第6話 紅黒城の口

 魔獣騒動の翌朝、職員と孤児全員が孤児院の食堂に集まり賑やかに朝食をとっていた。

 騒動の際に、多くの子どもたちが初めて見る恐ろしい魔獣に襲われたという事実と、今後襲われた場合大人たちが孤児である自分たちを必ず守ってくれるわけではないという可能性を冷静に認識てしまい院内はプチパニックが起こってしまっていた。

 騒動の中心にいたルクスは更なるパニックの原因になる可能性があったため、騒動後は子どもたちには極力接触しないようにと院長から言い付けられていた。

 そのため、ルクスはここにきて初めて孤児全員と顔合わせすることとなった。

 と言っても記憶のないルクス以外の全員が既にお互いのことを家族のように知っている。


「ねぇルクスお兄ちゃん、今日は何して遊ぶ?」

「バカ!今日は強くなる修行つけて貰おうぜ!」

「修行?誰に?」

「ルクスにいに。めっちゃ強かったんだぜ!」

「そうなの!?なんでケン君知ってるの?」

「えっ、服屋のばあちゃんに聞いた」

「おばあちゃんボケてるから言ってる事信用しちゃダメって聞いたよ!」


 孤児院の子どもたちは精神的にとても強い。

 生きるのに苦労するほど追い詰められている訳ではないが、それでも親がいない以上、できることは自分たちでやらねばならないという意識が他の子たちによって孤児院に入院した頃から自然に刷り込まれている。

 そのおかげで昨日のパニックも一晩経ったことで、一人一人の中で消化が済んだ状態となっていた。

 幼い孤児たちは年長であるルクスを慕い、遊びや修行の提案をする。と同時にルクスの雰囲気が変わったことを鋭敏に感じ取り、さり気なく探ろうとしている。


「悪いな。今日はちょっとやることがあるんだ」

「えー!修行つけてよ!」

「遊びがいい!」


 ルクスの発言に子どもらしく我儘を押し通そうと詰め寄る。

 ルクスが躱し方に困り、机の一番隅で静かに食事をとっているユーリスにアイコンタクトで助けを求める。

 ユーリスは一瞬目が泳いだ後、覚悟を決めて子どもたちを説得にかかる。


「ほ、ほら。みんなで一斉にルクスに詰め寄ったらルクスが困っちゃうでしょ?それにルクスも今日は用事があるって言ってるし、また今度にしたら?ね?」


 整った顔から繰り出される爽やかスマイルを引っ提げての優しくあやすような説得。

 大人や年頃であれば一発で説得されたであろう破壊力であるが、子どもは残酷である。


「は?ユーリスは関係ないじゃん!」

「そうだよ!いつも遊びに参加しないくせに!」

「いつも暗くてジメジメした所に一人でいて変だよ。ナメクジみたい!」

「そうだ!そうだ!ナメクジ!」

「ねぇ、ルクスお兄ちゃん遊ぼ?」


 子どもたちにブーイングを浴びせられ意気消沈状態のユーリスに申し訳なく思いつつ、引き続き継続される遊びの提案にあたふたしているルクスに助け舟を出したのは院長であった。


「こらっ!食事中にはしたないですよ!元気が良いのは良いことですが食事マナーはちゃんとなさい。それとルクスもそろそろ13歳なんですからやるべきことがあるのは当然です。仲が良いのは良いことですが皆そろそろルクス離れをするように!」


「「はーい」」


 院長の一喝に子どもたちは一堂に大人しくなる。

 そして、食べ終わった子から食器を片付け、外へ遊びに出掛ける。

 最後の一人の食事が終わったのを見届けて、ルクスも孤児院を出る。


 孤児院を出たルクスはルスヴァンが指差した地図には載ってない泉があるという森の前に来ていた。

 鬱蒼うっそうとした木々によって陽射ひざしが遮られ森の中だけ夜のように暗い。湿気によって周囲より空気が重く、見通しの悪い森は侵入を拒むように異様な雰囲気を放っている。


「さて、行くか」


 そんな森の中へルクスは足を踏み入れて行く。

 森には生き物の気配がほとんどない。ルクスの目に入る生物は小さな虫や爬虫類、両生類の類いのみである。

 その証拠にけもの道が一切なく足場が非常悪い。

 この森に対しての知識がないルクスは何倍もの重力がかかったように錯覚しており、一歩踏み出すごとに体力が急激に奪われていく。

 暫く歩いた段階でルクスは異常に気付く。


「くそっ!方向感覚が……それどころか平衡感覚もおかしい!?」


 その場に止まり、右手の拳を口に当て大きく深呼吸をすることで焦る頭をリセットする。


「舐めてたな。目印を付けず森を進んだのは悪手だったか…だがこれは…」


 後ろを振り返り反省を口にするが、──もう遅い。

 完全に異常事態が発生していた。

 方角を見失ったどころか時間感覚も機能しなくなっており、森の中に陽が差さないことも相まってどれだけの時間森の中にいるかがわからなくなってしまっていた。

 だが、ルクスに撤退の意思はない。そもそも平衡感覚に異常が発生してしまった以上、確実に来た道を戻る方法があるわけでもない。

 そうして森の中を突き進むルクスに更なる異常事態が襲い掛かる。


「なんだこれ!?」


 森に入る前、ルクスは孤児院の上から目指すべき泉を確認していた。

 平坦かつ同じ高さの木々が密集している森であるため、泉が存在している場所が広大な森の中に隙間となって浮かび上がっていた。

 そう、確かに平坦であった。しかし、目が回っているかのようにルクスは何に躓くでもなくその場に転ぶ。


「まずい。真っ直ぐ立てない!?足元が歪んでんのか!?」


 症状は時間が経つごとに悪化の一途をたどる。上下感覚も崩壊し、世界がさかさまになって見えるようになり、吐き気が襲い始める。

 ルクスは既に立って歩くことが出来ず、何度も体を横にして休みながら獣のように四つ足で這って進む。

 全身に擦り傷を負い、泥と度重なる吐瀉物としゃぶつでドロドロになった身を這いずってようやく抜けた先は見覚えのある場所であった。

 ルクスは森の中で何時間もさまよった挙句、森に入るため最初に決意を固めた場所へ戻ってきていた。

 満身創痍のルクスは黙って孤児院へ帰り、風呂に直行する。

 ルクスの心は決して折れてはなかった。

 頭を冷やすように冷水を被りながら、次のための対策を思案する。


(……あれは普通の森じゃない。まずは情報が必要だ。……それから事前準備をしなかったのは大問題だ。下手したらあそこで死んでいた。……今後は何事にもリサーチと事前準備は徹底する必要があるな)

「……必ず攻略する」


 更なる決意を胸にする。

 風呂から上がったルクスに、ちょうど食事が終わった子どもたちが駆け寄ってくる。


「ルクス兄!?」

「どこ行ってたの?心配したよ……」

「大丈夫?」


 一瞬の安堵はあれど、皆一様に不安そうな顔をしている。


「平気だよ。ちょっと外に出ただけだ。そんなに心配するようなことじゃないだろ?」


 ルクスの軽い返しに子どもたちは猛反発する。


「ちょっとじゃないよ!3日もいなかったじゃん!」

「そうだよ!魔獣が出た次の日にいなくなんないでよ!」

「クエルが卒倒してたぜ。謝っとけよ、ルクス兄」


 子どもたちの圧に押されながらも、ルクスの頭の中には微塵の反省もなく不可思議な森の攻略でいっぱいであった。


「わかった。わかった。それよりユーリスいるか?」


 乱雑に話を切り、子どもたちをいなそうとした時背後からユーリス声がする。


「ボクに何か用かい?」

「ああ。ちょうど良かった。少し聞きたいことがある。時間あるか?」


 ユーリスはチラッと子どもたちの方へ目をやる。


「……場所を変えようか。ルクスの部屋でいいかい?」

「ああ」


 反省の色が見えないルクスとそのルクスの仲間となったユーリスに対し、不満を爆発させる子どもたちを振り切ってルクスとユーリスは部屋へ逃げ込む。


「ルクス、君の行動はボクには理解できる。強くなるには多少の無茶も必要だろう。でも、心配させるのも事実だ。今回は君が悪いよ」

「わーってるよ。説教は勘弁してくれ。同い年のは特に効く」


 開口一番反省を促すユーリスであったが、その言葉には真剣さは乗っておらず言葉の端々から嬉しさが溢れていた。

 強くなるという村では理解を得られない行動を取ったルクスは、ユーリスからしたら村で唯一の理解者となってくれる存在であった。

 そのことを理解しているルクスもユーリスの説教に冗談めかして返す。


「本題の前にまずは、ほらっ!」


 そう言ってユーリスはパンとボトルに入ったスープを差し出す。

 3日ぶりの食事の香りがルクスの鼻腔を刺激し、ルクスの腹がギュルルルと音を立て消化をするための準備を始める。腹の音を合図にルクスは差し出された食事に獣のようにかぶり付く。

 手が止まらないルクスを温かい目で見守りながら、ユーリスが話を進める。


「それで、何が聞きたいんだい?」

「森について」

「森?魔獣が出た森かい?」

「いや、そっちじゃない。隣の陽も通らない森だ」

「そっちか。……って紅黒城こうこくじょうの口に入ったのかい!?」


 ユーリスは青ざめた表情を浮かべ、驚愕から大声で叫ぶ。その後ハッとして声のボリュームを絞る。


「ごめん。ついびっくりして」

「別にいい。それより紅黒城の口?なんだそれ?」

「あの森の通称だよ。森の更に奥に紅黒城と呼ばれる城があったらしい。だから今でもそう呼ばれているんだ」

「あった?今はないのか?」

「ないんじゃないかな?500年くらい前に国を挙げて捜索したらしいんだ。かなりの規模だったそうで30万人近くの兵を投入したって」

「500!?古すぎないか?」

「まぁね。不思議なことに紅黒城にはあの森からしか辿り着けないらしく、兵もあの森から入ったんだって。ただひどい成果でね、30万人の兵はほぼ壊滅、帰ってきたのは3桁程度だったそうだよ。で、その帰ってきた人の曰く、城らしきものは発見できなかったって。そんな惨状だっだから紅黒城の口の調査はやらないと国が決めたんだよ。ルクスはどう思う?」

「どうって言われてもな…。てか、どこから仕入れた知識だ?」

「月に一度行商人が来るんだけど、そこにあった本だよ。王都から流れてきたんだって」

「その本今ないのか?」

「残念ながらね。本は高いから孤児のボクたちじゃ手が出せないよ。ちょっと借りて覚えてたんだよ」

「他に紅黒城の口に関しての情報は?」

「別名で不入不戻森ふにゅうふれいしんと呼ばれているよ」

「不入…あんだって?」

「不入不戻森ね。入ったならわかるでしょ?あそこには人も動物も入らない。一歩踏み込むと戻ってこれないからね。君が戻って来れたのは奇跡的と言っていい。だから、もう入るべきじゃない!」

「ユーリスも入ったことないのか?」

「ないね。と言うか近づきたくもないよ」

「ん?なぜ?」

「あの森は…うまく言えないけど異様な感じがするんだ。戻って来れないのも多分、そのせいだよ」

「魔法が関係あるのか?」

「多分……」


 ルクスはユーリスの発言を聞き、紅黒城の口攻略の糸口を見つけニヤリと笑う。

 その表情に危険を察しユーリスが止める。


「ちょ、ちょっと!入るのはまじでおススメしないからね!」

「ああ。わかってる。……なぁ、ユーリス。魔法について教えてくれないか?」

「え?」

「魔法だよ!水を操ったりしてたろ?イメージでいいんだ!魔法の感覚を掴みたい」

「あ、うん!いいよ!ただ今日はもう遅いからまた明日ね」

「ああ!」

「おやすみ!」


 明日の修行が決まり、ユーリスは嬉しそうに鼻歌を歌いながらルクスの部屋を去っていく。

 人の気配がなくなったことにより、気が抜けたルクスは沈むように眠りに落ちていく。

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