悪役令嬢⑥

 その翌日──。

 いつものようにお師匠様が俺の部屋にやってきて、俺は目を覚ます。

 休日なのでお師匠様の家に行ってお勉強──なのだが、そのすがらお師匠様がこう言った。


「わたくし、エウフェミア様に興味を持ちました。彼女のご両親にもお声をかけさせていただいて講師をさせていただこうと思います。サクヤ殿下がよろしければ──ということになりますが」


 やはり、お師匠様はエウフェミアを気にしていたようで、頼みごとだから丁寧に言葉を選んだらしい。

 鑑定したときに何かを見たんだろう。ネレアやノエルのときもそうだった。


「それはかまいませんが、そうすると、ボクの部屋から直接行きづらくなりますね」

「そうだね。表向きは、わたくしがふたりを教えるためにわたくしの屋敷で──ということにしよう。今のわたくしはサクヤ殿下の側近だからサクヤ殿下を城外にお連れするのもそう難しくない」

「わかりました……」


 お師匠様とマンツーマンでの指導が受けられなくなる。

 それはとても哀しい。

 だけど一度王位継承順位を下げられた俺が再び筆頭に返り咲いてエウフェミアと婚約を結んだということで、物語にそって物事が動いている現状はエウフェミア自身が強くならなければならないだろうことは推測できた。

 彼女も死なせたくないので、お師匠様に稽古をつけてもらうのは悪くない。

 まあ、お師匠様とふたりきりの時間が減ってしまうのは残念だけど。


「ありがとう。では、これからはサクヤ殿下が学園に言っている間はネレア殿下とノエル殿下、週末はサクヤ殿下とエウフェミア様の講師ということになるね。それ以外はサクヤ殿下の従者としてお側にお仕えさせていただくね」


 お師匠様はもう決まったかのように話すけど、そう簡単に決まるのか?

 そう思っていたけど、本当にすぐに決まった。

 あのあとすぐにエウフェミアの父親──デルフィニー公爵家に提案したら講師の依頼を受託されたんだとか。

 鑑定持ちで、尚且、ピオニア王国では武芸や魔法でお師匠様を上回る実力者はいない。その上、異国の貴族の出で行儀作法にも高いレベルで通じているとなれば提案を断る理由がなかった。

 王妃になるための教育があっただろうから専属の講師くらいはいるはずなのに、どうやらいくつかの条件面でアウグストとイングリートの支持もあってエウフェミアと俺が一緒にお師匠様の教えを受けることになったらしい。

 明日も学園は休みだけど今日の明日ということはないから一緒に修行するのは来週からか。


 王城からデルフィニー公爵家はとても近い。

 だというのに、四頭立ての大きな馬車に乗り王城から馬車で数分のデルフィニー家の邸宅に移動した。

 馬車に乗った従者は俺のお師匠様一人で他は歩いて先に現地入りしている。

 お師匠様は見た目も良く戦闘力が高いから護衛としても心強い。


 週末──。


「サクヤ殿下、おはよう」


 お師匠様に起こされた俺は眠い目をこすりながら着替えを済ませるとすぐに城の外に出ることに。


「あ、そう言えば、今日からでしたね」

「そう。エウフェミア様には従者の送迎でわたくしの屋敷に来てもらうことになっている。その都合でいつもより少し早いけどお迎えさせてもらったんだよ」


 歩いて十数分の場所にあるお師匠様の屋敷まで、お師匠様と手を繋いでふたりで歩く。

 朝が早いのとお師匠様とふたりきりの時間がなくなってしまったことは哀しいけど、こうして手を繋いで歩いたのは随分と久しぶり。

 最近は俺の部屋から直接、遠く離れたお師匠様の家までファストトラベルで行ってたからね。


「お師匠様。今日は向こうに行くんです?」

「ああ、そのつもりだよ。今日のところはサクヤ殿下にしてることを一通り見てもらって明日から本格的に教えようと考えてる」


 そう言って少し思慮に耽る様子を見せたお師匠様。

 どうやらエウフェミアに対して何かしら思うところがあるらしい。

 お師匠様の屋敷はとても閑散としている。

 調度品は少ないし、最低限の家具すら揃っていないと見るからによくわかる。誰から見ても、この屋敷で生活を送れるとは思えない。

 まあ、静かに勉強だけをするのならここほど適した場所はない。

 このお師匠様の屋敷の一室で俺とお師匠様はお茶を飲みながらエウフェミアの到着を待った。


 エウフェミアがお師匠様の屋敷に到着したのは数十分後──。

 エウフェミアを置いて彼女の従者はデルフィニー家に帰ったのだが。


「おはようございます。サクヤ殿下」


 何を考えているのか正装に近いドレス姿……。

 優雅なカーテシーでエウフェミアは俺に挨拶をした。

 あまりの突拍子のなさに唖然として、開いた口が塞がらない。

 でも、挨拶は返さないとね。

 俺は立ち上がって、


「エウフェミア様。おはようございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


 と、胸に手を当てて頭を下げる。

 エウフェミアの後ろにはお師匠様が居て、挨拶を交わす俺とエウフェミアの様子を伺っていた。


「それでは行こう」


 お師匠様は口を開くと、傍にファストトラベルを発動させる。


「行こうというのはどちらに……、これ……ですか?」


 エウフェミアはお師匠様が開いたファストトラベルでつながった向こう側の景色を不思議そうに見た。


「そう。この先に行くんだよ。その前に、このことは誰にも言わないでくれ。キミもすぐに使えるようになるから、その意味もきっとすぐにわかる」


 お師匠様の言葉はエウフェミアにも特別なスキル──ファストトラベルが使えることを示唆。


「これを私が使えるのです? そうとは思えないのだけど……」


 見たことのないものを不安がるエウフェミア。彼女の反応は当然のことだろう。

 でも──。


「では、ボクは先に行きますね」


 俺はお師匠様がファストトラベルで作った次元の扉を跨いでお師匠様の家の庭に移動した。

 振り返ると空間に浮かぶ扉の向こうでは驚いて目をまんまるにしてるエウフェミアが見える。

 彼女にしたら珍しい表情だろう。

 境界の向こうでお師匠様がエウフェミアの手を取り、一緒にファストトラベルを跨ぐ。


「……ッ!」


 ファストトラベルでできた空間の境界を越え、ピオニア王国から北に馬車で三ヵ月ほどの距離にあるお師匠様の家に、お師匠様とエウフェミアが一緒に跳躍した。

 別名、魔女の森。

 この家から更に北には千年前に滅んだマトリカライア王国の王都レクティータの遺跡が存在する。

 季節はこれから初夏を迎えようとする頃。

 ここは寒い。

 エウフェミアは身震いして小さく呻いた。


「この辺りは昔から、初夏を迎える頃までは寒くてね。サクヤ殿下はすっかり慣れてしまって声すら出さなくなった」

「この辺り──というのはどういうことなのでしょうか? サクヤ殿下はいつもここにいらっしゃってるのです?」


 ここはピオニア王国とはあまりにも気候が違いすぎる。

 今は春だからまだ良いけれど、真冬に稀にしか雪が降らないピオニアと違って、秋が過ぎれば雪が積もって春先に雪が解ける。

 北に続く森の奥の日陰には雪がまだ残っていることだろう。

 ここに来るようになってから俺は五年になるし、季節の変化にだいぶついていけてる。

 これから初夏を迎えて暑くなるピオニア王国と違って、ここの初夏は涼しくて過ごしやすい。

 それをお師匠様はエウフェミアに説明し始めた。


「ここはピオニア王国から北に二千キロメートル近く離れた場所にある……このフラウェル大陸北部の秘境とも言える森の中さ」

「そ……そんな遠くまで、私は連れてこられたということ? どうやって?」

「ファストトラベルという固有の特技スキルさ。稀にファストトラベルというスキルを持つものが現れるんだけど、この時代で聖女以外にファストトラベルを使える人間を見たのはキミで二人目──いや、三人目……と、それはさておいて、そのファストトラベルというスキルでピオニア王国とここの空間を繋げて移動してきたんだ」


 エウフェミアは信じられない言いたそうな表情をお師匠様と俺に見せている。

 それもそうだろう。何も知識がなければ一瞬で遠く離れた場所に行けるなんてことはありえないと思うだろう。

 まだ三歳のノエルが自由気まま使っているのは彼女自身が鑑定スキルを持っているから自力で使い方を覚えていた。


「そんなことって……本当に起こり得るの? では、サクヤ殿下はいつもこちらまでいらしてブラン様の教えを受けているの?」

「ああ、そうだよ。サクヤ殿下だけでなく、ネレア殿下とノエル殿下も最近はほぼ毎日のようにここで過ごしてるよ」

「サクヤ殿下だけでなくネレア殿下とノエル殿下も……。では、スタンリー殿下とシミオン殿下もでしょうか?」

「いいや。わたくしは教えを与える基準というものがあるのでね。それにこうして人に物事を教えると言ったこともこれまでやってこなかったし、何ならサクヤ殿下が初めての弟子ということになるくらいさ」

「それはどのような基準なのですか? 私がブラン様からの教えをいただけることと、スタンリーに教えていただけない理由は何なのでしょうか?」


 エウフェミアはスタンリーやネレアとは従兄弟。

 血縁関係にあるからエウフェミアとネレアに教えられてスタンリーに教えられない理由を知りたがった。


「一つは特殊な特技スキルを持っていること。エウフェミア様はファストトラベルが使える。ネレア殿下は鑑定が使えるんだ」

「スタンリーにスキルがないから教えられないということですの?」

「そう。スタンリー殿下とシミオン殿下は特技スキルを持っていない」

「ということでしたらサクヤ殿下とノエル殿下もスキルをお持ちなのです?」

「ノエル殿下は鑑定とファストトラベルが使えるが、サクヤ殿下はスキルを持っていない」

「では、どうして? サクヤ殿下は簡単な魔法すら使うことができないでしょう? でしたらスタンリーもブラン様に教えをいただくことができるのではないかしら?」


 さり気なく俺はエウフェミアにディスられる。

 俺は詠唱魔法を使えない無能者だ。それは仕方がない。

 俺は婚約者になったばかりの女の子に魔法を使えない無能だと思われていたことを残念に思う。

 魔法を使えない──それは王となる資格を有していないと揶揄される理由の一つになり得る。

 エウフェミアにとっては婚約者となったばかりの俺よりも血縁者のスタンリーやネレアのほうが重要なのだろう。


「──わたくしから見て、サクヤ殿下は類稀な才能を持つ魔道士になり得る人物。わたくしが積極的に人間と関わろうと思えたほどなの」

「それはどういうことなのでしょうか? サクヤ殿下は魔法を使えません。だというのに──」

「キミはそこまでしてサクヤ殿下を貶したいのか……」

「いいえ、決してそういうわけでは……」

「ふんっ。まあ、良い……」


 エウフェミアが珍しく従兄弟を慮って激昂していた。

 そんなエウフェミアに辟易したお師匠様は俺の顔を見て言葉を続ける。


「サクヤ殿下、あの辺りに五十メートル四方の平たい更地を作りたいと思っていたんだ。弟子が増えて手狭になりそうだったし、良い機会だからサクヤ殿下の魔法を見せてもらえないだろうか?」


 お師匠様は家の北側を指差して更地を作れと命じてきた。

 俺、エウフェミアに無能扱いされたこと、忘れられなさそうだ。

 心の中で落胆しつつ「承知しました」と応じた。

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