初級ダンジョン①

 王都から西に馬を走らせて数時間。

 ついに到着したダンジョン前。

 初級ダンジョン、ガーデンバーネット。

 ダンジョンの周辺は異臭が酷い。

 それでもこれからこのダンジョンに挑もうとしていた冒険者たちが入口付近で待機している。


「ダンジョンに入る前に食事だ」


 そうして近衛騎士の一人が馬から荷物を下ろして食事の準備を始める。

 周囲の冒険者たちは野営して過ごすのかテントを張って武具の手入れに勤しんでいた。

 それにしても、本当に臭い。

 顔をしかめていたらアウグストが笑って──


「このダンジョンは私も殿下と同じ年の頃に来ましたが、いやはや、やはりと言いますか──」


 と……。

 このガーデンバーネットというダンジョンはゴブリンの巣窟である。

 ヒロインが物語中でスタンピードを食い止めるためという理由で三番目に入るこのダンジョン。

 ゲームだと臭いなんて全く気にならないのに、これは酷い──なんて罰ゲーム?

 アウグストの話によると王族や上級貴族の子弟が最初に入るダンジョンだそうでここに何度か通ってパワーレベリングをするらしい。

 そうか。ゴブリンのダンジョンだからこの匂いということか。

 とはいえ、このダンジョンはただのゴブリンは出てこない。

 ゴブリンはこの一つ前に開放されるダンジョンが初出。ここではゴブリンの亜種でちょっと強いレッドキャップ、ゴブリンの亜種で魔法を使うゴブリンメイジとゴブリンプリーストが出現。

 その他に狼型の魔物スモールガルムとそのスモールガルムに騎乗するゴブリンライダーが主に棲息し、それぞれのフロアの階層ボスにはちょっとした強い上位種が待ち構えてる。

 で、悪臭の原因はそれらのゴブリンということだ。

 その臭いに慣れないうちは臭いが鼻から抜けなくて相当にキツいのだとか。

 アウグストも初めてのときはワクワクしたけど二回目以降はどうしても行きたくなくて逃げ回ったのだそうだ。

 うん。この臭いなら仕方ない。だって俺もびっくり。ダンジョンがこんなに臭いものだと初めて知ったわけだ。

 それから、俺は出された食事をこの悪臭漂う中摂る。

 いや、これ、本当にツラい。

 飯、食いたくない。

 だけど、こんな状況でも食べるのだ。

 近衛騎士たちも、周囲の冒険者たちも普通に食事をしたり武具の手入れや剣や槍の素振りをしてる。

 とんでもない世界に転生してしまった。

 夢なら夢のまま、ゲームならゲームのままのほうが綺麗な思い出でいられたというのに。


「食事を摂りましたし参りましょうか」


 アウグストの鶴の声で近衛騎士たちと俺、そして、アウグスト。総勢六名でダンジョンに入った。


 ダンジョンに入ると直ぐに魔物の群れと遭遇した。

 ゴブリンライダーとゴブリンメイジ、ゴブリンプリーストというゴブリンパーティ。


「殿下、私が良いと言うまで防御に徹してください」


 アウグストの注意を聞いて俺は身の守りを固めて様子を見る。

 騎士たちは見事な連携でゴブリンたちと対峙する。

 俺は持たされたなまくらの剣を両手に構えて指示を待つ。

 騎士の三人は前衛で後衛の騎士は軽装でワンドという片手杖を構えて詠唱を紡ぐ。

 彼は回復魔法を使うヒーラーのようだ。

 アウグストは剛健な鎧に身を包んでいるというのに魔法で応戦。

 俺はヒーラーとアウグストの間で後ろから近衛騎士たちの戦いを見ているだけ。


「アウグスト様!」


 前衛の一人が手足を切ったゴブリンメイジをこっちに向かって蹴り飛ばした。

 ゴロゴロと転がってきたゴブリン。アウグストはゴブリンが魔法を詠唱しないようにゴブリンの口を足で塞いで俺に指示を送る。


「殿下。トドメを刺してください」

「わかりました」


 トドメを刺す。

 俺は手に持っている剣で、ゴブリンの心臓を突き刺すか、首を斬るかで一瞬ためらったが、首に剣を突き立てる方を選んだ。


「ふんッ!」


 剣先をゴブリンの喉元に突き立てて、力を入れて一気に突き刺した。

 剣の柄に伝わるゴブリンの肉を切る感触と骨を砕く振動。

 俺の目を見るゴブリンの瞳から力が失われていくのがよく分かる。

 これが命を奪うということか……。


「殿下。その調子です。続けていきましょう」


 褒められたようだけど戦闘中のため簡単に──である。

 それからも虫の息状態のゴブリンたちのトドメを俺は刺していった。

 これがパワーレベリングか。

 生き物を殺すという行為に忌避感がないわけではないが、けたたましい戦闘の中で余裕が無く、アウグストの指示通りに剣を突き立てる。

 今の俺は極限に近い状態なんだろう。

 戦闘による高揚感で鼻をつく臭いが気にならなくなり、大人たちの言うがままに俺はゴブリンを殺した。


──キツい……。


 もう殺すことにはキツいとは思わない。

 ごめんなさいって気持ちで剣先を突き立ててるけれど、これも生きるための手段なのだと思うと、どちらが生き残るのかの戦いなのだ。

 そう思うと不思議と硬さがなくなって、殺した後に一瞬の黙祷を捧げる余裕すら出てきた。

 だけど、キツい。

 何がキツいって腕がもう上がらない。

 だって俺、まだ五歳だから。

 軽いなまくらの剣とは言え何度も力を入れて振るえば体力を使う。

 腕が痛い。

 今まで満足に剣を振ったことがないのに、このパワーレベリング。

 色々と思い知らせにかかっているようにも思う。

 この世界にもレベルアップがあるのなら、パワーレベリングでもレベルが上がれば[呪われた永遠とわのエレジー]では知力、体力、精神力という三つしかないステータスが上がることだろう。

 体力が上がれば剣を振る瞬発力と持久力がつくはずだ。

 きっとレベルアップがあるからパワーレベリングをする。俺はそれを信じて、その後の戦闘に挑んだ。


◇◇◇


 王城に戻ったのは日が沈みかけたところ。

 厩について馬から降りると急に臭いが気になりだした。


「私も今日はこのまま屋敷に戻って身体を洗います。殿下もまず湯浴みをされるとよろしいでしょう」


 俺を抱えて手綱を握っていたアウグスト。

 今日の仕事はお役御免らしい。

 俺の身体は臭い。

 ゴブリンの臭いはキツいようだ。

 厩から出るとマイラが俺を迎えに来た。


「おかえりなさいませ。サクヤ殿下。初めてのダンジョンはおいかがでしたか?」


 俺は見逃さなかった。

 マイラは俺の臭いに一瞬顔を歪めたことを。

 臭いだろう?

 臭いんだろう?

 俺も臭いんだよ。


「ごめんなさい。お風呂に入りたいです」

「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので、浴場に参りましょうか」


 良かった。マイラは察してくれた。

 いや、きっと俺が臭かったんだ。

 だから俺が風呂って言ったら光の速さで賛同を示した。

 貴族の家で育った女の子にはキツいよね。

 今日のこのパワーレベリングというやつは上級貴族の男子にしかしないそうだ。

 ダンジョンを一日専有して冒険者の立ち入りを制限するので頻繁にできない。

 今回は俺のパワーレベリングということでダンジョンを封鎖していた。

 だからダンジョンの入口付近で冒険者たちがテントを張って野営をしていたのだ。

 俺が出てくるのを待って、封鎖が解かれてからダンジョンに潜るんだろう。

 なお、出発前は心配してあれこれと声をかけてくれた父上と母上、ヌリア母様はお出迎えしてくれなかった。

 きっと臭いって分かってたんだな。

 大人ってズルい。

 とはいえ、これで出迎えられても俺が一刻も早くこの臭いから逃れたいから出迎えがマイラだけというのはありがたい。

 そんなわけで俺は一目散に浴場へと向かったとさ。


 四十路まで生きた前世を加味すれば四十五年分の記憶を持つサクヤ・ピオニア──いわゆる、俺。

 前世のおふくろが死ぬまでの十数年間愛したゲームの世界で俺は五歳になった。

 五歳の幼児が一人で浴場を堪能できるわけではなく、俺の侍女のマイラが全裸で同伴。

 ここは乙女ゲーの世界。

 男性だけでなく女性も美形で素晴らしいプロポーションの持ち主ばかり。

 それはマイラも例外なく。

 まあ、いろいろと際どいところは省略するとして。要するにここは乙女ゲーの世界だけに石鹸なんかの身の回りの生活用品や美容品はとても充実。

 香りの良いシャンプーとリンス、石鹸は固形と液体石鹸がある。

 それもなかなかのものだ。

 俺は小一時間ほどかけて臭いがなくなるまでみっちりと何度も何度も洗浄された。


「ようやっと臭いが落ちましたね」


 ぷるんぷるんの肌を上品に揺らしてマイラは俺の身体を嗅ぐ。

 ときどき鼻先が肌に触れるので擽ったいしとってもセンシティヴ。


「入念に洗っていただいて助かりました。ボクもあの臭いが得意じゃないので──。マイラ様ありがとう」

「いいえ。どういたしまして……」


 マイラは「ぐふふ……」と聞こえてきそうな笑顔で俺のお礼の言葉を受け取ってくれた。

 そういう笑いは俺じゃなくてシミオンにでも向けてくれとも思うわけではある。

 シミオンはとっても可愛いからね。

 そうして俺は着替えて母上とシミオンに会いに行く。


「ニルダ様。サクヤ殿下をお連れいたしました」


 母上の私室の扉でマイラが室内に向かって声をかけた。


「どうぞ」


 母上の声がしてニルダは「失礼します」と扉を開く。


「ささ、殿下。お先にどうぞ」

「ありがとう。マイラ様」


 母上の部屋に入るとベッドの上で母上がシミオンを抱っこしていた。

 おっぱいを上げた後なんだろう。母上の胸がはだけている。


「母上。ただ今戻りました」

「おかえりなさい。サクヤ。湯浴みはもう済ませたのね」

「はい。ちょっと臭いが酷くてマイラ様に臭いがなくなるまで洗ってもらいました」

「ゴブリンの──パワーレベリングで使うガーデンバーネットは臭いはキツいと伺っているけれど、私、学園で入るダンジョンにしか行ったことがないからわからないのよね」


 母上はそう言ってシミオンを膝の上に寝かせて胸元を直す。


「サクヤ、こっちに来てちょうだい」


 にこやかに言葉を繋ぐ母上。

 俺は母上の声に従ってベッドの横に移動する。


「シミオン、寝ちゃったんですね」

「ええ。お腹いっぱいになったみたいね。良かったわ」


 すやすやと寝息を立てて寝てるシミオンは本当に可愛い。

 俺も抱っこしたいものだ。

 じーっと見ていたら母上が俺に手を伸ばしてきた。


「サクヤ、もっとこっちにおいで」

「……はい」


 俺は靴を脱いでベッドに上がり、母上の手を取ると、母上が俺を抱き寄せる。


「臭い、全然しないわね」


 俺の頭に鼻をくっつけてスンスンと臭いを嗅ぐ。


「マイラ様に洗ってもらいましたから」

「あら、残念ね。それにしても大きくなったわね」


 母上が俺の頭に頬ずりをする。

 残念ね──って、母上はあの臭いに興味があったのか。

 あれは人間の嗅ぐものじゃないと断言できる。

 それを伝えようと思ったけど、お褒めの言葉らしきものをいただいたので、その返答を。


「ありがとうございます……」


 母上の片腕に収まるシミオンが気になって、シミオンを刺激しないように身動きすると俺の頭を更にきつく抱き寄せる母上。

 俺のぼそっとした声色が気になったのか、それとも、遠慮がちに身動いだのが何かを思わせたのか俺の額に唇を付けた。


「サクヤはもっと他人ヒトに甘えなさい。今のうちしか甘えられないんだし、今じゃなかったら甘え方だって覚えられないわよ?」


 母上は全てを見透かすように俺の頭を撫でて優しい声で語りかける。


「お兄ちゃんだからって全てを一人で背負う必要は全く無いんだからね」


 ニルダ・ピオニアの言葉である。

 ゲーム中でもこれに似たセリフがあった。


『あなたが一人で全部を背負う必要なんてないじゃないッ! あなた一人だけの責任になんて私が絶対にしないッ! だから、誰もあなたを守らないっていうのなら、私があなたを守るから!』


 ヒロインの言葉である。

 ゲームの中のサクヤはヒロインのそのセリフをニルダと重ねたのかも知れないな。

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