第4話


「最近、会ってくれないんだな」


 その日も隆史さんが来たと聞いたのだが、私は帰ってもらう事にした。

 確かにそう使用人に伝えたのだが、部屋の扉が開いた。驚いて私は、そちらを見る。

 白衣姿の私は、慌てて絆創膏を蒔いてある指先を、何気ない素振りで背後に隠した。なんとか先程血が止まったところだが、実は今日の昼間も針で指を刺してしまったのだ。


「隆史さん……」

「俺は何か君に嫌われるような事をしたか?」

「……いいえ」


 私は最近では常に私のそばにいる賢の頭を無意識に撫でた。

 賢は私の体に鼻を押し付けている。


「体調が悪いと聞いたが、元気そうだな」

「……」

「風邪でも引いたのかと最初は心配した。が、十回も連続で断られた以上、余程の重病なのだろうと考えて、無理に上がらせてもらった。その割に、元気そうな姿を見て、安堵はしたが、俺は苛立っている。理由は分かるな?」

「……儀式が滞りますからね」


 私は導出した理由を言葉にしてから、顔を背けた。


「今俺はさらに苛立ったぞ。理由が違う。理由は、水城が俺を避けているからだ」

「それは、儀式が滞るからと同じ意味のはずでは?」


 私が避けると、儀式が出来ない。そういう事ではないか。


「茨木姉さんが好きだった貴方としては、早々に式神を増やして儀式のお役目を終えたいんでしょうね」

「――俺と茨木は確かに許婚だった。儀式もしていた。それは否定しない。姉を抱いていた男に抱かれるのが嫌だという事か?」


 当然、嫌だ。私は隆史さんが好きなのだから。姉と隆史さんの事を考えると苦痛だ。きっと隆史さんは、私に姉を重ねているのだと思う。背格好は似ているから、私はその部分は可能だと信じている。だから生理的嫌悪は無いだろうと願っている。


 だが――決して、死者に勝つ事は出来ない。私が、茨木に勝つ事は不可能だ。


「嫌に決まっているでしょう?」


 私はそう答え、顔を背けたままで唇を噛んだ。

 一番嫌なのは、それでも構わないと思い、抱かれる事を喜んでしまう自分自身だ。


「俺が誰でもいいと思って……誰が相手でもいいように見えて……気分を害しているという意味だな?」

「違います、そうじゃありません。姉を好きだった相手に抱かれるのが嫌だという話です」


 私が口早に述べると、隆史さんが息を呑んだ。

 本当の理由は、無論花現病に気づかれてはならないという恐怖からだが、こちらはこちらで、私の八割程度は本心でもある。嫌では無いのだが、抱かれるのは辛い。茨木は、隆史さんを好きだったのだから。


「茨木が俺を好き?」

「ああ」

「それは違う」

「え?」


 何を言っているのかと怪訝に思い、私はやっと視線を向けた。すると険しい顔の隆史さんが、双眸を細くして私を睨むように見ていた。その目は真剣だった。


「茨木には、心を捧げた相手がいた」

「? 姉が不貞を働いていたと?」

「そうじゃない。お互い、別に好きな相手がいたんだ。それを知った上で、俺達は婚約していた。だから俺と寝る時も、茨木はその相手の名前を呼んでいた」

「な」

「絢瀬先生だよ」


 それを聞いて、私は言葉を失った。今しがた考えた、『死者には勝てない』という言葉を、脳裏で反芻する。つまり、隆史さんも、勝てなかった……? いいや、違う。


「今度、俺が預かっている茨木の日記を持ってくる。それが証明するだろう」

「……隆史さん」

「なんだ?」


 地を這うような低い声を聞き、私は再度顔を背けた。聞ける雰囲気ではないと悟ったからだ。隆史さんにもまた、『好きな相手』がいるようだが、それは誰なのかと。そう質問する事は躊躇われた。なにせ、私との婚姻のせいで、結局その想いも隆史さんは叶える事が出来ない。


「なんでもありません。では、日記をお持ちください」

「ああ。今日は帰る」


 こうして、隆史さんは帰っていった。

 扉が閉まってから、私は椅子に力なく座り込んだ。そして両肘を机にのせて手を組み、ギュッと目を閉じた。


 ――隆史さんには、好きな人がいる。


 この事実が、私の胸を抉った。姉の想い人を盗るというそれまでの恐怖よりも、残酷な現実の到来だった。



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