第11話 スノボ旅行


 ――その次の冬、俺は、紫野と時島と共に、スノボ旅行に出かけた。


 俺の実家が雪国だと話したら、紫野が行きたいと言い出したのだ。時島の部屋で話していたので、流れで三人で旅行をする事になったのだ。


 雪国出身とは言っても、俺はサークルの旅行でしか、スノボをやった事は無かった。小中学校時代にスキー教室なるものは、存在していた覚えがある。


 宿泊したホテルは、スキー場のゲレンデの正面にあるホテルだった。

 F県のDホテルだ。


 Dホテルは、一度火災が発生し、建て替えられたそうで、新築のように新しいホテルだった。一階にフロントがあり、その奥には廃れたゲームセンターやボーリング場があった。地下には無人のカラオケがある。少々古い曲が入っていたが、自由に歌えた。食事は食べ放題で、俺は甘エビを好んで皿に盛った。


 初日は、到着してからずっとスノボをしていた為、俺達は、疲れ切っていた。

 意外だったのは、時島も非常に巧みに滑っていた事である。

 いかにも得意そうな紫野は、やはり当然のように上手かった。


 俺は……『そこそこ』という感じであろうか。これでも一応山頂から滑る事は出来る。


 ――なお、三度目に、山頂から一番下まで降りた時の事だった。


 ホテルをふと見上げる、二階の客室に髪の長い女が見えた。

 宿泊客だろうが――意外に思ってじっくり見てしまった。美人だったから……だけではなく、赤いワンピースを着ていたからだ。真冬にワンピース……? 寒くないのだろうか?




 ――少し、詳細にこの時の出来事を記しておこう。


 初日――滑った後、俺達は一度部屋に戻り、それから大浴場に向かった。時島は引き締まった体をしている。紫野は時島よりも少し細い。って、俺は何を観察しているのだろうか……。仕方が無いだろう、俺が一番貧相な体型だったものだから、気になってしまったのだ。客は俺達の他には、恰幅の良いおじさんが一人いるだけだった。えびす顔が印象的だ。


 その後、食べ放題では、沢山食べた。和洋折衷で、麻婆豆腐や唐揚げ、ハンバーグやエビフライ、野菜類、ひじき、カレー、ちらし寿司と様々な品が並んでいた。


 夜が更けてからは、カラオケをした。


 ここでも意外だったのは、時島の歌が上手かった事だ。スノボにしろ歌にしろ、二人は巧かったのである。俺は非常に、平均的だった……。あまり褒められた覚えが無い。かと言って、下手だと言われた記憶も無い。


 存分に楽しんでから部屋へと戻った時、俺はふと、赤いワンピースの女の事を思い出した。


 部屋は、俺と時島が一緒で、紫野が一人部屋だ。だが三人で、その時もまだ、飲んでいた。紫野が、俺達の部屋に顔を出し、自販機で買ってきた缶麦酒を三人で手に取っていた。


「――で、さぁ、この季節に赤いワンピースってどう思う?」


 缶麦酒を飲みながら俺が言うと、二人が表情を変えた。


「お前、このホテルで火事があったって、自分で俺達に話してくれたよな?」


 紫野の言葉の意味がよく分からなくて、俺は首を傾げた。それは事実だ。だから頷く。

 すると時島が、隣で淡々と言う。


「俺には焼死した女が視える」

「え?」


 俺は呆然とした。ゾクッとする。

 その夜――紫野が部屋に戻ってから、俺は隣の布団で横になっている時島を見た。


「なぁ、時島。起きてるか?」

「――ああ」


 時島の声は少し眠そうだったが、俺はその言葉に安堵して、つい話を続けてしまった。


「幽霊って本当にいるのかな」

「……なんだ急に」

「今でも俺は、自分が視たものが、お化けの類だって信じられないんだよ。なのに怖いんだ」


 弱音を吐くなんてどうかしていたと思う。何せ楽しいスノボ旅行だ。

 すると布団の中に時島の手が入ってきた。


「? なんだよ?」

「手を握ってやるから」

「え?」


 恥ずかしいと思っていたら、ギュッと手を握られた。その温もりは、少し低い。けれど非常に安心感があった。指と指との間に、時島の指が入ってくる。俗に言う恋人繋ぎだ。気恥ずかしくなったが、俺は本当にその感覚に康寧な気持ちになったのだった。


 翌日の朝。

 紫野が真っ青な顔をして、待ち合わせをしていた朝食の席に現れた。


 朝食は、和食のバイキングだった。俺は生卵が食べられない。そもそもあまり朝は食べる気にならない。不規則な生活を送っている弊害だろうか。


「なぁ……時島、部屋、変わってくれないか?」


 そして唐突に、紫野が言った。


 ――俺は海苔の封を切りながら、昨夜、手を繋いだ後、すぐに寝入ってしまった事を思い出していた。




 なお最悪な事に、朝起きると俺は、時島の腕を抱きしめて寝ていた。


「うわぁあ!!」


 思わず驚いて俺は声を上げた。時島は起きていたのか眠っていたのかは分からないが、その時目を開けると、淡々と俺に向かって掠れた声を放った。


「起きたか? よく、眠れたみたいだな」

「え、あ」

「スノボで疲れたから、ぐっすり眠れたんだろう」


 そんなやりとりをした朝だった。時島の顔色からは、時島が眠れたのかは分からない。




 ――これを思い出すと、非常に恥ずかしくてならない。


 だから、まともに時島の顔を見られない。そのせいなのか、紫野の申し出には、若干安堵していた。紫野の方が気楽だ。


 ただ……何故なのか時島は大丈夫だが――例え、紫野であっても『男と個室で二人きりになる』という状況になると気づいてしまい、無意識に生唾を飲み込んでいた。ゴクリと音が響いた気がする。時島が大丈夫な理由も不明だが。直感としか言えないのだ。


「何かあったのか?」


 時島の言葉で、俺は我に返った。すると紫野が、まだ青い顔で、小さく頷いた。


「昨日、寝る前に、シャワーに入ったんだよ」


 このホテルは、大浴場の他に、各客室にも、シャワーがついている。


「そうしたらさ、髪を洗ってたら……後ろに誰かがいる気配がしたんだ」

「それで?」


 俺は、興味津々で続きを促しながら、味噌汁のお椀を持つ。


「洗い終わってから鏡を見たら、真後ろに女がいて、言うんだよ」

「なんて?」


 俺は味噌汁の椀を置いた。すると紫野が、自分の髪を押さえた。


「『私の髪、返して』……その後、髪の毛を引っ張られた気がした。で、な? 即、出てから寝たんだよ、俺。怖い話してたから、怖がってただけだと思ってな」


 そう言う部分では、紫野は図太いと思う。


「そしたらさ、夢を見たんだ――すごい綺麗な長い髪をした女が、俺の部屋……というか、恐らく焼け落ちた部屋なんだろうな……あそこ。あの位置。若干今よりも古いけど、窓から見える景色が、今の俺の部屋と同じ所に泊まっていたんだ。髪を櫛で梳かしてたな。一緒にいた母親も、『本当に綺麗な髪ね』とか言っててさ」


 時島は何も言わずに耳を傾けている。


「その数時間後、火事が起きた。そうしたら、その髪の長い女は逃げ遅れて、大火傷を負ったんだよ。顔も頭も大火傷。一命は取り留めて、A市の病院に入院したらしいんだ。A市って何処だよって感じなんだけどな、俺には」


 A市は、このホテルから約一時間半ほど先にある。俺は知っている名前だった。


「それでな、火傷のせいで、どんどん髪が抜けていくんだ。母親は、それでも残った髪を櫛で梳かしてやるんだけど、それも抜ける原因。ただ、綺麗な髪を維持する為に、元気な頃も櫛で毎日梳かしてたから、火傷後も梳かさずにはいられなかったみたいなんだ。それで結局亡くなったらしい。その女だったんだよ、風呂で俺が視たのは」


 概要はこうだった。


 なお、この時の紫野は、真っ青なままで――火傷の詳細な様子などを交えて、もっと長い間、話していたと思う。

 さてその後は、スノボに出かけた。

 ただ、その間中、俺は考えていた。


 紫野が語った怖い話について――では、ない。


 夜、紫野と二人きりの部屋で、俺はしっかりと眠れるのだろうか。


 三泊四日の予定で来ている以上、部屋を変わった場合、残りの二日間、紫野と俺は同じ部屋になるのだろう。紫野の事は信頼しているし、何かがあるとは思わない。ただ恐怖は拭えないのだ。どうすれば良いのだろう? 少し考えてから、俺は決意した。


「なぁ、やっぱり一人の方の部屋では、俺が寝る」


 俺が夕食の席でそう言うと、時島と紫野が目を見開いた。そこに漂った気まずさが嫌で、俺は曖昧に笑った。


「ほ、ほら! オカルト話集めてるし、興味があるからさ」

「左鳥がそう言うんなら良いけど、朝、俺が言ったのは、本当の話だぞ?」


 紫野が何度か瞬きをしてから、時島を見た。時島は腕を組んで、俺を見据えている。

 二人の視線を交わすように、俺は黙々と棒々鶏を食べる事にした。

 溜息が出そうになったが堪える。背中を冷や汗が伝っていった。


「――三人で、俺達の部屋で寝るって言うのはどうだ?」


 その時、時島が提案した。なるほど、その手があったかと、俺はホッとした。

 俺は、三人以上ならば、問題なく過ごす事が出来るのである。

 安心した俺は、先に席を立つ。大浴場に出かけようと思ったのだ。


 時島と紫野は、もう少し酒を飲みたいと言っていた。


 なので一人、俺は廊下を歩く。

 大浴場には、俺の他、昨日も会った、えびす顔のおじさんがいた。


「お兄さん、酔ってるね」


 話しかけられたので、俺は笑顔で頷いた。汗をシャワーで流し、ゆっくりとお湯に浸かった時だった。


「酒を飲んで風呂に入ると危ないよ」

「そうですね」


 確かに、それはそうだ。そう思って俺は頷いた。するとおじさんが不意に俯いて、苦笑した。


「昔ね――出張で、この辺に来ていた二人組がいたんだよ。小さな居酒屋の経営者と大酒飲みの常連客でねぇ」


 唐突に始まった雑談に、俺は首を傾げた。どこか辛そうな顔をしておじさんが話すからだ。


「それでね、片方が大層酔っぱらっていてね、ここの風呂に長々と入っていたら……心筋梗塞を起こして死んでしまったんだよ」

「え」

「実はそれは、私なんだ」


 そう言った瞬間、おじさんの姿が掻き消えた。

 俺は、ポカンとするしかなかった。


 部屋に帰ってこの話をすると、紫野は――『初日は自分達三人しかいなかったぞ』と首を捻るし、時島は何も言わずに溜息をついた。


 その後は、何事も起きなかった。平和にスノボを楽しんでから、俺達は帰路に着いた。

 三年生と四年生の間の春休みは、このようにして過ぎていったのである。



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