第7話 三日目 悪魔に認められた者
薫は頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。教室の前では古語の教師が教科書を読み上げながら授業をしている。しかし、今の薫にとっては勉強することには価値を見出すことができない。それもそうたまろう、なんせ今日も含めて四日もすれば世界は混乱の渦に巻き込まれ、文明という文明はモンスターたちの手によってことごとく破壊されてしまうのだ。それを知っている薫にとっては今更勉強したところで役に立つとは考えられなかった。薫が今考えていることは昨日のことだった。
薫が昨日倒したあの集団は薫基準からすれば雑魚の部類だ。しかし、それはモンスターが現れた後の、薫自身が特別な力を得てからのことであり、様々なモンスターとそして能力者たちと渡り合ってきた未来での話だ。今の薫は能力を使うこともできなければ、筋力や体力だってかなり衰えている。そんな状態で昨日あれほど動けたのは薫自身かなり驚いている。
「それでも以前の感覚で戦うのは少し危険すぎるな」
薫は昨日の出来ごとを反省しつつも直すつもりはない。いくら今の薫が弱いとはいってもそれは以前と比べてなのだ。薫はどちらかといえば強者に分類される人間であったためにほとんどのモンスターや人間は相手にならない。そんな以前の七瀬と今の薫を比べるというのは流石に酷である。今の薫だって平和な現代ではかなりの強者といえるのではないだろう。それに……薫はニヤリと笑う。
「確か今日だったか」
薫は過去の記憶から今日なにが起こるのかを知っている。それこそ薫が待ち望んでいたモノであり、この世界が薫の知る世界だと証明してくれるモノである。
「さあ、早く来てくれ俺の"相棒"よ…」
薫は酷く歪んだようにニヤけている口元を手で覆うようにして隠した。
◇◆◇◆
学校が終わり薫は家に続く道を歩いていた。薫の手にはスマホが握られており、逐一時間を確認する。それはまるで大好きな親が帰ってくることを今か今かと待っている幼子のように。そしてその時はきた。薫は心臓を握りしめられているような苦しさを感じるとその場に立ち止まる。そして…。
◇◆◇◆
薫は周囲を見渡す。そこは先ほどまであったはずの家々や人の姿は一切なく暗闇が広がり、明かりがないのにも関わらず遠くまで見えるそんな不思議な空間だ。地面に立っているようだが足には立っているという感覚はない。逆さまになっているような、横に倒れているような、その場に立っているような、そんな曖昧な感覚が広がる。薫はあまりにもの嬉しさから出る笑いを噛み殺すようにして体を震わせる。
やはりだ、やはりここは八年前の世界だ。もしかしたら別の世界線に飛ばされてしまったのか、もしくはあの世界は薫自身の妄想だったのではないかと考えることもあったがこれで確信することができた。ここは薫の知る世界であり、薫が待ち望んでいた世界だ。
「よぉ、人間そんなに体を震わせてどうしたんだ?」
薫の正面から濁ったような、それでいて懐かしい声が聞こえた。薫は声が聞こえた方向を見るとそこにいたのは元々は真っ白であったろう背中から生える六対の翼は全て真っ黒になっており部分的に翼がもぎ取られたのか左右対称にはなっておらず不安定さを感じさせる。赤い瞳には怒りによる炎が目の中で燃えているかのような熱さを感じさせ、その頭からはヤギのような角が左右に一本ずつ生えている。髪は全体的に黒いが根本の一部分だけは白くなっており、ボロボロの翼とは対照的なこの世のものとは思えないほど美しく、そして禍々しい赤と黒を基調としたの服を着ている。この男こそ以前七瀬と契約し、その力を与えた薫の力の源とも呼べる能力を与えた男。
薫は嬉しそうに笑う。その笑みは単に嬉しかったからではない。自身の片割れとも呼べるような古くからの親友に久しぶりに会ったようなそんな笑みだ。悪魔はそんな薫の姿を見て訝しげに眉をひそめる。
「おい、どうした?驚きすぎて言葉も出ないのか?俺様はよぉ、驚き慌てふためく人間の姿が大好きでよぉお前の『ここはどこなんだ!お前は誰だ!?いったい何をしたんだ!」って叫び混乱する姿が見たかったのによぉ……」
悪魔は残念そうに肩を落とす。そんな姿を見て薫は苦笑する。
「お前は昔から変わらないな"サタン"」
「ほぉ〜、人間俺様を知っているのか?でも変だな、俺様が以前人間界に来たのは三千年以上も前のはずなんだが…まさかお前三千年も生きていたのか……?」
「何をバカなことを言っているんだお前は」
「冗談だ、貴様はつまらん人間だな」
サタンは肩をすくめる。そして薫の周囲を飛び回るようにして観察をし始める。
「ふむ、やはり見覚えはないな。それなのに何故俺様を知っているだ?何か特別な力でも持っているのか?」
「いや、特別な力など持ってはいないぞ。今はな……。それに、そんなに気になるなら頭の中でも覗いてみたらどうだ?」
「確かにそうだな」
サタンは人差し指と親指で輪っかを作るとそこに片目を覗き込む。「ふむふむ、なるほどなるほど」と言いながらしばらくその姿勢のまま薫を観察している。
「貴様、なかなか面白いやつではないか」
サタンは薫の観察を終えると嬉しそうに話し出した。
「俺も長い時を過ごしているが未来から来たなんてやつには初めて会った。それにこの未来は実に面白い!やはりお前を選んで正解だったな!」
サタンはガハハハと大笑いすると空中で回転し出す。見た目通りと言えば良いのだろうかサタンは大雑把で面白いもの好きといった悪魔には似つかない性格をしている。いや、もしかしたらこれこそ悪魔らしい正確なのかもしれない。最初こそ威厳を出そうとそれっぽい喋り方をしていたものの今となってはまるで友達と話すかのように気さくになっている。
サタンはしばらく笑っていたが目に溜まった涙を指で軽く拭うともう片方の手から血を流す。そしていつのまにか持っていたのだろうか涙を拭っていた手にはグラスが握られておりその中に血を垂らしていく。
「ほらよ、知ってると思うがこれを飲めば俺との繋がりが出来る」
サタンは三センチほど血が溜まったグラスを薫に突きつける。前回こそこれを飲むことに抵抗があったが、今の薫にはなんの躊躇もなく一口で飲み干す。その瞬間体中を熱い何かが駆け巡り"怒り"の感情が強くなる。他人が憎い、目の前にいる男が憎い、モンスターが憎い、車内が憎い、世間が憎い、世界が憎い、七瀬は全てのものがうとましく、不快に感じる心を理性で制御する。その薫の姿を見てサタンは感心する。
「さすがだな、これに飲み込まれないとはよほどうまく使っていたみたいだな」
「はぁ、はぁ、当然だろ?俺を誰だと思っている」
薫は荒い呼吸をしつつ胸を抑える。この力は薫に多大な力を与えるがそれを代償に全てを破壊し尽くすほどの激しい怒りの感情が枯れることなく湧き出てきては、濁流のごとく体中を駆け巡る。薫は無限に湧き続ける激しい怒りを無理矢理抑え込む。薫は以前この強すぎる力によって精神が支配され、敵味方とはず多くの生物を殺し尽くしてしったことがある。その時の周囲から見た薫は悪魔そのものであり、薫自身止めることができなかった。そんな力の暴走を止めてくれたのは一人の大切な仲間だった。その仲間は暴走する薫を優しく包むようにして抱き続け、どれだけ血を流そうとも、体に穴を開けられようともその手を離すことはなかった。そんな仲間がいたからこそ薫は今ここにいるのだ。その仲間は文字通り命をかけて薫を救ったのだ。だからこそ薫は暴走をするわけにはいかない。再び自身の手で仲間を殺さないために、仲間の死を無駄にしないために。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、」
「完全に制御しきったか、本当に見事だな…」
サタンは力を抑え切った薫を賞賛する。この力はサタン自身の力でありながらサタンも薫のように暴走したことがあるからだ。サタンはそんな何億年とも分からない過去を思い出しながら今目の前にいる青年を見る。サタンの力の一部でしかないものの短期間でこれほど制御出来る者はそういない。サタンでさえ自身の力を制御するのに何千年という時間をかけてきているのだ。だからこそ今目の前にいる青年がどれほど凄いことをしているのかサタン自身が一番理解している。
「それでは力を与えたことだし俺はもう行くとするがその前に一つだけお前の質問に答えてやろう」
サタンはそのギザギザなサメのような歯を見せながら薫に問う。薫はそんなサタンのことを見て驚く。前回会った時はこんな顔をすることはなかった。常にこちらを見下しており人間を下等生物としか見ていなかったように感じた。そんなサタンが今薫のことを一人の人間として認めたのだ。薫は数秒の間熟考し、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「何故突如として世界中にモンスターが溢れ出したんだ?」
それは単純な疑問だった。モンスターが現れたあの日から考えなかった日はない。薫以外にも多数の人間が疑問に思い、自分たちでは答えの出ない問題だと諦めた疑問だ。
「なんだそんなことか、それはな……」
サタンは溜めるように間を開けるとポツリと呟く。
「人類を滅ぼすためだ…」
「……笑えない冗談だな」
サタンは肩をすくめる。そのままあぐらをかくようにして空中をくるくると回り続ける。
「あながち冗談でもないんだよな…。"人間とは神々が自身のかたちを似せて作った存在だ"。つまり人間とは神の劣等種族だ。そんな劣等種である人間にも優れている点がある。それは"成長"と"発明"だ。人間は成長する生き物だ、それは俺たち悪魔や完璧に作られた天使、元から完璧として存在している神にはないものだ。不完全だからこそ成長することができる人間は唯一無二と言っても良い。そんな人間の最も恐ろしいところは"物を作る力"だ。翼を持たない人類は、空に憧れ空を飛ぶ力を手に入れた。海中で生活できない人類は、海を自由に泳ぐことのできる力を手に入れた。暗闇を見通す目を持たない人類は、その暗闇を照らす灯りを手に入れた。病に犯され死ぬはずだった人類は、それを治す技術を手に入れた。他にも様々なモノを作りその生活を豊かにしてきた。これは由々しき事態だ。たかが人間でありながら我々に近しい力を持つということは危険なことだ。これ以上の文明の発展は天界や魔界にも影響を及ぼすかもしれない。だから全ての文明を一度リセットする必要があるのだ。そのために人間界にモンスターを解き放し全ての人類を殺し尽くす。それがお前の質問に対する答えだ」
「…」
薫は沈黙したまま反応することはない。
まさかこんな理由で人類は滅ぼされるというのか、たかが自分たちの保身のために俺たちを殺すのか。そう考えると抑えていた怒りが沸々と湧いてくる。しかし、それと同時に別の疑問が生じる。
「それなら何故お前たちは人間に力を与えるんだ?人類を滅ぼしたいのなら力を与えず勝手に滅ぶのを待てばいいじゃないか」
「質問が一個じゃなくなった気がするが…まぁ、良いだろう。今は機嫌がいい。その程度の質問なら答えてやろう。それはな……」
サタンはまたしてももったいぶるように間を開ける。
「面白いからだ……。ただ人間が死んで行く姿を見るのもそれはそれで面白いがそれだと飽きてしまう。だからこそ力を与え、必死に戦う様を見ているんだ。まぁ、単なる暇つぶしだな…」
「暇つぶしか…。結局俺たちはお前たちにとっては玩具でしか過ぎないのか…」
「否定はしない。それは仕方のないことだ。これは生まれながらにして決められたことであり、どうしようもない種族としての差だ」
「そうか…。最後にもう一つ質問いいか?」
「む、んん…本当に最後だぞ?」
「俺たち契約者は神や天使、悪魔たちの力を借りることで能力を行使しているが、それと違って能力者はどうやって力を手に入れたんだ?」
能力者とは様々な特殊能力を持つ者たちの総称であり、その力は人間という種族が持つ力を逸脱している。それでも契約者に比べればその力は若干見劣りする。
「そうだな、お前の言うところの能力者という者たちはいわゆる"バグ"のようなものだ。俺たちのような悪魔や神、天使たちが人間界に干渉すると強すぎるエネルギーがどうしても漏れてしまう。そんなエネルギーのカスをその体に多く宿した者たちが特殊な力に目覚めるといったことはある」
「なるほど、つまり能力者とは世界の副産物といったところか」
「厳密には違うが…まぁ、そんなもんだ。もう良いだろう俺はそろそろ戻らなくてはならない。これ以上の干渉は人間界に悪影響を及ぼしかねないからな」
薫の体は徐々に透けてきており、下半身はもう既に見えなくなっている。
「最後に、お前の名前を聞いても良いか?」
何故名前を聞いたのか薫には分からなかった。以前会った時はこちらに興味なさそうで名乗ることはしなかったし、聞かれることもなかった。それに先ほど薫の記憶を見たのだから名前を聞かなくたってわかることだ。それなのに直接名前を聞くと言うことはサタンは自身が思っているよりもこの青年を気に入ってしまったのだ。
「七瀬だ、七瀬 薫(ななせ かおる)だ」
サタンはその名前を聞くとニヤリと笑ったように見えたがもとの世界に戻ってしまった薫には認識することが出来なかった。
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