流川と幸運の壺

その日流川は昼食を取り終え、午後一番でとある授業を受けようとしていた。

「えーっと。本館6階のC教室か。」

流川は一人食堂を出ると、白亜館6階へと向かった。


流川がC教室の戸を開けると教室の中は薄暗い。

「え?」

流川は教室を間違えたかと一瞬戸惑い、教室の表示を確認した。確かに表示には6-Cと記載がある。流川は目を凝らして中の様子を伺ってみると数十名の候補生たちが暗がりの中で席に座っている。流川は恐る恐る教室内に足を踏み入れると、足元に気をつけながら前の方の席へと足を進めた。


「隣いいですか?」

流川は一番前の列に座っていた黒猫に声をかけた。

「勿論!座って座って!!私ラムっていうの。よろしくね!」

黒猫は机をトントンと叩きながら流川に席を勧めた。

「あ、僕は流川翼と言います。」

流川はラムの隣に腰を下ろすと、辺りを見回した。大きめの教室はすでに9割以上が埋まっている。

「すごい人数ですね。」

「この授業はかなり難しくて、何度も受け直す人が多いのよ。」

ラムは机の上に置かれているレジュメをペラペラとめくりながら困ったように笑った。

「そんなに難しいんですか…。」

流川はやや不安になりながら鞄から筆記具とノートを取り出した。


「皆さんこんにちは。ワタシは宝田と言います。」

いつの間にか、教壇には白と黒のストライプのピシッとしたスーツを身につけ、目尻の方がキッと吊り上がっている眼鏡をかけた細身の男性が立っていた。

「…?」

流川は宝田と名乗る男をじっと見つめ、何とは言えないが違和感を覚えた。

「この授業では皆さんで『幸せ』を考えます。お手元のレジュメ1ページ目をご覧ください。」

教室はしんと静まって、候補生がレジュメをめくる音が教室内に響いた。

「皆さんにとって幸せとは何ですか?」

宝田先生はラムを指さしながら問いかけた。

「えっと、美味しいご飯を食べて、いっぱい寝ることです。」

ラムはちょっと考えてからそう答えた。

「なるほど。あなたはどうですか?」

次に宝田先生は隣にいた流川を指差した。

「誰かを守れた時…ですかね?」

流川はポリポリと頭を掻きながら答えた。

「それは興味深いですね。では、あなたは?」

宝田先生は次々に候補生を指名していった。

「俺は肉を食ってる時。」

「ワタシ ハ アタラシイコト ミツケタトキ。」

「泳いでいる時。」


候補生が一通り答え終えたところで、宝田先生は教卓に手を付きながら話し始めた。

「幸せになりたいという感情は当然のものです。今お答えいただいた皆さんは自分の基準で『幸せ』をイメージできるので大丈夫でしょう。ですが、『幸せ』がよく分からないまま、『漠然と幸せになりたい』と考えている人も中には存在します。そういう考えの人はどうすれば『幸せ』になれると思いますか?」

候補生たちは近くにいる生徒同士で話し合っている。

「何か考えのある方?」

候補生たちは話合ってはいるが、手は上がらない。

「これは非常に難しい問題です。例えば、お肉を食べているときに幸せを感じると答えた方は、お肉を食べれば良いですね?泳ぎが好きな方は海やプールに出かければ幸せを感じられます。ですが、それぞれの基準で幸せの正体を掴みきれていない人は、どうすれば良いのか迷ってしまいます。ですが、みんな幸せになりたいかと聞くと「はい」と答えるものです。」

宝田先生は候補生一人一人をジトっと見ながら話を続けた。

「世の中には、そう言った幸せに迷っている人を狙ってお金を稼ごうと考える輩がたくさんいますので、我々は被守護者を守ってやらなくてはなりません。では、レジュメの2ページ目をご覧ください。」

流川がレジュメをめくると、そこには何やら怪しげな特殊詐欺や悪徳商法の情報がずらっと並べられている。

「ここに書かれているものは、私が生前にやっていた『幸せになれる壺を売る商売』をはじめとした悪徳商法や宗教、特殊詐欺などをまとめたものです。」

教室内が一気にざわついた。

「ええ、分かります。そうですよね。ですが、実際にやっていたからこそ伝えられることもあるのです。では、次のページを開いてください。」

流川はレジュメに書かれている悪事一覧にざっと目を通し、はっと息を呑んだ。

「どうしたんですか?」

ラムは突然固まってしまった流川に小声で問いかけた。

「あ、いえ。ちょっと…。何でもないです。」

流川は宝田先生の様子をちょっと伺いながら、小声でラムにそう返した。


「こういった詐欺に引っかからないようにするためには、とにかく虫の良い話には近づかないのが一番です。買うこと自体が幸せだと感じる人以外は、買って幸せになれるものなんてこの世にもあの世にもありません。私が言うので間違いありません。」

宝田先生ははっきりと言ってのけた。

「もともと売っていた人が言うなら説得力が違いますよね。」

ラムは小声で流川に耳打ちした。

「そうですね…。」

流川は宝田先生を方をじっと見据えている。


授業はどんどんと怪しい方向へと進んでゆく。

「はい、壺以外にも、お札やお守り、水晶などもありますね。買っても幸せになんかなれません。また、宗教の勧誘なども『神様を信じていますか?』や『最近落ち込んだことや不幸だと感じることがありませんか?』などと言って近づいてきます。警戒しなければなりません。」

候補生たちは淡々と進む授業に必死で食らいついている。

「また、最近は霊感商法なども巧妙化していまして、家や先祖などとの相性や縁が悪い、または霊がついているなどと不安を煽り、除霊やお祓いをした後に高額請求されたり、団体に入会させられたりします。注意しなければなりません。それから…」


宝田先生の授業が一通り終わる頃には、教室にいた候補生たちは人間不信に陥るくらいには、ショックを受けていた。

「これから試験を始めます。」

宝田先生は黒板に問題を書き始めた。

「自分の被守護者が幸せがわからない人だったとします。その人から『幸せになりたい』と相談された場合、どんなアドバイスをしますか?考えがまとまった人から私のところへ回答しにきてください。どうぞ。」

宝田先生は教卓の椅子に腰かけ、候補生たちの回答を待った。数名の候補生たちがすぐに立ち上がり、宝田先生に回答を伝えている。

「うーん、それは良い考えですね。合格です。」

灰色のうさぎが合格をもらい、胸を撫で下ろしながら教室を出ていった。次の回答者は幸の薄そうなのっぺらぼう。

「うーん、それだと元も子もないですね。また考えてきてください。」

宝田先生がそう伝えると、のっぺらぼうは肩を落として教室を出て行った。その後、数名が回答したが、合格したものはいなかった。


「なかなか厳しいですね。」

流川はそんな候補生たちの様子を見ながら呟いた。

「そうなんですよ。テーマ自体難しいですよね。」

ラムは自身の持つメモを見返し、考えながらそう返した。

「よし。行くわ!」

暫くしてラムは意を決したように立ち上がると、宝田先生の前に並んだ。数名の不合格者を出したのち、ラムの番になった。

「はいでは次の方、回答をお願いします。」

宝田先生はラムが身振り手振りを交えながら一生懸命に答える様子を頷きながら聞いている。

「なかなか良い考えですね。合格です。」

宝田先生がラムの持っていたプリントに合格の判を押すと、ラムは飛んで喜びながら流川の元に帰ってきた。

「やりましたね!!!」

「ありがとう!三回目の正直ってやつね。やっと受かったわ。」

流川が手でグッドサインを出すと、ラムは肉球でその親指に触れた。ラムは流川にじゃあねと挨拶すると、教室を出て行った。


試験開始から15分が経過した頃、流川はまだ幸せについて考えていた。教室にはまだまだだ多くの候補生が残っている。

「また考えてみてください。では次の方。」

宝田先生の試験に合格したのはラムを入れてまだ5名ほどだ。


「幸せが分からない…どんな感覚なんだろう。」

流川は一人ぶつぶつ言いながら考えた。実際流川は生前も普通の家庭に生まれ、天職にも恵まれたそれなりに幸せな人生を送ってきた。流川は今までの人生を振り返り、自分が困ったときに支えてくれた上司や友達、親のことを頭に思い浮かべた。


「…よし。」

流川は席を立つと、十数名の並んだ列の最後尾へと向かった。流川の番になるまで合格者はたったの2名ほど。

「では次の方。考えを教えてください。」

宝田先生は流川に促した。

「はい。僕の考えは…」





「ダメでした…。」

流川はしょんもりしている。

「あー、あの授業難しいわよね。」

「一回で受かる人はなかなかいないですよ。」

現在食堂で合流したジャスミンと、たまたま一緒になったラムで「流川を励ます会」を開催中。

「ところで、今日授業中に何か驚いてたけど、何かあったの?」

ラムは流川に問いかけた。

「ああ、実は…」

流川は辺りを警戒した後、小さい声で話し始めた。

「宝田先生って方、あっちの世界で特殊詐欺の指名手配犯だったんです。だいぶ昔の話なんですけど、結局逃げ切られて時効になったていうのを昔の捜査ファイルで見たことがあって。今日のレジュメを見て事件や犯人の特徴と一致していたので。」

「ええ!?指名手配犯!?」

ジャスミンは驚いて大きな声を上げ、慌てて自身の口を押さえた。

「ええ。確か全国規模で大捜索されたんですが見つからなくて。」

流川は直接関わっていないが、申し訳なさそうにしている。

「確かに、元警察官としては複雑ね。」

ラムはヒゲをいじりながら答えた。

「まあ、もう終わった話ですから。試験は次で頑張ります!」

流川は気を取り直して、励ましてくれる二人に感謝しながら大盛りカレーを頬張った。

「そうよ!流川っちなら大丈夫よ!」

「そうそう!次頑張ろう!」

ジャスミンとラムも山盛りのサーモンをつまみながら流川を元気付けた。






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