9-2.縁の魔女の選択
「本当に、アカシアを出るのだな」
ミモザが応接から出て、何気なく屋敷を歩き回っていたとき。
庭先から、知己の声に呼び止められた。
「お兄様」
ギンヨゥ子爵ローダン・カスケード。ミモザの血のつながった兄である。
彼は子爵領を賜っているが、ミモザの知る限り普段はこのアカシア本邸にいることが多かった。
彼にとってはあくまで家はここ、ここからほど近い子爵家は、職場という意識のようだ。
ゆくゆくはアカシアを継承するのだから、それも確かではある。
「あまり兄と呼んでは、よくないのではないか?」
どうにも、縁を切るという話は察せられているらしい。
父から伝わったにしては早すぎる兄の指摘に、ミモザは少し苦い笑いを浮かべる。
ミモザとサクラの仲のことを父に伝えたのはローダンかリプテルなのだから、彼らが縁切りの考えに及ぶのは道理ではあるのだが。
「そこはお父さまたちには咎められませんでしたよ。
本来縁切りなのだから、門をくぐらせないくらいには徹底させるものなのでしょうが。
私は元より〝ブロッサム〟なので、そこを気にしてもしょうがないということなのでしょう」
「確かに。家族のお前と縁は切れても、ブロッサムの魔女との縁切りは無理だ。方便だが、その通りだな。
アカシアは魔女の本筋。切って切れるものではない」
ミモザと同じ、金の髪と目をした青年が、肩をすくめる。
「それで。お兄様は、何用でしょう?」
「
兄が左手を見せる。そこには、少しの輝きを灯した赤い糸があった。
その先は、妻リプテルに繋がっており。
彼女は。
「はい。ひょっとしてお義姉様は今?」
「お前の屋敷にいった。サクラ嬢とお話中だろうさ」
入れ違いで、サクラと赤い糸の話をしている。
「お前は、ペント伯爵たちにしろ、俺たちにしろ……赤い糸を戻そうと、懸命だった。
自分にそれが出た今、魔女の本懐に従って、その糸を戻すつもりなんだと思ったが。
違ったか?」
「合って、ます」
「そしてやはり、惜しくなった、と」
ミモザは兄の指摘に、躊躇いつつも頷いた。
「お兄様たちは、お二人で生きていく選択を。されたのでしょう?」
「ああ。特に生活には支障がないし。死ぬときは一緒だと言われても、そりゃそうだってところだし。
リプテルは魔女を続けられなくなって悩んではいたが、そこは十分話し合った。
何の因果か……子育てもすることになったし。これで良い選択だったと、そう思っている」
「そういえば、あの子は?」
「乳母に預けている。俺たちは少々世話を焼きすぎるようでな。今日は息抜きだ」
あの子、とは。ペント辺境伯スネイルと、その妻ティーネの子である。
赤い糸が出ていた彼らは子が産まれたとき、最も信頼すべき相手がその子に変わり……糸が切れ、死んだ。
残された子は、アカシアに託され、ギンヨゥ子爵に引き取られた。
瞳の形にのみ魔物としての兆候が出ていたが、あとは人としてすくすく育っているとのことだった。
成長の後、ペント伯爵を継ぐかどうかは、本人にゆだねられることとなっている。
「惜しかったとして、それでどうするつもりだ。ミモザ」
中庭から廊下にやってきた兄が、話を本題に戻した。
ミモザは少し、悩んでから答えるが。
「…………サクラの。相手のつもりに、委ねようかと」
「無理だな」
ローダンはそう、断言した。
俯いていたミモザは、顔を上げて兄を振り返る。
「なぜ、そのように」
「俺だって魔女の家系の嫡男。相応の学びはしている。
この糸は、相互。片側からどうこうできるものではない。
その様子、サクラ嬢はもう覚悟が決まっている。
迷っているのは……お前だけなんだな? ミモザ」
図星をたびたびつかれ、ミモザの顔は僅かに歪む。
「サクラは……この糸が消えることに、不安はないので、しょうか」
「俺に聞くなといいたいところだが、ないんだろうな」
「そんなこと、あり得るのですか?」
「俺はあり得ないと思う」
「だったら……!」
糸から伝わる、深い信頼と愛情。それがわからなくなることへの、恐怖。
その気持ちが理解できるはずの兄の言い様に、ミモザはたまらず声を上げた。
兄は真剣な目で、薄くほほ笑みながら、じっと妹を見ていた。
「逆に聞くが。今その糸がそこまで……実体さながらになっているのは。
どちらが原因だ? ミモザ」
「えっ。それは……おたがい、で、は」
「では、糸が発現してから、お前にはそんな強い心境の変化があったのか?
サクラ嬢と信頼を深める何かがあったのか?」
変化があるかと問われると。
ミモザは……首を振るしか、なかった。
ない、わけではない。だがそれは、確かに。
すべて、サクラが為したもの、成し遂げたものだ。
「ここは勘だがね。お前が迷っているのに、糸の信頼が強いということは。
サクラ嬢がお前を深く深く信頼していて、かつミモザがそれに安心しているんだ。
糸がなくなる恐怖があっても、それでも安定しているくらいに。
それだけ深くお前を信じている子だ。糸の有無なんて、そりゃどうでもいいだろうよ」
「どうでも、なんて。そんな……信じられま、せん」
ミモザの半生は、〝縁の糸〟と共にあった。
縁が感じられない、という状態がほとんど記憶にない。
赤い糸は出てからまだ、日は浅いが。
これが消えてなくなった後の自分が、全く想像がつかない。
「それを、なぜサクラ嬢に聞かない。糸の伝える信頼でも信じられないなら、聞くしかないだろう」
「聞いて、しまったら!」
「…………赤い糸は、きっと消えてしまうと。そう直感してるんだな?」
ミモザは涙ぐみ、俯き、それでも頷いた。
「サクラは、信じられる。私はきっと、納得してしまう。
そしたら、この糸が、消える! あの子のくれる、幸せが、消えてしまう……」
「だったら。糸以外の手段で、幸せを教えてもらえよ」
「……………………ぇ?」
ミモザは顔を上げ、呆然とした。
糸以外で。そんなことが、全く頭になかったのだ。
ミモザはまさに、縁で世界を理解していた。他者を通じて世界を知っていた。
それ以外の感覚に、興味が向きづらいのだ。
「なんでもいいけどな。結婚するんだろう? その子と」
「サクラが、頷いてくれたら、ですが」
「そこからかよ! いやそれ、好意は伝えてるんだろうな?」
「糸では、伝わっている、はず……」
「そこからかよぉ……お兄ちゃんはちょっと泣きそうだわ」
ローダンが大きくため息をつく。何か馬鹿にされているようで、ミモザは少々むっとした。
「なら、その子に教えてもらえ。止めず、信じて、すべて身を委ねてみればいいだろう」
「へ、へんなこと、されそうで」
「……そうされたいんじゃないのか?」
ミモザの頬に、一気に朱が差した。
「なんてハレンチなことを言うんですお兄様の変態!?」
「俺はもうどうすればいいのかさっぱりわからないよ……お前もうどうしたいのさ、その子と」
赤い顔のまま、ミモザは俯き、呟く。
「お傍にいられれば、それで」
「幼児だってもうちょっと望み高いぞ? 赤ちゃんか? いや赤ちゃんはもっとわがままだわ」
再びかなり馬鹿にされたようなので、ミモザは兄を睨みつけた。
だが兄はどこ吹く風で。
「そこが不安なら、ならばこそ赤い糸は戻せ」
さらりと、そう答えた。
ミモザはなぜそうなるのか……理解が及びつかない。
「なぜ、そうなるのです」
「簡単な話だ、妹よ。お前は嫌われるのが怖いんだな?」
「っ」
ミモザは息を飲み、二の句が継げなくなった。
「その上で、今。万が一嫌われたら糸が切れて、お互いが死ぬ。
だが、糸が戻っていればどうだ? 命は助かる」
「それ、は……」
兄の言い様は、理屈では理解できても、感情が追いつかなかった。
だが。
「自分とその子、どっちが大事だ?」
「サクラです」
追い打たれて、ミモザは迷わず答えた。
「ならば信頼するその子に、本当に自分を委ねろ。
嫌われないようにしろ。だが嫌うのは相手の自由だ。
サクラ嬢の自由と命を守れ。
その子のしたいことを、そのまま受け入れればいい」
「それは、あぶない、ような」
全身を文字通り丸洗いされたときのことを思い出し、ミモザは再び顔を赤くする。
だが続く兄の。
「この糸が出てない相手なら、俺もそう言う。だが大丈夫だ。
一度赤い糸で結ばれたのなら。切れてなくなったのでないなら。
赤い糸は見えなくなるだけで、きっといつだってそこにある」
ローダンの言葉に。
なぜかミモザは、肩の力が抜けた。
(見えないけど、そこにある……)
サクラは、糸が見えず、出ていないのに、占いを成功させた。
そして一度はちゃんと縁を紡いで、危機を脱している。
自信はない。だがサクラのこれまでの姿が……ミモザに少しの勇気を、灯した。
左手を握り締め、姿勢を正し、ミモザは前を向く。
「相談にのっていただき、ありがとうございましたお兄様」
「おう。そのうち、リプテルの子育て相談にでものってやってくれ」
「…………なんでそこでハレンチなこと言うんです?」
「いやお前の思考どうなってんのどこがハレンチにつながったの?」
「知りませんっ」
回答に窮したミモザは、兄から背を向けて廊下を行く。
厩舎に向かい、早く帰りたい気分だった。
恥ずかしいのもあったが。
(サクラ……)
朝からしばらく、一緒にいないだけで。
ミモザは早くも、サクラに会いたくなっていた。
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