第2話
新居は、実家の裏山の中にあった。
古来より、結婚制度が無かった頃から、陰陽道の家系では、儀式的結婚があったそうなのだが――華頂家の人間が結婚する場合は、その山の中の家に、相手が通う形式の関係が築かれていたらしい。理由は、華頂家の式神が、その家の庭に生える桜の大樹であるからだそうだった。
今は新緑の季節であるから、花は散っているが、緑色の瑞々しい若葉が見える。木は動かす事が出来ないため、法的・儀式的な結婚後、二者間の間に『子供』が生まれるまでは、通い婚が続くそうだ。肉体的な子供の他に、式神同士の間にも、子がデキるのだという。私にはそもそも式神が見えないから、どうすれば子供が生じたと判断できるのかも分からないが、そこは華頂家よりずっと強い力を持つ蘆屋家の隆史さんには分かるようだ。つまり私は、隆史さんが『良い』というか子供ができるまで、基本的にこの家で、使用人に世話をされながら暮らす事になる。
隆史さんの許可が出れば、私は二人で暮らす更なる新居に移る事になるが、そうならない限りは、私はこの山の中の一軒家から出る事は許されない。軽く、軟禁されるに等しい。そしてそれは、許可が出なければ、生涯続くという約束の上での婚姻だ。隆史さんが足を運ばなくなっても、力が弱い側である華頂の人間には、催促する権利も無い。この政略的な婚姻において、華頂家は蘆屋家の強い力を『貰い受ける事』を主とした目的とし、蘆屋家側は、善意でそれに答えてくれただけ、という名目があるようだ。
だから双方、隆史さんの相手は、誰でも良かったというわけだ。ただ……姉を好きだったのだろう隆史さんには、非常に申し訳ない形となったのは、間違いない。なにせ隆史さんと私は、中学三年生の習い事を最後に、実を言えば、一度も会話すらしていない。婚約指輪も郵送で送られてきた。家族同士の顔合わせも特になかった。結婚式は、来年と言われている。ただし式神を増やす――式神の子を増やす儀式は、早い方が良いからと、式の前ではあるが既に籍は入れたので、これから隆史さんはこの家にやってくるとの事だった。
私は、姉のためにしつらえられた婚礼衣装や結納品の数々を見た。
豪華な着物などがかけられている。
畳の部屋で、桐箪笥や漆塗りの黒い卓を眺めながら、横の襖を続けてみた。
この向こうには、布団が敷かれた座敷がある。
儀式を行う部屋だ。
式神の子を増やす儀式に置いても、人間の子を宿すのと同じように、婚姻した二人は体を重ねる。姉と隆史さんも、その儀式の手ほどきを受けていて、何度か練習的に体を重ねた事があるそうだ。
――だから、儀式の知識が無くても心配は不要だ。
父はそう言った。隆史さんが手慣れているという意味だろう。
だが私の心はより陰鬱になったものである。
そもそも家族は、私と姉の体躯がほぼ同じだから、婚礼用品を仕立て直さなくて良い事を喜んだが、これらを着る事を望んでいたはずの姉を想うと、私は辛い。幸せになるはずだったのは、本当は茨木だ。私じゃない。
それでも私は、幼い頃から隆史さん一筋であり、抱かれる事を夢想した事も多い。なお私は誰かと性的な接触を持った事は一度も無い。隆史さんだけが、好きだからだ。ずっと想い続けていて、けれど叶わないと知っていたし、姉の幸せだって願っていたから、私はその気持ちを封印していた。蓋をしたまま、一人生涯を終えようと誓っていた。だというのに、人生とは分からない。
「水城様。蘆屋様がお見えです」
その時名を呼ばれたので、私は振り返った。使用人が頭を垂れている。隆史さんの到着の知らせに、私は無表情で頷いた。
「お通しして。直接こちらへ」
「畏まりました」
私の言葉に、使用人は頷くと下がっていった。歓待しても良いのだろうが、目的は性交渉だ。それも、隆史さんにとっては本意ではない行為となる。姉を愛していた隆史さんは、背格好以外は似ても似つかない私を、嫌でも抱かなければならない。好きな相手の死の悲愴に浸る時間すらなく取り決められた私との結婚を、果たして彼はどう思っているのだろう。
憂鬱な気持ちになりながら、私は襖に手をかけた。
布団の傍らには、中身が三分の一ほど減ったローションのボトルと、開封済みのコンドームの箱がある。誰が使ったのかなど、明らかだ。姉と隆史さんである。
いつも愛用している白衣ではなく、迎えるために和装を纏った私は、大きな布団の隣に正座し、半分ほど開けたままにしておいた襖を眺めていた。薄暗い室内には、雪洞の明かりしかない。
「久しぶりだな、水城」
少しすると、隆史さんが入ってきた。迷いなく中へと入り、襖を閉めた隆史さんは、私を見下ろしてから、続いて腰を下ろした。スーツ姿だ。背広を脱いでから、ネクタイを緩めつつ、隆史さんは笑顔を浮かべた。
「バタバタしていて会いに来られなかった。本当に申し訳ないな」
「いえ」
私は無表情を貫く。歓喜している内心を悟られたくなかった。姉の死をまるで喜んでいるかのような自分を、知られたくなかった。
精悍な顔立ちをしている隆史さんは、切れ長の目をしていて、薄い唇もまた形が良い。惹きつけられる造形美をしていて、長身だ。私よりずっと肩幅も広い。
「儀式の用意は整っております」
私が告げると、隆史さんは虚をつかれたような顔をした。
「いきなりだな。少し話をしないか? これから俺達は、法的にも配偶者同士となるんだし」
「お気遣いは不要です」
優しい。変わらず、隆史さんは優しい。私が好きだった隆史さん、そのままだ。でも、隆史さんは姉を愛していた。姉を抱いていた。その現実は、変えられない。
「……そうか」
「はい」
「ならば、遠慮はしないぞ?」
「お願いしているのは、こちらですので。式神を増やす必要があるのは華頂ですから」
私は式神など見えないが、これは変えられない事実だ。
「俺は据え膳は食べると決めているんだ。機会は決して逃さない」
隆史さんはそう言うと、私を押し倒した。そして体を重ねる内、いつしか私は意識を手放した。
目を覚ますと、私の顔に寄り添うように、巨大な白い犬がいた。犬種は知らないが、これが隆史さんの愛犬だと知っている。賢は私が目を開けると、私の頬を静かに舐めた。
「あ……」
体が気怠く重い。声が少し掠れていた。私は手を伸ばして、そばに置かれていたミネラルウォーターのペットボトルを手に取る。それから上半身を起こし、喉を癒してから、賢を撫でた。長い毛並みで柔らかい。
隆史さんの姿はない。
その後、使用人が訪れ、隆史さんは帰宅したと教えてくれた。賢は置いていくそうだった。『また来る』という書置きを、私は使用人から受け取った。賢を置いていった以上、本当に来るのだろうと思う。そう思って気づくと私は喜んでいた。それからすぐに苦しくなって、俯いた。これではやはり、姉の死を喜んでいるみたいではないか。そもそも隆史さんは茨木の事が好きであり、私を抱いたのは儀式に過ぎないというのに。
しかし私は、隆史さんの温度が忘れられなくなった。
それ以後、週に一度は、隆史さんが顔を出すようになった。その度に、私の体は熱で熔かされる。蕩ける体で、私はいつも泣きながら譫言のように隆史さんの名前を呼ぶようになった。そうなるまで時間はかからなかった。それでも『好き』だとか『愛している』とだけは、告げなかった。自分に許したのは、隆史さんの名前を呼ぶ事だけ。隆史さんが私に愛の言葉を囁く事もない。それでも、それで良かった。私はいつも隆史さんを待ちながら、片想いの胸の痛みに耐えているが、抱いてもらえるだけで満足だった。たとえそれが、儀式でも。
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