第6話 仇敵、景帝の即位
「戦支度とはどういう意味です。まさか、
劉安は驚いて尋ねた。
「
もちろん軍兵の増員など出来ない。そんな事をすれば呉どころか、漢本国から目をつけられてしまう。主に経済的な対策に限られるだろう。
「ところで淮南王さま、よもやとは思いますが」
「な、なんだ」
感情のうかがえない無表情で覗き込まれ、劉安は狼狽する。
やがて、ふっと張釈之は息を吐いた。
「……いえ。失礼いたしました」
しばらくの沈黙の後、棒読みで言った張釈之は一礼して背を向け、政庁へ向けて歩み去った。
「やはり、そう見えるか」
劉安は張釈之が懸念したとおり、呉王への恩義を強く感じていた。
父の死後、母親と弟たちを庇護してくれていたのは呉王劉濞なのだ。
その呉王が決起するなら、と一瞬でも思わなかったかといえば嘘になる。悩んだ揚げ句、おそらく呉王と共に兵を挙げることを選ぶのではないだろうか。
「勿論そんな事が起きないに越したことはないが……」
間もなく、文帝から呉国に向けて使者が遣わされたという情報が淮南にまで伝わって来た。
もしそれが問責の使者であれば、最悪の事態の発生を予想するのは、さほど難しい事ではない。
劉安は祈るような思いで続報を待った。
しかし結果として劉安の不安は杞憂に終わった。
文帝の使者はまず呉王劉濞を労り、朝勤の免除を伝えたのだった。
劉濞は長い間、長安へ足を向けていないのだが、ここで改めて、定期的に入朝する必要はないという事を公式に朝廷が認めたのである。
さらに文帝から
劉安もほっと、息をついた。
呉の王宮では劉濞が皮肉な笑みを浮かべていた。目の前には文帝から贈られた豪奢な脇息と杖が置かれている。
「年寄りは、これで大人しくしていろと云うことか」
劉濞はその杖を手に取ると、剣のように鋭く振った。弾かれた脇息が音をたて、部屋の隅に転がる。
それは、かつての勇将を彷彿とさせる、年齢を感じさせない俊敏な動きだった。
「よかろう。文帝の顔をたて、しばらくは静かにしておいてやろうぞ」
あくまでもしばらく、だがな。と劉濞は呟いた。
☆
「なぜ呉王の罪を責められないのです」
「斉や南越とも使者を交わし、謀反の勢はすでに明らかではありませんか」
劉啓は苦々し気に黙り込む。漢の皇太子である劉啓も、若い頃からの教育係である晁錯には頭が上がらないのだ。
「陛下の意向だ。仕方ない」
やっとそれだけ言った。本来、彼もまた晁錯と同意見なのである。
「諸侯国の叛意はすでに、ぎりぎりまで高まっております。何でもいい、今のうちに罪を口実に諸侯の領地を削りなさいませ」
「そんな事をすれば、奴らは本当に謀反を起こすぞ」
「それで宜しいのです」
晁錯は平然と頷いた。
「放っておいても謀反は起きます。ですが、今ならその規模は小さく済みます。領地を削らなければ叛乱の時期は遅れますが、それだけ取り返しのつかない大反乱になりましょう」
ぐぐぐ、と迫る晁錯に、劉啓は椅子から転げ落ちた。
「分かった。分かったが、父が生きている限りおれにはどうしようもない。もう少し待て、いいな晁錯」
汗だくになった劉啓へ晁錯は意味ありげな視線を送る。
「そうですか。ならば」
晁錯は一礼し、
☆
それから間もなく、名君と称えられた漢の文帝は崩御した。文帝は呂氏の専横によって揺らいでいた劉氏の王朝を建て直した中興の祖と言ってもいい。
その政治方針は、建国の功臣にして初代丞相、
主となる政治思想は、いわゆる黄老思想に基づくもので、意図的な人為を排除し、無為を尊んだ。
つまり変化を求めず、天の命ずるまま、時の流れのままという事である。はたしてそれを政治というのかは別として、当時はこれが最上の為政者の姿なのだった。
文帝の大喪の礼を取り仕切ったのは当然、太子の劉啓である。
そしてその後、劉啓は践祚した。
漢の景帝の誕生である。
☆
漢の景帝。
後の世では父の文帝と並び文景の治と称えられるが、その地盤は実に危うかった。だがそれも全て景帝自身が招いた事だった。
呉の太子を口論の末に殺害し、各地の諸侯王に疑惑の目を向け続けた劉啓は、その短い治世のほとんどを諸侯の叛乱への対応に追われることになる。
「あの男が皇帝か」
劉啓の即位を聞いた呉王劉濞と劉安は同時に思った。
そして二人は同じ台詞を呟いたのだ。
「彼、取りて代わるべきなり」(あの男に取って代わってやる)
それは図らずも、まだ無名だった頃の若き西楚の
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