悪役令嬢⑧
先程作った更地で俺はお師匠様と木剣を構えて対峙する。
エウフェミアは見学者として更地の端っこで俺とお師匠様に真剣な眼差しを向けていた。
最初は身体強化を使わずにお師匠様と剣を打ち合い、しばらくして身体が温まってから徐々に身体強化を強めていく。
このコントロールが俺には難しくて、模擬戦を通して魔力を適度に抑える練習を重ねている。
身体強化を強めていき、幾号の剣戟を交えても勝敗は決しない。
しかし、魔法を使うことになれば話は変わる。
曲がりなりにも[呪われた永遠のエレジー]の真のラスボスなのだ。
今の俺では全く歯が立たない。
「だいぶ、まともになったけど、やはりまだ魔力を抑えるコントロールが不十分だね」
空間や重力を司る闇属性魔法を起用に使いながら人智を超えた高速移動をしてみせるお師匠様に対し、俺の闇属性魔法は効きが良すぎて制御しきれていない。
避けすぎて逆に大きな隙を見せてしまった。
お師匠様は闇属性魔法を得意としていない。それでも細やかな制御ができるのだからこれが魔法の才能というものだろう。
「また、一太刀も当てられませんでした。魔法だって掠りもしませんし……」
「わたくしだって意地があるんだよ。まだ、サクヤ殿下には負けられないからね」
お師匠様はそう言って笑顔で手を差し伸べてくれる。
お師匠様のあられもない姿を見たくて、今まで何度も風魔法や水魔法を放ったのに一度だって当たりはしない。
「ありがとうございました」
お師匠様の介添えで立ち上がりと頭を下げて模擬戦で剣を交えたことに感謝を示した。
「ん。では、エウフェミア様に今の感想を聞きに戻ろうか」
隣に並んでお師匠様と一緒にエウフェミアの傍まで歩く。
エウフェミアは俺の顔を見るや視線をそらして俯いた。
居た堪れない。俺は何も悪いことをしていないのに──。
「ボク、先に戻ってますね」
と、言葉を残してお師匠様の家に戻った。
◇◇◇
エウフェミアにとってサクヤは初恋の相手だった。
物心がついて最初にサクヤと過ごした記憶の中の彼はとても眩しく映り、この国の王に相応しい明るくて聡明で騎士たちに愛される魅力を感じさせる姿が焼き付いている。それは今でも瞼の裏に鮮明に描けるほど。
エウフェミアは憧れた。
私もあのような人間になりたい。
しかし、その憧憬は年月を重ねるごとに過去のものとなっていく。
病気がちで公務に携われないニルダ第一王妃が、第二王妃でエウフェミアの叔母のヌリアと正妃を交替し、王位継承権筆頭となった一歳年下の従兄弟、スタンリー・ピオニアはサクヤの異母弟。
彼がパワーレベリングに行き始めるとエウフェミアは初恋から完全に醒めていくことになった。
「サクヤ殿下は魔法が使えない」
スタンリーはソフロニオ・ペラルゴニーと一緒にパワーレベリングに行くことが多く、ソフロニオがスタンリーに伝えたことが、スタンリーからエウフェミアの耳に届けられる。
幼少期では魔法が使えるかどうかはそれほど考慮されない。
だが、思春期を迎える年齢になると魔法が使えない者は貴族の間では無能者として敬遠される傾向があった。
──サクヤ殿下は無能者。だから、王位継承権が降格されたのでしょうね。
エウフェミアはサクヤへの興味を失った。
それからというもの、事あるごとにエウフェミアはスタンリーからサクヤの悪評を耳にする。
サクヤがソフロニオと一緒にパワーレベリングをしていた頃、サクヤは戦闘には全く干渉せず、階層ボスにトドメだけを刺していた。
サクヤは魔法を全く使うことができず家では部屋に引きこもるかブランのあとに付いてまわってるだけの軟弱者。
などなど、サクヤに対する誹謗をスタンリーはエウフェミアに会う度に吹聴。
しかし、スタンリーは魔法の研究を非常に好み、多くの魔導書を与えられ様々に魔法を使えるほどに成長を重ねる。
スタンリーは土属性魔法と水属性の二属性を扱う魔道士として将来を嘱望されるほどだったが、いかんせん、魔法に没頭するあまり人望が薄かった。
ソフロニオとスタンリーのパワーレベリングにシミオンが参加し始めた頃でさえ、スタンリーはエウフェミアに『シミオンこそ王位に相応しい』と繰り返した。
エウフェミアが叔母で正妃のヌリアに会いに登城しても、サクヤを見ることは滅多にない。
そんなだからエウフェミアのサクヤに対する心象は非常に悪かった。
ちょうどその頃、エウフェミアは父でピオニア王国の宰相を勤めるアウグストから十歳の誕生日を迎える日にサクヤと婚約すると伝えられる。
その当時のサクヤは王位継承権第二位。
だからデルフィニー家へ婿入りする前提で話が進められた。
エウフェミアは嫌だった。
しかし、親が進める縁談を破談させるようなことはできない。
貴族の娘として生まれたからには仕方のないことだと受け入れるしかなかった。
──無能者の伴侶……私の人生は望まない方向にしか進まないのね。
エウフェミアは落胆する。
人生に対する絶望感を更に深めたのはピオニア王国フロスガーデン学園初等部の入学前学力測定でのことだった。
遠巻きに見てもすぐにサクヤだとわかる。
白銀色の髪の毛を持つ長身の女性が傍に居たからだ。
女性はブラン・ジャスマイン。サクヤの従者として勤める腕利きの鑑定士としてエウフェミアも知っていた。
長身で美麗な彼女の優雅な佇まいにエウフェミアは見惚れていたが、その傍のサクヤの立ち振舞も王子と呼ぶに相応しいもので周囲の人間の目を奪っていた。
だがしかし、その日の試験では、サクヤは開始十分で机にペンを置き、こくりこくりと船を漕ぐ。
少し離れた後ろからそれを見ていたエウフェミアは『無能者というのはやはり我が国の王族に相応しくない』と、そう思った。
それからしばらくして、入学式典の日。
新入生の代表として壇上で挨拶を述べたサクヤにエウフェミアは唖然とした。
挨拶文を記した封書を開けること無くサクヤは自身の言葉で会場に挨拶を届ける。
ちょうどこの頃はサクヤが王位継承権第一位に返り咲いた直後。
それからのサクヤに対してエウフェミアは驚かされるばかりだった。
武芸では王国騎士団から派遣されてくる講師を相手に武芸では全く引けを取らず、学問や行儀作法では常に優秀。
魔法こそ使えないものの、その立ち振舞は多くの貴族の手本と言える姿だった。
本当にただ一点のみ──魔法が使えない。
これだけがサクヤの欠点として覆らない。だからエウフェミアが王たるものに抱く期待に適う振る舞いをしていたとしても無能者であるという認識は変わらなかった。
その後、正式にサクヤと婚約を結び、エウフェミアは王妃となるべく教育を改めて施されることになる。
その講師の一人としてサクヤの従者、ブラン・ジャスマインが見ることとなった。
ブランから教わることは行儀作法を中心とした王妃としての教育と武芸と魔法──ほぼ、全ての科目。
遠くから眺めることしかできなかったブランがサクヤに何を教えているのかを知る良い機会だとエウフェミアは捉えた。
その日──。
エウフェミアはこれまでの常識の全てが覆された。
ブランのファストトラベル。
魔法が使えないはずの無能者が使う強烈な魔法。
サクヤが一人でブランの家に戻り、サクヤが作った更地にエウフェミアとブランが残っていた。
「驚いて声も出ない──そんなところかな?」
サクヤの後ろ姿を目で追いながら、ブランはエウフェミアに向かって言葉を発する。
「はい。驚きました。無能者と揶揄されるサクヤ殿下があれほどの魔法を──いいえ、あれをまだ魔法だとは思えませんが……」
エウフェミアはスタンリーを通して築き上げたサクヤという人間像から、サクヤはこれほどまでの魔法を使えるということを認めたくなかった。
それに詠唱のない魔法を魔法だと思いたくない──エウフェミアは自身が魔道士として有能な才能の持ち主だという自信を失いたくなかった。
だからサクヤという人間をエウフェミアは受け入れられないとそう感じている。
「くっくっく。あれは正真正銘の魔法さ。今は認めたくないだろうが、わたくしが教えてるうちに理解することだろう。それで、この権能を使いこなせるようになると、この権能が鬱陶しく感じるようになるはずさ。わたくしのようにね」
ブランはもともと聖女という権能を有していたが悪魔によって呪われ、魔女に変えられてしまった。
闇属性魔法が不得手なのは聖女由来のものであり、彼女は魔女でありながら光属性魔法を使うことができる。
それに対して、エウフェミアは幼少期から魔法を使うことができていたが光を灯す魔法──光属性魔法は使えなかった。
「まあ、それはともかくとして……。せっかく外に出てるし、このまま魔法を教えよう」
ブランはそう言って、エウフェミアに詠唱を伴う魔法から教え始める。
「承知いたしました。よろしくお願いいたします」
エウフェミアは頭を下げてブランの言葉に応じた。
「不服かもしれないけれど、簡単な魔法から始める。最初は水属性魔法の初級のものからだ」
そうしてブランはエウフェミアに水を出すだけの初歩的な水属性魔法を使わせる。
初級魔法なんて簡単なものを──と、そう思いながらエウフェミアは表情を崩さないようにそつなく魔法を唱えた。
「ん。よくできてるね。さすがね。でも、同じ詠唱の魔法をこう使うこともできるんだ」
ブランはエウフェミアと同じ詠唱の魔法を唱え水属性魔法を発動。
エウフェミアが使った水属性魔法では水の玉が浮かんだだけだった。だが、ブランが同じ詠唱で唱えた魔法は水の柱が地面から立ち上る。
「同じ詠唱なのにどうして……?」
「これがわたくしとキミの権能さ。魔女という権能は魔力と魔素に感応し操る能力に長けている。術式に干渉して魔法を書き換えることだって可能だ。具体的には──」
ブランはエウフェミアに詠唱式が発動する術式の介入方法について教えた。
「──詠唱を省略する魔法も理論はこれに似ている。魔素の動きを捉えながら魔力を編めば権能が補助してくれる」
エウフェミアはブランの言葉を聞いて、試してみることにする。
いつもなら──今までは、詠唱に集中して意識していなかった詠唱式による魔素と魔力の動きの捕捉に注力する。
すると、術式が組まれる過程の魔力の流れと魔素の働きが見て取れた。
それと、魔女の権能が働いて術式に対して魔力が効率的に編まれているのがわかる。
「これが魔女の権能──」
慣れない感覚に思わず声を漏らしたエウフェミア。
「そうだよ。最初は意識をして見る必要があるけど、次第に感覚でわかるようになる。詠唱を省略した魔法を使えるのはその次だろうな」
そのエウフェミアの声にブランは反応した。
「慣れが必要なのですか。それはサクヤ殿下もこのように魔法を覚えたのでしょうか?」
「サクヤ殿下はどの詠唱魔法も使えなかったよ。だから最初から彼が古代魔法と呼ぶ古い時代の詠唱のない魔法を使うために古い言語を学び魔導書から覚えたのさ」
エウフェミアの問いにブランは答える。
ブランの言葉にエウフェミアはサクヤ殿下にひどいことを言っていなかったかと振り返った。
特に思い当たることはないが、従兄弟のスタンリーから聞いたサクヤ像とブランの言葉から感じられるサクヤの姿の大きな乖離に頭を悩ませる。
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