第2話 『夢日記』


 植田教授は、自分の生まれた実家から車で約20分程度で着くその大学に通う事となった。



 自分の家は、北陸の片田舎にある結構大きな家である。延べ床面積100坪以上はあるであろう邸宅である。両親は既に2人とも既に死んでいたし、植田教授は独身だったから一人暮らしの気楽な生活である。



 その家の2階には、植田教授が名付けた「タイム・カプセル」と言う自分の勉強部屋があった。植田教授は、中学2年生の春頃に、この「タイム・カプセル」と自ら名付けた部屋を作ったのだが、その改築資金5百万円は、彼が見た夢のお告げがあったからであった。



 夢の中で「宝くじを買え」というお告げがあったので、二千円で十枚だけ宝くじを買いに行ったら、その一枚が何と五千万円に当たったのだ。



 その一年前の中学1年の4月に、植田教授(当時は、まだ植田茂樹少年であった)は、非常に不思議な体験を経験していたのだ。それが、「タイム・カプセル」を作る直接の原因だったと言ってもいい。



 その不思議な体験とは、その頃、人気絶頂だったトップアイドルAの水着姿の写真が某週刊誌に載ったのを見た時であった。

 そのアイドルAは、その時18歳で、トップアイドル故、その水着姿は、極々オーソドックスなもので、ポーズも極々普通である。



 しかし、その週刊誌の編集者の遊び心からだろうが、同じ週刊誌の後ろのページには、胸もあらわにした異常に淫らなポーズの、アイドルAと顔形以外そっくりのグラビアモデルBのヌード写真も載っていたのだ。



 その時である。勉学では神童の誉れの高かった植田茂樹少年の脳内で奇妙な合体写真が瞬間的に生じたのだ。

 現在で言う所のパソコン上で作るアイコラ(アイコラージュ)のような感じで、首から上はアイドルA、首から下はモデルBと、うまく合体したヌード画像が、実に鮮明に大脳内で形成されたのを感じたのだ。



 その日の夜である。



 何か不思議な感覚のまま寝入ると、植田茂樹少年の夢の中では、昼間見たアイコラージュのままのトップアイドルAが、真っ裸のまま現れて、植田少年を誘惑。遂には、植田少年は、耐えきれなくなって、空想の世界のアイドルAと……。



 次の日の朝、植田少年は、あまりの夢の中身の性的な過激さに驚異した。



「現実より、夢の中の世界のほうが格段にいいじゃ無いか!」と感じ、その日以来、次々と見る夢を、例の『夢日記』に書いていく事にしたのだ。



「タイム・カプセル」とは、その夢を更に見やすくするために、特に防音設備にお金を掛ける事とし、まず二重サッシを取り付け、エアコンも実際に耳で聞いて最も音の静かな物を取り付け、ライトも間接証明にし、ベッドはアメリカ製のウオーターベッドにしてもらったのだ。これ程の設備投資をする程、毎日の夢を見るのを楽しみにしていたのである。



 では、何故、「タイム・カプセル」と名付けたかと言うと、植田少年の見る夢は、必ずしも現在のみとは限っていなかったからだ。



 ある時などは、未開の原始人になって仲間と密林をかき分けて大きな湖の湖畔に出ると、突如、巨大な首長竜が湖面から鎌首を持ち上げてきた事があった。



 また、ある時は、いつかは起きるかもしれ無いであろう第三次世界大戦後の、荒廃した地上の空に黒い雲が覆っている世界の終わりの夢を見た事があった。

 ともかくも、夢の中の事である。時間・空間・場所の問題には、まるで論理的な整合性が無い。



 しかし、トップアイドルAに始まって、クラスメートの女子学生のXやYも出てきたりで、夢の中では、やりたい放題である。

 ……所詮、夢の中の出来事なのだが、植田少年には、現実よりも夢の中でのほうが遙かに生き生きと活動できたのである。そう、まるで自分が映画の主人公になったかのように……。



 やがて、超一流高校を卒業し、自分が准教授をしていたあの超一流大学、大学院へと進むにつれて、植田少年は、夢と現実の世界のボーダーラインが少しづつ不明瞭な物となっていった事に、徐々に自分でも気が付いてきていた。



 一体、何が本当の現実で、何が夢なのか? 



 自分の真実とは、実は、この夢の中の存在が本当の世界で、現実だと自分では思っているこの世界こそが、空想の世界なのではなかろうか?この疑問は、毎日記載している自分の『夢日記』の中でも、繰り返し繰り返し、解決のでき無い疑問として記述されていたのだ。



 しかし、その回答は、例の超一流大学の准教授になってもやはりどうしても解決できなかったのである。



 しかし、上記大学を退職後、故郷の某私立大学の法学部の教授なって一安心していたのもつかの間、驚愕の大事件が起きた。それは植田教授が北陸地方の大学に移って半年後の頃であった。



残虐と言うか、ある驚愕的な夢を見たのだ。その夢の内容は、とても他人に言えるような内容ではなかったのだ。



 しかし、目を覚ますと、自分が愛してやま無いあの「タイムカプセル」の部屋の片隅には、血痕のついたハンマーと、ゴム製品(しかも精液らしきものがたっぷりと入っていた)が縛って落ちていた。また台所で使っていたゴム手袋や、窓ガラスを破る時に使ったガムテープもあった。これでは、どう考えても、昨夜視た夢は単なる夢では、済まされ無いでは無いか!



 植田教授は焦った。しかしどうしようも無い。まずは自分の『夢日記』を冷静に書いてみよう。まずはそれからだ。



 何度も言うように、植田教授は夢の中の世界のほうが自分にとって過ごしやすい楽園のように感じていた。だが、その夢の中で、自分はとてつも無い事件を起こしていたのだ。



 しかし、これは、純粋に刑法の専門家にとって解釈してみれば、一体、どういう事になるのであろう。夢の中の行為と、その夢の中の行為が万が一、本当の現実と一致したとすれば、これは一体、どう解釈すればいいのだろうか?



 本当にそうだ。一体、この奇妙な現実を法律家としてどう解釈しろと言うのだ。

 夢の中での殺人と強姦(不同意性交罪)。しかもそれが本当に現実の世界と、万一、寸分の狂いもなく連動しているとすれば、これは一体、どう言う事なのだ。



 これは悪夢か、正夢か?



刑法上では、あくまで殺人等の場合、犯罪構成要件上、明確な「故意」が必要である。「故意」が無い殺人なら単なる「傷害致死罪」あるいは「過失致死罪」だろう。  罪状が大幅に違うのだ。



 いや、もっと言えば、万一、本当にこれが夢の中での殺人や強姦犯(不同意性交罪)であったとした場合、そしてそれが現実に実行されていたとしたとしても、刑事責任能力は、裁判上、問えるものだろうか?



 例えば、これに近い事例としては「原因において自由な行為」と言う概念がある。



 酒を飲めばいつも暴れて暴力をふるう癖のある人間が、最初から分かっていて、酒を飲み恨みを持っている人間に暴力を振るうと言うのとは訳が違うのだ。



 また「未必の故意」の概念がある。これは、小さな子供に食物を与えなければ衰弱して死んでしまうであろう。だが、それでも構わ無いと犯行者が思っていれば、それは「未必の故意」として「故意」を問えるのだろうが、そのいずれにも当てはまら無いように感じたのだ……。



 本当に夢の中での犯罪なのか?それとも、その時、自分は実は半分は覚醒していたのだろうか?『夢日記』を克明に記述していく中で、植田教授は、徐々に確信してきた。



 やはり、間違いなく自分はその時は、確実に寝ていたのだ。

 何故と言うに、既に二十数年『夢日記』を書き続けている自分にとって、少なくとも、現実と夢、夢と現実の、実にあやふやだがその一線だけは何とかおぼろげながらだが、まだ大脳の中で線引きが出来ていたからである。



ただ、夢の中で、猛烈な性欲を感じ、夢の中の頭で必死で考えたら、自宅から数百メートル離れた街角に、平屋の一軒屋があって、その家にそこそこ綺麗な母親と、まだ小学校6年生だが、はっと目をひく絶世の美少女がいた事を思い出した。母子家庭だったのだ。



 それから、この前の大学でのパットゴルフ大会の景品で冗談でもらったゴム製品をポケットに入れて、正に夢うつつ夢遊病者のような足取りで、その家へ向かった筈なのだ。



 もしかしたら、自分は、いわゆる夢遊病者なのか?

 そもそも夢遊病者は犯罪を起こす事が可能なのだろうか?しかし、世界ではどうかは知らぬが、日本において、自分が知る限り、現在までの所夢遊病者の犯罪は確認されてい無い。……そもそも、この自分が、植田教授自身が夢遊病者かどうかも確かでは無いのだ。



 ただ旨い具合に、この事件は警察も誰もまだ気がついてい無い。



 その証拠に、パトカーのサイレンなど騒々しい雰囲気が全く聞こえて来ないのだ。 しかも、今日は、午前中から大雨らしい。大学の講義の帰りに一級河川の某川に先程の証拠品を投げ捨てて来よう。



 テレビの天気予報によれば、今日の大雨は、いわゆるゲリラ豪雨らしいから、うまくいけばそれらの証拠品は洪水で一挙に下流へ流されるだろう。……自分は、刑法や刑事訴訟法専攻の学者だが、こういう時は、その知識が逆に活用できるのだ。



 まず、何はともあれ証拠の隠滅。当面は、これしか無い。



 しかし、しつこいようだが、仮に、百歩譲って夢遊病上の犯罪だとしても、数百メートルも離れた一軒家へ、しかも真夜中にケガもせずに辿り着けるのか、ここに大きな疑問が残るであろう……。万が一である。夢遊病者だとすれば、単なる酔っぱらいより、更に、意識が不明瞭と考えられるからである。



 これに関して言えば、植田教授には、ある特殊な能力を有している事が作用しているに違い無いのだろうと思った。その特殊な能力とは、自分が興味がある事に関しては、瞬間的に記憶できると言う事なのだ。俗に言う、カメラ・アイだ。



 例えば法律にしてもそうだ。自分は、刑法に興味があったので、刑法の条文は、一回読んだだけで全文暗記してしまった。しかるに民法等は、あまり興味がなかったため覚えるのに相当の努力を要したのだ。



 つまり、自分が車で大学へ通う時に、町外れにある一軒家に、絶世の小学生の美少女がいる事を知っていたから、そこまでの道のりや、家の形・構造まで瞬時に記憶していたに違いが無い。まして、その道は、自分が小学生や中学生の時には毎日通った道なのだ。



 その瞬間記憶力が、今回の事件に生かされているのは、自分で言うのも何なのだが、きっと、ほぼ間違いが無いであろう。



 だから、夢うつつの状態であっても、暗闇の中、ケガもせずに、その一軒家に辿り着けたに違い無いのだ。



 そして、あれだけの犯罪を証拠も残さずに実行できたに違いが無いのだ。こんな馬鹿げた事は、とても信じたくは無いのだが、こうでも解釈し無いと、どうしても説明のしようが無いでは無いか?



 しかも、その翌日の大雨は予想を超えた激しい大雨となった。

 いわゆるゲリラ豪雨であるが、それが数カ所で連続的に起こり、一級河川の某川ですら、氾濫警報が出て自主避難する自治会が十数ヶ所もあった程だから、激しさの程度が想像されるだろう。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る