第2話 戦乱の種子は蒔かれた

 異母弟、劉長りゅうちょうの死を知った文帝は右手で顔を覆った。

「早まったことを……」

 呻くように言って、そのまま絶句する。

 劉長には罪を与えた後、一年もすれば呼び戻し、また復位させるつもりだったからだ。


 すぐに文帝の命により使者が派遣され、 淮南王の自死を防げなかった移送役人が処刑された。

 そして一旦は庶民におとされた劉長はれい王とおくりなされ、事実上の名誉回復がなされたのだった。


「たしか、王には子供がいた筈だが」

 厲王に関する処置が一段落した後、文帝は側近に問うた。

「四人居ります。長子のあんがおそらく5、6歳ではなかったかと」

 文帝は目を伏せた。

「そうか。まだ幼いのに可哀そうな事をしたな」


 やがて四人の遺児を列候に封じるちょくが下された。

 長子の安を阜陵ふりょう候に、次子 ぼつ安陽あんよう候、三子 陽周ようしゅう候、末子 りょう東城とうじょう候とするものである。

 ただ、列候とはいっても、いわゆる関内候かんだいこうであり、爵位と俸禄だけが支給され、領土は持たない。


「我ら兄弟に特別のご配慮をたまわり、感謝いたします」

 ひとり文帝に拝謁した安は、丁寧に礼を述べた。

「なんと、健気けなげな」

 その小さな姿を見て居並ぶ諸官は涙を浮かべた。


 「あの父親とは似ても似つかない斬りやすそうな細首だ」

 文帝の隣に立つ少年が嘲るように言った。年齢は10代初めといったところだろう。あまりに傍若無人なその言葉に堂内がざわついた。

「控えよ、太子」

 鋭く文帝がたしなめた。


 少年は忌々しそうに顔を歪め、劉安を睨みつけている。劉安の父親が文帝に対してとった無礼の数々を思えば、一族そろって処刑しても足りないくらいだった。

「失礼しました、陛下」

 もう一度劉安を見やり、少年は口をつぐんだ。


 この少年の名は劉啓りゅうけい。後の漢の景帝けいていである。


 後世、父の文帝と並ぶ名君と称される景帝だが、若い頃には問題が多かった。やがて漢王朝を揺るがす大事件の発端となったのもこの少年である。

 

 ☆


 帝都長安の片隅に居処を与えられた劉安は、その部屋と宮廷書庫を往復する日々を送っていた。

 歳に似合わない程に読書好きな劉安である。秦代からの書物の蓄積は彼を飽きさせなかった。


ちょう子房しぼうは神仙になりたかったそうですが、あなたもそうなのですか?」

 案内してくれるのは、伍被ごひという少年である。

 地方の有力な家系の出身で、勉強を兼ねて司書の手伝いをしているのだという。幼く見えるが、劉安より少し年上のようである。


「できればね。だが同じように穀物を断つのは無理だしな」

「やはり、そうですよね」

 丸く人懐っこい顔で伍被は笑う。


 ここでいう張子房というのは漢建国の功臣、軍師 張良ちょうりょうのことである。彼は仙人になるために穀物を断ち、導引どういんという一種の体操をしていたらしい。

 今で言えば、糖質制限をしながらのエクササイズということになりそうである。


黄帝こうてい老子ろうしの文献はこの辺りです」

 伍被はその棚を指差した。

「これは、すごい」

 劉安は山積みの竹簡と絹布の束を見て言葉を失った。これだけの蔵書は淮南には無い。


「これが読み放題なのか。伍被、お前が羨ましい。わたしと代わってくれ」

 まんざら冗談でも無さそうに劉安が言う。


「何を言っているのですか」

 そんなに気楽なものじゃないです、と言いかけたが、すでに劉安は竹簡を読みふけっている。


「しかし、この方は……」

 伍被はその姿を見ながら感嘆する。おそらく大人でも難解な思想書を、こんな年齢の少年が容易たやすく読んでいるのだ。早熟の天才という噂は嘘ではなかった。


「道家の書がお好きなのですか」

 特に返事を期待した訳ではなかった。しかし劉安は伍被の方を見てうなづく。


「好きだよ。何かこう、自分も宇宙のことわりの一部なんだなと感じられて、心がどーんと拡がって、身体がふわーっとなるんだ」


 どーん、と、ふわーっと、って。急に少年っぽくなった劉安に、伍被は少し安心した。


「逆に儒家の書はつまらないと思うな」

 最近、朝廷では孔子に始まる儒家が流行しているが、劉安にしてみればこの道家の方が親しみやすかった。

「あんな堅苦しいのは、嫌いだよ」


 ☆


 劉安と伍被が他の本を捜しに書架の間を歩いていると、一人の青年に出会った。

 彼は竹簡から目をあげ、にこりと笑った。

「おお、淮南王の……いや、今は阜陵候だったな。ここで何か探しているのか」

 劉安の幼馴染でもある劉賢りゅうけんというその青年は、竹簡を棚に戻し、二人の方を向いた。


「昔の本を適当に読んでいるのです。でもどうして劉賢さまが、ここに」

 ああ、と劉賢は指先で頬を掻いた。

「父の名代で皇帝陛下に謁見だ。まったく、あの人は出不精だからね」

 困ったものだ、と劉賢は苦笑する。


 この青年の父は長江下流にある超大国、呉国の王、劉濞りゅうびである。淮南国とも隣接する呉国は、銅鉱山と豊富な海水から造る塩によって、漢の朝廷を上回る程の莫大な富を得ているのだった。

 どうやら、その点を文帝に指弾される事を忌避して、代わりに劉賢を送って来たらしい。


「午後からは太子殿と約束があるのでな。それまで、ちょっと暇つぶしさ」

 そして劉賢は、劉安の肩をぽん、と叩いた。

「じゃあな、しっかり勉学に励めよ」

 そう言って劉賢は長身を揺らしながら書庫を出て行った。


 それが、劉安が彼を見た最後になった。


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