第34話~蒼魔族の里~
隔絶の山脈内の坑道を北に抜けてすぐの場所に、ミスラが治める一族の村はあった。ミスラは南の大地からの撤退戦で、自ら殿を務めた。その際に魔力のほとんど使い果たした。その為、今は村の奥に隠れるようにして療養に努めていた。
しかし、魔王によって鍛えられた魔力容量は、そう簡単に回復させる事はできなかった。ミスラの魔力が果てている事が他の蒼魔族に知れれば、一族の危機にもなりかねなかった。
魔王が死ぬと、その跡目を継ぐ争いが北の大地では起きる。各氏族が代表を選び戦い、最も強きものが魔王という称号を与えられるからだ。
「女神の使いだと?」
村に戻ったミスリアは、姉であるミスラの元へ赴くと、その眼前に跪き、興奮した口調で話し出した。
「間違いありません。何者にも寄り添うことのない双頭の蛇を従えていたのです」
「ありえない。人間の女が女神の使いなど……」
「ですが、私は見たのです。いや、見ただけではありません。私は……」
言いかけて、ミスリアは押し黙った。いくら女神の使いとはいえ、人間と交わった事を言えるわけはなかった。
「そうだ、これがその証拠です!」
ミスリアはアンジェと別れた後、双頭の蛇が居た場所から持ってきた鉱石を渡した。それは、純度の高いミスリル銀であった。
「これは……まだ残っていたのか」
ミスラ達の一族にとって、ミスリル銀は最も加工を得意とする希少鉱石であり、一番の御馳走でもあった。
「人間達が掘った坑道の最も深い場所でした」
「そうか、それは良い話だ。だが、そもそもだ。お主は何をしに、一人で坑道に入った! 今は勝手に動いて良い時ではないぞ」
「それは……」
ミスラは大きなため息を一つすると、周囲に誰もいない事を確認して、呟いた。
「……わかっている。ミスティの事だな」
「姉上は、御存じだったのですか」
「知ったのは最近だ。だが、この事が他の氏族に知れれば……」
人間と通じていた裏切り者が一族の中にいたとなれば、ミスラの蒼魔族内での立場も危うくなる。ミスリアもそれを考えたからこそ、自分の手で妹を始末しようと考えたのであった。
「私は皆に知られる前に、何とかしようと」
「もう遅いかもしれん。明日にもアダマン一族の者が、私を訪ねてくるらしい」
「アダマン族のものが!」
希少鉱石アダマンタイトの名を持つ一族は北の大地のほぼ中央、魔王城の近くに里を持ち、蒼魔族の中でも、もっとも屈強な体躯を持っていた。
「会うのは控えるべきです。姉上は、先の戦いで魔力をほとんど失われています。今、その事を知られては」
「わかっている。だが、蒼魔族を束ねる身としては、会わぬわけにはいかぬ」
「どうするのですか?」
「心配するな。先日、朱龍族のセリカから届けられたものがある」
「セリカ様から?」
「魔王様が残したものではないかという事だ。どうやら魔王城も変貌を遂げているらしい。それにしても、本当に魔王様は亡くなられたのであろうか」
魔王が勇者に負けたと聞いた時、ミスラには信じられなかった。あれほどまでに自信と力に溢れていた魔王が、不意を突かれたとはいえ人間如きに遅れを取るとは思えなかったのだ。それに、どこかで魔王が生きているという思いもあった。ミスラの胎内にある、魔王の痕跡は消えていなかったからだ。ミスラは下腹部に手を当てると静かに目を閉じた。魔王との日々を思い出しているのか、その瞳には涙が浮かんでいた。
「姉上は、それほどまでに魔王様の事を……」
「私のこの身全ては、あの方に捧げているのだ」
「……姉上」
その時、外が慌ただしくなった。ただならぬ雰囲気に二人は顔を見合わせた。
里の若者が一人、駆けこんでくると叫んだ。
「た、大変です!ミスラ様、行方不明だったミスティが戻ってきました。しかも、人間を二人引き連れて!」
「なんだと!」
「人間の女がミスラ様へ会わせろと。その女は、メリダの僧服を着ています」
「まさか、アンジェ様が!」
ミスリアは思わず立ち上がった。
「姉上、その方こそ私が話した御方です」
ミスリアは瞳を輝かせて姉を見た。その瞳は、完全に恋する男のものだった。末弟をここまで興奮させる女を見てみたいとミスラは思った。
「……わかった。その人間達に会おう。ミスティと共にここへ」
ミスラはまだ知らなかった。人間の女と共に、魔王が居るということを。
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