第19話 一つ目

 クエルの拘束に成功したと思われたルクスであったが、手がクエルに届く寸でのところで後方へと飛び退く。

 クエルはガチンと歯を鳴らすと全身に万力を込め、力ずくで拘束を振り解く。


「ギィヤヤヤヤアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!」

「やっば!」


 勢いそのままにルクス目掛けて両拳を振り下ろす。

 意表を突かれたルクスであったが転がるように回避する。

 クエルの拳が叩き付けられた地面には巨大なクレーターができ、破片が数百メートル上空まで巻き上がる。


「あっぶね!」


 常にちょこまかと動き回るルクスに憤り、クエルは怒声を上げ、攻撃の手をより苛烈にする。

 ルクスはドンドン速くなるクエルの攻撃を捌きながら、さらに数回なんとか魔法を叩き込む。

 しかし、クエルに目立つ変化はない。

 それどころか攻撃が掠り始め、徐々にルクスは劣勢に立たされつつあった。


「クッソ……変化なしか……やっぱ持続性がないと上手いこといかないのか!?」

(まずいな。思ったよりも強い、というより対応力が高い。このままだと、さすがに余裕がッ──)


 尻尾から撃ち放たれた槍のように鋭く固い毛がふくらはぎを貫き、ルクスの動きが一瞬止まる。

 それを逃さず、クエルの攻撃が遂にルクスを捉える。


「ガハッ!」


 クエルの攻撃が直撃したルクスは、家2軒をぶち抜き壁に激突する。

 しかし悶絶してる暇はない。追撃を加えんとクエルが迫る。

 体勢を立て直し横っ飛びに回避することで、何とか直撃は免れるが、腹部の4分の1が消し飛び大量の血が噴き出す。


「ブヘェッ……ゴッポッ……エホッ……エホッ……」


 内臓が破壊されたことにより、ルクスの口と腹から大量の血が溢れ出す。

 ルクスは、戦うと、強くなると決意した日から苦痛に耐える覚悟をしてきた。

 それでも痛いという現実は覆せない。その表情は苦痛に歪み、何とか痛みから逃れようと体を小さく折る。

 大きく舞い上がった砂煙の中でクエルの目が不気味に光る。

 ルクスはクエルの目を離さずゆっくりと立ち上がる。


「ダメか……」


 歯噛みしたルクスは小さく呟くと覚悟を決める。

 負傷部に手をかざすと、沸騰するように肉が盛り上がりシューっという蒸気のような音とともに瞬く間に肉体が修復される。

 眼前で起きた事象にも、暴虐の獣と成り下がったクエルには攻撃を躊躇する要因にはならない。即座に更なる追撃へと移行する。

 高速で振り下ろされるクエルの手をルクスの生み出した刀が貫通する。


「ギィヤア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 クエルは痛みから立ち上がり体をのけ反らす。

 それでも闘志は衰えることなく、痛がると同時にドリルのように螺旋状にした尻尾を地面に滑らせルクスを仕留めようとする。

 ルクスは巨大な盾を生成すると、衝撃のタイミングに合わせ斜めに傾けることで攻撃をいなす。

 尻尾をいなしたルクスは強く踏み込むと一気に間合いに入り、クエルの頭部目掛けて刀を振り抜く。


 ジリュ


 ルクスは目を見開いた。

 クエルは振り抜かれた刀を、ついさっきルクスが盾で見せたいなし方を自らの毛で真似してみせたのだ。そのまま、腕を振り下ろしルクスを地面へ叩き落す。

 ルクスは魔力全開にし全身を防御した上で、クエルの攻撃を左腕で守る。

 だが、勢いを殺すことはできず地面に衝突し反動で体が弾む。


「ぐっ!」


 激痛に顔を歪めるも追撃されぬよう、魔法により生成した糸をクエルの後ろ脚に絡ませ背面へと滑り抜ける。

 今度はクエルの両脚から血が噴き出る。


「キィヤヤヤアアアアアアアアァァァァァァァァ!!」

「くッそ……これじゃあ無駄に痛めつけるだけか……」


 交差際にクエルの脚へと振り抜いた刃も体勢が不十分であり、落とすに至らない。

 ルクスの見せた糸を応用して、クエルは長毛を操り止血と縫合を完了させる。


(どんどん適応が早くなってる!?……こいつは……長引けば長引くほど不利になるな)


 ルクスは両手に短刀を生成する。


 〈──紅威べにおどし──〉


 バックンっと心臓が大きく跳ねると、ルクスの皮膚がほんのりと紅く染まってゆく。


(速度で押し切る!!)


 ルクスは地面が沈むほど踏み込むと、クエルの正面から真っ直ぐ突っ込む。

 クエルの反応がやや遅れる。

 その間にルクスはクエルの背後まで駆け抜ける。

 握られた短刀の刃にひびが入り砕け散る。

 それでもルクスは止まらない。

 瞬時に短刀を再生成すると、体を反転させ空中を蹴り込んで即座にクエルへ向かう。

 既にクエルが捉えきれる速度ではなく、縦横無尽に刃が降りかかる。

 固くしなやかな長毛に阻まれ皮膚まで到達していないものの、確実に長毛を削ぎ落し、刃がクエルの命にかかるのも時間の問題であった。

 本能でその事を理解したクエルは賭けに出る。

 ルクスが反転するたびに発生させている衝撃音を聞き、タイミングと角度を計る。

 ルクスが左腕方向から迫ると同時に、クエルは今まで鎧のように固く閉ざしていた長毛を一気に広げる。


「!?」


 予想外の行動にルクスは止まることができない。

 クエルは刃が左腕に深々と食い込む激痛に耐え、逃がすまいとルクスを絡め捕る。

 勢いを殺されたルクスの体にクエルの牙が突き刺さる。

 しかし、全身を薄く魔力で覆っているルクスの体にはそれほど深くは刺さらない。

 致命傷を与えるためクエルは大きく頭を振り、自分の顔ごとルクスを何度も何度も地面や瓦礫となった家や壁に叩き付ける。

 ゴリッと牙と骨が擦れる嫌な音がし、ルクスの右腕が下がる。

 ルクスの脱力を感じたクエルはルクスを口に加え、勝利を宣言するように高々と掲げる。

 だが──


「ごめんな」


 ルクスは左手をクエルの目の前にかざす。

 次の瞬間、ルクスの掌から突き出た一本の槍が目から脳へと貫通する。


「ガッッ!」


 小さく悲鳴を上げるとクエルのもう片方の目から光が消え、ダラリと全身の力が抜けルクスから顎が外れる。そして、そのまま地面へと崩れ落ちた。

 ふわりと音もなく着地したルクスは、自らの手によって地面に横たわるクエルを静かに見下ろす。

 人の声はもちろん物音一つしない静寂。月明かりに照らされた村は荒れ果て、全体が黒く煤けている。

 ルクスはゆっくりと辺りを見渡す。

 村に人の姿はなく、あるのはルクスによって生命を奪われた数百体の魔獣の死体。横たわる山のような屍の中に、ただ1人ルクスだけが立っている。

 ルクスは血に汚れた自身の両手を見つめる。


「はー……はー……はぁ……はぁ……はッ…はッ…はかッはかッはかッはかッ!!」


 戦いが決着し静まり返った戦場の中、徐々に興奮の熱が冷えてゆく。

 勝利の達成感も満足感もない。

 改めて、自分のしたことが、オースの発言が、悪夢のような現状がルクスの脳裏を埋めてゆく。

 呼吸が荒く浅くなり、手が小刻みに震える。恐怖が、後悔が、罪悪感が、嫌悪感がルクスに纏わりつく。

 それらの感情を呑み込むように目を閉じ奥歯を嚙み締め、血が滲むほど拳を強く握る。

 やがてスルリと力が抜ける。


「…………最悪だ」


 ルクスは力なく天を見上げるとポツリと呟く。

 そして、フラフラとした足取りで崩壊し2割ほど残った、もう誰も待っていない孤児院へと帰える。

 ルクスは震える体を押し殺すように、焼け跡の中に偶然残った、埃だらけの毛布に小さく包まり静かに目を閉じた。

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