六

 

 

 リュックにいっぱいの必需品を詰め込んでいた。着古した寝巻きセットは一旦封印、新しいパジャマ上下セットをわざわざ買い、バスタオル類は折りたたみ可能な旅行用収納ポーチ(これは元々あった)へと放り込んで、膨らんだリュックを見ると冒険にでも出かけるゲームの主人公は、こんな感じかと山上はくすりと笑う。

 今日は午前から午後までの出勤のため、帰宅時間はちょうどいいご飯どきであるが。被験体になるため晩御飯は家で食べてこないのは確認済み。

 リュックを自分の部屋のドアすぐそばに置くと、仕事へ向かった。

 変わった環境に身を置くことにはなるが、今日は自宅であったから気が重いようで意外にも、それらを紐で縛って放置するくらいである。

 このため、思い切りがよく勢いあるノーミスクリアな仕事ぶりであった。

 太陽の仕事終わりは山上よりも早く、外に出たら南西の空には月が昇っていた。

 店内と外の冷たい空気との落差にくしゅ、と小さなくしゃみをすると足を早め、千本木に連絡を入れつつ山上は手土産というか、食材貢献のための代物も買いつつ地下鉄駅へ。

 晩御飯は不要だったため、家に着くとまずシャワーを浴びて、リュックとトートバッグを確保するとその足で再び外へ出ると、千本木の住むマンション一室へと、向かったのだった──。


 インターホンを押すと、ややあって千本木が出てきた。

「お仕事おつかれさまです!」

「うん。じゃあ今日からよろしくお願いします」

「よろしくお願いします、冬子さん」

「…………」

「?」

 三回目の来訪も、間はそんなに空いてないため変わりない部屋がそこにあった。

「いえ、荷物どのあたりに置けばいいですか」

「奥の方にお願いします」

「了解です」

 ちょっと本が増えたような気がするのと。鏡開きしたのか鏡餅が消えて、ミカンが今度はテーブルの上に、赤い網模様のある透明な包装にはいった状態で置かれていたくらいか。

 奥の方に設置されているベッドの頭の方にある床へ、荷物を置く。

 すくっと立って見渡すと、狭いとも広いとも言えぬ手頃なワンルームは、自分の本棚圧が強い部屋よりもぐっと片付いているように見えた。物が控えめか収納トリックのどちらかは分からなかったが。

 大きめな窓には部屋全体の色調を決めるような、白基調のカーテンがすくっと吊られている、茶色と黒でオシャレでモダンなすっきりワンルームだ。

 トートバッグを持つと千本木の立っているキッチンへと向かった。

「あと明日の朝ごはんとか向けに。話してた食パン買ってきたんで」

「うわぁっくぬぎベーカリーのやつだ」

「人様にお渡しするのにスーパーのはちょっと」

「気にしなくていいのにそんな。目一杯美味しいの作りますよ」

「炊飯器は活躍どころあんま無さそうですしね。いっぱい食べてください」

「いやーそんなことはないですよ?」

「どうでしょうね……?」

 綺麗でお洒落な人イメージは、やっぱり抜けない。

 ──米を食ってる見た目じゃないよ。

 ──あってもピラフとかパエリアにして食べてそう。

 部屋の中を今日あらためてみた際に目にした、ちょっとみかんの袋がスーパーの姿を思い起こさせまるで、アイスに乗せるミントのようにかわいい程度。この反応も見るに覆ることは無さそうだ。

 充実しているキッチン周りの電子レンジがブーンと低い音を出して、中の照明のオレンジ色をピカピカして仕事中とアピールしてくる。

「あーもう完成してるんですね」

「はい、もうちょっとまっててください! あっそうだ、晩御飯は修行なやつほとんど出てこないので。ふつーに食べてもらって大丈夫です」

「カフェってそういう感じしませんもんね」

「そうです、冬子さんさすがです」

 チン!

「喫茶店路線で普通のごはんでもいいんですけど。朝に出しやすいのって店長から言われたので」

ってわざわざ付けるってことは明日からすごい感想を求められるのか……?)

 いったいどれだけのことを求められるかは、その明日になってみないと分からない。

 もうここまで来てしまってるし。後には引けない状況にまでなっている以上の度胸がついていた。

「ということでオムライスです。普通の!」

 ライスを包んだあの楕円形の黄色い卵の上には真っ赤なケチャップ。

 ──しょっぱなから米じゃん!

「綺麗に包まれてますね」

 すました顔で山上は褒めた。

「これまでの中でもトップな出来です」

「「いただきます」」

 銀色に光るスプーンでまずは一口。昔ながらのオムライス寄りか、皮はしっかりした食感に中身は程よくトロトロ。どうやらバターライスなようで、ニンニクのほのかな香りとバターの合わせ技が食欲をそそる。

「よくカフェとかのメニュー表に……オムライスありますよね」

「定番ですよねー。ちなみにオムライスは日本産の洋食らしいですよ」

「そうなんですか? ……なんか意外ですね」

「ナポリタンも日本産です」

「そっちはけっこ……有名ですよね」

 山上は食べながら頷いた。

 ついついスプーンが進む味わいで、話を振ったわりにもぐもぐ口を動かす。

 普段よりまったり喋ってほっぺをもちもち動かす山上が可愛かったのか、千本木はニコニコしながらオムライスを食べ進めた。

「そいえば明日まきのんが来るんですが平気ですか?」

「ん? 私仕事なので大丈夫です。……まきのんって正式名称はなんですか」

「牧野ゆずちゃんです」

「へー可愛い名前ですね」

「そうですよね! ふっ冬子さんは私の正式名称覚えてますか……」

「千本木ちがやちゃんで合ってますか」

「合ってます!」

「……」

「…………」

 千本木がなんだか黙ってしまったので、もぐもぐとオムライスを食べる手を止めた。

「可愛いんじゃないでしょうか」

「ありがとうございます」

 唇のはしっこにケチャップをつけながら山上はそう言った。言ってほしいオーラを感じ取って、確かに言った。

(なに言ってんだ……)

(なに言わせてるんだ……)

 からんと完食の皿を下げ、洗うのは山上のお仕事でこれも事前の取り決めだった。

「やっその、私シャワー先にもらいますね」

「ここくる直前にかぶってきたので。おかまいなく」

「わかりましたー」

 千本木はバスルームの方に向かっていったので、皿を洗い終わった山上は、一息つくと自分の荷物からパジャマを取り出して千本木のいないうちに着替えた。

 洗い立て新品のパジャマは確かに洗ったはずなのだが、糊付けされたようにパリパリで慣れぬ感触がしたので、ゆるゆるなストレッチもどきをして体を動かして馴染ませようと努めた。

 主人がいないのにベッドに潜るのはなぁ、とへりに座って、適当に時間を潰す。

「布団なくてすいません……」

 風呂からあがった千本木は、開口一番そう言ってきた。

 あの髪はどうやらくせっ毛らしく、下ろされた長い髪は毛先付近でふわふわしていた。

「いゃ気にしてないので大丈夫です慣れてないだけだし一週間ですし。女同士でそんな気にするもんでもないですよ(たぶん)」

「ほんとにいいですか?」

「念押ししないでくださいよ。床で寝たくなりますから」

「なんか私のほうが緊張してきました、あははは……」

 先に千本木は布団の方に入ると、奥の方いズイズイ移動していく。

 物理的な距離感があまりに近すぎるのに、心を無にして山上は挑む。反発の丁度いいマットレス、ふかふか冬布団、馴染んできたいい感じのパジャマは山上に眠気を運んでくる。

「おやすみなさい……」

「はや、え、あっおやすみなさい」

 目の前には綺麗な美少女だ瞼を閉じないとやってられん、とでもいうように速攻で目に蓋をし、山上は肩どころか頬まですっぽり布団をかぶり、すぐさま寝息を立てはじめたのだった。


 (……半端な時間に起きたな)


 スマホの画面を光らせると出てきた時間に山上おどろき、眠い目をこすって再確認する。

 起きるのにはあまりに早すぎる時間帯でなにせ、AM五時を回ったところである。

 四がみっつ並ぶよりは視覚にジンクス面でも気持ちの面でも優しいけれども、ぐっすりミッドナイトは過ごせたようでやはり緊張していたのか。眠気を置いて目は次第に冴えてくるばかりだった。

 このまま起きて時間を過ごし、朝ごはんの用意をしようかと考える程だったが、いかんせん一泊目の他所様台所となると話は変わる。食パンはともかくそれ以外が大変問題であった。

(バターと砂糖なら使っても大丈夫か? いやでも勝手にバター確保のためとはいえそれでも冷蔵庫開けるのはどうなんだ)

 寝起きながらも頭の回転を十分にさせ結果、ひやりと冷たい床に足を乗せる。

 薄暗い部屋の中、足元に気をつけながらも水分補給だけすると、再び布団へ山上は引きこもった。

「ん……?」

「起こしちゃいましたか」

「いま何時ですか」

「五時です。寝直します」

「ふぁい……」

 朝方早くに起きてしまった場合、とくになにも起こせるアクションが無いのが気まずい。

 仕方なさげに戻ってきた眠気にゆらぎながら、いずれ提案くらいはしてみようかと決めたのだった。



 ──二日目、朝。

「さっそく食パン使いました!」

 コーヒーの香りと共に山上は起きた。

「これが修行メニューですか」

「はい。今日は甘いやつです」

 ふかふか食パンをトーストした後、四つ切りにして真ん中にバニラアイス。バターを塗ったような後もあって、熱で溶けていくバニラアイスと混じり湧水のように、白い皿へと流れ出ていく。

「店長は『美味さだけでなくて、コストとかコーヒーとの合わせ技とか、考える過程を鍛えるためだ』って言ってて。冬子さんの食レポがあると私はやる気になるというか……、褒められて伸びるというかこれで合ってるかな、とか」

「…………」

 ぽつぽつ言ってくれた千本木の表情はちょっとこわばっていて、唇をきゅっと引き締めていた。

 想像していたより具体的で立派な大役に山上は瞳を鋭くすると、フォークを手にし、四つ切り食パンの一角を切って口へと運んだ。

 ひとつ外側からかじればサク、サクと焼けたトースト。

 そのまま食べ進めてバニラの染みてきたパンと、バターの塩気が舌の上でカルテットを奏でてきた。

「バターが塩入って……るんですね。しょっぱいのと甘いの、熱いと冷たいが……混ざってて美味しいです。食パンは……くぬぎの、……美味しいところの……だからか存在感が負けてない……と思います」

 バタートーストバニラアイス乗せを頬張る山上。

 千本木はそのコメントをしかと聞きそぞろに、自分の分をもしゅもしゅと食べている。

「くどくなったらコーヒーでさっぱりしますし」

 それはよくある組み合わせであり、カレーの途中で水を一杯というのにも近く、千本木も意図してのもののため深く頷いた。

 変わらぬ味わいもリセットがかかれば再び、新鮮さを取り戻す。

「いいですね、朝からこれはちょっと元気になります。ごちそうさまでした」

 フォークを皿の上に置いて、食パンでピカピカ白い皿になったのを目の前に綺麗に手を合わせると、山上はすくっと立ち上がった。

「お役に立てればいいんですが」

 今日の出勤のため服をリュックから漁り、背中を向けて言った。

「冬子さんっアフォガートとか合いそうかなって思ったんですけど、どうですか」

「……そのまんまだと器からこぼれちゃいそうで心配、かもしれない。量によるでしょうけど」

 着替えを持って山上はぱたぱたと、脱衣所へ向かう。

 白いワイシャツに黒いスキニーといつもの仕事セット。持ち込んだのはこれと同じのを何セットかと変わり映えしないもの。

 スマートに着替えて、もこもこと上着、マフラーたちを着用していった。

「それじゃあ行ってきます」

「いってらっしゃいです!」

 後ろ手に取っ手を持つ山上の姿も見えなくなり、足音が遠のいてくのが分かると千本木は鍵を閉めた。

(山上さんでよかったあ!!!)

 脳から流れ落ちてしまう前に、使っているノートをテーブルに広げて、棚に置いていた筆記用具を千本木は手に取ってラグの上に座った。

 勢いで書いて荒くならないように、気持ちを抑えて丁寧に、丁寧に貰った感想を綴る。

 そこから味わいをメリットとしてまた別の場所に書き取って、食パンがただの食パンでなかったことから生まれたものが内包することも、読み取れる情報全て、はじめの感想から矢印を伸ばし別のところにまとめていく。

(パンはケチっちゃだめならもっと美味しいところ? でも“くぬぎ”のパンくらいに美味しいってことで十分だと思う高級食パンはあれ単体でいいくらいだし)

 開いたカーテンから伸びてくる控えめな太陽光。今日の天気を調べ忘れていたが、これは誰でも分かる曇り空。

 薄暗い部屋の中では、環境音と静かなペンの音だけ響いていた。


 すっかり文字沢山になったノートを閉じると、牧野に変にからかわれないように部屋の掃除をしようと千本木は立ち上がり、コードレスな掃除機でゴーっとたいして落ちてもいない平な床のゴミから吸い取っていく。

『おみやげいるー?』

『ほしいー』

『しょうがねーなー』

 今日この家にやって来る牧野からの連絡も届いたので、そう返事をすると、山上のリュックのチャックとかを閉めたりキッチンの拭き掃除をしたりと、細かい所も綺麗にして切り上げ、時間まで千本木はのんびり過ごすことにした。


 ──昼過ぎ。

 コンビニの白い袋を引っ提げてやってきたまきのん──もとい牧野は、裏起毛のオレンジ色のスタジャンを脱いでぱたぱた、手で顔を仰いでいる。

 連絡が来て一時間くらい経過してからだった。

「ふーあついあつい」

「走ってきたんでしょ」

「うん滑らず転ばずだった」

 ビニール袋をテーブルの上に置き、近くの本棚をさっそく眺めて「ちゃんと“すみそま”買ってんだ」と声を漏らした。

「今日のおみやはアップルパイだぞ!」

「駅の近くの?」

「イエスイエス。そいでこれがアルシェピースかぁ、並んでるね〜随分」

「一巻から読んでね」

「そりゃそーだろうけど多くない?」

「大丈夫読める読める」

 ナゾの自信に満ち溢れてる千本木をスルーして、本棚から牧野はアルシェピースの一巻から十巻を取り出して顔を上げた。

「てかなんか物増えた?」

「あーえっといま友だち泊まりに来てるの」

「へーうちの知ってる人?」

「どうだろなー?」

 千本木は歯をにししと見せる笑い方をした。

「みゃーことかうちより仲ええ子がいるなんて……ちがちゃんたら罪作りだっ」

「あはははは。というか卒論ちゃんと終わった?」

「もうウイニングランだし」

 軽い話をしながらも、牧野の方はアルシェピースの一巻を開いて読み始めている。

 その様子をまるで監視するかのように、意識を割きながらも千本木は明日の晩ごはんメニューについて考えるべく、本棚からレシピ本を取り出した。


 ====


「アルシェ読みおわんないー!」

 すっかり身に馴染んだのか、タイトルがフルネームから愛称呼びになっていた。

 彼らの旅路は未だ道半ば、読み進め具合も現在三分の二と早い方ではあるが巻数が中々のために、日の沈む夕方となっても終わらなかった。その間に千本木は本日の晩御飯を用意していて、な山上向けか麻婆豆腐(市販の素使用)である。

 山上が予想していたよりずっと米々しい晩御飯のラインナップに、帰ってきたら喜ぶことは間違いなしだろうと思うと、千本木のフライパンをかき混ぜる手は早くなった。

「あっ帰ってきた」

 鳴るインターホンに牧野が反応もするなか千本木はフライパンの火を止めると、玄関へと一直線に向かった。

「おかえりなさーい山上さん」

「ん……ただいまもどりました」

 千本木におかえりと言われて、仕事から帰ってきた山上はもじもじ頬をかきながら視線を下に向けると、靴が一つ多いことに気付いた。

「まだまきのんさんいるんですね」

「そうだうちがまきのんさんだ! ……なんかどっかで見たけど名前忘れちゃった」

 呼ばれて勢いよくリビングから牧野は飛んできて、目を凝らし山上の顔を眺めたあと、頭上にクエスチョンマークを浮かべた。

「山上です」

「んぁーどこ産地ですか」

「産地は札幌ですね。本屋で働いてる人ですよ私は」

「まおめがの人じゃーーん!」

 それで完全に思い出したのか、手を出してブンブン山上と超握手。

 牧野のショートカットな毛先がゆらゆら揺れて、山上の肩ほどセミロングもぷるぷるする勢いだったのでつい笑ってしまう。

「まおめがめちゃやばかったんすよ」

「アニメ化される作品は伊達じゃないってことです」

「二期くるといいなーって感じすよもうっ」

「アニメも見たんですね……」

 千本木もそうだったが、勧めた物がちゃんと読まれるとは……と謎の感動を覚える。

「そりゃそりゃもー流行りってそういう勧め方したの山上さんだし」

「私は観てないので」

「ちぇー原作オンリー派なんだ~」

「買ってないけどアプリので読んでますよ」

「ほへー配信してるんすね」

 千本木を押し退ける勢いに押されていた山上は、まだ靴を脱げていないことを思い出しもじりと足を動かした。

 だんだんと肩とか頭が湿って来てるような気がして彼女は口をへの字にした。

(紙派かと思ってた……)と千本木は二人の話へ静かに耳を傾けている。

「とりあえず靴脱ぎたいのですが」

「んあーさーせん、雪……落としやす!」

「隕石は落とせないけど雪くらい自分で落とせますから要らないです……」

 照明がより輝やかしい奥の部屋へと下がりつつも、シュバッと何らかの構えに入った牧野に対してクールにツッコんだ。

 ちょっと溶けつつある雪は、付けていたマフラーを外し肩から背中、足元とペシペシ器用にはたいて落としていく。

「ちがちゃーうちいつ帰ろ! めっちゃ話通じる」

「言語一緒ですしそれはそうです」

「キレッキレだしかも」

「残念ながら晩ごはんは二人分しか無いよ?」

「コンビニで買ってこよーよ、ねえ山上さんてお酒飲めます?」

「コンビニで買うくらいなら正直外で食べるほうがいいです」

「えーゴロゴロしながら食べるのがいいんすよ」

「気持ちは分かりますがね……、……千本木さん今日の晩御飯はなんですか?」

「麻婆豆腐です」

 それを聞くと手に持っていたマフラーは再び、山上の首の周りにくるくる巻かれ始めたので牧野と千本木の二人は視線を突き合わせ、首をかしげるので「行きましょうか、まきのんさんも下がらなさそうですし」とキレキレ大人な山上の一声がかかったのだった。


 雪の降る夜道で、ツルッツルに氷が太陽と車に磨かれた中を牧野、山上、千本木が進んでいく。

 住宅街の歩道は雪で埋もれ、車道は歩く道と兼用な雪積もりになっていた。

 家にずっといたためペンギンのように歩く千本木、そして帰ってきたての中再び外に繰り出す山上、三人の中で最も背の小さい牧野は元気に夜道を小走りである。

「コンビニなんだっけ」

「サイユーマートだよ」

「やった勝った」

 地元民に愛されしコンビニ型スーパーの名が上がると、その場で小さく跳ねて牧野は喜んだ。

(パスタコスパいいんだけどでもそれだと麻婆と合わないな、焼きそばか……いやこの人数だから気にしなくてもいいか)

「山上さんもサイユーでいいですか?」

 酒が好きということもないが、ご飯やおつまみが美味しく存在するのであれば別な山上は、千本木の尋ねにクールな顔で「大丈夫です」と答えた。

 住宅街を抜けてすぐ目に入るサイユーマートのドアを開けると、「いらっしゃいませー」と絶妙に元気がない、夜の出涸らしみたいな店員の声が店内へ響いた。

「何飲むんすかー?」

「決めかねてます」

 カゴを持ったのは山上だった。欠品しているお酒もなく缶ビールからチューハイ、日本酒の小さい瓶も並んでいる冷蔵ショーケースの目の前で、三人は立ち止まって眺めている。

「うちはチューハイにしときますよ」

「ふむそうですか。千本木さんは飲める人ですか?」

「あんま普段飲まないのでちょっとでいいです」

「なるほど」

 持っていたカゴからポスポスと音がしたので見ると、チューハイが三本ほど。

 山上は小さい日本酒の瓶を手に取って、すたすた歩いてくとコスパ良し惣菜コーナーの焼きそばもカゴに入れた。

「焼きそばと……?」

「ご自由に。奢るので」

「えっいいんすか、ごちになります」

「社会人ですから。入れ過ぎたら強制送還しますが」

「ひょわっしょい」

「……」

 睨みを利かせる山上に、ラインを見極めて牧野はカゴの中にコスパ最強ミートソースパスタを入れたが、大丈夫そうだった。

 その後コソコソと人気マンガのチョコエッグを入れたら突き返されたが。

「チョコツマミにならないっすか?」

「私はならないですね」

「チョコ柿ピーは……、」

「日による」

「よし」

 積極的に牧野がカゴに色々物を足していく中で、千本木は総菜コーナーでじっと考え込む山上の顔色をうかがうようにしながら、こそっとカゴの中に四角い箱の何かを入れた。

「千本木さん……」

「朝のコーヒーのお供に……」

「それならいいですよ」

 冬の新作濃厚ぽてふゆショコラだとか書かれている。

 明らかにちょっぴり遠慮がちに絶対酒のツマミにならなそうな奴を持ってきたので、おそらく牧野とのやりとりは耳にしていたのだろうかと思うとつい、山上の頬は緩んだ。

 こんな可愛い子にそんな顔で言われたら誰でも許すでしょと山上はこっそり思って。

「なんか彼氏みたーい」

「千本木さんには相応しい人いるでしょう」

「……」

 一体どの辺でそう判断したのか、山上には分からないので思った通りの事を言い、戻ってきた牧野をおっぱらう。いつの間にかカゴに彼女はチューハイを一本増やしていたが、それくらいは目をつむることにしたようだ。

 山上がレジに並ぶことを二人に告げると、自然と出入口のドア付近にまとまった。

「山上さんていくつ?」

「私も知らないけどでも何年も前には卒業したって言ってたよ」

「リスクマネジメントしててよかったなぁうち」

「まきのん……」

 会計を終えて大きな白いビニール袋を手に持った山上が来たので、丁度いい室温だったコンビニを出ると、寒い外が出迎えたので戻りはすこし駆け足になった。


 ====


 グラスに注がれた山上の日本酒と、缶のままのビール。千本木はあまりお酒を飲まない側らしく買ってきた物をつつき、牧野は自分でカゴに入れた分を飲んで、麻婆豆腐やらをおいしく頂いていた。

「山上さん静かに飲むタイプすね」

「ご飯中は元々そんな喋りませんから」

 今日のこの、牧野と千本木の自宅で遊ぶことに山上は偶然居合わせただけであるため、二人が喋っているのに口をはさむつもりが無いということもある。

 テーブルの上には焼きそば、ミートソースパスタ、白い皿には三等分された本来二人分の麻婆豆腐。焼きそばは山上専用と化している。とりわけ皿に入ることなく容器のまま、彼女のお膝元へ転がり込んでいる。

「言わない気持ちは無いのと一緒すよーほら、ティルティくんみたいにね」

「最新刊で結構頑張ってたから……!」

「えー? それより前から頑張ってればポミエ完落ちでしょ」

「そうだけどそれがティルくんなんだよ……!」

「ポミちゃんみたいに甘やかしてるー」

 アルシェピース談義みたいになっているのでちょっと気になったが、山上は静かに酒を飲んだ。「ぽみ……」と千本木から悲しそうな悲鳴が聞こえたが気にしないことにする。

 辛さがやさしい麻婆豆腐の濃い甜麺醤の味を、くっと日本酒で流すとなんとも芳醇なコクと切れのある味わいがたまらない。また、焼きそばにちょっと入っているザンギがいい塩気を出し、いろいろつまみ食べながら飲む今の方がよっぽど重要である。

「抱けーっ!」

「やめてえ! あの二人は純情なの、ポミエちゃんのいずれ恋になる感情がたまらないの」

「がははははもう体が存在しないんだけどな」

「ひどい……」

 なんか虐げられているが、キュートアグレッションということにして酒の肴にしようとしているあたり、おそらく自分に酔いが回ってきているなと冷静に思った山上は、やはりこのまま黙っておくことにした。

 酒とご飯をいっしょに十分楽しめるくらいのアルコールの耐性があるのは自覚している、余計な事を言ってしまってはいけないという予防線を張る大人であった。適当におりを見ては、話をしている二人の取り皿に菜箸で取り分けたりして、場にそっと貢献するくらいである。

 さんざんイジリ倒し話し倒し、飲んで食べた牧野は満足すると、アルシェピースの続きよりも時間の方が押していたので立ち上がる。

「飲み過ぎたら眠くなるからうちそろそろ帰るよ。山上さんもまた遊んでほしいっす」

 しれっとした顔で引き際を見極めているあたり、こやつ中々と山上は認識を改めた。

「お好きなようにしてください」

「またねまきのん」

 ぱたん、とドアが閉まるので、千本木が鍵をかけた。

 見送りが終わるとひとまず山上は自分のおなかの残りスペースと、テーブルの上を見た。

 空になった日本酒のガラス瓶とチューハイの缶が立っているのが目立つくらいで、空になった容器は重ねてまとめて置いてあったし、取り皿も使ったので中身のあるやつも綺麗なまま。片付けは楽なモノだと手をつけ始める。

「今日からお風呂ですよね、私片しとくので先に……」

「いや、量も少ないですし美味しいご飯食べさしてもらってますから」

「まきのんが暴れてったお詫び……」

「自由な方でしたね」

 千本木が手を出す前に、さらっとテーブルのお皿たちを台所へ攫っていく。

「明日の夜、私が作りたいんですけどいいですか? 作られぱなしは普通にいかんと思って」

「!」

「いやもう買ってて賞味期限やばいとかなら大丈夫ですけど……」

「大丈夫ですめっちゃ冬子さんの食べたいです」

「ああ、千本木さんみたいな大して凄いのは作れないので。そんな目で見ないでください。お買い物するのでカギ明日借りても大丈夫ですか」

「もちろんです、楽しみにしてます」

 遠回しに期待するなと言っているのにこの千本木である。

 なんだか思うよりかいたずらっ子だな……と困った笑みを浮かべながら、山上は支度をしてバスルームへと向かったのだった。


 ====


 ──三日目。

 

「いってらっしゃい。千本木さん」

「はいっいってきます!」

 山上は鍵を閉めて、ぐーっと背伸びをし身体をほぐした。

 今朝のご飯はピザトースト(トマト成分強め)であった。王道といえば王道の組み合わせ、トマトのソースが食パンに塗られ、大きいトマトの輪切りが一枚、チーズがその上に乗って登場。パラパラ散った乾燥バジルが風味を増してのそのボリュームその味に、山上はたいへん、満足した。

 しかもおやつ付き。ピザトーストによってコーヒーを飲むスピードがひかえめだったから、ちょうどよく飲めたので。

「ふー……」

 他人様の部屋で二人からひとりぼっちともなれば、気は楽になったようで結局まだまだ慣れないのか、ベッドのへりに座って足をぷらぷら適当に指先動かしスマホ弄り。

 小一時間ほどパソコンを立ち上げて少し待つみたいなことをしてから、山上は今日の予定に頭を使いはじめた。

(昼はてきとーでいいから楽だね)

 鍵を借りたのはここでも大正解であり、千本木が帰るまでには戻って来なければならない。縛りプレイではあるがその縛りは緩く、洗濯から始めようと立ち上がった。

(外は全部午前中に済ますのが一番か)

 今日はいい天気だが干せる環境でないのが北の大地であった。つっかえ棒が窓の方にあったと山上は記憶しているので、干す場所もそこと心得た。

 まずはパジャマから着替えてこれから回す洗濯機に直でイン。

 そしてなるべく洗濯カゴの中は見ないように、洗濯機へ中身をぶち込み動かした。

 続けて外に出るためにしっかり着込んで、トートバッグを持ちもこもこになって財布や鍵もろもろ準備をしてから、千本木の家を出た。

(午後何して過ごそう)

 スマホ眺めて惰性でやってるソシャゲをやるのもけして、悪くは無いが千本木の前でなんかそれはしたくないなと山上は思った。

 どうせなら、あの子が抱いてるだろう理想っぽい姿にそぐわぬよう。いい時間の過ごし方──本でも読むべきかなどなど。

(とりあえず買い物済まそ)

 スマホで調べた千本木近所なスーパーに足を運ぶ。それからでも遅くないし名案はその物事から一旦、手を離してみても浮かぶものだしと。

 山上はなんでも美味しく食べる。だがいつも食べてほっと馴染み深いのは米とは判明しているし、それは千本木にも伝えていたしそれなりに後片付けも楽なやつをと、肉を手に取ってあとは生姜焼きの素を彼女はカゴへと放り込んだ。あとは味噌汁の具を少々。

 今度は鮮魚コーナーにたどりついて、眺めてみると塩味のしゃけが売っていたりした。

 しゃけといえばクマ。

 クマといえばこの間の、自分が好きだと言った漫画。

( “全賭け”に出てきたメニューとか作れば美味しいかもだし……、楽しいんじゃないかな……)

 千本木の負担を減らすということと、お金も出しているが山上の心情としてはそれだけでなさそうだ。

(提案してみるか)

 世の中には素敵な事を思いつく人らもいるようで、物語作中に出てきた料理を再現してその過程を動画にしていたり、SNSに投稿していたりするのを見たことがある。

 千本木ならきっと、面白いと感じてくれるだろうから。作る過程まで丁寧な描写をしていた“全賭け”なら間違いない、はず。

(ネットにレシピは無さそうだし取りに行かないとか)

 晩御飯の買い物を済ませると一度、千本木の家に戻り荷物を置いて今度は、自分の家へと山上は繰り出した。


 今どき珍しくもない両親共働き。「ただいま」と言った言葉はだれもいない部屋にこだまする。

 もう慣れっこの鍵っ子は自分の部屋にはいると、胸いっぱいに本まみれの空気を吸ったので少し窓を開けて換気も始めた。

 自分よりも背が高い本棚を見上げると、好きな本たちが詰まっていて。コミックスから小説までさまざま、出版社も作家名も関係ない自分のために並べた本たち。揃っているのは本棚の都合と収まりのよさのための高さだけ。

 アルシェピースは取り出し辛いようで、今後も増えることを配慮した場所に。

 完結している作品は遠く動かない本棚と手近な場所にとまちまちに。

 手近な方に置いていた全賭けスピリットベアーをふと手に取ると、自分の部屋で立ち読みをし始めた。

(どっちも重いよね人亡くなってるし)

 全賭けスピリットベアーもアルシェピースも、日常系と冒険系でぱっと見方向性は違うようで、大切な人が過去か現在かで居なくなったりしている。

 彼らの日常にあったものがなってしまって。

 それからまた新しい日が続いていく、何かあった世界。


 山上にはそんな経験も無くて、それはいい事であるけれど──なんの転機も訪れなくてつまらない。

 そしてなにも起こせない。

 知らないとこに踏み出すことも、出来ない。

 

 一週間にも渡る不思議なことをしようとしている、踏み出した自分の姿に彼女は気付かないフリをした。

 

 

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