再演 其ノ三
夜が明けて、美しい朝焼けはすっかり鳴りを潜め、空は次第に雲で覆われていく。ほんの半刻足らずで見事な花曇りになった真っ白な空を眺めて溜め息を吐きながら、煉は総督府の最奥に設えられた特務隊の詰め所に帰還した。
「戻った。揃っているか?」
「オウ、この通り各門の番人以外は全員いるぜ」
既に伊吹が伝令を走らせたのだろう。ニッカリ笑う玉兎の背後で、五十人を超える隊員がズラリと雁首を揃えて列を成している。半分ほどは黒い軍服を着用しているが、もう半分はてんで無視しているか、酷く改造しているかの二択だ。若草色のワンピィスをひらひらと翻すユーリンの隣で、狐面がプイッと顔を背ける。煉はポカンと口を開けた。
「……那岐?お前、体はもういいのか」
「この通り問題ありません。隊長には劣るでしょうが、自分はそれなりに丈夫ですから」
「傷口が開く。留守居の方がいい」
「人手はあるに越したことないでしょう。それに自分は部屋で戦うより外の方が得意です」
包帯だらけの右手をクルリと回し、那岐はしれっと言ってのける。寧々子や医局の術者の癒術があるとはいえ、まだ完治したわけではないはずだ。言い募ろうとする煉の背中を、いつの間にか背後に回っていた寧々子が蹴飛ばした。
「いっ……」
「何をグズグズと。本人が出ると言っているんです、怖気付いていないで早く出撃しなさい」
「だが、何が起きるか分からないんだぞ」
「那岐が決めたことです、お前が口を挟む権利などありませんよこの傲岸不遜の臆病者」
寧々子はそれだけ言うとくるりと踵を返す。黙って玉兎の隣に並び立つ姿は楚々として、清らかな桔梗の花のようだった。
煉は小さく息を吐き出すと、居並ぶ面々をじっくり見回した。
「作戦の概要を説明する」
空気がぴしりと張り詰めた。普段はてんでバラバラな彼らだが、神祇特務隊は都小月煉の一声で一丸となる。この求心力こそ、皇族と対等な身分を与えられた煉が未だに一介の隊長の席に就いている理由だった。
「第一分隊から第三分隊は清明宮を包囲しろ。残りは都に散って警戒に当たれ。作戦目的は石蕗の捕縛だが、どうも誘い出されているような空々しさがある。天詠鬼が姿を見せたらすぐにでも伝令の式を飛ばせ、俺が向かう」
「総隊長がおひとりで、ですか?」
「ああ、お前たちは手を出さなくていい。俺がどうにかする」
黙りこくったまま目を見張る一同を背に、寧々子は噛み締めるように命令を反芻する。クラクラと頭が茹だってどうにかなってしまいそうだった。
「……それが、お前の選択ですか」
ほんの小さな声で囁くと、寧々子はスッと手を挙げて微笑んだ。
「わたくしは一度支度を整えてから参ります。相手が相手だけに、何が起きるか分かりませんから。よろしいですね、都小月」
「寧々子……?」
「すぐに追いつきますよ。皆を連れて先に行きなさい」
「心配すんなって、オレも一緒に着いて行くからよ」
寧々子はギョッとしたように目を見開いて玉兎を振り返った。しかし玉兎は意に介さずカラカラと笑う。煉はホッと息を吐き出した。
「なら、いい」
「お前は早く清明宮に行けよ。手遅れになったら意味ねぇだろ」
煉は頷いて隊員たちに向き直った。体の端々に火花のように小さな雷が迸り、濡羽色の髪がふわりと僅かに立ち上がる。黄金の瞳は爛々と輝き始めた。
「神祇特務隊、これより出撃する」
布が閃き、空気を切り裂く微かな音が重なり合う。指先まで揃った敬礼を見届けてから颯爽と踵を返す背中を、第一分隊から順に追っていく。那岐はチラリと寧々子の方を振り返ったが、すぐに第三分隊を率いて部屋を出た。第四、第五と続き、ユーリンを最後尾に非番を含めた全ての隊員が出払った伽藍洞の詰め所に、二人はポツンと残される。
「で、寧々子。お前は何をするつもりなんだよ」
「あらあら、なんのことやら」
「言っておくが別に止めやしねぇぜ。大体予想は着く」
赤い髪をクルクル弄び、玉兎はニッと笑った。
「いつだって、お前を突き動かすのは六華様の遺志だ」
凪いだ翠眼に見つめられ、寧々子は苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。
「……お前、本当に癪に障りますね」
「こう見えてお前の三十倍近く生きてるもんで。年の功ってやつだぜ」
「生臭天狗のくせに……」
「お師匠がいつまで経っても秘伝教えてくれねぇのが悪ぃんだよ」
最も、完全な天狗になってしまえば人と交わる今の暮らしともお別れだ。師もきっと、それを分かって未だに皆伝を渋っているのだろう。少なくとも特務隊が在る限り、玉兎は生臭天狗で居続けるつもりだ。
「お前はやりたいようにやりゃあいい。だけどよぉ、やり方は考えろよ」
「なんの話ですか」
「何するにせよ、傀儡術やらは使うんじゃねぇぞって話」
寧々子の瞳がキッと吊り上がった。猫のような瞼に嵌め込まれた菫色が不気味な光を帯びる。徒花が咲き誇る一瞬を切り取ったようなその光は、彼女の怒りが怒髪天を衝いた合図だった。
「何故です。わたくしの勝手でしょう」
「お前自身が傷付くからだよ」
「見くびるのも大概にしろよ!」
全身を焦がす衝動に突き動かされ、寧々子は獣のように吠えた。
「お前の偽善者面を見ると虫唾が走るわ。わたくしはどんな手を使ってもあの方の遺志に従うだけ、たとえ地獄に墜ちたって構いやしない。わたくしは、お前が思うように弱くも脆くもない!」
普段の艶やかさも柔らかい物腰も何処かに放り投げ、寧々子は喉元に噛み付く獣のように玉兎を睨んだ。しかし玉兎はへらりと笑ったまま、まるで幼子にするように寧々子の頭を撫でてみせた。
「お前は強いさ。だからきっと、傷付いたって素知らぬ顔で歩いていける。でもオレは嫌なんだよ。もう、誰にも苦しんで欲しくねぇからさ」
「バカ言わないで。傷なんて、何処に」
「何処もかしこも。自覚ねぇんだろ、ずっと気ぃ張ってるもんな」
半神、鴉天狗、半妖。三匹の混ざりモノに紛れ込んだ唯一の人間、それが如月寧々子という女だ。まだ二十と少ししか生きていないのに、華奢な肩に途方もない喪失と重荷を背負っている。それが哀しくて堪らないのだ。
「オレが知ってる如月寧々子はいつだって傷だらけだよ。言っただろ、お前は自分で思ってるよりずっと分かり易くて、しなやかで、優しい人の子だ」
嵐の渦中をそうと知って歩く苛烈な女。晩秋の凩のような気性の奥底に秘めた柔い部分を垣間見たのは十三年前の一度きりだ。それでもどんな顔をしていたのかなんて、今も鮮明に覚えている。
「お前、泣き方は七歳からずっと変わんねぇのな」
俯くことも声を上げることも、しゃくりあげることさえせず、キッと前を向く菫色の瞳から雫が一粒零れ落ちた。たった一筋、砕けた感情の欠片が頬にうっすらと痕を残して消えていく。
寧々子は涙を振り払ってため息を吐く。もう一度正面から玉兎を見つめ直した瞳には曇りなくきらきらと瞬いていた。
「……暁宮に向かいます」
「一口に言うんじゃねぇ。あそこバカみてぇに広ぇだろうが」
「まずは
「千寿殿なら東の端か。運んでやろうか?」
「ええ、お願いします」
当然のように頷いた寧々子に小さく肩を竦め、玉兎は細い腕を引いて引き寄せる。大きな背中から黒い翼がばさりと伸びて、羽がひとひら床に舞い落ちた。
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