⑨神居神社と怪奇現象

 昭和中期の黒姫高校はそこまで生徒数も多くはなく、まだ”戦争”という言葉が生々しく尾を引く時代だった。私が観測者であることは現代と同じように事前に生徒らへ説明があり、それを聞かされた生徒らは口外を禁止され制約も課せられていた。


 だから世間に私の存在が広まる心配はなかった。どんな制約が課されているのか知る由もないが、うっかり口を滑らせた者がいたなんて話も聞いたことがない。つまりそういうことだ。これ以上この話を深掘りすべきではないだろう。


 望んでもいない話を聞かされたうえに制約を課され、それらの元凶である得体の知れないモノが同じ教室にいるだなんて、誰だって嫌だし関わりたくないものだろう。私だってそう思う。


「永く生きすぎると人と関わることが億劫に感じるんだよ。縁が生まれてしまえば結局のところ最後につらい思いをするのは私。だから私は誰とも口を利かず、授業にも気まぐれに参加。当時の日本は”勉強”ができるだけ羨ましがられる環境だったから、それをサボっていた私の評価は、道に落ちているゴミ以下だった。真実と噂が混在した悪い噂話が広まって誰も私に近付かなくなった。誰も話しかけてこなくなった」


 最初は勇気を振り絞って話しかけてくれる子もいたが、ひと睨みしたら逃げ去っていった。来るもの拒み、去るもの追わず。

 まるで一日がループしているみたいな毎日を過ごしていた。天気と季節以外はなにも変わらない日々。


「当時は退屈な毎日だった。退屈で寂しかった。孤独に慣れることなんてない。『孤独に慣れた』というのは寂しい気持ちを見て見ぬふりをするのが上手なだけ。いつだって心は寂しいって囁いている。当時の私は寂しかったもの」


 そんな退屈な毎日が、退屈だと感じなくなるくらい、私の退屈は日常に溶け込んでいた。だからこそひとりの男の存在はよく目立った。


『なあカレン』


 それはあまりにも唐突で、高身長で坊主頭の彼は私に話しかけてきた。このときは神居賀来次郎の”カ”の文字すら認知しておらず、そもそもクラスメイトであるかどうかすら分からないくらいの認識だった。そんなNPCみたいなやつが話しかけてきたところで、いつもみたく無視すれば良かったのだが。


『観測者っちゅーことはお前、天体観測とか専門なんじゃろ?』

『……は?』


 あまりにもバカ丸出しの発言に声を出してしまった。


『愚痴っぽくなっちまうが聞いてくれよカレン』

『おいちょっと……はぁ』


 彼は前席に腰を落として悪質セールスマンのごとく勝手に話し始めた。だからといってコチラが席を立つのも癪だったため、窓の外を眺めながら聞き流す。そんなことお構いなしに彼は饒舌に続けていた。


 要約するとこうだ。来週の水曜日に、賀来次郎の主催のもと近所の子供を連れて山で天体観測をすることになったそうだ。しかし賀来次郎は天体についてこれっぽっちも詳しくないため、それで”観測者”の私が同行して、天体についてその場でバレないように耳打ちしながら教えてほしいとの依頼だった。


 どうやら近所の子供に『賀来次郎はバカだ』と煽られて、天体に詳しいと言っておけば頭良く思われるんじゃないかと天体観測を企画したそうだ。まずその発想がバカである。そもそも観測者をはき違えている時点でバカである。私に頼るまえに自分で勉強しろよ、とすら思った。


 そんな依頼を受けるはずもなく、承諾も否定もせず無視を続けて彼と距離を取った。こういうメンドクサイやつは会話しないほうが吉である。その選択が間違いだった。


『なあなあカレン、観測者なんじゃろ?』『どうだ来週、空いとるか?』『お願いよカレン様、観測者様』『飯でも奢っちゃるわ』『貸しにしといてええで』『頼むよカレン、このままじゃバカの烙印を押されたままじゃ』


 朝昼夕、学校から放課後まで毎日のように私につきまとい同行をお願いされた。しまいには外食すらも勝手に同席してくる始末だ。どんなに無視してもまとわりつく。ときには冷酷な言葉を投げたがヤツはしつこかった。これは受諾してさっさと終わらせたほうが良いのではないか。そう思って先に折れたのは私のほうだった。


『……報酬は?』

『今度、お前に最高の黒ゴマおはぎを食わせてやるけ。きっと腰抜かすぞ』

『はっ』


 のちにクソ不味い黒ゴマおはぎを食わされるとはつゆ知らず、ヤツとの関わりを断つためにも重い腰を上げることにした。当日。夜が濃くなっていく21時に神居神社へ足を運ぶと、すでに数十人の子供が集まっていた。10歳前後の少年少女たちが懐中電灯を持って騒いでいた。


 懐中電灯で足元を照らす賀来次郎が先導し、私は一番後ろを歩いていた。子供たちに「賀来次郎」と呼び捨てにされて態度もだいぶ舐められている、と思ったが、どの子供も賀来次郎に好意をいただいている様子だった。まるで近所のお兄ちゃんのような立ち位置なのだろう。頂上に到着すると揃って子供たちは顔を上げて天体観測が始まった。


『こっちじゃ、カレン。はやくはやく』

『はぁ……』


 私は賀来次郎のとなりに立ち、星座や恒星の知識をヤツに耳打ちして教えてやり、ヤツはロボットのように一語一句おなじ内容を復唱する。子供たちから感嘆の声が飛び交うなか、体をくねらせながら嬉しそうに照れる賀来次郎。そんなバカげた時間を過ごした。


『昨日は助かった! さすが観測者のカレンじゃあ! ところでカレン、お願いがあるんだが』

『……おい』


 その日から賀来次郎は私にかまうようになった。

 休み時間や放課後、スキー旅行や勉強合宿など暇さえあれば私に話しかけてくる。放課後も力ずくで拉致られてボーリングなど娯楽に付き合わされた。


 ヤツの前向きな性格と家柄など関係なくだれにでも平等に接するところに周りからの評価は高く、誰からも好かれていた。だから友達もたくさんいたのに、私と過ごした時間のほうが多かっただろう。それでも私は、ヤツが卒業する最後まで冷たく当たっていたと思う。笑顔を見せたこともなかったかもしれない。


「これが賀来次郎との出会いのきっかけ。ありきたりな話だよ。まちこや十四と出会った頃のほうがドラマチックだよ。さっきまちこは賀来次郎と友達かどうか聞いてきたよね」

「はい」

「やっぱり思い返してもその答えは分からないや。基本的に何をしようにも賀来次郎の一方通行だったからな。私はヤツの暇つぶしに付き合っていただけで、分かり易く言えば都合の良い女だったわけよ」

「都合の良い女……」

「おっと変な妄想するなよ十四。お前が期待するようなことは一切ないからな」

「なっ、私をなんだと思ってるのよ! 私は三次元のセクシャルには興味がないの。心外だわ」

「やめとけやめとけ、普段の十四とのギャップに困惑しているやつがいるから」


 十四に対して珍獣でも見ているような目をしている晴雪。思考がオーバーヒートしているのが見て分かる。


「カレンさんはどうして神居神社に来ていたんですか?」

「黒ゴマおはぎと暇つぶし。賀来次郎が言ったんだよ。いつでも来いって」


 賀来次郎が学校を卒業式する日。この学校に残り続ける私にヤツはこう言った。


『心残りがあるとすればカレン、お前が学校に一人で取り残されることだけじゃ』と。

『寂しくなったらいつでも神居神社に来い。お前の大好きな黒ゴマおはぎでもつくってやるけ』と。


 そのあとの学校生活が退屈に思ったのは言うまでもない。そこでようやく賀来次郎の存在の大きさを実感した。結局のところ賀来次郎が卒業したあとも、黒ゴマおはぎを食べたいからという理由をつけて神居神社まで会いに行っていた。まるで学生時代と立場が逆転したみたいに、賀来次郎が神職で忙しいときも平気で遊びに行っていた。


「この黒ゴマおはぎは世界中どこを探してもここにしかないからねぇ。たぶん私は、神居家のおはぎを誰よりも一番食べていると思う」

「カレンお姉ちゃんはヘビーユーザーだもんね」


 仏壇のお供えしてある黒ゴマおはぎに手を伸ばす。ホロホロと剥がれ落ちていく黒ゴマを、手で受け皿を作り、汚さないように急いで口まで運ぶ。賀来次郎から晴雪へバトンが渡された味。まるで黒ゴマひとつひとつに賀来次郎との思い出が格納されているみたいに、噛みつぶすと、塩分と忘れかけていた記憶が放出される。たしかそれをプルースト効果と言うのだっけ。


「そういえば最初に賀来次郎が作った黒ゴマおはぎ、美味しくなかったなぁ……」


 腹の底からこみ上げる熱に、首筋と耳の裏がほんのり火照るのを感じた。

 吐く息が震えるのを悟られたくなくて、これ以上は何も喋ることができなかった。ヒトの死には慣れていたはずなのに胸がきゅうっと押しつぶされそうだ。この感覚が嫌いだから私は孤立した生活を送っていたのに。


「カレンさん……」


 立ち鏡にうつる猫背で情けない姿の私と、何も言わずに私の背中を優しくさする三人。なぜか十四は涙を流していて笑いそうになったが、今は顔をあげられない。

 だからこの熱が冷めるまで、少しだけ甘えることにしよう。


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