明日の墓地を探せば迷えど
昔から“お笑い”で笑ったことが少ない。母子家庭で、親は夜仕事に出ていたので、その間寂しくないようにとテレビをつけてもらっていた。そうすると必然的にお笑い番組も見ることになるのだが、何が面白いのかわからない。隣にいる姉はゲラゲラと笑っているのに自分だけがどうして面白いんだろうといつも疑問に思っていたことを思い出す。
お笑いというジャンルは、どこまでを定義したらいいのかわからないが、冗談というのも面白いと思ったことが少ないと思う。むしろ冗談を冗談として認識できないでいる。それは、割と人とのコミュニケーションを取る上で、不便なことで例えば会社の先輩が言った冗談を気づかずに、言われた言葉を真剣に考えてしまう。そんな時はいつも「いやっ!冗談だから!」と言われるハメだ。
いつだかに読んだ本では、“お笑い”は差別であると書いていた。だから学生時代、吃音を持っている教師をクラス中の人が笑っていたのは差別だからなのかと納得した。納得した反面、なぜ差別が笑えるのか自分にはますますわからなくなった。
ヒガ(すえひろ)友達がいる。ヒガは、大喜利をやっている人で、自分からみたらお笑いのプロだと思っている。ある日、小西ハマる”お笑い”を探そうという事になった。ヒガチョイスで色々なお笑いを見せてくれた中にピッツァマンという動画があった。小西にはピッツァマンは、ウケないだろうと言って見せてくれたのだが、これがまたすごかった。鳥肌の立つぐらい感動した。すごいよピッツァマン。エヴァンゲリオンを見た時と同じ衝撃が走った。内容を説明するのが面倒なので、気になる方はピッツァマンで調べて見てください。ピッツァマンの感想を書くと長くなるので省略。結局のところピッツァマンで笑えたかと言われたら笑えはしなかったけど。お笑いというものがわからないという話でした。
今日はこの話を書こうと思って、会社遅刻してるのでそろそろ会社向かいます。サボってるわけではない。頭の中を整理しただけ。
終わったはなし 小西ちひろ @Conishichihiro
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