2
二
山上は自分の部屋でぼんやりしながら椅子に座っていた。少し埃っぽくてカーテンは閉めており、夜の暗さを室内照明は淡く照らしている。
本が漫画も小説も関係なく、ただ持ち主の好き度合いで決まった並びで背表紙をこちらにむけていた。なお、本棚に収まりきらない本たちが床やらただの棚だのあちこちに侵食しており、ダンボールで擬似本棚を作りいい具合に置いている子も少々だ。
何故そんなことを、といえば彼女には単純に本棚補充が追いつかなくて、置くスペースが絶妙に足りないということ。そしてダンボールへと仕舞うというには好きなものだけを集めていて、気が向いたらその本たちをすぐ、手に取りたいからなのだ。
そんな物質密度の高い室内にて、ギリギリを攻めるべくスペースをとらない丸椅子と、ノートパソコンを常駐させて本とかも乗せれる程度のテーブル(両方とも通販でで選んだ適当な会社のセール品)をお供に、狭い居城の中に山上にすとんと座っていた。
(外出かぁ〜……)
あの後、スタンプで互いに違う絵で『よろしくお願いします』と送りあって軽く話をしたあと、仕事に戻ったわけであるが、日頃部屋に引きこもりがちの彼女には難題である。
『場所はどうするんですか』
『自分に任せてください』
そんなやりとりまでリーネに記録されていた。
あのコーヒーの香りと共にこう言われてしまえば、なんとも頼もしい限りの申し出を、山上は断ることなく受け入れてしまえたし幸いにして、休日が一緒の日は存在していたのであれよあれよという間に、別れたその日の夜に連絡が来て、待ち合わせ場所と時間も決まってしまった。
本気でアルシェピースについて、好きになった作品について語ろうということなのだ。
カフェかどこかに居座って、飲み物と共に。
丸い椅子に座ってぼんやりとするが、ささやかなテーブルの上には本一冊も置かれていないので、適当に近場の本棚からひとつ手に取った。
開いたページにはシロクマが、クロクマとホットケーキの枚数賭けを森のカフェで行い、素朴な女の子がツッコミを入れながらも勝負に立ち会う日常系漫画だった。文面にしてしまうとシュールな図だが、今の自分の何日かあとにやってくるだろうそれと似た風景が細かく、描かれていた。
洗練させた白黒綿密な絵で、背景の葉の大きめな観葉植物から棚の飾りものまでが、キュートな子とどうぶつの後ろにいる。
綺麗な女の子が──千本木ちがやがこういう店を選ぶかはわからないが、なんとなくそういうやさしいイメージが湧くとつい、その先も読み始めてしまった。
(こうなるのかなぁ……)
彩度の無いその世界の中で、いきいきと遊びに明け暮れている。クマも女の子も楽しそうに話をして、賭けたホットケーキにしかくいバターを乗せ、琥珀色に輝くメープルシロップをとろりと垂らしていた。
美味しいデザートははたして自分らにもつくのだろうか? 飲み物だけだろうか?
(あー……浮かれてるなぁ)
他の店員が通りがかれば山上が、書架一列分周回してそこに戻ってきた時に彼女は、そこにいなかったろう。
そう考えつくくらいには、自分の手元に転がり込んできた機会に、思った以上に浮かれている。とうの昔に学生じゃないんだから年齢考えなよ、と冷笑しようとしても、千本木のあったか笑顔が邪魔をした。
だからせめて。
風景はこの漫画とは違うが、こういうやさしくて楽しい光景にしてあげられるようにまず、格好に気を使おうと決め山上は椅子から立ち上がった。
====
北の大地の寒さを乗り切るジャンパーを着て、手ぶらの山上は千本木を待ち合わせの所で待っている。
ザクザクと大きな崖を作るようなシルエットのジャンパーは正直言って、暖房効きすぎのこの場では暑いくらいだが、カッコつくので我慢して着ていた。
広い駅の、繁華街へと通づる中継地点のような広場で平日、正午過ぎに待ち合わせである。
ランチタイムか人通りは多めの中で、あのぽふんと毛先の躍るポニーテールを探して。人の群れの中に目をやりつつリーネを確認し、何かしらの連絡が来ないかも心配しながら、千本木を山上は待っていた。
「早いですね!」
目を向けていた方とは反対の方から来て面食らう。
くすんだ金髪とぽっふんポニーテール。
予想外に外套はトレンチコートとかではなくて、動きすそうな丈で襟元が白くもこもこした黒いブルゾンと、普通の大学生みたいな雰囲気をしていたので見逃すのも無理はない。なんなら、コーヒーの香りもしなかった。
「十分くらい前ですよ山上さん」
「遅れたらだめでしょう」
「ふふふ一緒ですね」
「そうですね……」
この子は想像より若い活力のある人側だな、と改める。
「どこで話すんですか」
「サニーフロントに行こうかなあと」
「サニフロですかっ?!」
──店選びもなんか若者っぽいし!
大体混んでるから味は文句なしなのだろうけども、綺麗な人イメージにはぐっと当てはまるあのお店か、と山上は身構えた。
店外にテーブルとパラソルをセット出しする他、店内にはノートパソコン広げてお仕事するようなお洒落な店が、サニーフロントである。
「はいサニフロです!」
「ちゅ、注文あそこわけわかんなくて、呪文みたいなイメージあってあんまし行ったこと無いです……」
更に、他のよくあるファストフード店のドリンク大きさであるLやらMやらではなく、サニーフロントは独自の規格で、トールだのグランデだのやけにカッコいい横文字。そんなお店だ。
その横文字に、トッピングや飲み物の名前などがくっついてくると注文を頼む時、なにを言えばいいのかという──ネットで見聞きしたそれから察するに難解で怖がるの必須なんだよ!
と戦線恐々の山上なのだった。
千本木も独自規格からくる敬遠を知ってはいるのか、こくこくと首を縦にふり相槌を打った。
「たしかに大きさの呼び方がLとかMとか、そういうアレじゃないですもんね」
だが歩き慣れた道から少しづつ、離れていく。
「でも、指差せばいいんですから怖くないですよ」
「えぇ……そうですか?」
「はいっ。なんならその呪文の唱え方、教えます!」
ぱあっと、疑いようの無い千本木の笑みが目の前に咲いた。
なんなら手元にスマホを用意していて、画面もばっちりサニーフロントで。これを用いてサニフロ注文方法をご教授してくれるのだろう。
背中も押されるような感じで、こわいけど行こうかなと山上は大人しく、サニーフロントまで連れられていった。
「どのくらい話すつもりなんですか」
「いっぱいなので大きいサイズにしましょう、山上さん。だからー……」
モダンな雰囲気の店舗へと入っていく。
列はやはりというか、予想通り長いのでスマホのメニューを眺めて注文の唱え方を教わる。
「これがおいしーんですよ」なんて一言添えてくれる千本木のひと口メッセージ。
列も進んで、山上と千本木の番が来た。
「グランデの、オレンジモカチョコレートフラペチーノで、おねがいします……」
大きさ、そして商品名という極めてシンプルな呪文に山上は決めた。
トッピングはこの大きさと商品名の合間に挟む。それが呪文である。
「私はグランデアーモンドスライスチップチョコレートホワイトクリームモカペチーノで」
「グランデアーモンドスライスチップチョコレートホワイトクリームモカペチーノですね!」
大きさトッピングもりもり千本木のものを、ちゃんと聞き取れた店員はメニューに指を揃えたので千本木はそれに「はい!」と答えた。
山上はさっき解説というか、普通な頼み方を教わったからなんとなくは分かったが店員のそれもあって、なるほどこれがプロの技……と感心するばかりだった。
注文も無事終えて支払いも済まし、すたすたと受け取り口の列へと並べば、スマホを弄って待つスーツのオフィスガールから、茶髪で髪を巻いた今時の女の子まで並んでいた。
そこに自分も混じっている。
しかも、隣には自分なんかより余程年上に見える、綺麗で格好いい女の子となので山上は借りてきたネコ状態となっていた。
「さっきのはほんとに呪文でしたね」
「呪文唱えて欲しそうな顔だったのでつい」
くすりくすりと千本木は笑い、肩を揺らした。
「千本木さんて、いっつもいいコーヒーの香りしますよね」
(……今日はしてないけど)
「してますか?!」
「してます……」
「ふふふ、ちょっと嬉しいです」
「千本木さんて、なにしてる人なんですか」
「珈琲屋さんで働いてる人、ですよ」
食いつきが良すぎる千本木の反応にちょっと驚きながらも、尋ねた時にあんなに嬉しそうな顔をしていたのかと山上は合点がいってほっとした。
あとなんとなく、オーエルとかいうありふれたものより珍しいので好きだなと思った。
「ここに連れてきてから聞くのもなんですけど、山上さんはコーヒー好きですか?」
「え、うーん……まあまあ好きですよ」
そう言った千本木の前に置かれているのは白い生クリームの積まれた上に、アーモンドスライスと照りが綺麗なチョコレートソースがかかった、華美なモカコーヒー。
「……でもその、千本木さんの選んだのは珈琲って言うにはごてごてしてません?」
「世間ウケのいいコーヒーのお勉強です。美味しいですよ」
「むむ」
「それにせっかくのサニフロなんですから」
自分の手元に置いてあるものだって、規定量のほわほわホイップとチョコレートソース、オレンジソースが湯気を出している。
「それはそうです」
お互い机にを這わせるように、注文したドリンクをそそそっと交換し合った。
グランデアーモンドスライスチップチョコレートホワイトクリームモカペチーノは名前も長ければ見た目もダイナミック。山上はこの名前を思い出せなかったが。
名前が非常に長いということと、とてつもない存在感のクリームから放たれているインパクトは間近で見ても変わらないなあと、しみじみ眺めてそれのストローに口をつけた。
吸えば優しめのモカコーヒーの丸い苦みと、アーモンドの豊かな香ばしさと、クリームのなめらかと砂糖やチョコの、なんとも甘いとろける味がした。
「勉強家の糖の味がする」
「ふふ。山上さんの、私去年飲みましたけどやっぱ美味しいですね」
「毎年出てるんですねこの、これ」
「はい! オレンジとチョコ自体が合いますからね、出たらよく話題になってますね。山上さんてコーヒーどんな時飲んでます?」
「えーと……朝とかインスタントで」
「目覚ます感じのなんですね」
「そうです。何にでもコーヒーなので、米とかにまで付くのは困りますけど」
「あははは。それはそうですね、中々無いです」
「あとたまに外出て本買った後、飲みながら読んだりします。……千本木さんは?」
「そうですねー……休日にゆっくり飲んでます」
「なんかカッコいいですねそれ」
「疲れてやる気無くなっちゃうだけですよ」
「家でもちゃんと淹れてるんですか?」
「お店の程じゃないですけどね。フレンチプレスで淹れてます」
耳なじみの無いアイテムの名前に、山上は首をかしげた。
「あの丸いフラスコみたいな……サイフォン? じゃないんですね。初めて聞きました」
「コーヒーの道具も色々あるんですよー」
「コーヒーミルもわかります」
「ゴリゴリするの風情ありますよね! 使ってます」
「へー……」
中々、会話が途切れる事がない。止めようとも山上は思わず奥深いなぁとか、やっぱ挽いた直後だと違うんだろうな、と感じる部分もあって、むしろどんどん話して欲しいくらいだった。
喫茶店な漫画とか、小説とかで見た道具たちは本当に実在してるという感心とかが引き出されて、興味をそそられていた。
「あっ珈琲の話ばっかり……」
「いやえと、普通に楽しいから大丈夫」
あと千本木の語ってくれる姿が単純に、素敵だとも。
「ほんとですか?」
「ほんと」
「よかったあ。これじゃほんとにナンパになるところでした」
「自覚あったんですね」
「うぐ」
「私だからいいですけど」
「いっいいんですかそれで」
「大それた事にはならないでしょって思ってますから」
こんなに素敵な子にナンパされて、最終的に殺されるとしたら本望──なんて出会って何度目かの人に冗談で言えるほど、というか誰かに言うほどの強い心はないのでしなかった。
「山上さんお強いですね……」
「鍛えられた肉体がある」
※無いです。
「ほほう、いかにして」
「本は重いのです」
「なるほど日々のものでしたか。私も珈琲豆が重めなのでちょっとだけ自信ありますよ」
千本木は小さく両手に拳をつくる気合の入ったポーズをした。
背筋もすこし伸びて自信ありげだ。
「キログラム単位で買ってきて、お店で売ったりする分とかで分けるんですよ」
「店売り分もあるんですね」
千本木はかなり本格的なところで働いているんだなという、細かな所まで明らかになっていく。
「そうなんです!」
「本は冊数とかはあってもそんな具体的には量ってないですからね。国語辞典くらいの厚さのライトノベルもありますし」
「国語辞典?」
くっと親指と人差し指を千本木は動かして、(どのくらいだっけ)という顔で微調整もすると、本当にこんなライトノベルがあるの? という表情で山上のことを見てきた。(わかるよその気持ち)という具合に、千本木の微調整された国語辞典ラノベサイズの指と同じ動き形を作ってから、うむ、と山上はうなずいた。
「かなり厚くないですか?」
「かなり厚いです、読む鈍器」
感嘆の声を出すくらいの間で彼女は飲み物を吸うと、飲み切ったズゾッという鳴き声をドリングが出した。
「そして私コーヒーなくなっちゃいました」
「アルシェピースの話したいんじゃないんですか?」
「したいです」
再注文しようかなと千本木は立ち上がりかけて、人がたくさん並ぶ列を目にすると椅子にすとんと座りなおした。
「うちの店来ますか? ここから歩くことになっちゃうんですけど」
「いいんですか?」
「もちろんです! 呪文も無いですから」
珈琲豆の販売もするような珈琲屋さん。自分の舌ではたして本格的なそのコーヒーの味わいが分かるかあまり自信は無かったが、密かに楽しみにしながら荷物の確認を済ます。
手ぶらな自分が当然先に終わったので、飲み終わった物を二人分手に取ると席を立ち、ごみを捨てに向かった。
「方向どっちですか?」
「もと来た道を行きます」
追いついた千本木に山上は尋ねると彼女はそう答えてくれた。
サニフロとは反対方向、見慣れた自分の働く本屋さんのある大きな通りをより進んだ場所の横道に、千本木の働くお店はあった。
店内も見えるガラス張りの出入り口で、風除室と店内にとで千本木は二回ドアを開けた。
品のよさそうな白と黒、ブラウンを基調とした店内と椅子は長く座る事を想定したような厚みのあるクッションと腕置きのあるイス。観葉植物がち隅に配置されていて。高い天井ではオレンジ色の照明が付いたシーリングファンが回っている。
「ちがや今日はお客さんなんだ」
「うん。メニューは私がやるから大丈夫」
「了解。ご注文が決まりましたらお呼びください」
千本木と親しげなその女性店員は、背中を向けてカウンターへと戻っていく。その背を追って店内を見ていけば、ガラスケースの中で売れるのを待っている珈琲豆たちが並んでいた。
縦に三段、200グラム単位でだいたい二千円ぐらいからという中々のお値段でかつ、商品名のところに色々細かく書いてあったので聞いていた以上に、本格的で立派なお店だった。
「さて……最近のオススメは三種飲み比べセットで、それぞれ違う国で育った珈琲たちのその違いをお得に楽しんでいただける、非常に好評なセットです」
スッと聞き取りやすい笑声で千本木がメニューの勧めをし始めたので、山上は彼女とメニューへ向き直る。
コロンビア、エチオピア、エクアドルと三つの国のそれぞれ。焙煎度合いも異なる、とメニューに書かれており、それぞれの風味の違いをお手軽に楽しめるセットのようだ。
「産地でやっぱ変わるんですね、紅茶みたく」
「そうですっ」
聞きかじりでネコのフンから取れるコーヒーだとか、深い世界があるというのは知っているがいざ目にするとその項目に圧倒された。
三種飲み比べセットでなくとも、開かれたメニューには豆の品種、育った国、焙煎度合い。
焙煎とはコーヒー豆にどれだけ火を入れたか、という認識でそれがどんな風に豆に作用しているのか、山上は明確には知らないのでまだ理解しやすそうだしと、聞くことにした。
「焙煎度合いでどう変わるんですか?」
「浅煎りとか深煎りは雑にいうと……山上さんは珈琲、苦いのは軽い方がいいですか?」
「うーん……ほどほどにある方が好きかもです」
「なら中煎りですね。浅煎りだとコーヒー豆の風味が出て苦さも減って飲みやすくなって、深煎りなら苦味と香ばしさが出ます」
「へー……高い豆なら浅煎りの方が風味分かってらしいんじゃないんですか」
実際メニュー欄には浅煎りのコーヒーが多く存在していて、グラム単位お手頃価格のだいたい苦くて香ばしいものを飲んでいる山上の目には、この珈琲屋のランクの高さが表れているような気がしたのだ。
的外れではないようで、千本木はうむうむと頷いた。
「わりとそうですけど、深煎りだと香ばしくなるから豆の風味によってそっちのが合う物もあるのです」
「そっか」
「角美はそのあたりばっちり、合う組み合わせで組んでます」
「さすが」
「でしょう。お菓子食べたりしますか?」
メニューをぱたぱたと千本木はめくって、そのお菓子メニューを出した。
コーヒーの種類よりずっとページ数は控えめで、ケーキの類は無く、ダックワーズというよく見かけるよく分からないお菓子から、クッキーにどら焼きと和洋の壁は無く。ページ数的にもその造りからも主役はコーヒーであることがハッキリわかるような項目数だった。
「ちょっと食べたいかもです」
「ふんふん……」
無言でニコニコしながら山上のことを千本木は見てるので、多分お菓子を選んだらコーヒーをなにかしら、勧めてくれる感じかなと思った。
とりあえずざっとあらためて見直すが、シロクマとクロクマが賭けあったようなホットケーキも無さそうである。明朝体の読みやすいフォントで綴られた文字を見返しても、せいぜいアイスクリームとハスカップのワッフル等がそれに近い程度だ。
「どら焼きって合うんですか……?」
「合いますよ! どら焼きにします?」
「じゃあどら焼きで。合うコーヒーってありますか」
「ん~なんでも合いますからね……ここは普通のにしときます。任せてください」
プロが選んでくれたのなら間違いない。指をさして確認してくれる千本木に山上は頷いた。コスタリカの中深煎りのものらしい。
千本木が合図して先ほどの女性店員を呼んで、まるまるっと自分の分も山上の分のも注文した。
「であの……山上さんが勧めてくれたシルクレディ編なんですけど」
本日の本題に山上はぴくんと耳翼を動かした。
「白遺物がまさかあんな構造だなんて」
「でもレムリアンパークで一回だけ使っちゃったから、もう一心同体も同然なんですよね……」
「使う度に消えていくなんて、感覚でもティルくん分かってたんですかね。だからどうしてものあの時しか使わなかった」
「念入りにルパートさんが仮説は立ててて、概ね事実でその通りだったし相談して、信じたティルくんもいい」
「というかっ、記憶の中のポミエちゃんずっと笑顔で可愛すぎて……!」
「最期すら笑顔だったもんね」
「あんなのティルくんはもう好きになるしかないんだよっていう……」
「涙を見せたのはでも確か、ティルくん以外の兄ちゃんたちだけなんですよね」
「そうなんですか?!」
「たしかどっかの話でやってたような気がします」
「全巻買います」
「章ごとに区切って買うんですよ腰折れるよ」
「えっ」
「本は重い」
急停止させられた千本木に相対するは、本日二度目の山上的真理。
一気読みしたいという強い気持ちは山上にも非常によく分かる。ゲームで調子のいい時は何時間も通しでプレイしても、疲れより満足感が勝るようなのが完全に予期できるようにだ。一気にアルシェピースに引き込まれたというこの心持ち的に、その満足感が勝る率は高そうだが、だが現実的な重さを舐めてはいけない。
そしてつけくわえるなら、袋の耐久値も保証してあげられない。カイリキーなら別だが人の腕は二本。大容量なカバンも特に無い千本木には分散作戦も無茶だと山上は冷静に判断した。
「マッシブ山上さんが言うならそうなのかな……」
「試したいなら止めませんよ。あとマッシブ山上て」
「……今日試していいですか?」
「えっまあ、ならお好きなように」
忠告はしたのだ。ならまああとは本人の自由意志。
千本木も若いし、ちょっとだけ自信があるそうなので、ここで大失敗になる可能性は低いのだろうということで。
この後も一緒にいれるのか……?
というくすぐったさを、胸に感じて手元の珈琲を山上は飲んだ。
コーヒーはただちょっと、一緒にいてくれただけ。アルシェピースの話を主軸にするそんな時間は長く、コーヒーのおかわりをしながら楽しんで。長く追い続けている山上とフレッシュな千本木という、シリーズ古参と新参(正確にはちょっと違うが)の対談はとてもいい時間となった。
====
山上にとっては見慣れた書棚たちのある場所へと戻ってくる。担当はコミックスだが、本を嗜むものとして満遍なく知って、見て歩いているのだ──。
夕方ごろの店内は仕事帰りのスーツ姿が多く見られた。レジはそこそこ並んでいて(うわぁ)と思いながら山上はエスカレーターで昇っていく。アルシェピースの置いてあるコミックの地点へと先導するように。
「ここまで付き合ってくれてありがとうございます、山上さん」
「暇でしたから」
「お外あんま出ないんですか?」
「本読んでごろごろしてるだけですよ」
「そうですか? 本屋さんっぽいです」
「どーだろ……、結構結婚してる人いた気がするのでそんなに本屋してないかもしれないです」
「主婦のひとかぁ」
「私は違いますがね、わりといます」
「そーなんですか」
千本木は意外だという風に言った。
コミックスの階に着くと、山上は早足になった。
「あっ章で区切られてる」
「他の本屋でもやってたから真似しました」
一直線にアルシェピースの目の前に来た。
シルクレディ編を抜いて全部で二十三冊ある漫画が、カゴに入れられるうちにすっからかんになっていく書棚を、勤務時間外だがいそいそと山上は並べ直す。再入荷していたシルクレディ編を面陳列に変えて、見栄えばっちりである。
真横ではぐわしと一回で五冊ほど掴んでカゴに入れていく千本木がいるので、食べてすぐ補充されるわんこそばのように中々愉快さを感じさせる光景であった。
次第にカゴが重くなってくので千本木は、残り四分の一のころには床に置いて残るアルシェピースを積んでいく。
「山上さん〜」
「だから言ったじゃないですか」
「重いですー……」
泣き付きたいような、ちょっとだけわざとらしさある声色で千本木は悲鳴をあげた。
カゴいっぱいのアルシェピースはなかなか重そうだ。少年たちの手に届きやすい新書サイズのコミックスであっても、この冊数ともなれば。
両手でカゴを持つ千本木のことをさすがに、つい冷めた目で見ちゃう山上なのだった。
「諦めてください」
「頑張ります」
「…………社員割引あるからレジついてきます」
「いいんですか!」
「貴方もしたじゃないですか」
すん、とすました顔で山上が不意打って千本木からカゴをついでに貰っていく。
「あっそんな」
「いいから」
表情も変わらずにすたすたエスカレーターへと彼女が乗ってしまったので、あわてて千本木は後を追う。
(
いつも輸送されてくるダンボールのちっちゃいやつ一箱分かな、なら袋はまあ二つで大丈夫かもと適当計算しながら降っていく。
一階のレジはやはり変わらず混んでいた。追いついた千本木も一緒に並ぶ。職場だからレジはこの時間にこの量で、ちょっと申し訳なかった。
お祈りポイントだなあという遠い目を山上はしていた。
なるべく親しい人がいいな的な感じで。
「買うんですかぁ」
「ファンは二冊持ちが基本ですよ、飾る用と読む用に」
祈りは通じたようだ。名札の所には担当の部分にコミック、と書かれている店員だった。
自分用じゃないし、この方は気にしないとは思うが万が一を考えて、ガチ勢ファンという称号を頂くことにする。
「へー。王国記も是非ねぇ……」
「ほんと好きですね園家さん。袋は増えても大丈夫です」
「了解ですん」
捨てられた子犬のような目をしたような店員、園家と山上は軽く話しながら、お会計を済ます。山上のおかげで十パーセント引きであった。
話を合わせるために、財布を取り出しかけた千本木の動きを静止して山上は、クレジットで支払いで済ませる。
「途中までは持ってあげますから」
袋二つ分は頑張れば、一人でも普通に持って帰れる範疇だがそれを手伝わないほど、山上は冷たくなかった。
「山上さん……」
「はい」
「家までいっしょに運んでくださいっ」
「え」
「そしてアルシェピース読書会しましょう!」
──出会ってまだ何回かにして距離の詰め方がエグい!
「あ、はぃや、えっと読書会はわかんないです」
「晩御飯出しますよ」
「いやそれはそんな」
「割引でだいぶ得してしまいましたから。お返しさせてください」
心の中で山上はツッコミを入れながら、それはそれとして山上の自宅位置との関係にもよる、という計算を弾き出した。どうしてくれようかと頭のモヤモヤが天気輪になっていく。
断ることは簡単だ。勢いだけでやってしまうのかもしれない千本木に悪気は無いと思いたいので、さらに断れば無理強いはしなさそうだ。
ほんとは少しだけ興味はあるが。
本来自分と全く関わらないだろうこういう人がどんな生態をしているのかなんていう、写真で見た景色を観に行くような好奇心。
千本木さんはどういう人となりをしているのか、という怖さの底を知るための気持ちはあるのだ。
「千本木さんが得した分消えますから遠慮しときます」
まあ勝ったのは休日にもの凄い
「気にしなくていいんですよ……?」
返ってきたのが予想外な反応で。
自分がなにかそんな大したことをしたか、そんな好かれる要素があったかは山上に見当もつかない。だがとても残念そうな千本木の様子を見ると、好かれたのは事実であるのは山上にもわかった。
「──またこうして感想くらいは付き合いますから」
だから、もしかしたら次につながるようなことを自然と口に出していた。
──楽しかった。
そう山上も思ったように。千本木も思っていたのか「わかりました、楽しみにします!」と笑う。
千本木は笑顔が無くなる事のない女の子だなあ、と山上は思った。
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