白の魔女②

「ニルダ様。サクヤ殿下をお連れしました」


 室内に向かって用件を伝えるマイラの声に母上が「どうぞ」と返した。

 ここしばらくは自分から応答することができないほど弱っていたのに少し元気を取り戻したらしい。

 部屋に入ると相変わらずベッドの上だけど顔色の良い母上と、傍にはライラ・ルベールというリリウム教キャンディダム教院所属のヒーラーが椅子に座っていた。

 ライラは小柄で小動物みたいな女性。

 胸が平たく凹凸があるのかも怪しい。でもれっきとした大人の女性だと言う。


「ただ今戻りました」

「おかえりなさい。ささ、こっちにおいで」


 母上の声は元気そうで、俺は安心した。


「ブラン様の授業はいかがでしたか?」


 客人が居るというのに俺はベッドに上がらされて、母上に抱き寄せられて頭を撫でられている。

 ブランと違って小さいけど温かい手。俺を安堵と歓喜に染め上げるやさしい手。


「はい。今日の授業はとても楽しかったです」


 俺はファストトラベルで移動したこと以外洗いざらい話した。


「サクヤが楽しそうで安心したわ。私、サクヤがそんな顔で話すところを見たことがなかったもの。良い講師に巡り会えて良かったわね」


 俺も母上が幸せそうに微笑む顔を初めて見る気がする。

 こうして母上が元気になって、こんなにゆったりした心が温まる時間を、ずっと積み重ねられればと願っていたけれど、どうやらそれは神様に望まれなかったらしい。

 白の魔女に様々な学問と武芸、そして魔法を教わり、母上やヌリア母様とふたりの弟とネレアという妹が居て、父上は食事以外で一緒に過ごすことはないけれど、王族とは言え家族として過ごす日々。


 月日が流れ一年と数ヶ月──。

 六歳になった俺は今日も相変わらず、師匠で魔女のブラン・ジャスマインの本宅で魔導書を読み漁る。

 一年でマトリカライアという国があったという時代の言語を師匠の教えでマスターして当時から伝わるという書物を読むようになった。


「もう、お昼でしょ? ご飯、作ったから食べなさい」


 長身巨躯──失礼、ダイナマイトバディなお姉様。白の魔女のブラン・ジャスマインが俺にお昼を報せる。

 ここは地下室。本がぎっしり並んでいて古い魔導書のみならず貴重な歴史書が並ぶとんでもない場所だった。

 それがわかったのは本を読めるようになった数ヵ月前。

 どれも貴重で読み進めれば全てが国家機密レベルの情報だというのが分かる。

 ここで本を読むのに夢中なのは未知の魔法だけじゃなく未知の世界が存在するからだ。

 俺(朔哉)が転生したゲームの世界[呪われた永遠のエレジー]なのは分かるんだけど、それが、こんなに深い世界だったなんて思いもしなかった。

 キリが悪い。もうちょっと読み進めたい。

 だけど、言うことを聞かないとあとが怖い。だってお師匠様は怖いラスボスの白の魔女。


「はい。今行きます」


 しおりを挟んで本を閉じ、本があった場所に立てかけて、地下室から階段を上がってダイニングへと向かった。


 ここに通って一年と少し。

 俺は毎回、魔女の手料理を食べているけど、魔女が食事をするところを見たことがない。


「どう? 美味しい?」


 などと、聞いてくるだけ。

 料理は最初は質素でごく普通の味のものだったけど、日に日に料理が上達して今では城の調理人に引けを取らないレベルの腕前だ。

 美人でかっこよく、綺羅びやかで一つ一つの言動が煌めいている。

 一緒に過ごしているうちに俺は師匠に強く憧れた。

 だって、俺(サクヤ)、まだ六歳。強くてカッコよくて綺麗なお姉さんって最高じゃないですか。

 そんなお姉様が俺の目の前で不安げな顔で料理の出来を問う。

 新婚家庭のお嫁さんみたい。

 それだけで俺は全身に熱を帯びた血が駆け巡って身体が熱くなる。

 俺はまだ子ども。そう言い聞かせる。同じ男の子なら分かるだろう。子どもでも男の子は男の子なのだ。


「すごく美味しいです。本当に美味しいですよ。なのにいつもどんどん美味しくなって……毎日、師匠の料理が食べられて幸せです」

「な……あまり大袈裟に褒め過ぎると嘘っぽく聞こえるよ?」


 そうやって照れてはにかむ師匠。

 照れを誤魔化すのに覗き込むように人を見て疑うふりをする。

 そんな師匠が実はとっても可愛い。ドキドキが止まらない。

 最初こそ、かっちりした服で纏めてカッコよく見せていたけど、今ではスウェットパンツとトレーナーという部屋着。

 朝夕の送迎のときだけ硬い服装で家では楽な服で過ごしてる。

 武芸の訓練もこのラフな格好が動きやすいのだとか。

 見栄を張るところでは見栄を張るお師匠様である。


「本心ですよ。そうやって疑ってくるところ。とても可愛いです」

「なっ!! 子どものくせに大人を揶揄って。そんなこと言うともう作ってあげないよ? 昼の一食を抜いたところで死にはしないんだから」

「それは困ります。ボク、育ち盛りの六歳児ですから」

「まったく」


 厳密に言えば六歳児は育ち盛りではないかも知れないけど第一次成長期の末期くらいじゃなかったかな。

 俺は師匠の料理を食べて喋るのは後回しにする。


「わたくしに子どもがいたらこんな感じだったのかな……」


 食事をとる俺を見て、ブランはぼそっと呟いたことを俺は聞き漏らさなかった。

 魔女がそういうのなら、俺(朔哉)が結婚していたらこんな感じだったのかな──そう思ってみる。

 なるほど、そう考えるとしっくりくるな。

 二十代半ばくらいの歳なら俺(サクヤ)くらいの子が居てもおかしくない。

 ともかく、聞かなかったふりして飯を食おう。

 午後は魔法を教わるのだ。


 この一年で、俺は魔法を一通り使えるようになった。

 それも無詠唱で。

 なぜ、無詠唱か。それは師匠の蔵書の魔導書に記されていた魔法理論によるものだ。

 つまり、当然、師匠も魔法を無詠唱で使う。

 魔導書によると、ピオニア王国の魔道士たちが詠唱して使う魔法は魔道具と大差がないらしい。

 詠唱魔法は言霊に魔力を乗せた術式。魔道具も似たもので魔道具に刻んだ魔法陣という術式に魔力を流すことで発動。

 古代の人達は詠唱魔法が生活魔法で、無詠唱魔法が本当の魔法だった。

 詠唱魔法は手間をかけることで足りない魔力を体外から補うことができる。

 ピオニア王国では幼少期から魔法の素養があるものに魔法を教えるが、その素養こそが無詠唱魔法だったりする。

 スタンリーが土人形を作ってる時に使ってるあれ。それが無詠唱魔法。

 しかしなぜ、そんな貴重な魔導書がここに存在するのか。

 考えなければならないことだけど俺はまだ六歳。

 強くなることを優先して先送り。目の前の美女に甚振られて強くなるんだ。

 そう。最近は魔法も武芸も基礎練習したら模擬戦。

 ラスボスが直々に俺の鍛錬をしているのだ。俺にはもうラスボスって感じがしないし、そう思えないんだけどさ。

 俺といるときは気安くて親しみやすい言葉遣いだからね。


「凄いよ。やっぱり子どもって覚えが良いのね」


 師匠の土塊を避けてかけられた言葉。

 魔法で出来た土塊はスタンリーが作る土よりも大きくて硬い。

 それを容赦なく俺に向かって射出する師匠。殺す気かと思われるだろうがぶつかったら砕けて消える程度のもの。

 似たようなものを水や風、氷といった具合で魔法で創った武器。

 俺も師匠の手ほどきのおかげで体外に魔力を流して魔法を使うことができるようになっていた。

 俺は水の塊を何とかして師匠にぶつけたいと常々思っている。

 理由は水だから。水だからだ。

 でも、これまで一度も師匠に魔法を当てたことがない。

 やはりラスボスは強いのだ。

 で、師匠の土塊。

 飛んできた土塊をとにかく避けた。

 師匠のおかげでちょっとしたステップ移動でもめちゃくちゃ速くなったし、ステップが間に合わない時は闇属性や風属性の魔法を応用したホバリング移動みたいなこともできる。


「ボク、避けるだけで精一杯ですよ。師匠に全然当たりませんし」

「わたくしだって避けるのでいっぱいいいっぱいだよ。あなたの魔法に当たったら濡れちゃうじゃない」


 魔法の応酬は続く。

 師匠は宙に浮きながらひょいひょいと移動していて、俺は脚力を強化してステップで交わす。

 ステップが間に合わない時は闇属性魔法で重力を調整するんだけど、師匠みたいに長く維持できない。


「だって、ボク、飛べないじゃないですか。ズルいですよ」

「サクヤ殿下が加減を知らないからでしょう? もっと頑張りなさい」


 で、容赦なく飛んでくる土塊。

 子どもに容赦ない。

 とはいえ、水の一つでもあててちょっとエッチな姿にしてやろうという俺の動機もある意味不健全か。ならば必死に避けるというのも当然。

 闇属性魔法で重力を操れば浮遊するけど、まだ、うまく感覚が掴めない。

 俺が使うと体中の血液が偏ったり、あらぬ方向に飛んでいきそうになったり。前世の知識があるにも関わらず、経験が足りてないので制御が難しい。

 ブランのあられもない姿が見たい──これは俺(サクヤ)と俺(朔哉)が全会一致する強い願い。

 俺(朔哉)には女性からイタズラされてPTSDになったという記憶があるというのに、元は二次元の絵だった目の前の三次元の女性は俺(朔哉)の好みに完全一致。ついでに、俺(サクヤ)の嗜好にも完全一致。

 強い憧憬との強烈な相乗シナジー効果で色んな意味で白の魔女を追い求めた。

 でも、どれだけ頑張ってもまだまだ敵わないんだけどね。


「でも、もう、ボク……ムリ……」


 庭を駆けずり回って最後は体力が追いつかずにギブアップ。

 芝生の上で大の字になって寝転がった。

 身体強化は魔力の消費より体力の消耗が大きい。最近の傾向である。

 俺はまだ子どもだからトレーニングで筋力や体力をつけるのは負担にしかならず実力の向上に直結しない。

 それでも前世の知識から子どものうちからできる体幹トレーニングはやってる。使用人が帰った後に。


「んー。これだけ遊んでも魔力はまだまだ余裕があるのね。底知れないわ。本当に」


 ブランが俺を鑑定して状態を探った。

 バテて息切れしきりの俺、サクヤ・ピオニア。

 傍に来たブランはしゃがんで俺の顔を覗き込む。

 燃え盛る真紅の瞳は微かに潤んでいて俺の心に温かく突き刺さる。

 白金の長い髪の毛が垂れて俺の顔を撫でた。

 ゆっくり流れる風がブランの髪の毛にイタズラをして俺の顔を擽る。

 擽ったさよりも師匠の整った美麗な顔立ちに俺は見惚れた。

 はあ、本当に綺麗だなー。まさに理想。こんな美しさを讃える女性は身近に居ないわけではないがやはり──。


「お師匠様って本当に美人ですよね。今だに独身だというのが信じられません」


 お師匠様は褒められ慣れていない。良くも悪くも初心うぶで可愛らしい。

 首を横に動かすとそこには女性の神秘的な三角地帯が拝めた。

 お尻のかたちが素晴らしい。

 スウェットパンツという下に履くピッタリした長いパンツ。

 ゲーム中でもヒロインの部屋着としてチラリと映ってた。

 お師匠様も愛用してらしゃったようで、それを間近でこの角度の視点。

 大変に眼福でした。


「このスケベ! どこを見てるのよ! まったくッ!!」


 お師匠様にバレてしまった。

 怒って手で股を隠す白の魔女。

 その名に違わぬ真っ白な素肌の顔を桃色に染まっててとても可愛い。

 お師匠様は何故か満更でもない顔で俺は怒られてる。

 この照れと羞恥心を誤魔化す怒り顔が非常に尊い。この尊さはエウフェミアの泣き顔に匹敵する。ネレアの存在そのものと同等。

 願わくばずっとこうあってほしい。だから俺は絶対にこの人を殺さない。

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