悪役令嬢④

 校庭は校門から反対側──初等部校舎の西側。

 入学式典で馬車を停めたところでそれなりの広さを有している。

 五時間目の武芸の実力検査を終えて先生の引率で訓練着ジャージに着替えた一組と二組の児童が校庭にぞろぞろと並び歩く。

 これから魔法の実力検査が始まる。

 俺、サクヤ・ピオニアは詠唱魔法が使えない。

 魔法の実力検査は検査を手伝う魔法研究所の研究員が配布する課題となる初級魔法の詠唱式を唱えるだけ。

 それで発動すれば適正ありというものらしい。

 俺(朔哉)の記憶を掘り起こしてもゲームの知識にはないもので、初等部や中等部では武芸や魔法の実力は問われないというのにこうした検査は年に一度、実施するのだとか。

 何故か俺は、詠唱魔法が発動しない。だから、課題を俺はクリアできない。

 課題となる魔法は四つ。

 火属性魔法。

 土属性魔法。

 風属性魔法。

 水属性魔法。

 詠唱がない古代魔法であれば俺は魔法を使えるというのに、ピオニア王国に伝わる詠唱魔法は発動しない。

 これは物心がついてから一貫して変わりない。


 武芸の実力検査と同じく、俺は一番手。

 失敗を見せつけることになるのだ。


「サクヤ・ピオニアです。よろしくおねがいします」


 魔法の実力検査は魔法研究所の職員が担当する。


「はい。では、最初は火属性魔法からですね」


 職員から初級魔導書(火)を受け取った。

 これに記載されている最初の火属性魔法を俺は使う。


『──願いを聞き給え……。火よ』


 魔力が身体を巡り指先に集中するのがわかる。

 しかし、魔力が働きかけた瞬間に魔素が霧散。

 魔法は発動しなかった。

 他の属性も同様に、魔力が働きかけるが魔素が散って発現に至らない。

 四属性の詠唱魔法を試してダメだったことがメモされ、俺の時間は終わった。


「サクヤ様は魔法が使えないのですね。初等部では魔法の有無は問われませんから大丈夫ですよ」


 職員の言葉は何のフォローにもなっていない。

 初等部では成績に関係ないだけで中等部、高等部では魔法の使用可否は成績として加点対象。

 中等部までは一組で進学進級が続くだろうけど、高等部では落第だな。

 俺はこの時、そう思っていた。


 俺の次はエウフェミア。

 彼女は難なく全属性の魔法を発動した。

 その後、さも当然のごとく、彼女は再び俺の隣に戻ってきた。


「エウフェミア様は凄いね。全属性を発動させるなんて他に居ないんじゃない?」

「それは誤りね。殿下の魔法は発動しておりました。ただ、術式が殿下の魔力の強さに耐えられなかったのでしょう?」


 エウフェミアは言う。


「私、魔法は得意ですし、誰がどれほどの魔力を動かせるのかわかるのです」


 どうやら俺の魔力感知に近しいスキルを持ち主らしい。

 って、それもそうか。

 彼女は未来の黒の魔女。

 特別なスキルを持っていても不思議じゃない。


「それはどうも。でも、それは買いかぶり過ぎだと思う」

「サクヤ殿下はそう思っていたら良いわ。私たちはまだ子ども。これから先があるんだもの」


 それはご尤も。

 ともあれ、四属性全て問題なく発現できたのはエウフェミアだけ。四属性全て発現できなかったのは俺だけ。

 そんな結果だ。

 初等部では魔法の使用可否は問わないとは言え、王族で魔法が使えないとなれば王座に不相応な無能者だと評価されるだろう。

 当然、正式な王太子として認められるのは難しそうだ。

 とはいえ、俺は魔法が使えないわけではない。

 お師匠様に教わった古代魔法は使えるわけで。

 それを中等部で披露するか否か。

 とても悩ましい。

 ストーリー序盤ではサクヤはお助けキャラとして登場して、プレイヤーはサクヤを操作できなかったけど魔法を使ってた。

 きっと中等部のうちに魔法を使えることを知られたか、披露したんだろう。

 それか、魔法を使わずとも筆記試験や武芸で秀でた成績を叩き出したのか──。

 俺にはまだ成長余地がある。当然、エウフェミアも成長を遂げる。


──特におっぱいが!


 しかし、それを口にすることはできないので──


「そうだよね。魔法をちゃんと使えるように頑張るよ」


 エウフェミアにそう返した。


 魔法の実力検査が終わると帰りの会を経て今日の日課が終わる。

 学園では児童が掃除をするということはない。

 児童が下校後に学園で働く清掃員が掃除をする。

 そんなわけで俺はお師匠様と馬車の中。

 三十分ほどのふたりきりの車内デート。


「今日はどうでしたか? 実力検査というものだったんでしょう?」

「魔法以外は問題ありませんでした……」


 検査のことを聞いてきたお師匠様。

 車内ではふたりきりで誰にも見られないということで、右手の五指の先に異なる属性の魔法を顕現させる。


「こういうことはできるようになったけど、詠唱魔法が使えないんです」

「サクヤ殿下の魔力は凄まじい。詠唱魔法の術式では制御しきれないほどだから、不発するんだ」


 という話はこれまでも何度かしてきた。

 スタンリーやシミオンが魔法を使うというのに俺はこうした詠唱を必要としない魔法──お師匠様に教わっている古代魔法しか使えない。

 白の魔女──ブラン・ジャスマインに師事して五年ほどになるけどこういう話を何度も繰り返してる。


「わたくしなら、こうやって使えるけど──」


 お師匠様が詠唱を略さずに口ずさむと指先に火が灯る。


「でも、わたくしでも、何もしなければ魔法が発動しない」


 再び詠唱すると今度は不発。

 それも俺が魔法が使えないときと同じ魔力の流れ、魔素の動きをした。


「この時代の詠唱魔法は欠陥だらけ。詠唱者の魔力総量に対する割合で術式に魔力を流すから、術が必要とする魔力が充溢すると術式が破綻して不発する」


 お師匠様から何度か聞いたこの話。

 魔力総量の多い俺は詠唱魔法が使えない。

 でも、お師匠様は魔力総量が多くても詠唱魔法は使える。

 なぜなら術式に干渉する権能があるからなんだとか。

 それが、聖女とか魔女とかそう呼ばれる類のものなんだろう。

 しかし、その権能を有するために、魔力を最大威力で放出することができないんだとか。


「──時代が時代ならサクヤ殿下はわたくしを大きく上回る……魔道士になれただろうね。だから今はうまく行かなくても心配することはない」


 お師匠様は優しい声でそう言って俺の頭に手を置いた。


「これならできるのに……」


 人差し指から小指に向かって順番に火、土、風、水の極小魔法を待機させ、親指に光魔法。

 五属性を同時に発動できるところまでようやっとたどり着いた。


「本当に凄いね。わたくしではここまで出来ないから羨ましくもあるよ」


 隣に座るお師匠様からのお褒めの声。

 パンツスタイルのお師匠様の太ももと、視線の高さの大きな胸の膨らみ。

 気になって仕方がない。

 気が散りそうになりながら、もう一つ、魔法を追加する。

 手のひらの真ん中に闇属性を置いてみようと挑戦した。


「あ……」


 と、思わず声が漏れたのは制御中の魔法が霧散したからだ。

 まだ、六属性を同時に扱うのは難しいらしい。

 汗もダラダラと流れ出ていた。


「サクヤ殿下、いったい何をしようとしていたんだい?」


 どうやら俺の手のひらの魔力の変化を読み取ったのか、俺がしようとしていたことにお師匠様は気がついていた。


「六つめを使ってみようと思ったんです。そしたら、ダメでした……」

「全属性──途中までは出来てた。あとは魔力の出力強度だけだったね」


 魔力を使って汗が出るのは魔力の供給が追いつかずに過度な負荷をかけているから。

 俺の身体はまだ、そこまでの強度に至っていない。

 けれど、手応えはあった。

 これまでもそうだったから、いずれ六属性を同時に発動できるようになりそうだ。

 やってみたら意外と行けそう。そんな感じだった。


「それにしても、上達が早いね。やっぱり、幼い頃からの積み重ねって大人になってからの成長速度とはぜんぜん違う」


 お師匠様の感心。

 でも、俺も同じく、子どもは大人よりも早く物事を身につけられる。

 俺(朔哉)の記憶があるから、その違いを実体験で自覚できた。

 だから今のうちに──できれば初等部にいる間に多くのことを身につけたい。

 お師匠様と模擬戦をしても、まだ一度も攻撃を当てたことがない。

 レベルが高ければステータスは高くなって相手を余裕で凌駕できる──はずなのに、年齢による身体の成長度合いが反映されているからか、お師匠様には全く太刀打ちできずにいた。

 それでも、ピオニア王国の騎士が相手なら余裕がある。

 ちなみに[呪われた永遠のエレジー]のラスボス──白の魔女のゲーム内でのレベルは八十だと言われている。

 俺のレベルは七十二でピオニア王国の騎士はレベルが高くても三十程度。

 今日、体育館で対峙した騎士団の教官のレベルはおそらく二十もないだろう。

 そうすると九歳の俺の実力はレベルの三分の一から半分程度ということか。


「でも、ボク、お師匠様に全く刃が立ちませんよ? 成長してるのかさっぱりです」


 お師匠様のお褒めの言葉にそう返すのは、やはり、勝つどころか模擬戦では触れることすらできずにいるからだ。


「そう? わたくし、サクヤ殿下を稽古につけてるけれど、今までサクヤ殿下ほどの実力者と戦ったことがなかった。ちゃんと成長してるから大丈夫」


 何が大丈夫なのかさっぱりだ。

 でも、俺がお師匠様に追いつきつつあるというのはそうなんだろう。

 とはいえ、今日の実力検査で自分の強さを少し把握できたのは収穫だった。


「なら、お師匠様に勝てる日も近いですね」

「くっくっく。そうやすやすと勝たせないよ。わたくしはまだサクヤ殿下の講師をやめるつもりがないしね」

「ボクが勝ったら辞めちゃうんですか?」

「弟子は師匠を超えるものとはいえ、負けてしまっては教えられることがないだろう? それに講師を辞めたとしてもサクヤ殿下が成人するまではお側にお仕えする従者だ」

「そういう約束でしたもんね」

「そう。それに、ネレア殿下やノエル殿下もいるしね」


 辞めると聞いて一瞬不安になったけど、負けたら講師から下りるというだけのことだった。

 良かった。

 それはそうと──


「ところで、ネレアとノエルに何を教えたんですか?」

「お二人には古代語と現代語の読み書きを中心に教えた。どちらも鑑定スキルを持っているから覚えるのが早くて驚いてるところだ」


 ということらしい。

 ネレアとノエルは鑑定スキルを持ってる。

 書物を開いて鑑定をすれば古代語を現代語に置き換えてくれるのだとか。

 何とも羨ましい話だ。

 俺が一年近くかけて覚えたことを彼女たちは数ヶ月とせずに覚えるんだろう。

 しかも、ノエルはファストトラベルが使える。

 好きな時に遠く離れたお師匠様の家に行って好き勝手に書庫に入り浸れる。


「それは教え甲斐がありそうですね」

「ええ、本当に。サクヤ殿下を教えるのもとても楽しいけれど、お二人は別の方向性で教えるのが楽しい。将来が楽しみになったよ」


 それはまるで、千年を生きてこれほど充実しているのは初めてだと言わんばかりの柔和な顔でお師匠様は微笑んだ。

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