第一章
サクヤ・ピオニア①
[呪われた
前世の記憶のおかげで、物心がついた俺はここがゲームの世界だということに気が付いた。
このサクヤ・ピオニアという乙女ゲームの攻略キャラは、サクヤルートと言われる固有の攻略ルートでトゥルーエンドを迎えられなければ十八歳で死ぬ悲惨な未来が待っている。
しかし、トゥルーエンドを迎えたとしても、
どうにかして逆ハーレムエンドとなるサクヤルートのトゥルーエンドから逃れたいと考えた。
そこで俺の三つの選択肢──。
一、死の運命を受け入れる。
二、逆ハーレムを受け入れる。
三、どっちもムリ。
まず、一。
死を受け入れるにしても完全なバッドエンド──サクヤルートのバッドエンドだけは避けなければならない。
誰も救われず誰一人として生き残らないからだ。
攻略キャラのルートに入ってのバッドエンドならヒロインとその攻略キャラだけは生き残る。
今ここにいる俺は夢のようで夢じゃない。ゲームの世界だけどゲームじゃない。
物心がついた俺にとって、これまで過ごしたこの世界と家族には愛着がある。
前世の記憶があって、前世の母親への想いは当然残っているけれど──いや、だからこそなのかもしれないけど、おふくろが愛したゲームの世界に平和を齎したいという気持ちが少なからずあった。
だから、この選択肢はナシ。
次、二。
先にも言ったがここの俺、こと、サクヤ・ピオニアはゲームのキャラのようでゲームのキャラじゃない。
現実の俺だ。
逆ハーレムは前世の記憶の俺から受け継いだ性的嗜好に合わないし、いろいろと耐えられない。
そういうのが好きな人がいるのは理解しなくはないが俺ではないということだけは間違いない。
ということで、この選択肢もナシ。
要するに選択肢は最初からこれしかない──。
それが、三。
誰も死なせずにラスボスの白の魔女とカタをつける。
とはいっても、それをどうやって?
というのはある。
作中、白の魔女について語られる場面は少ない。
ある日、ヒロインの枕元に現れて人知れず呪いをかけた──というヒロインの回想シーンでは白の魔女の後ろ姿が拝める。
ピッタリとした身体のラインを強調する白いローブに身を包み白銀色の長い髪が風でゆらりと凪ぐ。
細い腰と大きなお尻、それから伸びる艶めかしい太もも。どれもが肉感のある艶めかしい線でデザインされた妖艶の魔女。
サクヤルート以外では現れないラスボス──白の魔女は、非常に男好きするキャラクターデザインで、登場シーンでは美しいご尊顔を拝謁することができた。
そんな造形を持つ白の魔女は、俺(朔哉)の嗜好のど真ん中。前世の母親が何度も繰り返して遊んだこのゲームを何度も何度も手伝えたモチベーションは、ラスボスを見たさによるものである。
で、彼女を倒すと──
『
という言葉を遺して光の粒子と化して消失する。
それと同時にヒロインにかけられた呪いが解かれるわけだけど。
肝心の白の魔女については多く語られず、呪いについても二十三歳の誕生日に死に至るということくらいしかわからない。
ヒロインの呪いそのものはサクヤルート以外では解かれたという文脈は一切ない。
よくわからんこのゲーム。分かれよとか察しろよということなら、そんなもんわかるわけねーだろってなる。
ここはゲームだけどゲームじゃないんだ。今の俺にとっては。
だから、確信が持てるものだけを信じよう。
そう考えたら白の魔女のことを知るべきなんじゃないかと無性に思えてきた。
人知れず白の魔女に会いに行って、ヒロインにかけた呪いを解いてもらう。
そうすれば誰かの野心とかに左右されること無く俺の未来はヒロインから遠ざかるはずだ。
どうやれば良いのかは全くわからないけど、それでも、とにかく白の魔女に会いに行けばきっと何かがあるだろうと楽観することにした。
とはいえ、白の魔女の
ゲームでのサクヤだが、サクヤ攻略ルートに入るまではお助けキャラとして無類の強さを誇る強キャラで、サクヤをパーティメンバーとして迎えられるサクヤ攻略ルートに入るとサクヤ・ピオニアのステータスの高さやユニークな名前のスキルとその豊富さにプレイヤーを騒然とさせた。
で、今、俺はそのサクヤ・ピオニアの人生を歩んでいるわけだが、物語の舞台となるピオニア王立フロスガーデン学園高等部の入学式を迎えるその日までに一体どうやってその強さを身に着けたのか──。
それはおいおい分かるとして、ソロで魔女の森に挑むならサクヤの強さにプラスαが欲しい。
ならば、少しでも強くなるために近場のダンジョンでレベリングだ。
王都には地下水道というストーリー攻略に関係のない中級向けのダンジョンがある。
クリア後に挑むレイドダンジョンに至る表層で、ゲームでは中盤にレベリング目的で潜る他、下層には貴重なアイテムや終盤まで使える装備品があるのでゲームを楽にプレイする目的で周回したものだ。
この地下水道を俺がソロで挑めるようになれば人知れずレベリングを重ねることができる。
とはいえ、問題は今の俺。
サクヤ・ピオニア、四歳です。
前世の記憶があるからこうして考えられるけど本来の四歳はこうじゃない。
男の子ならまだ、ママのおっぱいが恋しくて仕方がない筈。
そう、俺は着替えて中庭で午後のティータイムを待っている。
母上のニルダを俺は待っていた。
母上はシミオンを抱いて中庭にやってきた。
続いて、父上のもう一人の奥さん──第二王妃のヌリア母様が大きなお腹を抱えながらスタンリーを連れてくる。
「ごきげんよう。おかげんはいかが?」
母上が身重のヌリア母様を気遣った。
先に座っていたが立ち上がって自ら椅子を引いてヌリア母様を座らせる。
「お気遣いありがとうございます。ニルダ様はおいかがでしょうか? シミオン様はごきげんのようですが」
「シミオンは本当に元気で大変。夜もはしゃいじゃって、おかげで寝不足よ」
「スタンリーのときの私と一緒ね。ということは旦那様に似たということでしょうね」
「そうみたいね。サクヤはおとなしくてとても良い子だったのに──」
と、二十代前半の二人の美姫がキラキラした空間で会話する。
俺はそれを見てるだけで心が和んだ。
一日十分、女性のおっぱいを眺めると男性の寿命は伸びるらしい。
きっとそれは女性のお尻でもそうだし、母上やヌリア母様のような美しい女性を眺めるだけでもそうだろう。
──嗚呼、癒やされる。
前世の俺には女性に植え付けられた恐怖観念が少なからずあった。
今も残っているのかも知れないけど、サクヤとして生きている今は問題ないはずだ。
むしろ、弟のシミオンだろうな。彼は大人の女性たちのおもちゃになって二次創作では大変なことになっていた。
そんな扱いにならないことを俺は祈る。
母上たちが席につくと侍女たちがお茶を給仕。
そのタイミングで父上──ナサニエル・ピオニアが来た。
「「おかえりなさいませ」」
母上とネリア母様が立ち上がってカーテシーを披露して父上を迎える。
「ん。今日は天気に恵まれて良かった。こうして中庭で空を見ながら茶を楽しめる」
父上は喜色を見せる二人の妻の唇にキスをして「さ、座ろう」と座席についた。
「二人とも、今日も泥まみれになるまで遊んだと聞いている。元気そうで何よりだ」
「はい。お兄様が良くしてくれるので楽しく遊べました」
父上が俺とスタンリーに目線を移すとスタンリーが嬉しそうに答える。
「スタンリーは人形を作るのがとても上手で凄いんです」
スタンリーが土属性魔法を上手に使って泥の人形を作っているのを俺だけが知っている。
父上やネリア母様は手でこねて作っていると思っているけれど、母上はスタンリーが魔法を使っていることに気が付き始めていた。
それでも敢えて何も言わないのは彼の人生に影響が出るからだろう。
三歳という年齢で魔力の扱いに長けていればヌリア母様と過ごす時間が奪われる。
母上の気遣いに俺は当然気が付いているから俺も多くは言わない。
楽しい時間は長く過ごしたいしね。
「そうか。それは俺にも見せて欲しいものだ」
「じゃあ、ボク、お父様にもお作りします」
父上はスタンリーに笑顔を向けるとスタンリーは嬉しそうに笑顔を返した。
このやり取り、とても良いな。
そうやって出来上がったものを父親に見せて褒められる──羨ましい限りだ。
俺には物を創作するという才能がない。
サクヤはこういった環境で育ったらしい。
才能ある弟を横目に無力な自分を嘆くのかと思いきや、そうではなかった。
才能豊かな弟に嫉妬するどころか誇らしいと感じて、この子を守りたいと生温かい眼差しで見守る。
父上は眩しそうに俺とスタンリーを見ていた。
それから直ぐに父上は仕事に戻る。
国王というのは忙しいものだ。
執務室でハンコを押したり謁見の間で陳情を聞いたり。
実際の政治は宰相がするし、意思や方向性は父上が決められるけど細かいことに口を出すことは殆どない。
で、宰相といえば俺の未来の嫁候補なんだよな。
この国の宰相はアウグスト・デルフィニー公爵が務めている。
その彼の娘が俺の婚約者となるはずのエウフェミア・デルフィニー。
彼女とは今までも会ったことがないわけではないし、お話したり遊んだりしたこともある。
同じ年だし、そろって第一子だったしね。
エウフェミアはいつもいやいやながら俺に付き合ってくれてる感じで、彼女は単純に父親が働いてるから、母親が登城しているからという理由で俺と付き合わされているだけだ。
そう。俺の人生設計はヒロインとなるフレアベイン子爵家の養女、アンヌだけではなく、アンヌのライバルとなる悪役令嬢、エウフェミアに対しても考慮が必要だった。
俺としては正式に嫡男として王太子に収まる十五歳の誕生日に嫡子の座をシミオンに譲りたい。
どう考えても俺は国王っていうガラではない。
父上の退位とデルフィニー家の没落が無ければ、俺とシミオンのどっちが王太子になったとしても王位を継ぐのは当分先になるだろうから焦らなくて済む。
ただ、俺が十五歳になる時に王位を継がない意思を示してそれが認められたらエウフェミアとの婚約も立ち消えになるはず。
そうなればエウフェミアが悪役令嬢になる理由がない。
これで俺の大まかな方向性が決まった。
・とにかく強くなる
・地下水道でレベリング
・十五歳になったら王位継承権を放棄
・白の魔女と接触
・ヒロインで聖女のアンヌ・フレアベインの呪いを解く
だけど一つだけ、どう考えても決まらないことがある。
どうやって地下水道でレベリングできる程度の強さを身につけるんだろうか。
まあ、俺はまだ四歳。
今強くなくても、強くなる手段がわからなくても、時間が解決してくれるはずだ。
それまで、サクヤ・ピオニア四歳を楽しんでおけば良い。
そんなことを思ってから一年──。
何も焦る必要はなかった。
宰相のアウグスト・デルフィニーが衛兵を伴って、五歳になったばかりの俺を王都の外に連れ出した。
「サクヤ様が王都の外に出られるのは初めてでしょう? どうですか」
アウグストが手綱を握る鞍上。俺はアウグストの前に乗っている。
鎖帷子を被って軽い革の軽鎧を重ね着する俺。後ろのアウグストは立派な鎧に身を包み兜をかぶっているが顔は見えていた。
「空が青いです」
城の中庭や窓からしか見たことがなかった景色である。
ゲームでは斜め上から見下ろすだけで戦闘やカットシーンで画面の上の方にしか空が見えなかった。
向かおうとしている場所も分かっているけれど、こうして風を肌で感じて緑の平地だと思っていたところに実は田園が広がっていて農民が畑仕事に従事している。
「王城にいると空を見る機会はございませんからね。しかし、まさか、そんな感想を聞くとは予想してませんでした」
どうやら今日の俺はアウグストを驚かせる日らしい。
馬に乗った時だって──今日が初めてだという──
「わ、馬ってこんなに温かいものなんだ」
と、声を漏らしたら、
「もっと違うお言葉をいただくのかと思いました」
なんて返してきた。
きっと馬がかっこいいとかそういうベタな反応を期待したのだろう。
俺には前世の記憶があるせいで馬がかっこいいとか思うよりも、生き物だという実感のほうが勝った。
そうやって俺はこの世界に転生してきたという実感を強める。
まあ、そんなわけで向かってる先は分かっているのだ。
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