悪役令嬢⑤
それから、しばらく──。
四月の最後の休日。
実力検査以降は特に代わり映えのない日常生活を送る日々。
前世の記憶がある俺だけど学校生活で美少女と隣り合った席で授業を受けるのはとっても気分が良い。
通常の授業では机をくっつけて受けているから右を見ると綺麗なご尊顔を拝むことができた。
俺(朔哉)の記憶を持たせてこの世界に生んでくれた母上と、それを許してくれた神様に深く感謝したい。
そんな彼女はこの世界[呪われた永遠のエレジー]の悪役令嬢。
俺(サクヤ)にとっては隣の席の幼馴染みたいなものだけど、今日はエウフェミアの十歳の誕生日。
デルフィニー公爵家のご息女の彼女の誕生日パーティーを前に王城の一室できらびやかなドレス姿のエウフェミアがキリッとした面持ちで俺の真正面に座していた。
絢爛可憐な装いの美姫、エウフェミア・デルフィニー。そして、彼女の左にはイングリート・デルフィニー、更に左にはアウグスト・デルフィニー。
俺も王子と呼ぶにふさわしい出で立ちなんだけど、見た目性能の高いエウフェミアに気圧されていた。
彼女たち──デルフィニー家が座る席の正面には俺と母上のニルダ・ピオニアと父上でこの国の王ナサニエル・ピオニア。
それに両家の後ろには使用人がそれぞれについている。つまり、俺の背後には専属の従者で世話係や講師を兼ねる俺のお師匠様──ブラン・ジャスマインが控えている。
そして、ペラルゴニー公爵家の当主、ゾルタン・ペラルゴニーの仲介でこの場は取り仕切られていた。
「では、婚約の署名を……」
ゾルタンから父上とアウグストに三枚ずつ紙を差し出す。
おそらく同じ書式の三通の書類。この世界には印刷技術はあるのに転写するためのカーボン紙やノーカーボン紙がない。
なので同じ三枚の書類に署名と押印をする。
この書類は俺とエウフェミアの婚約を交わす契約書。
この日、エウフェミアの誕生日に合わせて正式に婚約が結ばれた。
特に込み入った話はなかったので事前に計画されていたのだろう。
俺は一言も話すことなく、ただ、ここにいるだけ。それはエウフェミアも同じで、母上やエウフェミアの母親のイングリートも同様。
署名と押印を済ませた書類をゾルタンが受け取った。
「両家の署名をもって、ピオニア王家、デルフィニー公爵家の間で婚姻が約束されたことを宣言いたします」
ゾルタンは立ち上がって後ろに控える大臣に署名済みの書類を手渡す。
父上とアウグストが署名した書類は三組に分けられて父上とアウグストに一組ずつ控えとして返された。
それから大臣が残った一組の書類を持って部屋から出ていく。
正式な約定として国の書庫に保管されるのだ。
この一連の動きの最中、俺の後ろでは微かな魔力が動いているのを俺は見逃さない。
お師匠様は対面するエウフェミアをしっかりと鑑定したらしい。
俺の真正面のエウフェミアも、俺に視線を向けず、お師匠様を見ているあたり、何か感じるものがあったんだろう。
その時はただ、そう思っただけだった。
こうして正式に婚約を結ぶことになったあと──。
一旦、この場は解散。俺はお師匠様と一緒に自室に戻った。
部屋に戻ったので窮屈な服を脱ぎたい──ところだけど……。
「サクヤ殿下、お召し物をお取替えしよう」
休む間もなく、お師匠様の言うがまま為すがまま、俺は服を脱がされる。
多少、ぎこちないのはお師匠様が人の服を脱がせることに慣れていないからだろう。
いつもなら俺の着替えはネレアかノエルの侍女が手伝ってくれる。だが、今日はこれからエウフェミアの誕生日パーティーに出席するネレアとスタンリーのために従者がせわしなく働いていて俺にまで手が回らない。
それで、こうしてお師匠様が俺の着替えを手伝うハメになっていた。
衣服に手をかけるごとに肌を撫でるお師匠様の冷たい手が心地良い。
しかし、時折、くすぐったい刺激を受ける。
「──ッ!」
ピクッと条件反射すると、お師匠様は手をビクッとさせて俺の身体から離す。
「あ、ごめんなさい。すまない、まだ慣れてなくて」
「い、いいえ。大丈夫です。ちょっとくすぐったかっただけなので」
こんなやり取りを何度したことか。
悠久の時を生きるお師匠様は千年ほど前、公爵家のご令嬢として生まれ育った。
二十三歳まで貴族の娘として、聖女として生きていたけど、いろいろあってそれから長い間、人と関わらずに生きていたからなのかこういった世話を焼く仕事に不慣れで覚束ない。
「もう少し上手く着替えさせられたら良いんだけど……」
そう言って目を伏せがちにうつむくお師匠様。
こういうところはとても初々しくていじらしい。
長身で強そうに見える彼女に、庇護欲が掻き立てられた。
「ボク、自分で着替えられますから大丈夫です」
「そういうわけにはいかない。わたくしはサクヤ殿下の従者なのだから……、さあ、着替えよう」
そう。お師匠様は俺の専属の従者でもある。
だから、こういうときは仕事をしなければならない。
俺は別に手伝ってもらわなくても自分で着替えはできるので良いんだけど、お師匠様は雇われの身ということもあり、義務感があるらしい。
こういうところで意外と真面目な白の魔女。
お師匠様は、邪悪だからラスボスとして立ちはだかったんじゃなくて、生真面目な性格だからラスボスになったんだと思えた。
そんな真面目なお師匠様が俺の着替えをして従者としての仕事を全うするつもりで手ずから俺の衣服を剥がしていく。
不慣れな手付きはご愛嬌。俺がまだ九歳の子どもだから無事で済む。そんな感じでお師匠様は俺の身体に手を這わせてたどたどしく服を脱がせてくれた。
そうして俺は普段の服装に戻って一息。
「ありがとうございました。窮屈な服装から解放されてすっきりです」
「くっくっく。わたくしも昔はそうだった。とくにわたくしは女だからお茶会やら何やらとお母様に窮屈なドレスを着させられて──」
お師匠様は言葉の途中で声をつまらせた。
「どうしました?」
俺が聞くと、俺の服を畳んでワゴンに置いたお師匠様が一つ、息を置くと、
「こういうことを話せるようになったのはサクヤ殿下のおかげだね。お父様やお母様のことを言葉にできるほど、わたくしにも幸せな日常があったのだと思い起こせたよ」
そう言って、お師匠様は右手の薬指に嵌めた指輪に懐かしみを込めた目を向けた。
その指輪はソウル・オブ・フルル。
以前、お師匠様が俺をラストダンジョンに連れて行ってくれた時に拾った便利なアクセサリーだ。
詠唱時間を短縮したり連続で魔法を使えるようにしたり魔力の消費量を軽減したりできる素晴らしいアイテムだけどゲームではヒロインだけが装備できた逸品。
お師匠様が聖女だということがわかった時に両親が記念として贈った指輪なのだとか。当時、まだ十二歳とかそんな感じらしい。
その頃にお師匠様は、千年前に滅んだマトリカライア王国の王太子と婚約を結んだそうで……。
このアイテムはラスボス戦前の長いカットシーンのあとに噴水広場だったらしい場所の縁に落ちていた。
ゲームではキラキラと光るエフェクトがあったけど、拾ったときはキラキラしたエフェクトなんて見ていない。
そんなところでゲームの世界がリアルになったんだとあのときは思ったものだ。
「ところで、わたくしの国では子どもの誕生日を祝うパーティーには子どもも参加していたものだけど、ピオニアでは違うのかい?」
「スタンリーとネレアはデルフィニー家の邸宅で開かれるパーティーに行くはずですよ」
「サクヤ殿下は行かないのかい?」
「厳密に言えばボクは親族ではありませんから行かないんです。スタンリーとネレアは従兄弟なので親族としてお祝いをするんですよ」
「へえ、サクヤ殿下とエウフェミア様は婚約されたんだろう? なら、参加してもおかしくないんじゃないのかな?」
「それはそうかもしれませんけど、婚約者だからと言ってもまだ十五歳になってませんし、親族でもない誰かのパーティーに参加する風習はピオニアにはないんです」
「そうだったか。同じ大陸とは言え、時代が変わると風習も変わるんだね。やっぱり千年という時間は長いものだよ」
そう言葉にして再び指輪に目を落とすお師匠様。
永遠の十七歳ならぬ永遠の二十三歳の彼女である。
彼女の時間は二十三歳の誕生日の日に止まり、それからずっと、この世界の移ろいを代々の聖女を犠牲にしながら守ってきた。
「こういうことならもう少し、世間を知っておくべきだった」
何人もの聖女を二十三歳の誕生日に眠らせて彼女たちの時間を奪ってきたお師匠様。
きっと、彼女たちが二十三年間、どんな社会で人生を歩んで、どう生きたのか知っておくべきだったと考えたのだろう。
「ボクはお師匠様が世間から遠ざかっていたこと、理解してますから」
人とかかわることが億劫に感じることは生きていれば当然ある。
お師匠様の場合は、聖女たちに手をかけて時間を奪ったことで罪悪感に苛まれ、人の前に出ることを望まなかったんじゃないか。
心をすり減らしながら罪のない少女に呪いをかけていくんだから。
生真面目なお師匠様はさぞ辛かったことだろう。
「今年十歳になる子どもに慰められるわたくしって……。でも、まるで経験してきたかのような言いぶりだね」
「まあ、それは、お師匠様の家でいろんな本を読ませていただきましたから」
前世の記憶があるから何となくわかること──それをごまかさなければならないのも何だかね。
いつかお師匠様に俺(サクヤ)には俺(朔哉)の記憶があることを伝えてみたい。そしたらどんな反応をするんだろう。
何だか騙してるようで申し訳ないけど、お師匠様と過ごしてゲームの展開とはまた違う伏線があってもう少し状況をまとめて、俺の未来が俺にとってハッピーなものになりそうになったら伝えよう。
そんなことを考えていたら、お師匠様が愛おしくて仕方ない。
そんなタイミングで目が合うと、
「また、そんな目をして……!」
と、お師匠様は俺から目をそらした。
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