悪役令嬢①

 翌日──。

 今朝は馬車での送迎。これからも登下校は馬車だ。それも車内はお師匠様と二人きり。

 御者がいるとは言え、なんだかんだで一息がつける貴重な時間だ。

 入学式典だった昨日よりもずっと早くに王城を出てセメントで舗装された大通りを行く。

 ガラガラと車輪が転がり、車内はガタガタと揺れていた。

 昨日も思ったけど、馬車の車輪は木製。

 女性向けの下着は伸び縮みする素材にゴムを使用して華美な装飾をあしらうほどだと言うのに、馬車の車輪にゴムが使われていない。

 街並みだってそれなりに整っているし、ゴツゴツする石畳じゃなくてセメントを伸した舗装路。

 そこまで発達しているというのに馬車にはゴムどころか鉄や鋼はほぼ使われていない。

 なんというアンバランス。

 これが乙女ゲームの世界の奥の深さか。


「そういえばネレアとノエルは今日からお師匠様が見られるんでしたよね?」


 馬車の乗り心地の悪さをお師匠様との会話でやり過ごそうとする。


「ん。そうだね。今日から城外に連れ出してわたくしの家で教えることになっているよ」

「あの二人を城外につれていくのは大変そうだ」

「そこは大丈夫だろう。サクヤ殿下の部屋から直接、わたくしの家に行こうと思ってる。ノエル殿下がファストトラベルを使えるしね」

「あれ、では父上にはノエルがファストトラベルを使うことを伝えたのですか?」

「いや、誰にも伝えていない。けど、ふたりともサクヤ殿下への執着が強すぎて二人で部屋にこもってることが多いらしいから問題ないだろう」


 この城の問題とされているネレアとノエルの行動。

 従者の目を盗んで二人揃って俺の部屋に突然やってくる。

 それは全てノエルのファストトラベルのせい。

 神様は一体どのような意図で彼女にファストトラベルを与えたのか。

 ノエルはそれだけじゃない。鑑定もできる。

 物を観察するときの目の奥の煌めきは間違いなく鑑定によるもの。

 ネレアも同じことをするし、そのときはお師匠様と同じ魔力の揺らぎを見せてくれる。

 ノエルには才能があるんだろうことはそういった経緯からも容易に推測ができた。

 俺にはそういった才能というものが無いから毎日の積み重ねでできることを増やしていくしか無い。

 最初から恵まれた才能を持ってる人間っていうのはやっぱり羨ましい。

 俺(朔哉)の記憶からも同じ気持ちを抱いた経験があるんだろう。

 だから、俺(サクヤ)は俺(朔哉)が無才の自分ができることを探してシステムエンジニアという職業に就いたという記憶から地味なことでも日々の研鑽が将来に実を結ぶと知っている。

 お師匠様はそんな俺に無理なく適切な指導をしてくれた。

 きっとこれからもそうだ。

 欲望の塊にしか見えないネレアと好奇心が旺盛で心の赴くままにしか動かないノエルという奔放な姉妹をお師匠様が俺の部屋を使って行き来をするという。

 無才な俺よりも教えるのは簡単だろうし、お師匠様は千年も前とは言え行儀作法を学び実践を重ねてきたと言うから二人の妹を立派に育て上げてくれることだろう。

 それに俺の部屋はお師匠様が来たら従者は自らの仕事に従事して昼まで誰も入らない。

 俺との付き合いが長いおかげで疑われたり不審がられたりすることがないから信用されている。

 それがファストトラベルを持つノエルにとって都合の良い環境でもあった。

 昼食の時間にここに居さえすれば気軽にファストトラベルが使える。

 ようするにバレなければ良いのだ。


「それはそれで、ボクが困りますけど、それでお師匠様が働きやすいのでしたら吝かではありませんが──」


 俺の本音はやはり妹たちには妹たちの人生を歩んでもらいたい。

 才能のない俺なんかに執着する理由はないはずだからね。

 それでも俺の部屋に入り浸る二人が自由に過ごせるのはお師匠様と三人で俺の部屋で過ごすときだけ。

 そういうことなら──と、俺は妥協した。


「サクヤ殿下がそう言ってくれると助かるよ。正直、二人の王女殿下を連れ出すときは馬車を用意されるから憚られる。サクヤ殿下の部屋なら自由に行動できるからね」

「一理ありますね」


 ふたりとも俺の部屋にファストトラベルで直接侵入できるし、俺の部屋の扉はお師匠様と俺にしか開けられない魔道具で施錠してる。

 城内の人間であっても俺の部屋には誰も入ってこれないのだ。

 彼女たちにとって都合が良かった。


「とはいえ、あの二人には困ったものです。ボクの時間があったもんじゃない……」

「くっくっく……。本当に懐かれてるよね。でも、嫌われるよりずっと良いじゃない」

「それは確かにそうですけど……」

「ネレア殿下もノエル殿下も年頃になったらきっと大丈夫。女の子ってそういうものだから」


 とは言っても、俺(朔哉)には兄弟姉妹がいたことがないから、前世の記憶に頼れないし、お師匠様だって兄弟姉妹がいないのでもしかしたらと思う部分はある。

 けれど、同性としての意見がそうならいつか俺を『お兄様、気持ち悪い』と敬遠されるようになるのかもしれない。

 それはそれで哀しいけど、ここまでベッタリというのも流石に──兄として心配。


「お師匠様がそう仰るならそうなんだと思いますけど……」

「わたくしには兄弟や姉妹がいなかったからサクヤ殿下の期待した答えにならないだろうけど、わたくしも思春期の頃はお父様を避けたりしてたから、おふたりともきっと年頃になれば少し疎遠になると思う」


 そう信じたい。

 さすがに俺の時間、ちょっとくらいはほしい。

 俺は右手の五指に魔力を込めて現象の発現を図る。

 ネレアにもノエルにもこれは見せたことがない。


──火、土、風、水……。


 人差し指から順番に異なる属性の魔法を顕現。


「ほぉ……。随分と安定するようになったね」

「はい。おかげさまで」

「ははっ。良く言うよね。わたくしよりもずっと安定してるじゃない」


 お師匠様はそう言って俺がやってる魔法を真似る。

 元は白の魔女の連続魔法。ゲームでは四連続で強大な全体攻撃魔法を使ってくる。

 それがこれなんだろう。対してサクヤ・ピオニアはヒロインの助力を得て障壁魔法でダメージを軽減するという描写だった。

 それにしても褒められたのは嬉しい。


「ありがとうございます」

「スキルなしで、ここまで魔力を制御できるなんて凄まじい才能よ。もっと誇りなさい」

「お師匠様のおかげです。でも、まだこれじゃ足りないんです。ボクには有用なスキルがないから」

「あなた、本当に自己評価が低いのね。わたくしから見て一番恐ろしいのはサクヤ殿下。一体どれほどの成長を見せてくれるのか楽しみにしてるんだ」


 そう言って俺に優しい笑顔を見せてくれるお師匠様。

 周りは才能ある人間ばかりでネガティブになりがちな俺の数少ない理解者。

 俺の精神は彼女の存在で保たれてるようなもんだ。あと、俺を全肯定する母上とね。

 お師匠様の笑顔が眩しい。

 照れを隠すように俺は親指に光属性魔法の発現を試みる。


「サクヤ殿下ッ!」


 魔力が現界に近付いたのか、額から汗がたらりと落ちる。


「で……出た……」


 親指の先に煌々と灯る小さな光。


「本当にすごい」


 俺は五属性の魔法を並列で顕現出来たことに満足して魔法を解除。

 魔素は霧散して魔力は途切れた。

 お師匠様が目を丸くして見ていたけど、魔法を解除したのを見て息を吐く。

 どうやらもっと見ていたかったようだ。

 でも、この魔法は顕現した状態で維持し続けるのに消費する魔力量がとんでもない。

 学校に付く前に汗でびしょ濡れになってしまう。


「わたくし、千年以上生きてきたけど、ここまで魔法を使える人を見たのは初めて」

「それはどうも……」

「それなのにまだ、拙いところがあるんだから不思議なんだよね」


 これでお師匠様を一つ超えた。

 というのに、お師匠様にはまだ全然敵わない。

 模擬戦だってまだ指一本だって触れられないほど遠い。

 それに俺は未だに詠唱魔法を使うことができずにいる。

 詠唱式を唱えると言霊に乗った魔力が霧散してかき消えてしまうのだ。

 魔法が使えるか否かで成績が割れる高等部では俺は生き残れないだろう。

 あ、でも、この国の王太子だから特別に手厚い待遇を享受できるんだ。

 これはずるい。

 きっと俺が王太子じゃなければ王立フロスガーデン学園の高等部に進めなかったんじゃなかろうか。

 そう思うと俺(朔哉)の記憶に眠る感情がズルをして入学するのは居た堪れないと思わせる。

 俺には才能があると思えるスキルを何も持ってないからね。

 だから、お師匠様に教えてもらってる詠唱のない古代魔法や剣術などを磨くしか無い。


「ボク、まだ九歳ですし、スキルがないからこういうところで頑張るしか無いんです」


 俺にはそれしか道が残されていないんだ。

 これ以上話していると惨めな気持ちになりそうだ。

 そんなタイミングで初等部の校舎が視界に映る。


「わたくしから見たらサクヤ殿下のほうが羨ましい。これも時代ごとの価値観の違いか……」


 お師匠様は小さく呟いた。


 初等部の校舎──。

 校門を通り抜けるとロータリーになっていて、そこで馬車から俺は下りた。

 俺が下りると馬車はロータリーを進んで校門を出ると左折して俺の視界から消える。

 ここからは一人。

 登校時間までまだ時間があるから教室に行っても俺だけかな。

 玄関で靴を履き替えて俺は一年一組の教室を目指した。

 教室の戸を引くと教壇の前の席に一人の女の子。


「サクヤ殿下、おはようございます」


 ガラッと音を立てて開いた戸で俺が教室に入ったと気がついた彼女はエウフェミア・デルフィニー。

 今日も彼女はとても可愛い。

 そんな彼女が席から立ち上がって腰を折って頭を下げた。


「エウフェミア様。おはようございます」


 胸に手を当てて頭を下げて挨拶を返す。

 姿勢を直して机に荷物を置いても彼女は席に座ろうとしない。

 まさか──。


「エウフェミア様。ここは学校ですし、こういった作法は不要ですよ。座りましょう」

「はい。かしこまりました」


 頭を上げて俺に顔を向けたエウフェミア。

 ようやっと顔が見えた。

 やっぱり可愛い。

 彼女の可愛さに癒やされながら椅子を引いても彼女は座ろうとしない。

 俺が座ると、少し置いてから椅子に腰を下ろした。

 第一王子の俺を置いて座るわけには行かない──と、そう考えてのことだろうな。


「普通に座れば良かったのに」

「いいえ、そういうわけには参りません。一国の王子を差し置いて先に席につくなどできませんわ」


 ちょっと拗らせた感のある模範的な回答だけど、ここは学校だからね。

 言っても聞かなさそうだったのでここはスルーすることにして──。


「エウフェミア様、朝が随分と早いですね。ボクが一番かと思ってました」


 王城から学園までそれなりに遠いので今朝は早めに出ている。

 だというのにエウフェミアが既にいるんだから彼女も同じ理由で早くに来たんじゃないだろうか。


「家から少し遠いので早めに出てきたんです。そしたら一番最初でした」


 もう隣に座って机の上を綺麗にしてた。

 早い。


「ボクもここまで遠いから早めに出たんです」

「殿下も同じだったのですね。でも、そのおかげでこうしてふたりでお話ができて嬉しく思います」


 ニコリと笑みを向けるエウフェミア。薄紫色の髪の毛が神秘的で、ピーコック・ブルーの瞳と相俟ってとても見栄えが良い。


「エウフェミア様にそういっていただけてボクこそ嬉しいです」

「ところで叔母様──ヌリア王妃殿下はお元気でいらっしゃるのかしら? お母様がしばらくお会いできて無くて心配しておりましたの」


 エウフェミアの母親はヌリア母様の姉で俺の弟で第二王子のスタンリーとは従兄弟にあたる。

 ゲームではいずれ黒の魔女として立ちはだかる彼女。

 サクヤルート以外のルートではラスボスとして登場し、倒した際にはスタンリーが『これが融通の利かないゴミの末路』というセリフを吐き捨ててた。

 俺の友人キャラのソフロニオにおいては彼女の死体を足蹴にして粗末に扱い罵る。シミオンもエウフェミアには厳しかった覚えがある。

 [呪われた永遠のエレジー]において悪役令嬢として登場し、サクヤルート以外ではラスボスとしてヒロインたちと戦う彼女。

 もしかしたらゲームでの俺は彼女のことも守りたかったのかもしれない。

 そう思わせる感情が俺(サクヤ)には確かに存在した。

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