9.縁の魔女~娘としては誠に遺憾だが、想い人のために親離れさせていただく~

9-1.縁は切ろうとも、信頼は切れぬ

 涙が、止まらない。自分は彼女の前では泣いてばかりだと、ミモザはそのように思う。



(サクラ、サクラぁ……)



 それでも、自分を抱くサクラの右腕に体を擦り付け。


 とった彼女の左手の小指に、額を当てて。


 ミモザは子どものように、泣き続ける。


 だがどれほど泣こうとも。零れた涙と、同じように。




 消えた赤い糸が戻ることは、ない。




「私は。いや。でした。この。結末を。迎えたくは。なかった」



 自分が望んたことなのに、ミモザはその否定が口から出るのを止められなかった。


 自分が師として導いた、弟子の学びを受け止めきれなかった。



「ミモザ、どうして……」



 呟く彼女の想いが、もう伝わってこない。


 ミモザはただ、それが悲しい。



「私は――――」



 ミモザは。


 サクラを。




 ◇ ◇ ◇




 早朝に馬に乗って屋敷を出たミモザは、アカシア伯爵の本邸に迎え入れられた。


 招かれたのは、使用人が下げられた書斎。


 出迎えたのは、ミモザの父・アカシア伯爵アンティモ・カスケード。


 そして夫人の、イデスの二人。



(お兄様は屋敷にいるけど立ち会わず。やはり本件は、アカシアのものとして今代で始末をつけるのでしょう。

 お義姉様は……ひょっとして、入れ違いでサクラのところでしょうか)



 ここにいない親族のことに頭を巡らせてから、サクラは勧められたソファーに腰を下ろす。



「して、どうだ。ミモザ」



 当主に早速尋ねられ。


 ミモザは笑みを浮かべ、答えた。


 冷酷などではなく――――穏やかな笑みを。



「はい。エランは滅びましたし、そのことは周知されました。

 これでアカシアが〝エラン派〟として旗手に担がれることは……永劫なくなったでしょう。

 危機は脱したと見て良いかと」


「余談は許さんがな。連中はきっかけさえあればなんでも良いのだ。

 もともと東方でくすぶっていた奴らは、スネイルがこもって元気になりおった。

 中央を追い出された連中まで結びつき、まだ新時代に抵抗する構えだ。

 だが……ここからはこちらの仕事だ。よくやってくれた、ミモザ」


「新政府はアカシアを陞爵しょうしゃくする意向のようです。

 最低でも、辺境伯にはなるだろうと。

 これで、押さえが効きやすくなるのでは」


「仕事を押し付けられるが、仕方あるまい。整備して、ローダンめに回そう」



 父娘は茶を飲みながら、ゆっくりと語らう。



「いきなり古い手紙を持ち出してきたのには、驚きましたが。

 何にせよ、無事に済んでよかったです。

 そこまで火急の状況だったのですか?」



 ミモザは述懐する。「古い手紙」とは、ミモザたちが動く町の魔物・タウンロアーに向かうきっかけとなったものだ。


 それはかつて――――ミモザの姉弟子・リプテルが受け取り、しかしタウンロアーの存在を確認。


 どうしようもないと、放置されていたものだった。


 当然に、ミモザもその開封済みの手紙に覚えがあった。



「当のエランか、手の者が動き回っていたようでな。

 目くらましのためだろうが、〝エラン派〟を立ち上げ、まとめ上げようとする動きがあった。

 直接話そうにも、盗み聞ぎされる恐れがある程度には……活発でな。

 下手にアカシアがエランに寄っていないと感知されれば、攻め落とされる危険もあった。

 だが妙手であったな。タウンロアーを倒せる人物、すなわち革命軍首魁・ルティ様を呼び出すとは。

 一気に詰め寄る手で、痛快であった」



 つまるところ。


 タウンロアーの一件にしろ。


 ペント辺境伯にミモザたちを派遣した件にしろ。


 ミモザとアカシア伯爵が周りに見せていたのは、本当にただの茶番である。


 彼らはうごめく貴族たちを躱し、ことをおさめるために手を打っていただけなのだ。



「何を仰います。ルティが三大不可能魔法の使い手であることは有名。

 私が知己であることを、お父さまはご存知です。

 当然にそれを踏まえて、手紙をお持ちだと思ったのですが?」


「かの方が革命軍の首魁だというのは、私は知らん話なのだがな?」


「お戯れを。確かに秘されておりますが、ルティがリーダーであるということは、北のヘーゼル大公を始め、仕掛け側は皆知っている。

 そしてアカシア領が一枚噛んで無ければ……そもそも、エランたち四人は、私の屋敷にやってこれません。

 領の途中で、捕まっていたでしょうに」


「くく。方々から奴らの始末のつけ方の注文をつけられ、ほとほと困って丸投げしたに過ぎん。

 おかげで多少の縁故はできたがな」



 そして二人また、茶を一口。


 内容は違えど、サクラや他の親族の前での二人と、同じような応酬であったが。


 そこには確かな、信頼があった。



「何にせよ、革命軍が監査に入ってくれて時間も稼げた。

 身の潔白の証明ともなり、ついでに東方の貴族に彼らが睨みを効かせてくれるようにもなった。

 西方由来の行政手法や、交流も活発化しそうで、こちらとしては万事万々歳であるな」


「最初からそれを見越して、エランに近寄ろうとしていると私を煽ったのでしょう?

 今更妙なことを仰ると思いましたが、終わってみれば新時代を迎えるにあたって、東方は準備万端。

 北・西・南に後れをとっていると言われていたこの地方も、取り残されずに済みそうですね」


「妙なこととは、いまいち信用されておらんな? 私が奴を褒めたことが一度でもあったか?」



 拗ねたようにいう父に、ミモザは少しの苦笑いを浮かべる。


 彼女にとっては悪態を吐こうとも、甘やかそうとも、やはりアカシア伯爵は……子離れできない、優しい父であった。


 不満があるとすれば、貴族の親子としてあまり甘えるわけにはいかない点、であろうか。



「いいえ、ありませんでしたね。いつも文句ばかりでしたし、いつも私は心から賛同して頷いていました」



 ミモザが穏やかにほほ笑むと、満足したのか伯爵もまた目を優しく細めた。



「であろう。そもそも、あんな傲慢な男に可愛い娘をやるわけなかろうに。王家の直の打診だから受けはしたがな」


(そういえば。婚約破棄されたとき、嫌に手回しが早かったですね。

 やはり、あらかじめ準備されていたのでしょうか)



 ミモザが過去を振り返っていると、父が渋面になった。



「なのにお前ときたら、嫌がっているのに妻になるのは前向き。結果的に破談になってよかったが、内心気を揉んだわ」


「すみません……アレの簒奪に手を挙げたのが、とても良い方だったので……。

 押し付けるのはあんまりだと思ったのです」



 視線を逸らしながら、ミモザは応える。


 責められる謂れはないが、ミモザとしても少々気まずい。



「それで案の定路頭に迷ったからと、弟子にまでとったわけか。

 随分な気にいりようだな。

 で、今日はその話だな?」


(やはり、見透かされておりますね。どこまで先を考えておられるのやら)



 ミモザはカップを置いて、当主に正対した。



「はい。アカシアに、縁を切っていただきたく思います」


「嫁に迎えるのか入るのか、あの法規はいまいちわからんが。

 あいわかった。委細、こちらでやっておこう」



 間を置かず応諾するアカシア伯爵に、しばしミモザは呆然とする。



「…………言い出した私が言うのもなんですが、よろしいので?」


「娘の幸せを願わん父親がどこにいるというのだ。

 王族や上位貴族ならばまだしも、伯爵程度と平民。同性婚にあたっては問題が大きい。

 貴族という立場が足かせにしかならんお前のくさびを解いて、送り出すのが私の役目だ。

 …………なんだ、不満か?」



 真っ直ぐに言われ、ミモザは気を取り直し、慌てて首を振った。



「……いえ。満足しかありません。ですが、その。

 もう少しこう……娘をどこの馬の骨ともつかんやつにやれん!とか、言い出すのではないかと」



 ミモザの言い様に、伯爵は声を上げて豪快に笑った。



「そこまで笑わなくても……」


「いやいや、似ておった。驚いたわ。なぁイデス?」


「本当に。ついに声まで似たかと驚きました。本当にあなたは、父親似ですねミモザ」



 母にまで言われ、ミモザはさすがに素直に喜べず、微妙な笑顔を浮かべる。



「我々は、ローダンたちが年中盛っているのを間近に見ておるのだぞ?

 赤い糸で結ばれていると聞けば、それは似合いであるとしか思わんわ。

 しかも聞けば、お前たちの糸はより縁が強いというではないか。

 リプテルが目を剥いて驚いていたから何かと思えば、聞いて納得したぞ。

 奴らは少しうらやんでおったが、私は――――泣いた。もう十分に涙した。だから後は、送り出すだけよ」


「お、父さま……」


「この人、本当にみっともなく泣いたのよ?

 あなたが幸せを見つけたんだって。

 私も人のことは言えないけれど」



 泣いたというミモザの両親は、今は晴れやかな笑顔を浮かべている。


 ミモザは困惑しつつも、頭を下げた。



「ブロッサムの魔女、ミモザよ。多大な恩を受けたアカシアは、いつでもお前を歓迎する。

 好きな時に訪れ、いくらでも頼るが良い」


「はい。私、魔女ミモザは、アカシアに受けた恩を忘れません。

 ご入用の際は、是非にご用命を」


「くく。魔女の占い代は高くてかなわん。茶だけ飲みに行かせてもらおう」


「土産をお持ちくだされば、歓待いたしましょう。

 いつでもいらしてください――――お父さま、お母さま」



 縁を切ろうとも、笑顔で送り出してくれるという二人に。


 確かな信頼と愛を感じ。


 ミモザは涙をこらえ、精いっぱいの笑顔を向けた。

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