第3話 若き淮南王の誕生

 呉王の太子 劉賢りゅうけん皇太子 劉啓りゅうけい(のちの景帝)によって殺害された。

 六博りくはくという、双六すごろくのようなゲームの最中に二人は口論となり、激高した劉啓が、その六博の盤で殴り殺したというのである。


「投げつけたら、たまたま頭に当たっただけだ」

 劉啓は言うが、全身に打撲を負った劉賢の亡骸をみて、それを信じる者はいなかった。その場を目撃した者達は獄に下され、密かに斬られた。

 すぐに箝口令かんこうれいが敷かれ、公式には劉賢の死は不慮の事故ということになった。


 呉王はこの事件があって以降、病気と称し、どれだけ朝廷から促されようとも呉から動かなくなった。


「呉王は老齢である。無理に入朝しなくてもよい」

 文帝もあえて強くは言わない。もっとも、この皇帝は呉王に限らず一族に対して基本的に穏健で、融和を最優先している。

 それが治下に平穏をもたらすと共に、各地に封じられた王たちの増長を招く事になるのだった。

 

 ☆


 十五歳になった劉安は、相変わらず書庫に入り浸っている。

「どうだ伍被ごひ。もう、ここの蔵書の半分は読んだと思わないか」

 二人が出会ってから、すでに十年が過ぎていた。


 劉安は長身の貴公子に成長していた。いまだに伸び続けている背丈は祖父の高祖劉邦から受け継いだものらしい。

 他方の伍被は相変わらず小柄な童顔で、年齢より遥かに幼く見えた。彼は困ったように小首をかしげている。

「さあ。読んだ分、日々、新たな本が入って来ていますから、どうでしょうね」 


「ふーん。皇帝になると全国から書を集め放題なのか。それは羨ましいな」

 伍被は眉をひそめた。

「劉安さま。そういった発言は誤解を招きます」

「ん?」

 このところ朝廷と各地に封じられた諸侯王との間で緊張が高まっている。不用意な発言は謀反の兆しと捉えられかねない。


 特に、傍系ながら高祖劉邦の孫にあたる劉安は、何かと目を付けられやすい立場にあった。

 さすがに、図書館欲しさに皇帝位を簒奪さんだつしようとしている、などと讒言ざんげんされはしないだろうが、用心するに越した事はない。


(この方には、それが分かっていないんだろうか)

 伍被はうすら寒いものを感じた。

 

阜陵ふりょう候、劉安さま。こちらでしたか」

 だから、そう呼びかけられた時、伍被は飛び上がりそうになった。振り向くと、危惧していたような刑吏ではなかった。

「何の用だ」

 悠然と劉安は応えた。


「陛下がお呼びでございます」

 そう言って使者は頭を下げた。


 ☆


「阜陵候、劉安。そなたを淮南わいなん王に封じる」

 文帝はそう言った。

「はっ……」

 劉安は一瞬、返答ができなかった。父の死から十年。記憶の底に沈めていた、その最期の姿が脳裏によみがえってきた。

(おれが、父と同じ淮南王に)


 ただし、と文帝は続けた。

「旧領国を三分し、そなた達、兄弟に分け与える事とする」

 つまり旧淮南国を衡山こうざん国、盧江ろこう国との三国に分割し、劉安の他、早逝した末弟のりょうを除く弟の劉勃りゅうぼつ劉賜りゅうしに与えるというものである。

(そういう事か)

 劉安は唇を噛んだ。


「それは……弟たちも感謝するでしょう」

 劉安はやっと言った。

 だがその内心は感謝とは程遠い。父の国を細切れにされた怒りすら覚えた。従来は長子相続が基本だったが、近年では嫡子、庶子を問わず分割して相続させることが行われている。

 かつての東方の大国 せいも、今ではひとつの郡ほどの狭い地域に分けられ、それぞれに王が立っているのである。

 これは、あからさまに諸侯王の弱体化を狙った政策だった。


 皇太子の隣に、いつも鋭い目つきの男が立っている。

 名を晁錯ちょうそといい、皇太子の側近筆頭である。皇太子の教育係というだけでなく、文帝に対しても影響力を持っているという。

 この男が諸王の国力削減を皇帝に強く進言しているのだった。


 文帝はそれまで袁盎えんおうという側近を重用していたが、王族の権力温存を主張する袁盎は、当然の如く晃錯と折り合いが悪かった。会議の場で壮絶な罵り合いとなった末、袁盎は朝廷を去り、呉へ下って行った。

 つまりこれは、従来の制度を維持したい皇帝派と、権力を皇帝に集中させようとする皇太子派の争いともいえた。


「若年の淮南王の援けになればよいと思い、丞相じょうしょうを任命しておいた」

 文帝はそう言うと、劉安の背後に立つ男を差し招いた。

張釈之ちょうしゃくしだ。ともに朝廷を支えてくれ」


 進み出た男を見て劉安は少しうんざりした。一分の隙も無く装束を整えた、絵に描いたように几帳面そうな男だった。

 儒者だろうか、と劉安は思った。


「国許へは既に部下を送り、引継ぎを行っておりますのでご安心下さい」

 感情のない平坦な声で張釈之は言った。


「だが、張釈之……って、どこかで聞いた事があるような」

 劉安の泳いだ視線が皇太子劉啓の視線と合った。やはり、こちらを睨みつけている。だが今回はその相手は劉安ではなかった。

「あ、そうだ」

 そこで記憶が繋がった。


「なるほど……これは」

 とんでもない厄介の種を背負わされたんじゃないのか。劉安はため息をつきたい気分だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る