いもうと①

 南北に伸びる大通り。

 学園の初等部校舎を出ておよそ三十分弱で城に到着。

 馬車から下りると父上とヌリア母様が待っていた。

 珍しい。


「サクヤ、素晴らしいスピーチだった。父として誇らしく思う」


 本当に珍しい。

 父上がそう言って笑顔を俺に見せるとゆっくりと俺の頭に手を置いた。

 こうして父上に頭を撫でられたのは俺(サクヤ)の記憶では初めてかもしれない。

 父上と俺の間の距離はそれほどまでにかけ離れたものだった。


「あ、ありがとうございます」


 びっくりして上手く声にできず、消えてしまいそうな小さな声を振り絞るのが精一杯。


「私も、この国の妃として、心から誇りに思います」


 ヌリア母様は俺の前で屈んで視線を合わせて褒めてくれた。

 父上が俺から手を離すとヌリア母様は俺を抱きしめる。

 甘い香りが俺の鼻を刺激してムズムズする。

 これはマズいと、ふと、冷静になったら、ふたりとも大袈裟だよね──と、思ってしまった。

 とはいえ、俺がヌリア母様から無理やり離れるわけにはいかないよね。

 母上に助けを求めたくて見上げると母上は父上と和やかに言葉を交わしてる。

 俺のことなんて一瞥すらしない。

 仲が良いのか悪いのか、よく分からない母上と父上。

 で、俺は血の繋がらない母親に抱きつかれて頭を撫でられてる。

 嬉しいけど恥ずかしいものだ。


「さ、春になって暖かくなったとは言え、まだ寒いですから入りましょうか」


 ヌリア母様がようやっと離れて城内に戻ろうと促してくれた。


 それから、俺は私室に戻る。

 扉のハンドルレバーに手をかけて魔力を流す。

 そうするとすっとハンドルレバーが下りて扉が開く。

 どうして、こんなことをするのか。

 それは、この部屋には誰も居ない。

 俺の専属の使用人だったマイラ・ダンデリオンは結婚のため退職。

 だから部屋の面倒は一部の使用人が交替で行い、俺の側近にはお師匠様がつくことになった。

 そうして考えるとお師匠様って多忙になりそう。

 普段は俺と一緒。

 俺が学校に行っている間はネレアとノエルの先生。

 休む間がないんじゃないかってお師匠様にも言ったけど、お師匠様は


「これほどまでに才能豊かな人間が多く現れた時代はこれまでなかった。わたくしにとってもチャンスなんだ」


 と言う。

 彼女にとって頑張りどころなのだと。

 そんな感じで、この部屋には俺とお師匠様のふたりきり──と、言いたいところだけど、そんな時間は短くてとても希少。

 なぜなら──。


「にぃに! おかえり」

「サクヤお兄様、おかえりなさい」


 突然、現れた二人の妹。

 ノエルとネレア。

 三歳になる可愛い妹と五歳になる、これまた可愛らしい異母妹。

 ノエルのファストトラベルでこの部屋に侵入してきたのだ。

 ネレアの部屋と俺の部屋の空間を繋いだゲートを創ってふたりして跨いで来た。

 俺の部屋に入ると門は閉じる。


「ただいま。ネレア、ノエル」


 彼女たちとは寝るときも一緒。

 その様子をお師匠様は微笑ましい表情を向けて眺めていて、俺を助けてくれる気配は一切なし。

 どうして、こうなった。

 異母弟のスタンリーや実弟のシミオンとそう変わらない接し方しかしてないはずなのに、彼らとは執着度が全く違う。

 それからふたりの妹がこの部屋に来たということで、ネレアとノエルの世話役の侍女がこの部屋にやってくる。


「ルベリウス様、宜しいでしょうか」


 と、言った具合に。


「はい。どうぞ」


 俺が声を出すとお師匠様が扉を開ける。

 いつものことだ。

 こうなってしまったらネレアもノエルも俺から離れてくれない。

 とはいえ、これから昼食なので俺は着替えをしなければ。


「サクヤ殿下、お着替えの準備をいたします」


 俺の着替えがまだだということで、ネレアの使用人──ミア・イポメアが俺の着替えを準備。


「では私はサクヤ殿下のお召し物を頂戴いたしましょう」


 ノエルの使用人、ムヒカ・カリステジアが俺のジャケットを受け取るとシャツのボタンに手をかけて器用に外していく。

 俺の世話をする一部の使用人というのは主にこの二人。

 ネレアとノエルがこの部屋に入り浸るせいで俺の使用人は彼女たちの使用人を兼ねることになってしまった。

 だから、俺の護衛もできるお師匠様が俺の側近としていつも身近にいる。

 そんなお師匠様は子どもたちに出すお茶を煎れ始めていた。

 俺は二人の使用人のなすがままに着替えを進める。

 マイラはこんなときでも鼻息を荒くしていたなと思い出す。

 結婚するって言ってたけど大丈夫かな。

 俺の着替えを手伝う二人はどちらも既婚の女性で子どももいる──こう言ったら失礼だけど、それなりに年齢を重ねた人。

 俺としては安心、安全でこういう部分では信頼できそうな使用人って感じかな。

 手際よく着替えが済むと、もう昼食の時間。

 俺はふたりの女の子に手を引かれて食堂に連れて行かれるのだった。


 食事の後──。

 俺の部屋ではお師匠様がファストトラベルを使って開いたゲートが浮かんでいる。


「ネレア様とノエル様はまだわたくしの部屋に行ったことがないから、ファストトラベルでまずわたくしの屋敷に参りましょう」


 俺の部屋には俺とお師匠様、ネレアとノエルの四人。

 ネレアとノエルの従者はそれぞれ二人の王女の私室の清掃を行っているはず。

 で、俺の部屋の扉は魔法による鍵を施していて俺とお師匠様にしか開けることができない。

 ネレアとノエルの二人は門の先に見えるお師匠様の家の様子に興味津々。

 ふたりとも普段からファストトラベルを使っているから慣れたもので、お師匠様が見守る前で転移門に飛び込んだ。

 続いて俺とお師匠様も門を跨ぐ。


「ここで、お兄様がお勉強なさってたんです?」


 お師匠様の屋敷──と言ってもここは王都の貴族街の一角。

 俺はここでは勉強していない。


「ここは中継地点みたいなものでね。本当はここじゃない場所で教えているんだ」


 お師匠様がネレアに答えた。


「少し周辺を見てこよう。そのほうがファストトラベルがしやすくなる」


 そういってノエルの手を取るお師匠様。

 ノエルはお師匠様の冷たい手を握って屋内だけじゃなく門庭や裏庭に出て周囲を見て回る。

 この屋敷。裏庭からは王城を眺めることができる。

 これがまた良い景色で、王城の壮大さを実感するはずなんだけど、以前、お師匠様に連れて行ってもらった千年前に滅んで廃墟と化したマトリカライア王国の王城には及ばない。

 ふたたび屋敷に戻ってきたら、お師匠様とノエルが二人で言葉を交わす。


「うち、戻る?」

「ああ、わたくしも一緒に行こう」

「ん」


 俺とネレアを置いてファストトラベルを開いたノエル。

 門にお師匠様とノエルが入ると次元の扉は跡形もなく消えた。

 それから数分としないうちにノエルとお師匠様がファストトラベルで戻ってくる。


「にぃにっ! にぃにっ」


 ニコニコしながら俺に飛びついてくるノエル。


「ふふふ。飲み込みの早さはサクヤ殿下譲りだね」


 どうやらノエルのファストトラベルでここに戻ってきたらしい。


「では、次は、サクヤ殿下が勉強に使っている場所へ連れて行こう」


 お師匠様のスキルで顕現する時空を超える門が開く。

 ゆらゆらと揺れる門の向こうは俺が見慣れた景色だ。


 魔女の森を抜けた先にあるボロボロの廃屋──。

 [呪われた永遠のエレジー]では朽ちた家だったのだが、ここでは立派なお家。

 特にお気に入りの地下室は光が差し込まないのに王城よりも明るい魔道具で非常に快適。

 給湯設備風呂トイレ完備。

 お師匠様はめったに使わないというのにオーバースペックだと感じられるほど整った家屋だった。


「お兄様、この調度品──、千年以上前の魔道具みたいです」


 五歳になって話が通じるようになったネレアはお師匠様の家の中を鑑定して回る。

 ノエルもお師匠様の手を取ってキョロキョロと目を動かしながら鑑定を使ってた。

 鑑定は魔力に指向性があるからか、使ったことがよく分かる。

 なのに、ファストトラベルはわからない。違いがわからん。同じスキルじゃないのか。

 ともあれ、せっかく来たから本でも読もう。

 地下室に向かった。


「お兄様、これ読めるんです?」


 地下室は壁一面に本が納められてる。

 室内も本棚が並んでいてまだ全部を読み切れていないほど。

 なにせこの本の数々で知らない言語。

 お師匠様に聞きながら読めるようになるまで随分とかかった。


「ん。お師匠様にこの本の言葉を教わって読めるようになったんだよ」

「難しい……」


 ネレアには早かったな。絵がないもんね。

 それでも鑑定して本が何なのかを知りたがってるから俺と同じで直ぐに読めるようになりそう。

 俺が本に集中しはじめてしばらく。


「にぃにぃー」


 地下室に下りてきたお師匠様とノエル。


「ネレア殿下も本を読まれるので?」

「あたしわからない。この本難しいです」


 ネレアの手の本を見たお師匠様がネレアに聞いたが、ネレアは王国で使う字もまだわからないからな。

 異国の──それも既に滅んだ古代の国の文字なんてもってのほかだろう。


「読みたくなったら教えるよ。でも、その前に読み書きを覚えないとね」


 ノエルはともかくネレアには必要なことだ。

 まだ五歳と幼いけれど少しずつ読み書きを覚えてたほうが良い。

 俺(朔哉)という前世を持つ俺(サクヤ)とは違うのだ。


 お師匠様の家ではそれほど長く滞在しなかった。


「さあ、戻ろうか。今日は様子見で連れてきただけだからね」


 お師匠様は言う。

 明日からは直接、ここに来て勉強するのか。

 俺のときと違うのはノエルがファストトラベルを使えるからだろう。

 閉ざされた俺の部屋で勉強してるとなれば誰も干渉しない。

 ネレアとノエルが俺に付き纏うのは城内ではアンタッチャブルな話題。

 国王である俺の父上の頭を悩ませるほどのブラコンっぷりを彼女たちは隠さない。

 とはいえ、あと何年かすれば俺に付き纏うなんてこともなくなって「キモい」とか「クサい」とか言われるようになるはずだ。

 俺(朔哉)の記憶によると兄妹というのはそういうものらしいからね。

 そんなわけで、今、彼女たちのブラコンを憂いて遠ざける必要はないと判断して放置。

 何せ前世の俺に兄弟姉妹がいないからどう接したら良いのかがわからない。

 お師匠様と手を繋いでいたノエルが手を離して俺の傍にトテトテと可愛らしく歩いてくる。


「にぃにー」


 俺の膝に抱きついて上目遣いするノエル。

 小さな幼女の向こうにはお師匠様のお姿を眺める。

 隣には古代の絵本を開くネレア。


「ブラン様、これ、持っていっても良いですか?」


 地下の書庫を見てて見つけた数少ない古代の絵本だった。

 こんなのがあったのかと思った俺は、もともとここでは魔導書ばかり漁っていたことを思い出す。


「ああ、構わないよ。ノエル殿下と仲良く読んで一緒に返してくれれば良いよ」


 お師匠様の微笑みはまさに魔性。

 子どもに優しい笑みを向けているだけだと言うのに凄まじいほどの色気を放つ。


「やたっ。ありがとうございます。ブラン様」


 満面の笑みをお師匠様に返すネレア。

 俺の膝に顔を擦るノエルを向いてネレアは続ける。


「帰ろ。ノエル」

「はい」


 ノエルは返事をして俺から離れると、誰も居ない場所に手をかざす。

 空間を繋ぐ時空の門が開いた。


「流石だね。ノエル殿下は」


 門の向こうは俺の部屋。

 行きはお師匠様のファストトラベルで、帰りはノエルのファストトラベルで長い距離を一瞬で跳躍した。

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