第3話 先生との出会い

 ルクスを弾き飛ばし邪魔者を排除できた魔獣はダラーっと涎を垂らしながらゆっくりとぼろ布の子に向き直る。


「ぇ……うぇ……ひー……ふー……」


 襲われていた子はルクスの蹴りのダメージと魔獣への恐怖からその場に固まってしまっている。

 魔獣は舌なめずりをした後、ゆっくりと鋭い牙が並んだ大きな口を開く。そのまま、待ちに待った餌を平らげようと子どもに襲い掛かった。


「キィヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤャャャャャャャャャャャ!!!」


 人の女性の声に似た大気をつんざくような甲高い悲鳴が鳴り響き、魔獣が体を起こし悶絶するように巨体を揺する。


「まだ……終わってねぇぞ……」


 崩れた丸太によって舞い上がった煙の中から目を血走らせたルクスが現れる。

 頭からは血を流し、左腕は曲がってはいけない方を向き、全身ボロボロである。口元から血があふれ落ち、息も完全に上がっている。

 それでも、小さな体からでは考えられない闘志を放ち、巨大な魔獣を見据えている。

 魔獣は目に深く刺さった骨切包丁を抜くと苛立ちをぶつけるように乱雑に投げ捨てる。そして、頭を低くして今までは見せてこなかった戦闘体勢を取る。


「ようやく……一発……。やっと敵として……認めたかよ……」

「グルルルルルルルルルルルルルルルル」


 鼻の上にしわを寄せ、牙を剥き出し、全身の毛を逆立てて低い唸り声をあげる。目の前にいる憎き敵を仕留めるためにバネが効くように重心を後方へ下げる。回避する気の一切ない攻撃に全力を傾けた体勢。瞬刻の静止から魔獣の鋭爪えいそうがルクスに迫る。

 ルクスも魔獣の呼吸に合わせて動き出す。が、グラッと姿勢が崩れ落ちる。


「は?」


 ルクスの右足が踏み込もうとしたタイミングですねのあたりからひしゃげて曲がった。

 一撃もらっただけで、全身がボロ雑巾のようになり、息も上がる始末。故に、ここまで徹底的に攻撃を回避し何とか戦えていた。

 完全に機動力を失ったルクスでは勝負ありである。それでもルクスは近くに転がっている角材を掴み、諦めることなく抵抗をしようとする。

 突如、目の前に深紅しんくの壁が現れ、魔獣の爪が弾き返され、砕ける。


「まったく。木の棒で挑もうなど蛮勇が過ぎるぞ、少年」


 声の方へ振り向いたルクスの目の前に女が涼しい顔で立っていた。

 180センチ前後であろう長身、光が透過しそうなほどの白い肌、腰より長い淡い紫のサラサラ髪は毛先に進むにつれ深い夜空のような色に変わっている。宝石のような鮮やかな血紅色けっこうしょくの目、深紅の四芒星形しぼうせいけいが首を一周している。その姿を着丈きたけの短いフリルの付いたセーラー服のような白いシャツと杜若色かきつばたいろのロングスカートが覆っている。


「誰だあんた?」

「ルスヴァン。ヴァコレラ・ルスヴァンじゃ。別に覚えなくてもいいぞ」


 数刻前まで全神経を魔獣の一挙手一投足に集中していたルクスであったが、ルスヴァンが現れて以降、完全に意識をルスヴァンに持ってかれていた。激しい戦闘によって研ぎ澄まされた感覚が牙向く獣よりも目の前の女に注意しろとルクスに告げていた。


「さっきのあれ、あんたがやったのか?どうなってんだ?」


 目の前で起きた状況と突如現れた魔獣とはまた別の異質な存在が理解できず、警戒と困惑から立ち上がろうとするルクスにルスヴァンは静かに、しかし確実に従わせるように言いつける。


「怪我してるんじゃろ?じっとしておれ。すぐ終わる」


 そして、ゆったりと魔獣に向き直る。ルクス同様に警戒から様子を窺っていた魔獣もルスヴァンと目が合うや否や即座に己が敵と判断し、一気に緊張感を高める。


「安らかに眠れ」


 ルスヴァンが静かに囁くと同時に、魔獣の爪がルスヴァンに迫る。

 ルクスは瞬きなどしていなかった。

 しかし、ルスヴァンはルクスの視界から消え、魔獣の胸元で優雅に立っていた。ルスヴァンの手が魔獣の胸に触れた次の瞬間、魔獣の背中から深紅の棘がハリネズミのように飛び出す。

 魔獣は喉が潰れたようなか細い呻き声を上げ、2歩後ろに下がった後、ゆっくりとその身を横へ倒す。

 ルクスは驚愕した。

 自分が強者ではないことは理解していたし、魔獣との攻防でその事実はより明確になった。

 それにしてもだ。この差は想像していなかった。

 自分が血反吐にまみれながら不意打ちでようやく一撃を入れることが叶った圧倒的格上が、フラっと現れた女の軽く触れた一撃で動かぬむくろと成り果てている。


「やはり、魔素の異常超過か……」


 ルスヴァンは動かなくなった魔獣に近寄るとその死体を調べ、ポツリと呟く。

 ルクスはそんなルスヴァンに近づいていき、申し出をする。


「なぁ、あんたのその強さ、オレに教えてくれ!」

「この力にはな、才能が必要なんじゃ。というか、怪我しとるのだから安静にせんと──」


 今度はそう言いながら振り向いたルスヴァンが驚愕した。

 折れ曲がっていた腕も拉げた足も、全身に無数に存在していた全ての怪我がまるで何事もなかったかのように完治している。


「少年、その力は……」


 驚いた顔で疑問をぶつけるルスヴァンにルクスは首を傾げる。


「ん?」

「全身に負った怪我はどうした?少年」

「……あれ?ほんとだ」

「そうか……はぁー……なるほど……才覚は問題ないようじゃな」


 自身の状態を把握しておらず全身をチェックし始めたルクスに、ルスヴァンは呆れながら一息吐く。

 その言葉を聞き、目を輝かせながらルクスはルスヴァンに詰め寄る。


「オレ才能あんだろ?だったらあんたの弟子にしてくれ!」

「待て待て。そういうわけにはいかん!」

「なんで?努力は怠らねぇし、文句も言わねぇぞ!」

「そういう問題じゃなくてじゃの」

「頼むよルスヴン!!」

「気安く名前を呼ぶんじゃない!」

「じゃあ、先生!」


 ルクスとルスヴァンが師弟交渉をしている間に、村民や丘で一緒にいた子どもたちが魔獣の脅威が去ったことで剣や斧、くわなどを携え様子を見に集まってきていた。


「怪我人はいないかー?」

「家がダメになった奴は報告しろ!」


 協力して安全確認をしていく。


「あー!うちの自慢の包丁がーーっ!新品同然だったのに!」


 肉屋の店主は自慢の包丁の無残な姿に絶叫している。

 そうした声が飛び交う中、一人の男がポツリと疑問を口にする。


「何で急に魔獣が…」


 その疑問に反応して女が指をさし別の疑問を口にする。


「あんな子この村に居たっけ?」


 指をさされた先には先程まで魔獣に追いかけられていたぼろ布を被った子どもが立っている。


「お前どこのガキだ!よく顔を見せろ!」


 そう言って村人の一人が細い腕を掴み乱暴に被っているフードを払い除ける。


「「うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」

「「きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」


 フードの下の顔が村民の眼下に晒された瞬間、悲鳴が起きる。

 フードの下からは桃色の毛先と一筋のメッシュが特徴的なブロンドの髪に露草つゆくさのような青い瞳、健康そうな薄っすらと日焼けしたような肌を持つルクスと同年代くらいの少女の顔が現れた。幼さが残るものの容易に他を魅了できる美形である。

 しかし、頭から生える白く輝く二本のアモン角と長く尖った両の耳が人ではないと語っていた。


「魔物だー!!」

「こいつが魔獣をこの村に呼び込んだんだ!」

「油断すんな!何をしてくるかわからんぞ!」


 近くにいた人が取り乱し少女に対し武器を構えたことで辺りに一気に緊張が走る。大人たちが子どもたちを守るように背に隠す。

 周囲から突発的な敵意を向けられた少女はどうしたらいいかわからずオロオロとしている。


「まずいの」


 先刻まで師弟交渉をしていたルクスとルスヴァンも異様な空気に反応し、交渉を中断する。

 ルスヴァンが張り詰めた空気を緩めようと声を掛けようとした直前、緊張が頂点に達した男が魔人の少女に剣を振り下ろした。


 ガシャャャン!!


 目にの止まらぬ速さでルクスが少女と男の間に入り、振り下ろされた剣を弾き飛ばす。

 ルスヴァンも救われた少女も含めその場にいた全員が目を見開いた。


「どういうつもりだルクス!」

「あ?どういうつもりだはこっちのセリフだ!大の大人が揃いも揃ってガキにンなもん向けて恥ずかしくねぇーのか!」

「ガキ?そいつは魔物だぞ!魔族なんだぞ!人類の敵だ!!今回は皆無事だったが、今のうちに狩っておかんと今後もっと大きな被害になるかもしれんのだぞ!」

「ンなこと知るか!」

「なっ!?」

「だいたい。あんたらはただ逃げてただけだろ。こいつをどうするか決められんのは、戦ったオレか魔獣を倒した先生だろうが。何もしてねぇのに勝手なことすんな!」

「じゃあ、どうするっつんだ!」


 ルクスと男がヒートアップし辺りに剣呑けんのんな雰囲気が漂い始める。

 その状況を気まずく感じた大人たちが言い合っている両者を落ち着かせるために言い聞かせるように話し始める。


「まぁまぁ、まだ魔族についてよくわかっていない歳だろうし」

「今のうちに魔族の恐ろしさについて理解していた方がいいだろう」

「魔物のガキに洗脳されている可能性は?」

「さすがにそれは………ないとは言わんが……」


 話しの流れが魔人の少女の糾弾きゅうだんに向かいそうな空気を察して、ルスヴァンが割って入る。


「この子はワシが責任持って然るべき場所に返そう。おぬしらに迷惑は掛けん」


 村人はその言葉に何も言い返すことはしない。だが、納得したわけではない。ただ、ルスヴァンの存在を目すら合わせずに無視している。


「では、ゆくぞ」


 重い空気が流れる中、ルスヴァンは魔人の少女を優しく促す。


「ちょっと待てよ!」


 村から去ろうとするルスヴァンに対しルクスが呼び止める。


「オレの修行は?」

「おぬし空気が読めんと言われんか?」

「?」

「まぁ良い。ワシはこの森の中にある泉の側で暮らしておる。どうしてもと言うなら訪ねてこい。ただ、オススメはせんがな」


 正面にある深い森を指差し、ルスヴァンは渋々といった様子で返答する。

 その返答を聞いたルクスは笑顔を見せる。

 その目は修行への期待と必ず強くなるという決意で爛々らんらんとしている。

 その表情に呆れながらルスヴァンと少女は森の中に消えていった。

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