第33話 東京に行け


 ――俺は、弟の所に遊びに行く事にした。泰雅が「東京へ行け」と言ったからだ。泰雅の家には、あれ以来顔を出してはいない。何度か連絡があったが、俺は返事をしていない。


 全てを投げ出したくなる気分――と言ってしまったら、皆には悪いと思う。ただ、重い頭痛の支配する意識で、誰かと話す事は苦痛だった。溜息をつきながら俺は、特急電車に乗っている。弟の右京だけは、俺の中で特別なのだ。一泊二日の予定で、「遊びに来ないか」と言われたら、肩にのし掛かっている重みが少しだけ消えた気がした。


 窓の外を眺めながら思う。手元にはタブレットがある。


 ――俺のこの記録は、いつか誰かが読むのだろうか? その時俺は、果たして生きているのだろうか? 何とはなしに考えていたら、結局昔……紫野に聞こうとして出来なかった事を思い出した。死を売っているならば、生もまた売れるのかという疑問だ。仮に同じ色の蝋燭が複数存在したならば、他の者の粉を飲めば命を取り留められるのではないのかだなんて、想像した覚えがある。


 弟と合流したのはT区のI駅東口だった。それから二人で、適当に中華の店へと入る。中は暑くて混雑していた。やはり東京の方が、実家よりも暑い。実家もそれなりに暑いとは思うのだが、質が違うのだ。東京の熱の方が、乾いている。


 辛い麻婆豆腐を食べながら、弟が笑った。俺はチャーハンを口に運びながら、時島達とも食べたなと思い出しながら、それを見ていた。


「そうそう。同僚から聞いたんだけどね」


 弟が不意に真顔になり、唇を尖らせた。この顔は、怖い話をする時の顔だ。


「昔さ、その同僚とそのカノジョと、他に友人三人とNハイランドパークに行ったんだって。その帰りに、みんな気分がノってたから、どっちが早くファミレスまで着くか競争することにしたんだってさ。危ないよね」

「競争?」

「一人だけバイクで、他が四人乗りの車だったんだって。車が少なくてスピードだし放題だったらしいよ。危険運転だけどさ」

「なるほどな」

「そのカノジョ、真由子さんていう名前だったんだって。友達は、貴史さん」


 だった……過去形か。何故だろうかと考えながら、俺は卵スープを飲む。


「で、先に到着したのは、車だった。そうしたら携帯に連絡が来て――貴史さんが亡くなったんだって。真由子さんは、当然号泣。四人で病院に行ったらしいんだ」


 心の中でお悔やみを俺は申し上げた。


「それで、亡くなってすぐだったからまだ病院のベッドの上にいたらしくて、四人で囲みながら、見てたんだって。真由子さんはまだ温かい手を握ってさ。そうしたら……」

「そうしたら?」

「トントントンって病室の扉を叩く音がしたらしい」

「ほう」

「『真由子、真由子、開けてくれ! 開けてくれ!!』って貴史さんの声がして、次第に扉を叩く音は強くなっていったらしいんだ。ドンドンドンって。他の友達三人は、絶対に幽霊だから、開けちゃ駄目だって、強く真由子さんの肩を叩いたみたい。腕もギュッと取ってたんだって」

「そりゃ、俺でも引き留めるよ」

「だけど真由子さんは、どうしても貴史さんに会いたくて、振り払って立ち上がって扉を開けた――そこで、目がぱっと開いたらしい」

「え?」


 どういう事だろうかと俺は首を傾げた。


「すると貴史さんが、『お前ら四人は、車で事故ったんだよ。他の三人は死んじゃった』って言ったらしい。事故にあったのは、真由子さん達の方だったんだ。全身が痛んだらしくて、包帯だらけで、真由子さん自身も生死を彷徨っていたんだって」


 俺はゾクッとした。


「多分友人達が、真由子さんの事も連れて行こうとしてたんだろうね」

「そうかもな……」

「貴史さんが開けろって言ってたのは、ずっと『目を開けろ、開けてくれ』って泣きながら言ってたらしい。手をギュッと握りながら。あの時、意識を失っている時、貴史さんの手を握らずに扉も開けなかったら――どうなってたんだろう。ま、その後二人は結婚して、後遺症も無く、めでたしめでたしらしいんだけど。昔の話」


 なるほど、昔話だから過去形だったのかと納得しながら、俺は静かに目を伏せた。

 食欲が一気に失せた瞬間でもある。





 その日は弟の部屋へと泊めてもらう事になっていた。いったん仕事に戻った弟の帰りを、俺はぼんやりとしながら部屋で待っていた。そうしたら、右京の顔を見たせいなのか、何とはなしに椚原村の事を思い出した。


 椚原村には、もう廃れてしまったが、様々な行事があったらしい。

 まずは、冬。


 二月に、トリオイ――鳥追いだろう。そういう名前の行事があったそうだ。鳥追いでは、小学生が皆、赤い旗を持って、村中を練り歩いたらしい。先頭は小学六年生だったという。母も参加したとの事だった。なんでも、『鳥よ去れ』というような、歌を歌い鐘を鳴らしながら、練り歩いたらしい。数え歌のようでもあったそうだ。正確には歌と言うよりも、語りかける台詞のようでもあったという。唱える形だ。歌の内容も聞いたのだが、俺は忘れてしまった。鳥に、農作物を食べられないようにと言う行事だったらしい。


 なんだっただろう。

 俺は腕を組んで必死で考えた。確か、こんな感じだったと思う。


 ――今日はどこの鳥追いだ。

 ――長者様の鳥追いだ。

 ――ホヤー。

 ――ホヤー。


 今思えば、あまり怖くはないか。


 ホヤーとは、なんだろうか。ただ確か母も意味が分からないまま、冬の夜、ホヤーホヤーと言っていたらしい。

 別の地区には、雛流しがあったという。二月なのだから、こちらは分かるのだが、鳥追いはあまり聞いた事が無い。


 しかし後に調べてみたら鳥獣を追い払うために、各地にあるらしいと言うことが分かった。

 続いて、夏。椚原村には、八月頭にムシオクリという儀式があったらしい。


 何でも緑の草で篭を作り、やはり小学生達が、集まって行う行事だそうだ。こちらはホラー小説などで俺も読んだ記憶があった。しかし実際に存在するのだなぁと実感したのは、やはり自分の耳で聞いた時である。


 何でも小学生達は、思い思いの虫を捕まえてきては、篭に作られた入り口から虫を入れていったらしい。すごい人は、アオダイショウなどの蛇を捕まえてきたのだとか。トカゲや蛙も捕まえたのだとか。虫が中心だったらしいが、他に蝮や、時に小鳥すら入れていたそうだ。基本的に生きたまま入れていたと聞いた。幼い頃はともかく、年々怖くなり、母はこちらには参加しなくなったというので、あまり詳細には聞いていない。俺は、初めて聞いた時、蠱毒を連想したが、別段喰い争わせるわけでは無かったようだ。それらは、川に流されたのだという。こちらも害虫が出ないようにという行事なのだろう。


 そんな事を考えている内に、時計が夜の十一時半を回った頃、弟が帰宅した。


 弟は、中々、激務をこなしていると思う。印刷会社の営業というのは、忙しい様子だ。なお「営業だけは嫌だ」と言っていた弟が、営業職になるとは、俺は全く想像もしていなかった。もう数年続いている。辞める辞めると言いながらも。ちなみに俺は、辞めないだろうなと踏んでいる。


「ただいま」

「おかえり」


 そんなやりとりだけでも、何故なのか落ち着いた。右京がいると、俺は心が洗われる気がする。


「――昼は話さなかったんだけどさ、実家で何かあった?」

「別に無いよ」

「泰雅さんから、連絡が着たけど」


 俺は俯いてしまった。あの鐘の音の話以外にも、泰雅は何か弟に言ったのだろうか。


「それと折角だし、紫野さんと時島さんにも連絡しようと思って――……ただ、そっちは、左鳥に聞いてからにしようと考えて、まだしてない」

「明日には帰るし、連絡しなくて良いって。今から会うって言うのもなんだし、明日も早いし」

「そう言うと思った」


 冷蔵庫から缶麦酒を取り出しながら、右京が言う。どこか苦笑しているようだった。


「本当は、会いたくないんでしょう?」


 俺は、弟のその言葉には答えなかった。その日の夜も、鐘の音が、俺には聞こえた。

 そして翌日、俺は実家に戻った。


 一応これで、『東京に行け』という泰雅の言葉は守ったと考えて――寺へと会いに行こうかと思った。たった数日間会わなかっただけなのだが、思いの外久方ぶりに思えた。





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