綺麗なものと死にたい

ゆうはい

 

  一

 

 

 天井から光るのは白い蛍光灯。白い床と天井の室内には、木製の大きく立派な本棚が背中を合わせて居を構え、奥に見える壁面にもずらりと並んでいた。

 今日の新刊を並べ終わって、店内の陳列を確認を、山上はしていた。

 彼女の担当エリアはコミックスで、流行りのそれからなんでもない普通の漫画、マイナー所、ドラマ化アニメ化とりどりにその本たちを他の店員と共に管理している。

 他の階層では真っ当な、本らしい本たちを売るこの本屋の中でこの階層は、明るいを越して眩しいような、その陰すらもぼんやりと照らしてしまえる若い活気が漂っていた。

 なにもない、平和な一日だった。

 奥で折り返して、別の列を巡回して広いところに出れば新刊のコーナーを熱心に眺めて、本を探しているのだろう女性がいた。ヘアアイロンかクセなのか、ふわりと先端のあたりが膨らんだような長髪をポニーテールで纏めた人で、山上の目を引いた。

 よくよく考えればさっきもいたような気がするなと、思って。

「…………」

 それとなく、声をかけられやすいように山上は近寄る。

 検索のための端末も店内には配置してあるので、お問い合わせはレア事象だった。悩んでるのがただの品定めだったら余計な事になってしまうし、それにここは服屋じゃない。端末へと向かうならそれはそれでヨシと、並ぶコミックス達に手を入れて再配置と共に、悩む女性の気配を伺う。

 灰色のワイシャツ、整った横顔、スーツのベストとパンツと堅苦しそうな服装。髪は豊かでくすんだ金色をしていて、今どきの女性らしい雰囲気もある。

 山上のことが気になったのか彼女は振り向き、そのエプロンを確認するとほっとしたように眉間のシワを取った。

「おねーさんすいません、この本ありますか?」

 ほのかにコーヒーの香りがするその女性は、スマホの画面を差し出してきた。

 乙女が好みそうな顔の良い男の子と、無難に可愛い女の子がいちゃついてる表紙。夏にはペットボトルの水を手に持っていそうな、はじける青春アオハルが伝わるフォントで書かれたタイトルは、全部が少女めいている。

「そー……ですね」

 画面に触れていいかという目線と手動きをすれば女性はそっと、スマホの位置をいい具合に出してくれた。

「ここでお待ちください」

 もしかしたら一冊だけ、既刊と一緒に置いているかもしれない。

 情報を得た山上はすくっと立ち上がり該当書棚へとすたすた歩く。

「こちらでお間違いないですか?」

 表紙全面見せる形で提示すると、女性はじっと見て確認し、歯を見せて笑って受け取った。

「ありがとうごさいますっ」

 それから目にまで見えそうな音符を出してレジへと歩いていく。ご期待に添える結果でなによりだなぁと山上は、巡回へと戻りそうになったところで(発注かけるかぁ)と業務用のパソコンがある場所へと向かった。

 ──ああいう子と死にたいなぁ。

 未来を疑うことも知らなそうな、輝かしい笑顔の出来る人間がまるまる、自分を受け入れてそのままを保つために死んでほしいなと山上は思った。

 ある時の月夜の綺麗な晩秋だったかに、山上はそう思ったのだ。

 けして無理心中をし犯罪者になりたいわけでも、SNSで心中相手を募るとかでもないのだ。諦めと一緒に生きてるだけで、諦めと共に積極的に死にたいわけでは無いのだ。だから強く生きたいとか思わないし、明確に死にたい、とも思わない。

 そういう自分の死に、綺麗なものが寄り添ってくれる世界に憧れながらも山上はただ、呼吸をしているだけだった。

 今日はその時の月みたいに、なんだか女性だったからふっと、思ったのである。

(……そうはならないのだけども)

 そう同時に自嘲もして、山上はなにもない一日を過ごした。

 

 ====

 

 一昨日とは違う位置で、直近でない本たちが背表紙メインで立ち並ぶところに、あの女性が立って本たちを眺めている。

(……おとといの人か)

 同じワイシャツとズボンで、自分とは給与の差がとてもありそうな場所で働いてるんだろうなと、とても人には言えない事を思った。

 だがそんな壁のありそうな人物が、自分の姿を見ると眺めていた所から、まだ見てなさそうな流れにあった書架達をいっきに抜かして、一直線に歩いて来た。

 厄介と思うべきか、動物に懐かれるようで悪い気はしない、と考えるべきか。

 そう思う間にも女性の動きがゆっくりになって。

 この間の自分のように、貴方のこと全然気付いてないですよーという風にしながら接近してきた。

「あの」

 ここら一帯に自分以外は居ないし、明らかにお尋ねしたいことがある雰囲気の声に(懐かれちゃったかぁ)と、少しの警戒と見た目の綺麗な女性に快く思われるのは悪くないという、人間らしい単純さをもって応じることにした。

「なんでしょう?」

「お姉さん、面白い漫画ってありますか」

 なんともぼんやりしたお尋ねに、わりと真剣に山上は悩み始めた。

 この間、彼女が探していた本的に恋愛ものがいいのか……と思ったが、そうではないかもしれない。

「どんなのを普段読んでますか」

 書店員にしてはちょっと過ぎたような、そうそう発生しない事態への対応として、非常に“らしい”ことを山上はちょっとだけ、口元を緩めて言った。

「普段てよりは、昔兄が読んでたのを読んでたりしました」

「週刊少年的な」

 ジャンルの新規開拓を求めてるとか、書店員ならツウだろうしとか、そんな可能性を探るためだ。

「そうです! “アルシェピース”とか。でも今はあんまり読んでなくて、こないだの漫画も友だちに勧められてで」

 ──アルシェピースとは。

 大きな出版社から発行されてる週刊誌で連載されている、冒険ファンタジーの唯一無二の漫画のタイトルだ。世界の謎に迫るロマン有り、白熱する戦闘有り、家族愛有気ぶれるラブありの、はじまりから今も愛されている長期連載の漫画だ。

 先日の漫画とは打って変わった漫画のチョイスに山上は(尋ねてよかった)と少しだけ、胸を張って頭の中を落ち着いてひっくり返す。

 一般人はどこまで読んでるだろうか? そもそも“なになに編”みたいな区切りを認識して読んでるだろうか? それを言って伝わるか? そもそもこの子いくつ? お兄さんのお年によっては読んでる箇所が箇所だぞ?

 瞬時に出てきたこれらの疑問は山上の頭を若干、処理落ちさせかける。

「……どこの話が好きですか?」

 結果、アバウトな聞き方になって(やっちまった……!)と張った胸をもとの自信なさげなくらいに戻した。

「えーとやっぱ、長兄が頑張ってたレムリアンパーク編が好きです!」

「どんな風にですか? バトルが? 絆が?」

「そのっ、これまで皆の大黒柱で安定感もすごい兄が、必死になって守る姿と。それで奮起したきょうだい達がすごくいいなって思いましたっ」

 女性が一所懸命に、良かったと思えた部分のそれから山上は共通点のようなものを見出す。

 ──絆か。

「……このあたりの話読みました?」

 そっと山上が指差したのは、そのレムリアンパーク編の次。世界のとある秘密と、最愛の人を以前の章で失った弟が一抹の可能性を得る、静かながらも欠かせない一幕だった。

「読んでないです……」

「じゃあこのえっと、そのまま続きになっちゃうんですけどどうぞ」

 レムリアンパーク編という一区切りの次を、そのまま薦めた。

 あまりにも薦めの文言が少なすぎて、考えるの面倒くさいから続きを読んどけ──みたいな雑な印象を抱かれるやもしれない!

 と思った山上はちょっと焦る。

 それでは困るのだなんとなく。

「パークの外殻崩落みたいな派手な絵はそこまで無いんですけど……、雪花石膏編のとある物が出てきたりとかして、みんな大好きひねくれ弟くんが頑張ったり……色々伏線が回収されてるので、気持ちよく? かな、読めます」

 伝えようとする中身が中身と間違っていないか、心配思案しながらほつりほつりと、彼女は言った。

「弟くん頑張るんですか?!」

「そう。すごい頑張る。一人称戻るくらいには」

「わ……」

 すごく嬉しそうに女性は目を開いて、感嘆の声を漏らした。どうやらひねくれ弟くんのことは気に入っているようだ。山上としては(人気投票上位常連だし一途だし嫌いな人おらんでしょ)という統計的なアレだったが見事にヒットだ。

 その証拠に、瞳を少女のように輝かせている女性はまるで憧れを、真正面から捉えることのできた少女となっていた。

「戻るんだ……!」

 とても、可愛らしい表情をしていた。

 この間の少女漫画の表紙にかかれた乙女さながら、にこにこ笑顔で。

「戻ります……」

「てことはっ、あの、ポミエちゃん再登場するんですか?」

 気圧される山上は(これは正当な読者の人だな……)としみじみした。

「そこは是非確かめてもらって」

 実に少女らしいその女性の純粋さを胸にしまい、スッとわきに山上は自分の体を避けて、該当する卷へと手指を揃えて示した。

 そういうのは読んでみて、確かめた時のそれが一番面白いのであるから。

「はいっ!」

 女性は書架に刺さっていた本一列に手を伸ばして一度に抜き取った。シュリンクだとかで滑ってこぼれる事なく受けきる。

「ありがとうございます、お姉さん」

 そしてぺこりと小さくお辞儀をして、持ち直し整えながらレジのある階へと向かっていった。

(私の面白いとこの子の面白いは違うから分からんけど、大丈夫でしょアルシェだし)

 なにせようまいこと薦められて良かった、と山上は思う。

 気にいるかはまあ分からないが、今日帰った後のご飯は美味しいだろうなと、スカスカに空いた売り場の本棚を眺め、一人ニヤリと笑って、別の巻を表紙陳列にしてスペースを埋めた。

 

 ====

 

 立って、昨日の今日を想う。

 目の前にあるのは昨日生まれた穴を、どこか誇らしげに埋めた表情をしたほかの巻の表紙たち。

 ぶっちゃけ今はサボりというか小休憩に山上は、成果を眺めて気分を上げていた。仕事は荷物が届かない事には進まないところにあって、その間の売り場の、メンテナンスに従事しているのだ。

 サボりにも見えるかもしれないがサボりではないのだ。

 けしてあの子が可愛かったなとか、そういうのではないのだ。仕事をして仕事へのモチベーションを、保っている中の行動なのだ。

「おねーさんっ」

 そう山上は自己弁護していれば、慎ましくにじり寄ってくることもなく昨日の女性が。

 相変わらず着こなしがバッチリの格好をしているし、コーヒーのいい香りも漂ってきた。

「めちゃめちゃ、すっごく面白かったです……!」

 ハイソな格好に対し、その表情はとても人懐っこく。

 昨日の今日で、自分の勧めたものをここまでちゃんと読んでくれたのが伝わってくると、山上の頬は自然と緩んだ。

「それは良かったです」

 今にも語り出してしまいそうな興奮が、目の前の女性から出ていた。もじもじと胸元で携帯を両手で握る仕草をして、どこかでその熱を放散させたいとかそんな風で。

 それこそ呟くようなツールを用いればいいのだろうが──それでは文字数が足らなそうな。

「その大変っ、ものすごく常識知らずとは思うんですけど」

 ──直接、言葉を交わして語りたい、みたいな。

 そんなウキウキと緊張を同居させた妙な声色に山上は、ドクリと心臓をこわばらせて、その目を合わせるように女性を見た。

 くすんで落ち着きのある金髪を、ぽふんと束ねたポニーテール。もみじおろしのような暖かみあるオレンジ色の瞳は、つぶらなまつ毛によって穏やかに飾られている。

 自分よりも背の高い彼女の顔を、しっかりと見据えたのはこれが初めてだった。

 ほんの少しだけ見惚れていた山上であったが、お客様向けまともな思考の全てが、次に放たれた彼女の言葉によってストップした。

「お姉さんてリーネ、やってますか……?」

「…………?!」

 山上の思考ラインに流れてきたのは「こん! きみ可愛いねてかリーネやってる?」から始まるナンパを小馬鹿にしたお約束の定型文。

 いや山上はナンパの経験は一度たりともないが。目の前の人はまったくそんな気配もない綺麗な人で、そんな人を前にそんな事を思い浮かべるとはと、山上一生ノ不覚故深くお詫び申し上げたい気持ちになった。

 服装ばかりが整えられた白いワイシャツエプロン黒いズボンの自分と、爽やかを衣として纏う、灰色ワイシャツとパンツスーツの彼女なら確実に(この人のが詐欺師っぽい!)となってしまったのでなおのこと腹筋に悪かった。

「この感想というか、気持ちを共有したくて。でも私の周りこういうの読んでる子殆どいなくって、えっと……」

 ──ただ。

 まがいなりにも社会人になってしまった山上には、その並べられた言葉が胸に詰まった。

 途端に年上に見えていた、目の前の女性が年下に見えた。

 大人になれば、難しくなる。

 自分の“好き”を目の前の人と語らうのが。

 それをきっと目の前の彼女は、知り始めた頃なんだろうと思った。

 勧めたところで自分の好きを知ってもらえるかも分からないし、同じように好きになってもらえるかなんてのは、もっと難しいことを山上も知っている。

「…………」

 それが、この女の子が自分と同じような人間たらしめていると感じた。

「変なこと言ってごめんなさ」

「いえ違うんですあっいや、そのえと……」

 所詮店員と客だから。

 縁が切れてもなんら問題が無いし、被害も無い関係だから。

 ……なんていう打算はこの人に、山上はしてほしく無かった。その一歩を踏み込めることが強くて、羨ましくなったからだ。

「おともだちからでいいですか」

 コミュ力とか、そういう眩しいのが目の前の子を動かしていればいいのだと。

 だから懐にはいることを山上は許してしまった。

「一応仕事中なので隅っこで……」

「はいっ」

 こそこそと、書架に身を寄せ合って携帯画面を突きつけ合う。まるで教室の隅で秘密を共有する子どものようなやりとり。

 QRコードを読み取って、友だちに追加するボタンを山上はタップした。

「私、千本木ちがやっていいます」

「山上冬子。よろしくね、千本木さん」

 

 


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