2-6

 深夕さんはあまり写真に映ることを好まなかった。

 彼女の顔がはっきり分かる写真は私のカメラにもそう多くは残っていない。もともと人物の写真が少ないから、映っていたのはかなり運が良かったと言えるかもしれない。

 白いワンピースが淡い焔の色に染まっていた。籠の中から漏れ出る明かりが顔を照らしていて、白い肌はいっそうきめ細かだった。薄い唇には白くて丸い反射光が浮いていた。籠を撫でる手は竹の影で闇に溶けている。まるで指先から籠の中に吸い込まれていく瞬間を捉えているように感じられた。

 七夜先輩の言う通り、深夕さんは綺麗だった。ただしそれは儚くて脆い、ソーダガラスのような美しさだと私は思う。彼女の中には時が詰まっているのだが、ひとたび割れてしまえばそれがあふれ出して、きっと彼女の時間は止まってしまうのだ。快活に振る舞うことも多かったが、押し黙ったときの彼女の姿は夜が似合っていた。ちょうどこの写真にあるように。

 私はそんな深夕さんに憧れた。だから七夜先輩に深夕さんの美しさを気づいてもらえて嬉しかった。美しい彼女について考えると、己のことのように誇らしくなった。彼女の強さは、もっと周知に値するはずである。そう思うと、冬木にも自慢してやろうという欲が出た。

 ちらり冬木に視線を向けると、彼は屋根形に組まれた棒の先に吊ってある竹籠の明かりを見上げていた。七夜先輩が呼ぶと首をかしげながら振り向き、後ろ手に組んだ手を解いて私のカメラを覗き込んだ。

 小さい画面に暗い画像だから、一寸見ただけだけでは何か分からなかったらしい。冬木は目を細めて顔を近づけ、それでやっと燈花会の写真と判別したようだった。そして彼は驚いた顔をした。

「中学時代の白本さんの先輩らしいわよ。もしかして見蕩れちゃった?」

「先輩?」

 七夜先輩の発言を聴いた冬木が怪訝な顔を向けてきたので、私はうんと答えた。

「一つ上だよ」

「一つ上。じゃあ……」

 冬木は尚もカメラを凝視していたが、どうにも納得のいかないことがあるようで、今度は映った女性の名をしきりに尋ねてきた。私が「深夕」だと答えると、いよいよ血相を変えて、

「名字は?」

「えぇっと、式。卒業式の式」

 途端に冬木は他に写真はあるかと尋ねてきた。保存されている分ならば何枚かあったはずだと私が告げると、まるで後生だからとでも言わんばかりに、見せてほしいと請うてきた。私はカメラを差し出した。

 冬木はしばらく写真を繰っては目を皿のようにして覗き込んでいた。ぶつぶつ何事か呟きながらボタンを押す姿は、焦りを含んでいるように見えた。彼の指先が少し震えていた。

「これは去年だよね?」

 二分ほどして冬木が顔を上げて言った。渡井がそうだと答えると、

「この人は、今も会うの?」

「最近はあんまり会っていないかな。あぁでもそうだ、今度京都に遊びに行く話になった」

「そうか……」

 それから冬木はうつむいて黙してしまった。私と七夜先輩は顔を見合わせて互いに小首を傾げたが、冬木の動揺については追及しなかった。 ヴァイオリンの音が止んだと時を同じくして拍手が聞こえてきた。コンサートが終わったらしい。聞き取れはしないがナレーションも流れていた。それらの音で節が切り替わるようにして、私たちは帰路についた。駅に辿り着く頃には蝋燭の火はひとつずつ消され始めていた。

 電車に乗って各自方々に散り、最寄り駅で下車した私はコンビニで温かい紅茶を買った。

 日中の気温は高かったが、今は雲が垂れ込めており、風も強くなっていささか涼しさが訪れていた。お陰で淋しさが降り注いでいる気がした。開栓していない缶で掌を温めながら遮断機が開くのを待っていると、特急列車が私の髪を無造作に掻き上げていった。

 踏切を越えてから少し歩いたところでキャップを開けると、柑橘の匂いが円い飲み口から昇って頬を包んだ。私は嘗めるようにして一口飲んだ。嫌味なくらいに砂糖が甘かった。

 紅茶で唇を濡らしながらとぼとぼ歩いている最中、私は深夕さんのことを考えた。去年の十月に共に訪れた時に撮った例の写真を見た彼女は、お礼を言ってくれたような気がする。何と言ったかは定かでないが、確かに彼女が微笑んだのを覚えている。

 彼女の儚げな顔と、そばで揺らめく小さな焔。またやかましくなった踏切の音を遠くに聞きながら、脳裡に浮かんだその二つを種に、私は深夕さんが話してくれた火事の件を思い出した。

 しかし当時衝撃であったにもかかわらず、詳細となると判然としない。深夕さんから聞いてから一度調べたことはあるけれども、いくら頭をひねってみても、火事は晩に起きたこと、深夕さんの母親と妹が亡くなったこと、深夕さんは偶然にも友達の家に泊まっていたため助かったこと、その程度しか思い出せないのである。

 帰宅して風呂に入ってから、私は二年前の火事についてネットで検索をかけた。結果は直ぐに返ってきた。いつどこで起こったか。何時間燃えたか。誰が亡くなったか。種々の記事で雑多に取り上げられていたが、どれも概ね内容は一致していた。読んでいるうちにだんだんと深夕さんの話を思い出してきて、同時に去年の夏の彼女の姿が蘇ってきて泣きそうになった。

 火元は花火の不始末だと結論が出されたらしい。火の燃え広がり方から、庭の方から火が上がったと推測されていた。当日夜、庭で手持ち花火で遊んでいた人の姿を近隣の住人が目撃していたという。証言者が曰く、遊んでいたのは中年の女性一人と、女の子と男の子が一人ずつ。救急搬送されたのち亡くなったたのは女性と女の子だろうと特定されていた。

 残りの男子についてはプライバシーの観点からか情報が伏せられており、記事を読んだだけではおぼろげに像が結ばれるだけだった。ただ確かなのは、火傷でしばらく入院したということだけである。だがそれは微量ながらも確定的な情報になりえた。

 私はどうしたものかと思案したが、結局、携帯で火事のあった日付だけを冬木に送った。程なくして冬木から端的な返事が返ってきた。

『今日の写真にいた、式深夕という人に会わせてほしい』

 私は深夕さんに連絡を取った。

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