第13話 現在

 ――全ては、懐かしい記憶だ。


「ねぇ、サト」


 パソコンのキーボードを打っていると、缶麦酒を持った弟が部屋に入ってきた。


「まだ飲み足りないのか?」

「それもある」


 そう言うと弟は、ベッドに座って、缶を一つ俺に渡した。


 もうすぐゴールデンウィークが終わるから、弟は都内に帰る。俺は転椅子を軋ませて、体ごとベッドへ向けた。そうして弟を正面から見る。その時、ポツリと右京が言った。


「時島さんとか、元気にしてるの?」


 ――『とか』に含まれるのは、恐らく紫野だろう。一度二人に、右京を紹介した事がある。以来弟は、俺がいない所でも、あの二人と遊んだりしていたようである。


「連絡してみたら良いだろ?」


 何せ連絡先を知っているのだから。そう考えていると、弟が麦酒を口に含んでから、思案するように瞳を揺らした。


「実はさ、『左鳥と連絡が取れない』って言われたんだけど」


 弟が言いづらそうに述べた。そうだったのかと、俺は納得した。

 俺は……誰にも、実家に引っ越すと告げて来なかったのだ。

 事前に伝えたのは、地元で暮らす、寺の――泰雅だけである。


「誰に言われたんだ?」

「紫野さん。実家にいるって言っといたけど」

「あー、その内連絡しようと思って、忘れてたんだよ」

「時島さんにも言ってないんだよね? 紫野さん、多分時島さんにも話してると思うよ」

「まぁな。別に良いよ」


 話さなかった事には、特に深い理由があるわけではない。

 俺はただ、在宅でのライター業に集中したくて帰ってきただけである。

 現在は、どこで暮らしていても、仕事が可能だ。


 だから俺の帰郷は、『あの二人』とは、関係が無い。


 ――少なくとも意識的には、現在はそう考えている。


「まだ、高校の頃の事件、気にしてるの?」

「気にしてないよ」

「嘘」


 苦笑した右京を見て、俺は缶のプルタブに指をかけた。右京には、隠し事をしても無駄だ。右京はすごく鋭くて、俺に何かがあるとすぐに察するのだ。


 大学時代にも、俺が悩んでいた時などに、見計らったかのように電話がかかってきたものである。本人に聞いても、「虫の知らせだった」としか言わないのだが……いつもタイミングが良い。あるいは、非常に俺にとっては悪い場合もある。優しさは嬉しいが、誰にも触れられたく無い時もあるからだ。


「そろそろ――期限の時だから、戻ってきたんじゃないの?」


 右京が言った。

 その声が意味するのが、『呪われた刻限』である事は、俺にもよく分かっていた。

 あるいは時島達に相談すれば良いのかもしれないが、こればかりは、話す気にはなれない。


「サト、呪いなんて存在しないよ」


 右京はオカルト話が好きだが、絶対に信じない。俺だって、多分本当は、信じているわけではない……のかもしれない。ただし、時島達との出来事が、全て幻覚だったとも思わない。


 ――嗚呼。


 刻限が近づいてくる。俺にはここの所、夜になると鐘の音が聞こえる。遠くから響いてくるのだ。自分自身がおかしいのだと、幻聴だと言い聞かせながら、俺は必死でその音を振り払おうとしている。そうして瞼を伏せると、今度は嫌な光景がそこに映る。


「そうだな。無いって思ってるよ。あっても、ほら、俺には時島とか紫野がいるし、こっちには泰雅もいるしな」

「泰雅さんは元気なの? あの人、最近――『視える』って噂で、御祓いの依頼がひっきりなしに来るらしいけど」


 地元の連中とは、俺は泰雅以外とは、連絡を取っていない。そんな俺よりも、弟は地元に詳しい。地元に暮らしている俺よりも、遠方にいる弟の方が、こちらの多くの友人とコミュニケーションを取っているのだ。現在の俺は、仕事のやり取り以外は、率先して誰かに連絡しようという気に、あまりならないのである。


 弟は俺と違って、友達をきちんと大切にするのだ。俺はといえば、強いて言うなら泰雅しか、遊ぶ相手はいない。ただ右京を心配させたくなかったので、俺は泰雅の名前を挙げる事にした。


「明日にでも、泰雅の所に遊びに行ってくる予定だよ」

「そうなんだ。俺も明日帰るし、その後?」

「そう」

「左鳥は出不精だしね」


 そう言ってから、右京が真面目な顔をした。


「泰雅さんに、しっかり話をした方が良いよ」

「ああ」


 俺は曖昧に答えながら、きっと話す事は無いだろうなと内心で考えていた。





 翌日俺は、弟をT駅まで、車で四十分かけて送っていき、その足で、泰雅(たいが)の住む寺の母屋へと向かった。車を置かせてもらい、その日は二人で飲む事にした。


 座布団に座り、飴色の卓を挟んで向かい合う。


「左鳥さぁ」


 暫く飲んだ後で、頬を赤くした泰雅が、猪口を手に俺を見た。


「最近――肩こらないか?」

「仕事でPCに向かいっぱなしだからな」

「……そうか。ただ何かそう言うんじゃなくて、お前さ、アゲマンとか側にいなかったか? 東京にいた時」

「は?」


 いきなり下ネタに変わったものだから、俺は日本酒で咽せそうになった。


「どんどん具合が悪くなってるって言うか、そういう風に見えるぞ」

「何だよそれ、どういう意味だ?」

「仕事、不規則なのか? 目の下の隈、真っ赤だし。まさか、泣きはらしてるわけじゃないだろうなぁ?」

「ああ、まぁちょっと、ここの所……あんまり寝てないからだな」


 寝ていないのは嘘では無かった。

 ただし仕事が理由ではない。悪夢が迫ってくるからだ。


「カノジョと別れてないんなら、東京に戻った方が良いぞ」

「そんなのいないよ」


 俺には、『男の恋人はいたが』とは、言わなかった。いくら酔っているからと言っても、急にカミングアウトなんて出来ない。それに既に、自然消滅している。


「じゃあ大親友とか。そいつ、側にいるだけで、お前の事を守ってくれてたぞ。無意識的にしろ――それでもこっちに……地元にいるって言うなら、俺が守ってやるのも吝かではねぇけど、報酬は貰うからな」

「報酬ねぇ、おいくらですか?」

「体」


 そういうと、クイと猪口の中身を泰雅が飲み干した。


「馬鹿か、お前。肉体労働でもしろって言うのか? 無理だから。俺はデスクワークが専門なんだよ。動きたくない」


 そんな話をしてから、俺はその日は泊まらせてもらった。この夜は悪夢を見なかった。





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