母上⑤
目が覚めたのは母上にアムリタの輝水を飲ませてから二日後の朝だった。
なんかめっちゃ長い夢だったな。
目が覚めるまで見ていた夢はやけにリアルだった。
母上にアムリタの輝水を飲ませた記憶があるというのに、夢の中の俺は眠ったまま動かない母上を見ているしかなくて、お師匠様に助けを求めたくてもお師匠様が来ない。
それから俺は毎日、母上の部屋に入って母上の世話を買って出て、シミオンとも遊んでスタンリーとも遊んだ。
ネレアは相変わらず俺に付き纏ってきて掴んで離さないという始末。
ここまではいつもの日常なのに、夢の中の俺はずっと淋しくて辛くて──。
ブラン・ジャスマインという長身で美麗な白銀の髪の女性を待ち続けて、それでいて、母上の目覚めを信じて待っていた。
でも、母上が眠りについてから十日後。母上は息絶える。
──助けてよ。母上を助けてくださいよ。お師匠様!
夢の中の俺は慟哭に沈み行きながらもブランを求めた。
お師匠様は首を横に振って「わたくしにはこれを解く方法がわからない……すまない」と俺に誤り続ける。
死んだ人間は生き返らない──そんなことはわかっていても俺は母上とまだ一緒にいたいと願った。
だから、お師匠様に縋る。最後の頼みの綱が──この時の俺がただ一人頼れる存在がお師匠様だけだった。
でも、お師匠様にだって、死んだ人間を蘇らせるなんてできるわけがない。
分かっていても助けて欲しいと乞う。誰も、俺の声を聞いてくれる人はない。
で、目を覚ましたんだけど──。
「お師匠様……」
ぼそっと声に出してしまった。
あれから、お師匠様の姿を俺は見ていない。
誰にも縋れないなら自分が強くなるしかないと考えたのだろう。
どこに行けば会えるのかわからないブラン・ジャスマインを求めて、サクヤ・ピオニアは必死にあがいたのだと、目が覚めて気が付いた。
その俺(サクヤ)も、この俺(サクヤ)も、きっとお師匠様が大好き過ぎる想いが強すぎたのかも知れない。
だがしかし、俺の心の友はお師匠様しかいないのだ。
「ん。起きたのか?」
どこからともなくビロードが奏でるような透明感のある素敵な声がする。
この声は間違いなくお師匠様だ。
「おはようございます。いらしてたんですね」
「おはよう。いつもの時間だからな。キミがいつ起きても良いようにとずっと通っていた」
「そうだったんですね。もしかして、ボクが居ない間もずっといらっしゃってたんです? もし、そうならお師匠様、ボクのこと好きすぎじゃないです?」
ちょっと揶揄ってやるつもりだった。
お師匠様はあまりこういうのに慣れていなくて真っ白な素肌を微かに桃色に染まるのを見るのを俺が楽しんでいたからね。
あまり色が変わったりしないし、恥ずかしい思いをしても真っ赤にならないお師匠様だけど、ほんの微かに、じっと見ないと赤らんでいるかどうかもわからない程度だけど、白い肌だから少しの変化も俺にはわかりやすかった。
なのに!
「ああ、わたくしはサクヤ殿下が好き過ぎて毎日ここに通ってたさ。それこそ今にも家に連れ帰ってわたくしの褥に招きたいほどにね」
やり返された。
「わたくしだっていつまでもやられっぱなしというわけにはいかないの」
くっそ、くっそ!
めっちゃドヤってる。
そのドヤってる顔が妙にいじらしくて、とても唆る。
俺のリトルはまだ成長しきっていなくて機能が不完全だって言うのに。
ベッドを降りようと床のスリッパに足を通したら、お師匠様が近寄ってきて抱きしめてきた。
「お師匠様……」
「ふふ。今の声。寝起きにわたくしを呼んだ声と全く同じ声色ね」
「いや、だって──」
お師匠様がこうやって俺を抱いたのは初めてかも知れない。
いつもあまり接触を好まない。せいぜい手を繋ぐくらいだった。
こうして抱かれるとお師匠様の体温が不自然に低いと分かる。
でも……。
「サクヤ殿下のご無事を確かめたかったんだ。許しておくれ」
師匠の声に応えないはずがない俺だ。
気が済むまで抱かせてあげよう。
俺は頭をもたげて師匠の身体に頭を預けると、とんでもないことに気が付いた。
心臓の音がしない。
もう一度確認しよう。
やはり心臓の音がしない。
だが、しかし、おっぱいやお腹の女性らしい柔らかさは生きてる人間と変わらないほんのりとしたぬくもりが感じられる。
ほんのちょっと温かみがないだけで。
でも、どうやって心音を隠してるのか。
気になるけど、まあ、今はいいか。
今はこうして師匠に身体を預けて頭を撫でてもらうことに甘えよう。
いい匂いするし、ちょっと興奮する。
俺(サクヤ)の男の子の機能の一部はきちんと動作しているのだ。
「こんな気持ちにさせられたのはサクヤ殿下が初めてだ。助けになれなくて済まなかった」
師匠の謝罪しながら俺の頭を撫で続けてる。
「いえ。ボクのほうこそ──。勝手な行動でお師匠様にご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「ん。心配はしたけど、サクヤ殿下がいなくなってしまうんじゃないかって思ったら、何だか不安で怖くて──本当に生きて帰ってきてくれて良かった」
お師匠様の声色が何だかとてもしおらしくて母親が我が子を慮るかのようで、はたまたそれは、愛おしい恋人を失いたくないという想いに焦がれているようで、まだ六歳という子どもの俺にはとてもこそばゆい。
師匠に随分と長い間、抱かれていたのかもしれない。
お師匠様の甘美な香りが脳を痺れさせて過ぎゆく時間を忘却の彼方へと運んだ。
師匠の冷たい身体と甘い匂い、そして、柔らかいお腹やおっぱいに俺は存分に甘えて浸ることにした。
「失礼します」
お師匠様の感触を楽しんでいたら、扉が開いてマイラが入ってきた。
「あ、殿下。お目覚めになられたんですね。良かった──」
マイラが安堵して涙目に。
お師匠様はマイラの声で俺から離れた。
俺は寝てる間に世話を焼かせてしまったことを労うつもりで──。
「お世話をかけました」
「本当にですよ。とてもお世話しちゃいましたから、今度から自重してくださいね。本当に、一人でどこかに行っちゃダメですよ」
マイラに怒られてしまった。
「では、もうすぐお昼になりますから、お身体をお拭きしようと思いましたが目覚められたということで湯浴みにいたしましょう」
寝起きでダルいところだけど、お風呂に入ったらスッキリしそうだな。
「わかりました」
俺は返事をすると、マイラは白の魔女を風呂に誘う。
「ブラン様もおいかがでしょう? たまには良いと思いますよ?」
「わたくしはご遠慮して、ここでお待ちしております」
お師匠様の裸体を見たかったかもしれない。
さぞ凄まじい破壊力を持っているに違いない。俺(朔哉)はきっと見たがっている筈。
かくいう俺(サクヤ)も俺(朔哉)に嗜好が引っ張られているからかお師匠様の身体に興味津々。
この好奇心を満たしたくて仕方ない。
さて、それはいつになることやら。
とまあ、今日のところはマイラに隅から隅まで隈なく手洗いされたわけで……。
毎回思うんだけど俺(朔哉)の記憶があるから、とてもエッチに感じるんだよね。
マイラの手付きがとてもいやらしくて居た堪れない状態になってしまうから。何がとは敢えて言うまい。
そして、その度に、俺(朔哉)の幼少期の出来事が掘り起こされて少しばかり警戒して身動ぎしてしまう。
そういう女性と同じ目を彼女がしていたというのもあるのだけどね。
食堂に連れて行かれると母上の姿が目に映った。
ああ、良かった。母上は一緒に食事ができるまでに回復したんだ。
頑張った甲斐があった──けど、席が違う。
「目が覚めたか。食事の後にゆっくりと話を聞かせてもらうとしよう」
美丈夫な父上は少しやつれた顔をしていたが俺に対しては淡々としていた。
ともあれ、この席順である。
父上の左にはヌリア母様が座り、それから順にスタンリー、ネレアと座っている。
母上が父上の右側で、俺はその右の席──シミオンの左に着座。
これでなんとなく察した。
正妃がヌリア母様になり、病に伏した母上は裏方に回ったのだ。王位継承順位も代わったことだろう。
「承知しました」
父上に返事をして座ったら、隣から母上が、
「ナサニエルと話したあとは私の部屋に来てちょうだい。良いわね」
と、言いたいことがいっぱいありそうな顔だった。
なお、右に座るシミオンは俺が座るとパーッと笑顔になってめちゃくちゃ可愛い。
さすが俺の弟なだけある。本当に可愛い。
真正面のスタンリーも嬉しそうな顔をしていたし、しんみりした空気じゃなくて良かった。
しかし、兄妹の中で唯一の女の子のネレアが席を立とうとして何度も怒られていて可愛そうだったな。
で──食事が終わったら俺は父上の執務室にいるわけだが……。
「まず、一週間、何をしていた」
俺が帰らなかった一週間のことは当然気になるだろうね。
正直に言うことも考えたけれど[呪われた永遠のエレジー]のストーリーが始まってから、もしヒロインが攻略を始めた時に宝箱がないなどのことがあってはいけないと考えて俺は誤魔化すことにした。
「父上がブラン様を追い出したと聞いてブラン様を追いかけました。そしたら道が分からなくて迷子になりました」
「ブランについては申し訳ない。俺が急ぎ過ぎた。故に謝罪しよう。しかし、一人で城を出たことは許容できない。よって、その件は処罰を用意する」
「はい。申し訳ございませんでした」
五日間もいなかったというのに何このあっさり対応。
俺がラクティフローラ地下水道に潜っていた件はこれで終わり。
俺に対する処罰も王位継承順位の降格で済むはずだ。母上が正妃から降ろされて俺も王位継承順位が下がるからね。それで相殺。
「次に、ニルダを治したという薬はどうした?」
「あれは迷子になっている間に拾いました。とても良く回復したので母上に試してみたんです」
アムリタの輝水についても俺は誤魔化した。
あんな完全治療薬が表に出てはとんでもないことになる未来しか見えない。
使ったら光の粒子になって消えるアムリタの輝水の中瓶だし証拠が残らないし。
だから、知ってる人間だけ知っていれば良い。
それに一パーティに一つしか持てない──というのは俺が一つ持った時にもう一つが出現していないことで確認はしている。
いくつも取れないものだから知った後に「無いではないか」と嘘として捉えられる可能性もあった。
「そうか。詳しくは知らないのだな?」
「はい」
こうして俺の言うことを聞いてくれるのは俺が六歳で状況を理解する能力に乏しい年齢だからというのがあるのかもしれない。
ある意味これはこれで都合が良い。
「わかった。それも当然であるな。サクヤはまだ幼い。迷子になったとて、こうして無事に戻ってきたことを喜んでおこう。俺はこれから仕事をしなければならない。もう良いぞ」
俺は父上から解放された。
次は母上の方だ。
母上の部屋に行くとマイラがいた。
「随分と早かったわね。さあ、こちらにいらっしゃい」
母上が座るのは二人がけのソファー。
その隣に母上は俺を座らせた。
「はい。簡単な質問だけでした」
「そう。ナサニエルはもう貴方への関心がないみたいね」
母上は言う。
とは言え母上は父上と仲良しなので、母上も俺に対して関心がないということにもなりかねない。
そうならそうで、俺はお師匠様のところで本を読み耽った生活ができるんじゃないかと──そっちのほうが楽しそうだとさえ思ったのだがそんなことはないようで。
「私の息子であることに変わりはないのよ。でも、私が正妃から降ろされてしまったのも、心象が良くないみたいで、貴方の序列を下げたのも悩んだと思うわ」
と、続けた。
「ボクは王様になれると思っていないので大丈夫です」
などと答えると母上はちょっとニヤッとする。
「それは良くないわね。継承順位が下がったとしても二位だから。サクヤの王子としての教育は今までと変わらないから安心よ」
それも分かってはいたけどね。
それにスタンリーは王位を継がない。
早い段階で王位継承権を放棄するのだ。ストーリー開始前には既に王太子がサクヤだったから間違いないはず。
俺も王位を継がないからちゃんとシミオンがピオニア王国の王として君臨してくれることだろう。
性格的にも才能的にもシミオンが最も王に相応しい。
「さあ、次が本題よ」
母上は俺を離してくれなかった。
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