第5話下校
その日の放課後、美優の周囲の人間の動きはぎこちなかった。
美優の存在を意識しないように――否、視界に入らないように行動しているのが丸わかりで、美優がふと視線を移動させたりすると、周りの連中は目を合わせないように慌ててスッと横に移動したりしてしまう。
なにか一言、二言話しかける人間もいるにはいたが、誰もその頭の上に乗った猫耳については触れず、ごく事務的な会話をして去っていってしまう。
担任の堀山先生でさえ、朝のHR前に美優に語りかけたのを最後に、美優が視界に入ると露骨に緊張する始末。
そんなよそよそしい周囲の空気はその空気を作り出している美優自身が一番ツラいらしく、目をそらされたり、緊張されたりする度に、美優は小柄を更に縮こまらせて赤面するのだ。
赤面し、俯いて震え、猫耳をピコピコ震わせている幼馴染を見る度に、俺の胸は死にそうに痛んだ。
思えばこの状況を作り出したのも、俺という男が最低の人間だからだ。
俺がアイツの裏垢にイタズラ目的でDMなぞを送り、適当な育乳アドバイスをしてしまったから、美優はこれほどの仕打ちに耐えねばならない羽目になったのだ。
終わりのHRが終わったのと同時に、俺は意を決して立ち上がった。
スクールバッグを担ぎ、真っ直ぐに前を見つめて、俺はノシノシと美優に歩み寄った。
もうみんなにフレンドリーに話しかけられることを諦めたのだろう、粛々と帰り支度を済ませていた美優は、俺が接近してくると、ハッと顔を上げて俺を見つめた。
「あ、ああ、悟浄君……」
俺たちはグレートな幼馴染であるから、人のいないところでは美優は俺を「悟浄」ではなく「ゴー」と呼ぶ。
猫耳姿でありながら優等生モードをかろうじて維持している様子の美優に、俺は大きな声で言った。
「今日、一緒に帰ろうぜ」
おおっ、というように、俺と美優の行く末を見守っていた周囲が驚くのがわかった。
ちなみに、普段はこんなことは言わない。
ただ、帰り支度を済ませた方からなんとなくお互いにすり寄っていって、お互いに肩を並べて帰るのが常だった。
けれど、その日の俺はそれではいけなかった。
幼馴染として、そしてこんな地獄のような光景を作り出してしまった張本人として、この状況にキッチリとケジメをつける必要があったのだ。
案の定、その日誰からも自然と話しかけられることがなかった美優は、俺の申し出を物凄く喜んだようだった。
うん! と、元気に頷いた美優は、それから急いでスクールバッグに教科書を詰め込み始めた。
◆
帰り道、俺たちはいつものことながら、ほぼ無言だった。
一般的な幼馴染ならばワーワーキャーキャーと騒ぎながら下校しそうなものだけれど、俺たちの場合はそうではない。
来年銀婚式の夫婦が静かに茶漬けを啜る朝の食卓のような、奇妙に落ち着いてしまったような空気になるのが常で、俺たちはポツポツと、明日は曇りだってね、へぇーとか、あそこにコンビニ出来るらしいよ、そうなんだとか、そう言った類の会話をなんとか紡ぎながら帰り道を歩いた。
「ゴーちゃん」
「うん?」
「ありがとうね。私を誘ってくれてさ」
と――突然、美優が滅多になく改まった口調でそんな事を言った。
美優は白い肌を少し赤くしながら、自分の一間ぐらい先の地面を見つめて口を開いた。
「ゴーちゃんは聞かないの?」
「何を?」
「なんで――こんな格好で登校してきたの? とか。頭がイカれたんか? とか、猫になりたいのか? とかさ」
「あー……」
直接そう問われて、俺も流石に困ってしまった。
事情を何も知らない周りならそう問うことも出来るが、俺は美優のこの猫耳モードの原因があの裏垢であり、この奇特な格好の原因が自分であることを知ってしまっている。
数秒の「あー……」の間、俺の脳内はまるで一秒間に数億桁の計算をこなすスーパーコンピュータの電子基板のように火花を散らし、なにか適当な答えを脳内に探した。
「まぁ最初は確かに驚いたけれどさ、美優がそうしたいならいいんじゃない?」
よし、完璧だ。
あくまでこの格好の原因は俺にではなく、美優の自発的な行為によるものだと、ちゃんと言えた。
俺が内心ガッツポーズをしていると、美優がフフッと自嘲気味に笑った。
「ゴーちゃんは優しいね。みんながそう言ってくれたらよかったのにさ」
いいや最低だ、俺は最低の男なんだと、その場で全てを懺悔して土下座できたらどんなによかったか。
けれど、それは出来ない。あの育乳垢の存在を知っているのだと俺が口にしたら、明日から美優は生きていけない。
美優を死なせないためには黙っておくしかないのだと、都合よくそう考えて、俺は美優の言葉の続きを待った。
「これはね、なんていうか……おまじない、みたいなもんなの」
「おまじない?」
「うん。今ちょっと、個人的に頑張ってることがあってさ。こうすれば凄く効果があるって、ある人にアドバイス受けてさ。こんなこと恥ずかしいし、何度もやめようって思ったけど……」
美優はそこで、自分の絶壁の胸に両手を押し当てて、少しはにかんだように笑った。
「アドバイス通り、滅茶苦茶恥ずかしかったし、ドキドキもしたから、効果あった――のかも」
急に美優がそんな事を言うので、俺はドキリとした。
普段はあまり意識しないが、美優は校内外にその名を轟かせる美少女で、外見だけは物凄く庇護欲を掻き立てる見た目をしている。
俺が生まれた病院まで一緒というグレートな幼馴染でなかったのなら、とても気安く話しかけたり、今のように肩を並べて登下校など出来なかったに違いない人なのだ。
そんな美少女が気恥ずかしそうに笑い、自分の成長を確かめるように胸に手を押し当てて笑う姿――。
事情を知らない人間が見たら物凄く透明感ある所作だっただろうが、事情を全て知っている俺からしたら小っ恥ずかしいとしか思えない幼馴染のその動作に、俺は慌てて目をそらした。
「どうしたの?」
「あ、いや――」
「そう言えばなんか今日、ゴーちゃんも変じゃない? もっと馬鹿にされるかと思ったのに」
美優は不思議そうに言った。
「私がこんな格好してたらいの一番にバカにしにくるかなと思って期待してたんだよ? こんな事言うのも変だけど、ゴーちゃんが真っ先にこの猫耳をネタにしてくれたならもうちょっと馴染めたかもしれないのにさ」
ぷう、と、美優は頬を膨らませた。
出来るわけがない、そんなことが出来るわけがなかった。
俺はどうしようか少し迷ってから……歩みを止め、身体ごと美優に向き直った。
「え、ゴーちゃん……?」
「あの、ごめんな?」
俺は腰から直角に頭を下げた。
急に頭を下げた俺に、美優が少し慌てるのが雰囲気で伝わる。
「え、えっ、き、急に何――!? なんのこと!?」
「ほら、昨日、さ。俺、お前に色々言っただろ? 器が小さいとか、その、他にも色々小さいとかさ……」
他にも色々、の部分を強調して顔を上げると、ハッと何かに気がついた美優が胸の辺りを腕で隠して身を捩った。
ヘンタイ、と言われるかもしれなかったけれど、その時の俺はとにかく謝罪することしか思いつかなかったのだ。
「昨日、帰ってから、実は結構あの一言を気にしてたんじゃないかって思ってな……いくら幼馴染でも、言っていいことと悪いことがあったなって、少し反省したから……」
俺はもう一度深々と頭を下げた。
「ごめんな、美優。もう二度と言わない。今度ソフトクリーム奢るから許してくれないか」
しばらく、そうやって頭を下げ続けていると、あはは、と美優が困ったように笑った。
「なんか今日のゴーちゃん、やっぱり変だよ? いつもは自分から謝ったりしないのに。大丈夫だって、最初から全然気にしてないからさ……」
いいや、気にしている。気にしているから、この人は猫耳なんぞつけて登校する羽目になったのである。
俺がもう一度だけ、ごめん、と言うと、ソフトクリームは奢ってよね、と美優が念押しした。
うん、と俺も、力強い言葉で答えた。
◆
完全にストレス発散目的の書き溜めナシ、
しかも原稿ナシのカクヨム直書きですので
いつぞや飽きて連載停止するかもわかりません。
「もう少し続けてくれ」と思っていただけた場合は、
たった一言
「続けて」
とコメントなりレビューなり★なりをください。
それ以外の文言は一切要りません。
「続けて」だけで結構です。
よろしくお願いいたします。
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