第4話
転生してから11年。一度たりとも忘れたことがない。
「……もう、戻れないんだろうか」
千佳。それがロイの前世で彼の娘だった少女の名前である。ロイは転生してからも毎日彼女の身を案じ続けていた。
目の前で父親が母親に刺殺される姿をみた娘。きっと心に深い傷を負ってしまっただろう。そんな千佳は無事にやっているだろうか。ちゃんと生活できているだろうか。
ロイは時間があると前世の娘のことを考えてしまうことが多かった。どうにかして元の世界に帰ることは出来ないかとそんなことも考えた。
けれど今のところ帰る手段は見つからない。それに帰ったとしても今の姿では信じてはくれないだろう。ロイが自分の父親であると千佳は信じてくれるかわからない。
確かめる方法がないことをロイはぐるぐると考えてしまう。父親として娘のことが心配になってしまう。だが、彼女の様子を知る術はない。
無事でいてほしい。そう願って早11年。前世の娘の生活を心配しながらもロイは着々と彫刻の腕を磨いていた。
「父さん。飾り金具の図案なんだけど」
最近、ロイは彫刻だけでなく彫金にも手を出し始めた。エルドに注文される家具に取り付ける金属製の取っ手や錺金具に装飾を施すためだ。
もちろんまだ売り物になるレベルではない。ただ、それでも父であるエルドはロイが細工を施した錺金具の出来の良さに感心するほどだ。
「ロイ、お前が彫った額縁かなり評判がいいみたいだぞ。依頼主も喜んでた」
リドもロイの実力を認めていた。11歳になりエルドとリドの仕事の手伝いを始めたロイは、リドと一緒に知り合いから依頼された額縁の制作を行った。ロイはリドと一緒に額縁に彫刻を施し、最近それを納品したばかりだ。
19歳になったリドは去年からエルドのもとを離れて仕事をするようになっていた。エルドと仕事をすることもあったが、他の現場で働くようにもなっていった。
つまりは独り立ちだ。若いながらも実力は確かで、すでに周囲から認められるほどリドの腕は確かだった。
ただ、リドは大工としての腕は確かなのだが家具職人としてはそれなりだった。大工としても家具職人としても腕の立つエルドに比べて、リドは家具に施す細かな装飾や細工のデザインセンスは才能がないわけではないのだが、秀でているとも言えないものだった。
それに対してロイは天才だった。繊細な彫刻や細工のデザインセンスはエルドから見ても目を見張るものがあり、エルドやリドと共に制作した家具の評価は高く、11歳ながらもすでにロイを指名して仕事が入るほどだ。ただし、ロイはまだ一人では仕事をさせてはもらえていない。今は自分やリドと共に仕事をして経験を積むのが重要だとエルドは考えていた。
「ロイ、お前に指名が来たんだけど」
「父さん、えっと」
「まだ早い」
「だよね。兄さん、手伝ってくれる?」
「あー、悪い。今度別の現場に入ることになってな」
「そっか。じゃあ、残念だけど」
いずれは独り立ちしなければならない時が来る。しかし、まだその時ではない。とエルドは考えていた。
すでにロイの腕はかなりの物だとエルドも認めている。そして、これからさらに経験を積み技術を磨けばいずれは立派な細工職人になれるだろう。と、エルドは確信していた。
ただ、大工としては難しいかもしれないとエルドは思っていた。それは体力的なものだ。ロイはリドやアトスに比べて体格的に劣っており、力もそれほど強くはない。筋骨隆々の立派な体つきのエルドの息子とは思えないほどにロイは華奢で線が細かった。
ただエルドはそのことを悲観してはいない。人間には得手不得手がある。ロイは手先が器用だし頭もいい。大工仕事は難しくとも職人としてはやっていけるだろう。
とエルドは楽観視していた。無理に大工を継がせる気はなく、エルドはロイの得意なことを伸ばそうと考えていたのだ。
そして、その成果が着々と現れ始めていた。年を重ねるごとにロイの彫刻の腕はめきめきと上達していった。
さらに一年が経過し、ロイが12歳になったある日。エルドの工房に一人の女性が現れた。
その女性は見るからに魔法使いと言った格好をしていた。濃紺のマントに同じ色のツバの広い三角帽子。長い群青色の髪と青い瞳をした女性だ。
「杖の装飾を頼みたいのだけれど」
その女性は突然現れた。その女性を見てロイは言葉を失ってしまった。
「……千佳」
その女性はロイの前世の娘とよく似た顔をしていた。いや、瓜二つ、本人としか思えないほどによく似ていた。
ただ、年齢が違う。ロイが前世で最後に見たときは中学生になったばかりだったはずだ。しかし、エルドの工房に現れた女性はそれよりも年上で大体高校生ぐらいに見えた。それに何より目つきが違う。エルドの工房に現れた女性はかなりの経験を積んでいる一人前の魔法使いと言った風な厳しい目つきをしていた。
「何? じろじろ見ないでくれる?」
声も冷たい物だった。どこか不満そうな、気難しそうな感じだ。
「師匠がここに腕のいい職人がいるっていうから来てみたけれど。あなたがその職人?」
女性はエルドを一瞥する。その視線は自分の不機嫌を全く隠そうとしていなかった。
女性が現れたとき工房にはエルドとロイが仕事についての話し合いをしていた。二人は話をやめて工房の入り口に立つ女性に目を向けた。
「悪いが他をあたってくれ。あんたの仕事を受ける気はない」
「そう。別にいいけど。邪魔したわね」
突然現れた女性は最初から最後まで態度が悪かった。
「あ、あの。父さん」
「気にするな。それよりも今度の仕事なんだが、ここの部分をお前に――」
ロイは何もできなかった。あまりにも驚きすぎて言葉を発することができず、彼女を追いかけることもできなかった。
そんなロイのことなど無視してエルドは仕事の話を始めた。来客などなかったかのように振る舞い、ロイもそれ以上は何も言えなくなってしまった。
ただ、ひとつだけ気になることがあり、それだけはエルドに訊ねた。
「父さん、杖の装飾って言うのは」
「『法術彫り』のことだろうよ」
「法術彫り?」
父はあの女性が言っていた杖の装飾について簡単に説明してくれた。
「魔法や魔術に使う紋様のことだ。そいつを杖に彫ったり紋様を彫った装飾品を杖に飾ったりすると効果が増すらしい。まあ、俺も詳しくは知らねえがな」
「父さんは法術彫りができるの?」
「いいや。できるのは魔法や魔術を使える奴だけだ。そもそも法術彫りは魔法使いや魔術師、神殿の神官なんかの領分だ。俺みたいな大工がやることじゃねえ」
ならどうして、とロイは疑問を抱いた。あの女性は自分たちのところに杖の装飾を依頼しに来たのだ。ということは彼女はエルドの工房に法術彫りができる人間がいると考えていたと言うことになる。
しかし、エルドは法術彫りができない。つまりは勘違いと言うことになる。
だが、本当にそうだろうか。もしかしたら彼女には別の目的があったのではないだろうか。
「もう一度……。いや、やめよう」
ロイは頭に浮かんだ考えを消し去るように軽く拳で叩く。
あれは千佳じゃない。自分の娘じゃない。ただの他人の空似で、似すぎているぐらい似ている他人なのだ。とロイは自分に言い聞かせた。
けれど、それでも気になった。
彼女のことも、法術彫りのことも、ロイは気になっていた。
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