第12話 大将戦
「アーディル」
陣幕に戻ると、セスリーン殿下が僕の近くに身を寄せて、心配そうに声をかけてきた。
「やはり、降参しましょう」
「まだ、戦えます」
再度降参を提案する殿下に、僕は息を乱しながらもそう答えた。
その言葉に嘘はない。
確かに体力の消耗は激しいが、まだ気力でどうにかなる範囲だ。
気力や根性ではどうしようもなく体を動かせなくなる、そんな本当の限界にはまだ達してはいない。
勝ち目は、全くなくなっているわけではない。
「あなたの気持ちは嬉しく思います。けれど嫌な予感がするの。何か嫌な予感が……」
そう告げる殿下の目は貴賓席の方を向いていた。
僕も、そちらに目を向ける。そして、無礼にならない程度に皇后陛下の様子を伺った。
陛下は機嫌良さそうな笑みを見せている。
そして、ふと気がつくと、審判の近くに誰かがいる。審判に何かを告げているようだ。
確かに嫌な感じだ。
けれど僕にはここで退く気はない。
「殿下、私は今、生涯で最も幸福な時間を過ごしています。殿下の為に戦えているからです。
どうか私に、この幸福な時を、今しばし続けさせてください。
そして、願わくば、戦うなではなく、勝て、とお命じください」
「……アーディル」
殿下はそう呟いて口をつぐんでしまった。少なくとも降参という言葉が出なくて良かった。
「西軍先鋒、東軍大将、試合場に上がりなさい」
審判の声が響いた。
「行って参ります」
僕はそう言って、殿下に背を向けると試合場へ向かう。
「勝って、アーディル」
殿下がそう声をかけてくれた。
胸が熱くなる。殿下に勝利を願われて戦う。これほど喜ばしい事があるだろうか。
僕は軽く振り返り、殿下に一礼してから闘技場に上がった。
ファヴァルさんは既に闘技場に上がっていた。
板金鎧を着ているが、その佇まいは重い鎧を着ていると思えないものだ。
手にする両手剣は僕が持つ物よりもかなり大振りで、刃が潰されているといっても、鈍器としてみても相当の殺傷力を有するだろう。
「始め!」
そして、速やかに試合が開始された。
「やはり、実力を隠していたか」
ファヴァルさんが、両手剣を構えつつそう声をかけてきた。
「……あなたの目を誤魔化す事はできていませんでしたか」
僕は最大限の警戒をしつつそう答えた。
戦いを始める前に多少なりとも時間をかけることが出来れば、その方が僕にとって有利だ。その事に変わりはない。
「まあ、違和感程度だったがな。
それに、これほどとも思ってはいなかった。出来れば、互角の状況で戦いたかったよ」
そして、心底残念そうにそう告げると、ファヴァルさんも守り重視の構えをとった。
当然予想できたことではあるが、これは正直に言って厳しい。
ファヴァルさんほどの実力者に守りを固められては、攻撃を当てるのは難しい。そうこうする内に僕の体力が尽き、ファヴァルさんは容易く勝利するだろう。
「さっさと叩き潰せッ!」
と、その時、東軍の陣幕からオストロス殿がそんな声を上げた。
ファヴァルさんは、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、それは直ぐに笑みに変わった。
「将帥にああ言われては仕方がないな」
そして、そう言うと構えを下段に変える。それは、むしろ攻撃を重視したものだった。
もし今の一幕が策でないなら、オストロス殿の発言は愚かの極みだ。
僕の体力を消耗させて確実に勝つという方針は、当然陣営で共有されていたはずだ。それなのに、オストロス殿はそれを否定する発言をしたことになる。
まあ、先ほどからのオストロス殿の言葉を顧みると、彼は最初からこの作戦に納得していなかったのかもしれない。
と、間をおかずファヴァルさんが鋭く踏み込み、僕を狙って剣を振り上げる。渾身の力が込められた一撃だ。
オストロス殿の愚かさが証明された。
僕は身を退けてその攻撃をかわし、ファヴァルさんの剣が行き過ぎるのにあわせて前進し、右から左へと横薙ぎに剣を振るう。
剣はあたった。だが、ファヴァルさんは全く怯まず、両手剣を振り下ろす。
「くッ」
僕は思わずそんな声を漏らした。ファヴァルさんの振り下ろしの鋭さは想定以上のもので、必死にかわそうとする僕の右肩を捉えた。
直撃ではない、腕を動かす事は出来る。だが、僕が負ったダメージは相当のものだ。
ファヴァルさんは不敵な笑みを浮かべていた。
そして、猛烈な攻撃を繰り出してきた。
続けざまに振るわれる攻撃に、僕も必死に対抗する。
避け、弾き、そして反撃。
剣の技量はファヴァルさんの方が上だ。攻撃の威力については、更に圧倒的に差がある。
僕が勝るのは実戦経験くらいだろう。
僕は己の出来うる事全てを使って戦い続けた。
攻撃を当てた数は僕の方が多い。しかし、こちらも無傷とは行かない。
そしてまた、ファヴァルさんの剣が、横薙ぎに僕の左脇腹に迫った。
(後退するだけでは避けられない)
そう感じた僕は、身体を右に回転させ、懸命に剣から逃れる。
だが、それでも完全にかわすことは出来なかった。
ファヴァルさんの剣は僕の身体をかすめる。それだけでも、受けたダメージは相当のものだ。
僕はそのまま、当てられた衝撃すら使って、身体を回転させ、その勢いを乗せてファヴァルさんの右脇腹を狙う。
狙い過たず、僕の両手剣はファヴァルさんを打った。今までの攻撃で最も有効なダメージを与えられた手ごたえがある。
しかし、それでも僕が受けたダメージのほうが大きい。
僕が受けたダメージは、ほとんど限界に近いものだった。
ファヴァルさんの顔からも、既に笑みは消えていた。だが、彼の動きは衰えない。
ファヴァルさんの剣が左袈裟切りに迫る。
後退して避ける。
直ぐに切り返しが来る。
更に後退しようとしたところで、足がもつれた。最早体力が追いついていない。
ファヴァルさんの剣は僕の左脇腹を斜め下から打った。
僕は弾かれ、そのまま倒れそうになる。倒れれば、最早立ち上がれない。そのことが分かった。
「頑張って! アーディル」
声が聞こえた。セスリーン殿下のものだ。
その声が、僕に最後の気力を与えてくれる。
僕は両足に渾身の力を込める。
そして、踏みとどまった。踏みとどまる事ができた。
ファヴァルさんは、今の一撃で勝負ありと思ったのか、追撃を放とうとしていない。
(隙!)
僕はほとんど本能的に剣を突き出した。
剣はファヴァルさんの鳩尾を捉えた。
そこは、可動性を確保する為に、薄い板金が何枚も組み合わされている場所だ。その分攻撃が通りやすい。
「がッ」
ファヴァルさんがそんな声をあげ、一瞬動きが止まる。僕の一撃は、板金の一枚を折り曲げ、ファヴァルさんの身体を打って、少なくない衝撃を与えた。
だが、ファヴァルさんもその程度では終わらない。
次の瞬間には、上段から袈裟切りに剣が振り下ろされる。
僕は剣を引き、再度突き出す。それ以上の動きをすることは、もう出来ない。直前に効果が切れた錬生術もかけなおした。これでマナも尽きた。
間一髪、僕の方が早かった。
僕の剣は、再度ファヴァルさんの鳩尾の、折れた板金を突く。
ファヴァルさんの体が揺らぎ、その剣は僕の眼前をかすめて空をきる。彼はそのまま仰向けに倒れ、動かなくなった。
「そこまで! 勝者、西軍先鋒、アーディル・ハバージュ!」
審判の声が響いた。
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