第3話
この日も私は、隆史さんの事を想いながら、布に刺繍をしていた。
これは、陰陽道の作法の一つなのだという。華頂家の人間が縫った桜の模様入りの布には、特別な力が宿るそうで、婚姻後、戸籍的には蘆屋の人間となる私ではあるが、華頂の当主も一時的に兼ねる事になるので、今は刺繍は私の仕事だ。なお家督は叔父が継ぐと決まったそうだ。将来的には、私の従弟が華頂家の当主になるそうだが、まだ三歳なので、暫くは私が刺繍の担当だ。
「痛っ」
考え事をしていたため、私は指先に針を刺してしまった。
そして――目を見開いた。私の指から零れ落ちた赤いもの、それは最初血に見えた。布が汚れてしまうから、やり直しだと私は当初思ったが、その赤いものは、布に触れると床に落下した。布を汚す事は無かったし、血にしては巨大だった。床には、赤い花びらが落ちている。それは桜の花びらによく似ていたが、色は真っ赤だ。
「これは……」
いつか、私は目にした事がある。急に車が突っ込んできて、なんとか回避したものの姉が転倒した時、その膝から、同色の花びらが溢れた光景を。私は蒼褪めた。背筋が瞬時に冷たくなった。冷水を浴びせられた心地で、私は畳の上に落ちている赤い花びらを見る。
――花現病の亜種。
すぐに私は、それを悟った。何度か瞬きをして夢ではないかと考えようとしたが、確かに花びらが落ちている。その時、扉の外から声がかかった。
『蘆屋様がお見えです』
「今日はお帰り頂いて。体調が優れないの」
私は流れるように嘘をつき、花びらを手に取り、ごみ箱に捨てた。
実は、ある取り決めがなされていたからだ。
――万が一、二人目の華頂の人間も、花現病に罹患したら、即刻この縁談は破談とする。結婚後であれば、離婚とする。蘆屋家は、二度と華頂家に関与しない。
これを私は何度も聞かされていたし、隆史さんも当然知っている。
だが私は、家のためというよりも、自分のために、利己的な理由で、発病を隠蔽する事に決めた。隆史さんと別れたくない。隆史さんがいくら姉を好きだとしても、私はもう、隆史さん無しでは生きてはいけない。私は、隆史さんを愛しているのだから。
再会して以後、体を重ねる度に、私は隆史さんの事を、改めて好きになっていく。
優しいところ、明るい眼差し、体温、全てが好きだ。
隆史さんがいない人生など、もう私には考えられない。たとえそれが、隆史さんの本意ではなく、隆史さんを縛り付けるだけの結果であるとしても、私は隆史さんのそばにいたい。両腕で自分の体を、私は抱きしめた。
「怪我さえしなければ、露見しない」
一人呟く。それ以外で露見するとすれば、それこそ重篤化して、死に至る場合のみだ。死ぬのであれば、それは隆史さんとの永遠の別離であるから、構わないだろう。なにせ、一般的な医療では治癒しない、医師に見せても解決しない奇病の、それも亜種だ。そして、私自身が医師なのだ。自分の治療は、自分で出来る。だから、他の医師に診せる必要だってない。私は自分に、そう言い訳した。
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