで挑まなかったんだけど、次には行けそうかな。シミオンのおかげで攻略が進んでるしね」


 シミオンは光属性魔法を使い薄暗いダンジョンでも明かりを灯すことができる。

 それに加え付近のドロップアイテムがわかったり、魔物の所在を知るスキルを有していた。


「順調で何よりね」

「で、そっちはどうだったの? サクヤはなんにもならないゴミだろ? 先生が凄いだけでさ」

「そうね。確かに詠唱魔法は使えないみたいだったわ。でも、学園の学力測定では私よりも遥かに高い得点を出せるだけのことはあったわ」

「勉強が出来たって魔法が使えなきゃただの無能者だろ? ユフィお姉ちゃんだって、サクヤが魔法を使えない無能者と婚約をするのがイヤだって言ってたじゃないか」

「それはそうなんだけど……」


 エウフェミアはこうしたやり取りを普段からしていて、サクヤのことはスタンリーの言葉の通りの無能者だと思っていた。

 しかし、父親のアウグストから学力測定の結果で学年二位のエウフェミアと大差をつけてトップスコアを叩き出したのがサクヤだと聞いている。

 そして今日、サクヤがブランから学んでいる高等な学術や作法、古い魔導書を読めるほどの語学力にエウフェミアはサクヤをただの無能者だと思えなくなっていた。

 とはいえ、エウフェミアにとっても魔法を使えないサクヤは無能者だという考えは変わってない。

 今日、ブランの家で見たサクヤの魔法は、魔法であって魔法ではない魔法のようなものだと捉えている。

 それにブランの家の更地で見たサクヤの魔法で打ち上げた花火。

 あの美しさに魔法の新たな用途を生み出そうとしたサクヤにエウフェミアは心を動かされた。

 この日、サクヤと過ごした時間を振り返ると、初めて王城をエスコートされた日から変わらない。

 一緒にいるだけで特別な素晴らしい体験を与えてくれる人柄はそのまま。

 エウフェミアの気持ちは揺らいでいる。

 それを察したスタンリーは無能者のサクヤがまた何かやらかしたと思いエウフェミアに言う。


「どうせ、この国は無能者が追放されてシミオンが王になるだろうさ。ロニー様だってサクヤは王どころか王子ですら不相応だって言ってるし。そうなったらユフィお姉ちゃんだって婚約を破棄できるよ」


 スタンリーは一国の王子として生まれたことで絶対的な自信を持っている。

 だから自分の意見は常に正しいと考えた。

 それにスタンリーにとってエウフェミアは初恋の相手。

 スタンリーが王位継承権第一位になったことでデルフィニー家にサクヤが婿入りすることが予定された。

 王位継承権を放棄すればエウフェミアと婚約できるはずだ。

 そう考えたスタンリーは自身が魔法が好きで好きで仕方ないと思われていることを利用して、魔法の研究に没頭したいから王位継承順位をサクヤと入れ替えてほしいと父親のナサニエルと母親のヌリアに申し出た。

 それが実現したのは数カ月後。

 だと言うのに、サクヤとエウフェミアの婚約は正式に結ばれてしまったのだ。

 スタンリーはサクヤを恨んだ。


『その結婚、絶対にぶち壊してやるッ!!』


 しかし、まだ幼いスタンリーに婚約を阻止する手立ては持っていなかった。


「私はブラン様のもとで学べて今のところまだ不満はないの。もう少し様子を見させてほしいところね」


 ここでサクヤを擁護したらスタンリーは激昂しそうだと判断したエウフェミアは言葉を少し選んで考える時間を作ることにする。

 サクヤとブランという目新しい体験を与えてくれて自身の才覚を引き出してくれる二人と過ごしたエウフェミアは、スタンリーの言動に対して知性の欠片もないと落胆した。

 今日一日を彼らと過ごして知ってしまった魔道を嗜むものであれば引き込まれるだろう好奇心を擽る探求の世界。

 魔道士であるならば知的欲求はああいった形で満たしていくべきだとエウフェミアが気がついた。

 そんな知的な世界でもサクヤはブランと肩を並べる意見交換を見せている。

 エウフェミアにとってサクヤは初恋の相手。再びその思いに火が灯るのは必然。

 もう少し、彼を傍で見てみたい。私も彼のように魔法を自在に操りたい。

 焦がれて止まないその先をエウフェミアは望み始めた。

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