悪役令嬢⑨

 お師匠様の家の地下室に戻った俺は再び魔導書を読み耽る。

 しばらくして、お師匠様が地下室に俺を呼びに来た。


「サクヤ殿下。お昼にしよう」

「わかりました」


 もうお昼だった。

 本を読んでいると時間がすぎるのがとても早い。

 エウフェミアも一緒に上の階に居たはずだけど料理はどうしたんだろうか。

 そんなことを思いながらリビングに入り、その向こうにあるダイニングを目指したらすでにエウフェミアが座って待っていた。

 俺を見つけたエウフェミアが座っていた椅子から立って俺を迎えてくれる。


「サクヤ殿下。お昼ということでブラン様が昼食を用意してくださいました。まだ手を付けておりませんが素晴らしい料理が並べられてて驚きました」

「座ったままで良かったのに」

「いいえ。サクヤ殿下は継承権をお持ちの王子ですし、まだ何者でもない私が殿下をさておいて座ったままでいるのは失礼かと」

「ここでは、そういうのは良いから。ここでは気を楽にして過ごしたいので……」


 エウフェミアはこういうキャラなんだなと改めて思う。

 さっきはかなりディスられていたし、もともと俺に対して好意的ではない様子。

 今も俺には半信半疑のことだろう。

 このまま結婚したとしても俺はこの子とは幸せになれないと確信。

 あの口煩さは俺が魔法を使えない無能者というところから来ていたんだろうと理解できたのが今日一番の収穫だった。


「まあ、せっかくの料理が冷めてしまうから食べよう」


 俺とエウフェミアの間の微妙な空気を察したお師匠様が昼食を促す。

 今日は三人分の料理が出ている。

 お師匠様も一緒に食べるんだ。

 今日はいつもと違う席──お師匠様の隣で食をとる。

 エウフェミアはお師匠様の正面の席だった。

 料理はそれほど手が込んだものではなさそうに見える。

 オープンサンドとミルクスープ。

 どちらもサーモンっぽいものが使われたものだ。

 この五年。

 お師匠様の家で度々食事の世話に与ることがあったけど、食材をどこで入手してくるのか気になっていた。

 肉と魚、野菜がバランス良く出てくるし──。


「ん。今日はよく出来た」


 俺の隣で、エウフェミアの前でお師匠様は先に料理を口に運ぶ。

 王族の俺と公爵家のご令嬢の前だから毒見役として食べてみせた。

 エウフェミアもブロック状にカットされたサーモンが入ってるミルクスープを口に運び、舌鼓を打つ。


「美味しい……家ではこれほど美味しい魚料理を食べたことがないわ」


 ピオニア王国は内陸部──海に面した海岸線を持たない国ということもあり、魚料理があまり出ない。

 いくつかの湖を有し、河岸沿いに発展した都市が多いが魚介の料理はそれほど発達しなかった。

 王族の俺ですらマズい淡水魚しか食べたことがないのだ。

 前世の俺の記憶には美味しい淡水魚があったとわかってるのに。

 ともあれ、エウフェミアにとっても魚料理は鬼門だったはず。

 お師匠様が先に食べたとは言え何の憂慮もせずに口に運ぶ当たりよく出来た子なんだと思う。

 この子は俺に対してだけ厳しいのだ。

 普段から王族に相応しい〜などと怒るくらいだから、きっと魔法を使えない俺が王族に相応しくない人間だからと厳しく接しているのかもしれない。

 だからゲームのエウフェミアはサクヤに関わろうとするヒロインに対して、サクヤが会話に応じる行動そのものが許せなかったんだろう。

 下に見る存在であり、かつ、王太子。

 彼女にとって無能者のサクヤに対する心象は常に悪く、ソフロニオやヒロインに取る言動は、貴族の一員として、婚約者として、許せないと思わせていたのかもしれない。

 つまり、俺の斜め前に座る彼女は俺を嫌っている──ということだ。

 そう考えたらスッキリ。

 うん。そうなら関わるのは極力小さくしよう。そうしよう。

 触らぬ神に祟りなし──。女は怖いのだ。

 俺はオープンサンドをフォークで押さえてからナイフで切りわけて口に運ぶ。


「お師匠様、今日の食事も美味しいです」

「お褒めに与り光栄だ。こうして料理をするようになったまだ五年くらいだけど、サクヤ殿下はいつも褒めてくれるから作り甲斐があるよ」


 そう言って俺を見て微笑むお師匠様。

 お師匠様の顔を見上げると料理のために結わえた顔がよく見える。

 料理の味を忘れてしまうほど見惚れてしまう美貌の持ち主だ。

 小さな俺の視界の大部分を占める大きな胸が艶かしい。

 ここにいられることを幸せに思えるのはお師匠様の類稀な外観と優しい性格のおかげだろう。

 お師匠様が作る料理も当初は美味しいものだけじゃなく、微妙なものもあったけど、今ではどれも美味しいと思えるようになった。

 それに、この美味しい料理の材料である。

 睡眠を必要としないお師匠様が夜な夜な廃都に近い海で漁をしているらしい。以前、この家の物置に投網みたいなものを見つけたしね。

 お師匠様のことだからファストトラベルで一瞬で移動して鑑定を駆使しながらサクッと網で掬ってきてるんだろう。

 千年を生きる魔女とは言え、仮にも公爵家のご令嬢という身分でお魚を捌けるんだから凄いもんだ。


「あの、このピンク色のお魚はどのようなものなのでしょう?」


 エウフェミアは口元を手で隠しながらお師匠様に訊く。

 これはサーモン──と、俺が答えるのはお師匠様の手前、吝かである。

 俺はオープンサンドをナイフで切りながらフォークでさして口に運ぶ。

 スモークサーモンとチーズの組み合わせはとても良い。


「これはサーモンと言う。もう時期は過ぎていて昨年末にとったものを燻製にしたんだ」

「これで燻製なんですか……。王国の魚の燻製はとてもじゃないけど……」


 そこで口を噤んだエウフェミア。

 臭くて食べられない──と、言葉を続けるだろうことは明らか。

 ピオニア王国の、と言うよりも現代の大陸にある燻製料理はお師匠様の地下室にある料理本と手順や材料が違う。


「このサーモンはそれほど遠くない海岸の沖合で獲れるんだ」

「獲れる……ということはご自分で海にいってらっしゃるのです?」

「ああ。そうだよ。わたくしが獲りに行ってるよ。この辺はわたくししかいないからね」

「そうだったんですね。食材をご自分で集めて、調理までご自身でなさる──。それに加えて先程教えていただいた行儀作法なども、これまで学んだものより上品で、ずっと理に適ったものでした。本当に何でもお出来でいらっしゃるんですね」

「サクヤ殿下もそうだけど、キミも存外に褒め過ぎだろう。長く生きていれば出来て当然さ」


 憧れの眼差しをお師匠様に向けるエウフェミアと、照れて白い肌をほんのりと薄桃色に頬を染めるお師匠様。

 美しい妙齢の女性と可憐な美少女が向かい合ってキラキラした目を向けあっている様子は尊い。

 だけど、俺がここにいてはいけないとさえ思ってしまう。

 俺はこの場に居たら邪魔なだけだ──と、そう考えたら居た堪れなくなって──


「ご馳走さまでした。片付けたらボクはさっき作った更地で魔法の練習をしてきますね」


──と、席を立ち、空になった食器皿を持ってキッチンに向かった。


 [呪われた永遠のエレジー]では白の魔女と黒の魔女は繋がりがあるように見えた。

 黒の魔女としてヒロインたちに立ちはだかることになるエウフェミア。

 彼女はサクヤルート以外ではラスボスとしてヒロインたちと戦った。

 その一方で、サクヤルートに進むとエウフェミアはラスボスとして戦う前──魔女の森に挑む前に対決してサクヤとヒロインがエウフェミアを追い込んだ。

 勝てないと悟り、死を覚悟した彼女は自らの心臓を白の魔女──ブラン・ジャスマインに捧げて権能を譲渡。

 そうすることでお師匠様が得意ではない闇属性魔法もエウフェミアの持つ魔女の権能を吸収して使えるようになるらしいが……。

 おかげでラストバトルは乙女ゲームとは思えないほど苛烈なものだったと俺(朔哉)の記憶に残っている。

 その記憶から察するに、エウフェミアが命を捧げるほどの関係性をお師匠様と彼女の間で築くのだろうとキッチンから二人の間の空気を眺めて、俺は思う。

 食器を洗い、ダイニングのお師匠様に一声かける。


「では、ボク、練習してきます」


 お師匠様の返答を聞かずに俺は一旦地下室に下りて一冊の魔導書を手にしてから午前中に作った更地に向かった。

 家を出て最初に向かったのは物置。

 ここに敷物があるのでそれを借りる。更地の隅っこに敷いてそこで勉強をするのだ。

 ここは旧国マトリカライアの跡地。

 いくつかの小高い山を越えるとマトリカライアの王都、レクティータが真っ白ながら美しい姿を保った状態で遺っている。

 地図から察するにレクティータの大きなお城の向こう側には大きな川と海岸線が広がっているらしい。

 お師匠様に連れて行ってもらったときは小高い丘の上からから見たり、空を飛んだりしたのに城の影で見られなかったのだ。

 この世界でまだ海を見たことがない。

 見られると知ればいつか見たいとさえ思う。

 広くて大きな海を眺めてみたいものだ。

 お日様の下で本を読みながら本を敷物の上で開いて魔法を発動しながら海へと思いを馳せた。

 もうそれほど意識をしなくても魔法を五属性、余裕をもって並列で実行できる。

 これに意識をして六属性目を手のひらに起こそうとすると汗がダラダラと流れ出る。

 まだ俺の身体が使おうとしている魔力に対して過剰な負荷を与える状態だ。

 これまでは体の成長に合わせて一度に放出する魔力量が増加していたけれど、第一次性徴が終わってからというもの、その成長は緩やかなものになっていた。

 つまり、今の俺の身体ではこれが限界。

 それでも、単属性に絞って魔法を使う場合は知覚できる限り同時に発動することはできた。

 これが二属性、三属性と異なる属性の魔法を織り交ぜると消費する魔力が嵩んで身体への負荷が増加する。

 例えば両手の指先に一つずつ、異なる属性の魔法を準備して発動前の状態で待機させると、二属性ならまだ良いが、三属性を発動すると汗が滲み、四属性めでダラダラと滝の汗。

 その状態で五属性を同時に発動させようとすると制御しきれず魔法が霧散。


「ふぅ……こんなもんか……もうちょっとやれたら良いのに」


 思わず声にして独り言ちる。

 地下室から持ち出したアステレイシア先史魔法書を開いて目を通す。

 言語はマトリカライア王国時代と異なるけど文法も文字もよく似てるので何となく読めた。

 このアステレイシア先史魔法書。

 内容が面白い。それを試したくて持ってきたのだ。

 二属性魔法。

 火属性魔法と土属性魔法を使いどちらも遅延発動状態で土属性魔法を発動させて土塊を作り火属性魔法で炸裂させる。

 土属性魔法で土塊の性質を制御して色を付けることができる。

 これを術式化できれば魔道具にできるので誰にでも楽しめるものになるだろう。

 魔女の権能とやらで魔法の性質さえ理解すればお師匠様なら魔道具化できるはず。

 もしかしたら、エウフェミアも魔女としての権能を理解して魔法の本来の姿がわかれば、彼女も魔道具を作ることができるかもしれない。

 アステレイシア先史魔法書を読みながら、記述の通りに魔力を練り、火属性魔法を編んだ魔力と魔素を土属性魔法で魔素を制御し火属性魔法を包み込む。

 これを真上に放出して火属性魔法を炸裂させた。


──ドーーーーーーンッ!!


 大きな轟音を轟かせて空気が震える。

 上手く行った。

 土属性魔法で顕現した土塊が火属性魔法の炸裂で燃えて色が付き、放射線を描いて拡散する。

 この世界に生まれて初めて見た花火。

 大きさは三尺玉くらいかな。

 赤く広がる花火は初めてのものとしては上々。

 本来なら火薬にいろんな金属粉を混ぜて色をつけるんだろうけど、ここでは魔法がそれを代行してくれる。

 炎色反応を起こす物質の性質さえわかれば様々な色を付けることができるだろう。


 敷いたシートに寝そべって花火が広がる様を満足に見上げていたら──


「サクヤ殿下ッ!!」


 お師匠様が家から飛び出してきた。

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