はじまりの村

第2話 未知の世界と魔物強襲

「ルクス?ルクス!」


 10歳前後から5歳くらいの子もいるだろうか、少年少女たちが心配といぶかしさが混ざった表情でルクスの顔を覗き込んでいる。

 ぼやけていた意識がはっきりすると同時に、ルクスは周囲を見渡す。

 辺り一面に緑と茶色が広がり、透明で底までくっきりと見える川が流れている。天をさえぎる灰色の建物群は一切なく、遠目に瓦屋根の木造の家がそこそこの間隔を開けて並んでおり、どれも2階程度の高さである。どこまでも続く広大な空と対照的に周囲は山と森で囲まれており、どことなく閉塞感へいそくかんも感じられる。

 しかし、のどかな田舎というには活気がある。小さな商店街のように様々な店が点在し、荷馬車も1台であるが走っている。また、住宅の中央付近にかなり小さめの教会のような建物が建っている。どことなく安心感のある実に平和的な光景である。

 そんな村を一望できる小高い丘にルクスは立っていた。


「なんだ!?なんだっけ?」


 そんな平和的な光景を前にルクスは困惑していた。必死に記憶を呼び起こそうと顎を指でさすりながら考え込む。


「どうしたの?」

「おいおい、大丈夫かよ?」


 子どもたちは心配そうにルクスに問いかける。

 そんな心配そうな表情を見てルクスはスーっと冷静さを取り戻す。


「すまん。記憶が曖昧になってるみたいだ」

「は!?ルクス、お前マジで大丈夫かよ?」

「あ──」


「キャアアアアアアアア!!」

「うわああああああああ!!」


 のどかな雰囲気を引き裂くように森の方から悲鳴が響く。

 一同が一斉に悲鳴のあった方へ目線を飛ばす。

 森の木が一本の線を引くように薙ぎ倒されとんでもない量の土煙が舞い上がっている。


「魔獣だ……」


 さっきまでルクスに対し強きに発言していた男の子が絶望の表情を浮かべながらポツリと呟いた。


(魔獣?)


 魔獣とは何かと聞こうとしたルクスであったが、少女とそれに続いた子どもたちの発言で質問を聞くことを後回しにする。


「どうしよう……お家が…お父さんとお母さんが!!」

「僕の家も……」

「私も……」


 子どもたちが絶望で茫然と突っ立ている中、ルクスは事件が起こった場所、これから悲劇が起こるであろう場所に向かって走り出していた。記憶が蘇ったわけではない、明確な解決策を持っているわけでもない。ただ、何かしなければ、行動しなければ必ず後悔する。それだけは何故か確信していた。

 ルクスは時速60キロメートル近い速度で、混乱の中魔獣から逃げる村人を縫いながら住宅地を逆走する。

 逃げ惑う村人の最後尾を抜けた瞬間、騒ぎの元凶である魔獣を目の先に捉える。

 ルクスは己の目を疑った。聞き馴染みのない魔獣と言う単語だが、だからこそ記憶を呼び起こすきっかけになり得るのではないかと少しばかり期待していた。しかし、目の前にいる魔獣は記憶にかすりもしない。それどころか出会ったこともないと確信できてしまった。


「でかい……。というか何なんだ……!?」


 全長10メートルはあろう四足歩行の薄汚れた白い巨体、シュッとした超毛犬ちょうもうけんのような見た目でありながら猫背である。しかも、手の形が獣のそれではない。毛に覆われた皮膚と鋭く長い爪を有してはいるが、まるで物を握るように進化した人やサルのような手。見た目も放つ空気も見たものに恐怖心を与える異質な姿である。

 だが、ルクスは魔獣に向かってさらに加速する。

 魔獣の前をフードの付いた深緑色のぼろ布を被った子どもが今にも追いつかれそうな速度で走っていたのだ。

 横目で捉えた1メートル近い骨切包丁を肉屋から拝借し、建物を利用し三段跳びの要領で上空へ跳躍。落下の勢いそのままに魔獣の脳天へ骨切包丁を一切の躊躇ちゅうちょなく振り下ろす。


「おおぉぉらっ!」


 ガギッ!


 金属同士を擦り合わせたような鈍い音が響く。

 ルクスは驚愕していた。

 間違いなく頭骨を左右に真っ二つにするつもりで振り下ろした。真っ二つとはいかずとも確実に命を絶つ程度の陥没はすると考えていた。

 しかし結果は、陥没はおろか刃先は骨どころか皮にも到達していない。鋼鉄のような毛に阻まれ、渾身の骨切包丁は弾き返されてしまっていた。


「クッソ」


 弾き返された骨切包丁をガッチリ握りしめ、ルクスは空中で着地体勢をとる。着地と同時に、魔獣の手が迫る。ルクスは即座に後方に飛び退き魔獣の手は宙を切る。


「ぐっ!」


 ルクスは間違いなくかわしていた。

 魔獣の一部が触れた感覚もなかった。

 だが、腹部周辺の服が裂け、腹が火傷のように炎症し無数の熱した針を押し込まれたような痛みが襲う。


「座り込んでないで走れ!邪魔だ!」


 決して魔獣から目を離すことはない。それでも、目の前にいる化け物と自身との圧倒的な力の差を自覚したルクスは、苛立ちを発散するように、傍で腰を抜かしているぼろ布を被った子に対して荒い言葉を殴り捨てる。

 ルクスに怒鳴られた子は慌てて這ってその場を離れようとする。


「チッ」


 再度ルクスは魔獣に突っ込んでいく。

 魔獣が大きく手を振り上げた瞬間、ルクスは急加速し魔獣の懐へ飛び込む。


(まずは機動力を殺す)


 そのまま魔獣の後方に回り、魔獣の右脚、アキレス腱に目掛けて骨切包丁を振り下ろす。


(刃が欠けた訳じゃない。だったら通るはず。叩き付けるんじゃなく、今度は切り裂く!)


 骨切包丁の刃が魔獣の体に触れた瞬間、刃を万力で押し当てながら火花が散る勢いで滑らせる。魔獣と刃が触れていたのは数瞬、1秒にも満たない。しかし、体ごと弾き返されそうな強力な摩擦により、刃が完全に潰れ、斧型をしていた骨切包丁は持ち手から先端にかけて鋭く尖った細い剣のように形を変えていた。


「ぐぅっ!?」


 直後、ルクスの顔が歪む。骨切包丁を握る両手の皮膚が摩擦の衝撃に耐えた反動で焼けただれ、柄が赤黒く染まっていく。

 対して、魔獣の体への被害は毛を削ぎ落し、皮膚を一部露出させたのみ。たったそれだけに止まっている。

 だが、痛みに悶絶している余裕はない。ルクスは魔獣の振り返る動作を瞬時に感じ取り、露出した皮膚に一撃を突き立てるべく、再度魔獣の背後へと加速する。背後をとると同時に骨切包丁を逆手に持ち替え、魔獣のアキレス腱へ振り下ろすため頭上へ掲げる。

 そのまま刃が魔獣の脚にねじ込まれる、ことはなかった。

 振り被った直後、魔獣が体を捻じるのをルクスは見逃さなかった。右脚に回り込んだルクスを追いかけるように魔獣の右手が地面を抉るように突っ込んできていた。

 ルクスは自身の攻撃を中断して、即座に防御に切り替える。たとえ、ここで一撃入れることができても魔獣にとっては大したダメージにならず、片やルクスはこの一撃で致命傷、最悪の場合即死も考えられたからだ。

 人間離れした反応速度で魔獣から気持ち広めに距離を取り、腹部にもらった先ほどの謎の攻撃を警戒し体の前に骨切包丁を抜かりなく構える。

 魔獣の右手は間違いなく躱した。だが、その後に骨切包丁に見えない力が押し込まれ、ルクスの体が後方にフワッと浮く。


「なるほど……」


 軽やかに着地したルクスは目の前の敵を仕留める覚悟を更に深め、左手の拳に息を吹き込む。

 が、その覚悟は一瞬で焦りに変わる。腰を抜かし這っていたぼろ布の子どもが未だに直ぐ傍を這っている。

 一呼吸も気を抜くことの許されない圧縮された時間の中での戦闘。ルクスにとってはそれなりの時間であっても、傍から見たら僅かな時間である。腰を抜かしている人間が遠くへ逃げきれているわけがない。その事実と現状に気を取られ、戦闘中に決してやってはならない相手から目を切るという愚行をルクスは犯してしまう。


「しまっ……」


(突っ込んできた魔獣の姿がでかい。)

(余裕をもって回避できる距離じゃない。)

(仮に回避できたとしても隣のガキは間違いなくただでは済まない。)


 様々な思考がルクスの脳内を駆け巡る。頭では色々考えているルクスではあるが、行動は既に起こしていた。

 隣にいる子どもをかかとで蹴り飛ばし、魔獣の間合いから外す。その後魔獣に向き直り振り抜かれる魔獣の手と同じ方へ回避のために体を捻じり、骨切包丁を体と魔獣の手の間に滑り込ませる。

 間を置かず、ルクスの体は空中で魔獣の手に飲み込まれ弾丸のように水平に弾き飛ばされる。


 ドンガラガッシャン


 大量に積んであった薪用の丸太にものすごい勢いで突っ込み、丸太が音を立てて崩れ落ちた。

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