第7話
世界の危機が迫っているらしい。その危機を救う『二人の救世主』がロイとアトスなのだとエリーニャは言っていた。
しかし、いきなりそんなことを言われても困ってしまう。自分はこの町で職人として暮らすんだとすでに心に決めていたロイは、エリーニャに何度説得されても全く心に響かなかった。
「それよりも法術彫りについて教えてください」
「あんたねぇ、状況わかってる?」
「わかってますよ。戦争になるかもしれないんでしょう?」
魔王が魔物の軍勢を率いて世界各国に戦いを挑む。つまりは魔王軍との戦争が始まると言うことだ。ただし、今のところぽつぽつと魔物の姿が確認されているだけで、大規模な魔物の発生は今のところなく、その兆しも見当たらないらしい。
「そもそもボクとアトスが救世主という話ですけど、二人でどうにかなることなんですか?」
「それは、まあ……」
「二人でどうにかなるわけないでしょ? よく考えてください」
「……なんか腹立つわね」
たった二人で世界を救うなんて非現実的だ。そんなことできるわけがないと少し考えればわかるはずだ。
だが、この世界は前世の世界とは違う。考え方も倫理観も世界の常識も違う。
この世界の考え方は前世の世界では古い考え方だ。子供は親に従うもの、逆らえば体罰は当たり前、結婚してよい家庭を築くのが女性の一番の幸せ。まさに前時代的。しかし、この世界ではそれが当たり前なのだ。
神がいるかはわからないが、魔法が存在し魔王の存在が信じられている。となれば救世主が現れて世界を救ってくれるという予言やおとぎ話が信じられていても不思議ではないのかもしれない。
信じられているかもしれないがロイは信じていない。非現実的すぎる。少し考えれば無理だとわかるはずだ、とロイは思っていた。
魔法が存在している時点で前世の常識は通じず現実も違うのだが、まだロイは前世の感覚が抜けてはいなかった。
「まったく、なんで私がこんなののお守りしなきゃならないの。片方はいないし、こいつはこんなだし」
「余計なことはいいですから早く教えてください。せっかく父さんが工房を貸してくれてるんですから」
「いちいち腹立つわね」
今日は一日エルドは留守だ。その間、ロイはエルドの工房を貸してもらえることになった。
「さあ、はやくはやく」
「っさいわね。急かすんじゃない。えっと、まずは属性紋章から教えるわね」
用意したのは木の札だ。幅5センチ、長さ10センチほどの長方形の木の板である。
「基本属性の紋章は丸と三角と四角の組み合わせ。火が四角の中に三角、水が二重丸、風が丸の中に三角で、土が四角の中に丸。わかった?」
ロイはエリーニャの説明に従い木の板にそれぞれの図形を描いていく。
「こんな感じですか?」
「そう、それでいいわ。で、その周りに古代文字を刻んでいく。法術彫りの基本はこれだけよ」
「これだけでいいんですか?」
「そう。ただし、彫る時は魔力を込めて彫る。そうすることで刻み込んだ図形に力を与えていくの。それが法術彫り」
「なるほど。それで、どうして法術彫りなんですか? 魔法彫りや魔術彫りじゃなくて」
「法術彫りは魔法使いや魔術師だけが使う特別なものじゃないから。神殿の法術師も使うし、呪術師や呪法師も使うわ」
魔法、魔術、法術、呪術、呪法。これらには細かな違いはあるが、基本的にはどれも魔力と呼ばれる不思議な力を操る技法や技術である。
簡単に分けるとしたら法と術だ。魔法や呪法は自然に存在する魔力である『マナ』を操る技法のことであり、魔術や呪術は生物の体内に存在する魔力である『イド』を操る技術のことである。ただ、どちらも魔力を操るということには変わりがないうえ、魔法使いが魔術を使うこともあれば、魔術師が魔法を使うこともあるので、厳密に分けられているかと言うと疑問ではある。
さて、そんな簡単な説明を受けたロイはさっそく木の板に彫刻刀で紋様を刻んでいく。
まずは火の紋章と火を意味する古代文字だ。ロイはそれらを木の板に刻み、彫る際には魔力を流し込みながら彫り込んだ。
「どうですか?」
「……あんた、初めてじゃないでしょ」
どうやら成功したようだ。
「きっと賢者の力のおかげですね。なんとなくですけど魔力の流れがわかる気がします」
「……本当にそうなのかしら」
次にロイは水の紋章と水を意味する古代文字を板に刻む。そして、それも難なく成功したロイは残りの二枚にも彫り物を行っていった。
「で、これをどうするんですか?」
「とりあえずここじゃ危ないから外に出るわよ。その前に」
エリーニャは目を閉じると何やらごにょごにょと唱えロイの額を人差し指で軽く弾く。
「さ、行くわよ」
ロイはエリーニャに連れられて板を持って工房の外に出ると庭に出た。
「じゃあ、まずはこの火の紋章を彫った板に魔力を流し込んでみなさい」
ロイは言われたとおりに木の板に魔力を流し込む。すると、木の板が発熱し、あっという間に燃え尽きてしまった。
「あっつ!? ……くない?」
「当たり前よ。さっき魔法をかけたじゃない」
さっき、というのはエリーニャが何か唱えていたあれだろう。彼女がかけた魔法のおかげでロイは火傷をせずに済んだようだ。
「次、やってみなさい」
ロイは言われるままに二枚目の水の紋章が描かれた木の板に魔力を流す。すると木の板が湿り気を帯び、ぼたぼたと水がしたたり落ち始めた。
さらにロイは三枚目、四枚目と同じように試していく。すると三枚目の板は板の上で風が発生し、四枚目は木が土の塊に変化してボロボロに砕けてしまった。
「せ、成功ですか?」
「そうね。 ……認めたくないけど」
エリーニャはそっぽを向いて悔しそうな顔をしている。そんなエリーニャの様子など気にすることもなくロイは形が残っている木の板を嬉しそうに眺めていた。
「あ、あの。どうして一枚目と四枚目はボロボロになってしまったんですか?」
「強度が足りなかったからよ」
「じゃあ、強度が足りていれば何度でも使えるんですか?」
「そうね。ただし、ただの鉄とか銅とかじゃダメ。特殊加工の魔法金属じゃないと数回で壊れてしまうわ」
「なるほど。専用の素材が必要と言うことですね。勉強になります」
興味深い話が聞けた。それに自分の力も確かめることができた。
「魔法の彫刻、すごいじゃないか。うん」
魔法。魔法が使えるようになった。なんて素晴らしいんだろう。
「あんたね、それはそんなことに使うものじゃ」
「あの、他にも紋様ってあるんですか? 属性だけじゃなくて、動物とか花とか」
「あるには、あるけど」
「教えてください!」
「ちょ、ちょっと、興奮すんじゃない」
世界に危機が迫っているらしい。けれど、それよりも今は目の前の彫刻だ。
いろいろとやりたいことがある。やりたいことが多すぎる。
なんて、なんて素晴らしいんだろう。ロイは期待に胸を膨らませ目を輝かせてエリーニャを質問攻めにするのだった。
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