仮面の上の
@k-n-meduki
仮面の上の
(作中に自殺行為や暴力的な表現がございますが、この物語はそれらを助長するために制作されたものではありません。ご理解の程よろしくお願いいたします。)
高校の同級生が自殺した、と聞いた。今度、その彼の葬式をするらしい。
「お世話になっておりました、ハスダハルヤの母でございます」
先月突然、彼の母を名乗る人物から、電話で告げられた。
しかし、私と彼は、特別に仲が良かったわけではない。電話で数年ぶりにその名前を聞いた時も、「蓮田晴也」という漢字が脳裏に浮かぶまでに時間を要した。ただ同じ運動部だっただけで、等身大で話せる仲ではあったが、それも、他に背伸びせず話せる相手が互いにいなかっただけのこと。高校を卒業してからは、いやそれ以前から、部活以外の時間に目を合わせることはなかった。
二人とも、当時のクラスでの地位を守るために必死だった。彼と話していたのだって、休憩時間の数分や遠征の移動時間に、周囲の騒ぎで自分が消されてしまいそうなとき、孤独を紛らわすための、その場しのぎでしかなかった。部活のことは、あまり覚えていないし、思い出す必要も、それに対する興味も感じなかった。
それでも葬式は、一応、出席することにした。どうせ休日にわざわざすることはない、というのが自分に対しての建前だったが、実際のところは、心のどこかに彼と最も気を許しあったのは私だ、という「自信と期待」があり、この期に及んで高校時代の保身をしたかった、というのがあったからかもしれない。
しかし会場に着いて、その根拠のない「自信と期待」は愚かで、浅はかなものだったと自覚した。
「おお、久しぶりだな、ヨータ」
と声をかけてきたのは、しっかりとした体格と清潔感のある短髪を備え、いかにも精彩に富むというような印象の男だった。背丈は私より頭一つほど離れていて、色々と私とは対極の存在のようだと思った。
その姿には、見覚えがあった。確か、同級生で、違うクラスで、同じ部活の部員だった者だ。しかし、名前が分からない。そういえば、姿は思い出せるのに名前だけが思い出せない現象をベイカーベイカーパラドックスと言ったな、などと思いながら記憶を探っていると、それが表情に出てしまっていたのか、男が答えを言った。
「覚えてない? マミヤだけど」ああ、ようやく思い出した。
ふと見上げると目に入る曇天の空は、まるで陰気臭い私や晴也のようだな、と思った。
陽太も晴也も、私達に見合う名前ではない。大学生になった今でも、自分や自分と似た者を卑下し、劣等感に苛まれないようにする思考は健在だった。認めてしまえば、劣等感には下限ができる。底なしの沼に陥らないために、自然と身につけた術だ。
部員のうち、同級生は何人だったか。私と、晴也と。残りのうちの一人が目の前にいる間宮だった。私が呼ばれたのは、私が特別だったからではないようだ。部活の同級生は皆呼ばれ、私はそのうちの一人だったのだろう。
「他の部員は、忙しくて来ないんだとさ」と間宮から聞き、ああ、と適当に返しながら、やはり部員全員に声はかけられたのだ、と確信した。きっと、同じ部活であったというだけで、交友関係など考えずに招待したのだろう。実際には、晴也には他の部員はもちろん、間宮だって交流はほとんどなかった。しかし、間宮から、「全く、薄情な奴らだよな」と言われてしまうと、私は返す言葉がなかった。
これが間宮の葬式だったなら、他の部員は出席しただろうし、きっと、間宮もそれは分かっている。だから、この葬式に彼らが来ていないのは、彼らが薄情だからではない。それに、もし間宮の葬式なら私は欠席したから、私には間宮と違い彼らを非難する資格がない。間宮は、きっとそれを分かっていない。
ただ、晴也なら私と違い、間宮と同じくどちらの葬式にも出席していただろう。
そういえば、間宮と彼は中学校も同じだと聞いた。その関係もあって出席したのかもしれないが、間宮はこれが私の葬式だったとしても、出席していたと思うから、多分違うんだろう。
当人の名前を忘れていた私が言えることでもないが、間宮は学生の時もそうだった。嫌味を言いたいのではなく、まっすぐに、いい性格をしている。私には、昔も今も、眩しかった。そして、苦手だった。
間宮と一緒に、ようやく室内に入った。一応喪主に挨拶でもしておこうかと間宮に提案しようとした時、先を越されて口を開かれた。
「なあ、あの遺影」と指をさす方向には、花々があり、その中心に晴也の写真が据えられていた。その周りには、仏教の弔いで使うのか、よく分からない板などの道具が置かれていた。
別に、普遍的な葬式に見える。遺影だって、特におかしいところはないように思えた。
「笑ってないだろ?」
言われて、気がつく。確かに、写真の中の晴也は笑っていなかった。いつも見ていた、記憶に残っている晴也も笑っていないので、違和感はなく、言われなければ気が付かなかった。しかし、笑っていない遺影だって別に珍しくないだろう、と思いながら頷くと、「あれ、晴也本人の希望らしいんだ。遺書に、葬式で使う写真は笑っていないのを使ってほしい、とだけ書かれていたんだってさ」と間宮は続けた。
へえ、変なところが気になるんだな、と思った。自分が死んだ後に、葬式でどんな写真を使おうが、自分の知ったことじゃないだろうに。
というよりも、なぜ間宮がそんなことを知っているんだ、と思ったが、別にどうでもいい。
喪主である晴也の母親に一通りの挨拶を終えると、彼女から質問をされた。
「あのう、高校での晴也は、どんな子でしたか?」
おかしな質問だな、何故今更知りたがるんだ? と疑問に思いながらも、まあ親の心理としてはそうなんだろう、と納得し、せっかく招待されたのだから、答えるべきか、と思い、少し記憶を辿り始めた。
高校時代の晴也は、真面目だが根暗だ、という印象だった。クラスは違ったが、同じ部活に入った初日に、彼から話しかけられた。それが、他に話しかけられる人がいなかったからなのか、それとも真面目故に孤立していた私を放っておけなかったのかは分からない。
真面目、というのは、教師や顧問らの提言や命令を嫌な顔せずこなしたり、先輩であろうと間違っていると思うことには注意するところだ。全く、陳腐な誠実さだった。それが元からの性格なのか、それとも「正義感に溢れた青年」の仮面を被っていたかったのかは分からないが、どちらにせよ元からの性質であろう、根暗のせいで周りからはバカにされていたり、笑われていた。全く、損な性格をしていたと思う。
やらなくていいことをそつなくこなす必要はないし、もらって得することはもらっておけばいい。頑固な奴だ、と当時は思っていたが、今となっては、一度あの性格を出してしまった以上、あとに引くに引けなくなっていたのだろう、と思う。晴也は、真面目で根暗でなければならず、真面目で根暗だったから晴也でいられたのだ。そうでない晴也は、価値がない。彼はきっと、そう思っていたのではないだろうか。
そうして思い出していると、一つ忘れようとしていた嫌な記憶をたぐり寄せてしまった。
堺は、私達と同じ学年の、いわゆる不良だった。髪を染めたり制服を着崩したりなどは当然していたし、何人か不良仲間を引き連れ、生徒を恐喝して金を巻き上げたり、校外では中年を襲ったりなど俗に言うおやじ狩りをしていたという話だ。そのくせ頭はいいのか、留年やらをした様子はなかった。それとも、彼の家が金持ちであるとかそういう噂を聞いたことがあるので、その影響かもしれない。
そして、そのような行為を晴也は見過ごせなかったのか、見かけ次第注意しては、代わりに暴行されていた。堺に殴られた後であろう彼を気にかけても、「大丈夫」としか返されないので、終いには私も心配するのをやめた。一度だけ、何故堺を注意するのかと尋ねてみたが、彼の独自の正義観が語られたばかりで、私には響かなかった。
真面目な、いい子でしたよ、暗かったですけど。と当たり障りのないことだけを彼の母親に伝えた。さすがに、独自の正義観を持っていましたよ、というわけにはいかない。
「そういえば、晴也さんは大学に進学した後、何をされていたんでしょうか? 恐縮ながら、卒業以来彼との交流が絶たれてしまったもので」と言ったのは、隣りに立つ間宮だ。
その話には、私だって好奇心がそそられたし、何より晴也も、卒業後に大学に入った事以外に、何をしていたのかすら知らない同級生に弔われたくはないだろう。母親は、少しの間黙っていた。何から話すか、決めあぐねている様子だった。
そして、間宮が何かを母親に話しかけようとした時、彼女は口を開いた。
「晴也は、卒業した後は大学にいました。そこまではあなた方も知っていたようですけれども、実を言うと、晴也は大学近くで一人暮らしをしていたもので、私も詳しい生活のほどは知らないのですよ。時々電話を寄越したのですが、その内容も曖昧なもので、やはりどんな暮らしだったのかを知ることはできませんでした」
「となると、やはり……」
間宮は言葉を選んでいるのか、その先は口にしなかったが、何を言いたいのかは分かった。先の間宮の話が正しく、遺書があれだけしか残されていないのなら……
「ええ、晴也が何故死を選んだのか、それは私にも分かりません」
私も間宮も、押し黙った。
葬儀は終わり、私が会場を出ようとすると、間宮も付いてきた。まだ来るのか、と表情に出ないようにげんなりしていたが、そんな私に構わず間宮は歩きながら話し始めた。
「なあ、堺のこと覚えてるだろ?」
もちろんだ。と言っても、正確には忘れようとしていたが先程思い出してしまった、だが。
「噂ではあいつ、大学行かずに今は会社経営して、そこそこ成功してるらしいぞ」
へえ。別に、驚くことでもなかった。むしろ、まともな企業に入れるとも思っていなかった。それよりも、何故今堺の話を持ち出してきたのかが疑問だ。
「それで、これも噂なんだけどな、あいつ、晴也の彼女を寝取ったらしい。可哀想だよな、高校の時の不良に彼女寝取られて、さらにその不良は今小金持ちで。だから、それも自殺の理由に少しは関係しているかもな」
へえ。惨めだな。というより、晴也に恋人がいたことをここで初めて知った。もの好きもいるものだな。その出来事を前に彼がどんな思いで死を選んだかに想像を巡らすと、あの笑っていない写真を遺影に選ばせた心境も、掴めた気がしてきた。
「あいつが晴也の彼女を奪うのって、なかなか意外じゃないか? 相当彼女が可愛かったのかな。あ、それとも晴也に恨みでもあったのかもしれないな。ほら、高校の頃はやけに晴也、あいつに殴られてたろ?」
それは別に、晴也の方が突っかかっていただけなのだが、確かにあのしつこさは恨みに変わりうるかもしれない、と思った。というか、これらの話が彼の母親の耳に入っていないと言うのも疑問だ。知らないほうがいいと思い、周囲が気遣いをしているか、それとも本当は知っていたが、ただ私達に話さなかったか。いや、ただの噂か。どこまで正しいのかは見当もつかない。
「でも晴也に彼女ができたってのも驚くけどなー。ま、あいつ中学の頃は明るかったし、おかしいことでもないけどな」
......え? 思わず、立ち止まった。
中学の頃は明るかった......? あいつが暗いのは元からじゃなかったのか?
「ん、どうかしたか?」
「ああ、いや......それより、中学の頃の晴也は明るかったって、本当か?」
「高校入ってからは緊張したのか、随分大人しくなったというか、暗くなったけどな。まあ、お前と話すようになってから、もっと暗くなったように見えたけどな」
......知らなかった。知らなかったし、気づかなかった。
「ああ、ごめん。そんなつもりじゃなくて……」
間宮の声は頭に入ってこなかった。
じゃあ、私が見ていた晴也は、本性じゃなかったのか? 今まで真面目で根暗な彼しか知らず、それを妄信していた私に、その事実が与えたショックは大きかった。
......いや。そしてさらに、気がつきたくないことに気がついてしまった。
私に合わせてくれていたのか......?
孤立していた私に話しかけた、真面目で根暗だと思っていた彼。彼は、私の話し相手となるために自ら根暗を演じていたんじゃないか? 根暗だったのは、彼の仮面の上だけだったんじゃないか? と。
つまり、最初から根暗だったのは私だけで、彼も最初は真面目なだけだったんじゃないか? 私が背伸びせずに話しかけられる相手が彼なのではなく、彼が私に話しやすいように屈んでいたんじゃないか?
なら。
なら、彼は私だけのために他の交流を捨て、私だけのために高校生活を捧げたんじゃないか......?
なら、結局私は、彼の仮面を生まれつきのものだと盲信し、彼の仮面でしかない親切に図々しく乗っかっていただけだったんじゃないか......?
罪悪感はあった。すっかり晴れた夜空の下、間宮がなにか言っていることも届かず、ただ、立ちすくんだ。
もちろん、それが事実かを私が知るよしはないが、少なくとも、彼と最も気を許しあったのは私だ、という「自信と期待」は、見事に崩れ落ちたことだけは確かだった。
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